第37話 医療崩壊都市・トキソイドクライシス 32
ベッドの上に押し倒された男は、もがきながら声を張り上げようとしたが、すぐにタオルで口を塞がれた。
数人の影が容赦なくのしかかり、腕を捻り上げ、膝で胸を押さえつける。
「なっ……や、やめ!」
喉を絞められ潰れた叫びは誰にも届かなった。
「よおし、梱包しろ」
縄が巻かれ、ガムテープが音を立てて伸びる。
足首から腹、胸、肩口まで――男の体は瞬く間にぐるぐると締め上げられた。
やがて一匹の蛆虫を包む繭のように、全身は簀巻きにされ、もはや身動きひとつ取れなくなった。
少女は隅で煙草に火をつけ、ただ静かにそれを眺めていた。
先ほどまで「優しくしてね」と笑っていた唇が、今は冷笑を浮かべていた。
「よし、運べ」
低い声とともに、男は床に転がされた。
背中が絨毯を擦り、無様に転がる音だけが響いた。
裏口が開き、夜風が吹き込んだ。
そこには黒いハイエースが音もなく待っていた。
スライドドアが開き、闇の奥から消毒液のような匂いが漂った。
「せーの!」
簀巻きの男は無造作に担ぎ上げられ、荷物のように車内へ放り込まれた。
床に叩きつけられた衝撃に呻き声をあげたが、口は塞がれ、誰にも届かない。
ドアが閉まり、エンジンが低く唸った。
ハイエースは新宿の喧噪を抜け、首都高へと滑り込む。
目指すは葛飾・金町――恵比寿舞龍権のアジト工場。
簀巻きの男の目から涙が溢れた。
それは恐怖か、悔恨か。
だがいずれにせよ、この先に待つのは「マルタ」としての監禁、そしてマラリアの温床となる地獄であった。
ハイエースは夜の首都高を走り抜け、やがて葛飾・金町の工業地帯に入った。
街灯の乏しい一角、錆びた鉄扉の前でハイエースが停まった。
鉄扉の向こうからは、低い機械の唸りと薬品の匂いが漏れていた。
「着いたぞ」
半グレの一人が吐き捨てるように言い、扉を叩いた。
内側から鎖が外れる金属音が響き、重い扉が軋みながら開いた。
工場の奥――そこは医療でも研究でもない、ただの牢獄だった。
薄暗い照明、鉄格子、鎖、そして壁際に並ぶ培養器。
ガラス越しには黒雲のように蠢く蚊の群れが、低く羽音を立てていた。
簀巻きにされた男は床に投げ出され、呻き声を洩らした。
だが口は布で塞がれ、声にならなかった。
半グレの一人が足で小突きながら言った。
「お前は今日から"マルタ"な。血を吸われ、マラリア原虫を育てるただの器。人間じゃねえ」
縄を解かれることはなく、簀巻きのまま鉄格子の中に転がされた。
部屋の隅には錆びたベッドと点滴架台。
既に幾人かの影がそこに横たわり、痩せこけた体を痙攣させていた。
彼らもまた"実験台"として連れ込まれた者たち。
男の目が絶望に見開かれた。
この場に人権も救いもなく、ただ生体という名の資源が並べられている。
蚊の羽音が不気味に響き、死神の合唱のように彼の耳に突き刺さった
扉が閉じられた。
そこに残ったのは闇と薬品臭、そして蚊の羽音。
男の涙が頬を伝い落ちたが、それすらもこの工場では「培養に必要な水分」に過ぎなかった。




