第28話 医療崩壊都市・トキソイドクライシス 23
通りを歩きながら、丈二と片山は位田餓鬼の尽力する姿を想っていた
位田餓鬼教授は、試薬瓶を握る手を震わせていた。
教授は目を閉じ、古びた実験台に両手を置いていた。
その手は、戦時に満州で細菌兵器を作り、それによって無数の中国人を殺害した。
いま、その同じ手で人を生かす薬を作ろうとしている。
作られたトキソイドは、確かに生命を繋ぐ兆しを見せていた。
だが、科学の力では超えられない壁がその背後に立ちはだかっている。
「……医薬品を産み出す施設は『医薬品製造業』あるいは『ワクチン製造受託施設』として、正式な許可を受けていなければならん」
老いた声は、石を擦るように低かった。
「大学附属の研究施設……所詮は『研究用』止まりだ。薬品としての認可は下りちゃいない」
丈二が腕を組み、唸る。
「……つまり、学内で造っても、法の上では『使えないワクチン』ってわけね」
老人の瞳が揺れた。
「法に則っていない薬は、罪かもしれん。だが……それでも、人を救うことはできる」
片山は深く煙を吐き、灰を指先で弾いた。
「……教授の背負う罪はわかってる。だが、その罪に救われる命がある」
丈二は巨体を揺らし、わずかに笑んだ。
「筋肉じゃ法律は殴れない。けど……命のためなら、闇を殴りに行くわよ」
許可はない。
法の庇護もない。
あるのは、かつての罪に対する贖罪と、救命への執念だけだった。
片山は煙草を咥え、歩きながら低く言った。
「丈二……。仮に位田教授の施設でトキソイドを造れたとしても、正規の認可が下りてなきゃ、ただの"闇トキソイド"だ。わかるか?」
丈二は巨体を揺らして笑った。
「認可ねえ……。つまり"表の顔"を付けなきゃ売れないってことかしら」
片山は灰を弾き、冷たく続けた。
「その通りだ。まず、厚労省から『医薬品製造業』の許可が必要だ。これは工場ごとに与えられる免許状みたいなもんだ。施設の構造や人員、無菌管理の基準を全部満たさなきゃ通らない」
「ふぅん。じゃ、フツーの大学の研究室じゃ通らないわね」
「研究用はあくまで"実験"。ヒトにうつ薬は作れない。さらに"ワクチン製造受託"の承認も要る。これは厚労省の査察官がGMP――つまり国際基準の製造規範に照らして検査する。空調から滅菌ラインまで、針の穴ほどの瑕疵も許されない。まぁここの基準はクリアできてるわけだが……」
丈二が口笛を鳴らす。
「針の穴、ねぇ……。でもアタシたちの医局なんざぁ、針の穴どころか、コンプライアンスに大穴が開いてるわよォ」
片山は煙を吐き、口元を歪めた。
「そこらへんの穴を塞がなきゃ、患者を救うどころか俺たちが罪人だ。製造管理者の常駐、品質試験、ロットごとの記録、すべてが法に縛られる。……要は、光の下で堂々と造る仕組みを作れってことだ」
丈二が肩を竦め、にやりと笑った。
「でも、光の下に出すためには、"闇"の力を使ってもいいのよね。だって今のままじゃ時間がかかりすぎる」
片山は目を細めた。
「……だから阿羅業が持っている"戦中の記録"を使うんだ。政財界の連中を揺さぶって、特例を認めさせる。それが一番の近道だ。あの記録には今や強大な権力者となった政財官界の大物のかつての黒歴史が詰まっているらしい」
丈二は大げさに手を叩いた。
「なるほど、罪で罪を殴り飛ばすわけね! やっぱりアタシたち、筋肉より頭脳プレイのほうが性に合ってるじゃない」
片山は煙草を踏み消した。
「筋肉も頭脳も要る。光の道を造るためには、闇をも利用する。それが……俺たちの医療だ」
二人の歩みは重く、夜の歌舞伎町の闇へ沈んでいった。




