第25話 医療崩壊都市・トキソイドクライシス 20
六本木、外苑東通り、夜。
ネオンが虹のように眩く輝き、黒塗りのリムジンが路肩に並ぶ。
高級クラブ「恵理奈」の奥、VIPルームの厚い扉の内側は、外の喧噪とは別世界だった。
分厚いカーテンの隙間から洩れる光は赤く、葉巻の紫煙が揺らめく。
葉烈峰は深いソファに沈み、紫煙を吐き出していた。
その横で泡渕は、顔色を変えていた。
「……業務停止の報が出てから、八つ目科学の工場が止まったままじゃ、株価は地に落ちる。現に八つ目科学の株は落ちっぱなしだ。株主からの訴訟リスクも高まっている……奴らは訴訟の準備を始めている。このままじゃ、俺は潰れる。もう持たん……」
泡渕はグラスを握り、声を荒げた。
その顔は、脂汗に濡れた哀れな雑魚の貌だった。
葉烈峰はソファに深く沈み、瞼を半ば閉じたまま声を放った。
その声は低く、鋼のように硬く、重い。
「……操業停止? ――大いに結構だ」
泡渕が顔を上げた。
「な、何だと……?」
葉はゆっくりと身を起こし、眼光を泡渕に突き刺した。
「操業が止まれば、監査も止まる。査察も止まる。この停止期間を利用して――我々は“面白いもの”を作らせてもらう」
泡渕の背筋を冷たいものが這った。
「……面白いもの、とは……?」
葉の口角がわずかに吊り上がった。
「それは、薬ではない。毒でもない。それは――病を運ぶ悪魔の影だ。街に撒かれれば、経済も政治も一夜にして崩れる」
グラスの中の氷が、コトリと音を立てた。
泡渕は何も言えなかった。喉が乾き、声が出ない。
葉は紫煙を吐き出しながら、氷のように冷たく言い放った。
「……操業停止は終わりではない。始まりだ。死神の工場が、ようやく目を覚ます」
部屋の空気は凍り、泡渕は全身の毛穴が逆立つのを感じていた。
六本木の夜のざわめきは、遠い世界の音のようにかすんで聞こえた。
声は掠れ、額には脂汗が浮かんでいた。
泡渕のプライドは既に砕け散り、ただ恐怖に縛られた小物の貌を晒していた。
葉は無表情に煙を吐き、低く言った。
「操業停止、大いに結構。株価下落、大いに結構。落ち切った時に買い増しとくといいぐらいのものだ」
「泡渕、焦るなよ。――まだ三段階のうちの一段階を踏んだだけだ」
泡渕が顔を上げた。
「……三段階?」
葉の目は氷の光を宿し、わずかに口角を吊り上げた。
「第一段階は工場を押さえること。すでに済んだ。だが次は――“第二段階”」
泡渕の喉がごくりと鳴った。
「……第二段階とは……?」
葉は立ち上がり、指先で葉巻の灰を落とした。
「言葉で聞くより、目で見ろ。リムジンを回せ。行き先は――金町工場だ」
扉が開き、外気が流れ込んだ。
葉の背中は巨岩のように揺るぎなく、泡渕はその背に従うしかなかった。
六本木のネオンを背に、リムジンが静かに動き出した。
その車内で泡渕は、胸の奥に広がる得体の知れぬ恐怖を、酒でも煙草でも誤魔化せなかった。
「……第二段階とは何だ……?」
呟きは、自分の耳にしか届かなかった。
だが答えは、金町工場の暗闇の中に待っていた。
闇の胎動は、まだ始まったばかりだった。




