第22話 医療崩壊都市・トキソイドクライシス 17
午後の臨床検査室。
白い蛍光灯の下に、研修医三人が並んで座らされていた。
前には滅菌スピッツ三本。
尿の検体が入っている。
試験官席には片山、副局長の広瀬綾香、そして阿羅業。
三人の眼差しは、硝子より冷たい。
「ここにあるものは、検査機器も試薬も、好きに使って構わん。一時間以内に、できるだけ多くの病的所見を拾え。――トップには、何かいいことがある……かもしれない」
片山が無造作に告げた。
研修医たちの背筋がこわばる。
試験官たちの前に小さな監視モニター。三人の行動はすべて別室でチェックされる。
阿羅業の合図で、タイマーが回り始めた。
「開高秀治は、遠心分離器にかけて沈査を回収し始めたな……、廻っている間に、スライドに尿を一滴落として、鏡検を開始……」
片山が呟く。
「江別哲也は……テステープを浸してチェック。尿糖、蛋白、ケトン……まあ、無難なとこね」
広瀬が眼鏡を押し上げた。
「薄壁白子は……? なにをやってる……ずっと臭いをクンクン嗅いでるが」
阿羅業が眉をひそめた。
「……臭いを頼りに診断か? 人智を越えた犬並みの発想か?」
一時間は嵐のように過ぎた。
答案用紙が机に並べられた。三人のチェックの眼が走る。
開高:
症例1 赤血球円柱・顆粒円柱、異型上皮細胞? 腎炎・癌の疑い
症例2 細菌尿・膿尿
症例3 異常なし
江別:
症例1 尿中赤血球・蛋白3+
症例2 細菌尿・ケトン4+・尿糖
症例3 異常なし
薄壁:
症例1 血尿・蛋白尿・泌尿器癌疑い
症例2 ケトン臭・尿汚濁・糖尿病か?
症例3 ……ゴナドトロピン臭、妊娠中。
「……えっ?」
薄壁の答案用紙を覗いた、広瀬綾香の顔色が変わった。唇が白く震える。
阿羅業が目を細めた。
「おい広瀬、どうした。おまえ、顔が"ど・ど・どーすんの"ってなっとるぞ」
「い、いや……その……」
綾香の視線は宙を泳ぎ、額に汗が浮いた。
片山が問うた。
「広瀬、試験用の検体を用意してたのお前だったよな……まさか……症例3は、お前の小便か?」
広瀬の顔がみるみる青ざめ、次の瞬間――
「……うえっ、げぇええ!」
口を押えて流し台へ駆け込み、げえげえと吐き出した。
室内の空気が凍りつき、次いで片山と阿羅業は顔を見合わせた。
「……どうやら、薄壁の指摘は正しかったらしいな。妊娠検査反応試薬で調べるまでもないようだな」
片山が煙を吐き、笑いを堪えた。
阿羅業は口角を吊り上げ、低く言った。
「それにしても……あいつの鼻は、犬並みだな」
薄壁白子は頬を赤らめながらも、誇らしげに背筋を伸ばした。
検査室には、妙な静寂と抑えきれぬ笑いが混じって漂った。
流し台で胃の中を吐き切った広瀬綾香は、顔を赤らめて戻ってきたが、
誰もその姿に触れようとはしなかった。
片山が煙草をもみ消し、薄く笑った。
「……まあ、臨床検査の答案はさておき、今日の収穫は別にあるな」
阿羅業が頷いた。
「――薄壁白子の嗅覚か」
丈二が大げさに肩を揺らし、低く笑った。
「確かにねェ。犬でもここまでやれやしないわ。……でも、これが役に立つ時が来るかもよ?」
片山は窓の外を睨み、煙を吐き出した。
「……そうだな。毒も薬も、臭いを纏う。血や膿、化学物質の匂いは、時に検査機械より雄弁だ」
阿羅業は机の上の古い実験記録に視線を落とした。
そこには「毒素投与時の呼気臭、患者の体液の変化」が記録されていた。
戦時中の非人道的な実験すら、臭いを指標としていた。
「……鼻は軽んじられるが、生命の本能だ。死神が近づけば、臭気となって現れる。――その嗅覚は、いずれ我々の命を救うかもしれん」
薄壁白子は頬を赤らめ、視線を落とした。




