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第17話 医療崩壊都市・トキソイドクライシス 12

 片山は煙草を灰皿に押し付け、低く言った。


「……何本もらえる?」


 郭は骨ばった指で顎を撫で、眼鏡の奥で笑みを浮かべた。


「とりあえず二十本。――だが」


 片山の眼が鋭く動いた。


「だが?」


 郭は小瓶を弄び、光を反射させた。


「あなた方とは、いい関係を結びたい。だからこちらからも一つ、頼まれていただきたい」


 赤嶺丈二が肩を揺らして笑った。


「裏の取引に抱き合わせ商法ねぇ……で、何をしろってのよ?」


 郭の声はさらに低くなった。


「……命を狙われている女のかおを、一時的に変えてほしいのです」


 片山の眉が動いた。


「一時的に?」


 郭はゆっくりと頷いた。


「理由は、女の貌を見ればわかります。完璧な黄金率――美の理想像イデア。あの貌に傷をつけず、整形できる医者がいれば……」


 丈二はにやりと笑い、片山に視線を投げた。


「片ちゃん、いるじゃないの、一人。うちの医局に。だけど、ちょっとばかし小難しい男でね」


「阿羅業か……」


 郭は机の引き出しから黒い箱を取り出した。


 蓋を開けると、絹糸のように光を帯びた繊維が巻かれていた。


「――アルヘンティナ・ジゼルの7.0。アンデスにのみ生息する蔓草の繊維から作られる、世界最高級の手術糸。いかなるシルクよりもしなやか、しかもスチールのように丈夫。大量生産できず、幻と呼ばれる一品です」


 その繊維は月光を溶かし込んだように艶めき、触れただけで切り裂かれそうな気配を放っていた。


 郭は静かに続けた。


「もし、その女の顔を変えられる技術を持つ医者ならば……私が何を言っているのか理解できるはずです。アルヘンティナ・ジゼルは、報酬として差し上げます、必要なだけね」


 そこまで言って、郭は、店の奥に二人を招き入れた。


 中の奥座敷。


 畳の上に小さな明かりが揺れ、外の喧騒はまるで別の世界のもののように遠かった。


 若い女性が座っていた。


 郭英志は眼鏡を外し、骨ばった指で額を押さえた。


 つい、さっきまでの笑みは消え、代わりに、長年胸に沈めてきた重い影が浮かび上がる。


「……表向きには"客の女"と言ってきましたが……」


 郭の声は低く、掠れていた。


 片山の眼が細くなる。


 丈二は黙って腕を組み、畳をきしませていた。


 郭はゆっくりと娘を振り返る。


 震える肩、怯えた眼差し。


「……この娘は、私の実の娘です」


 片山の煙草が短く光を放ち、灰が落ちた。


「……娘だと?」


 郭は重く頷いた。


「母親はかつて、私が取引で関わっていた香港の女性でしたが、組織絡みの深刻な危機トラブルに巻き込まれてしまいました。私は商人としての顔しか持てず、彼女を守れなかった。その女は命を落とし……独り残されたのが、この娘です」


 丈二が息を吐いた。


「随分と理由わけありなのね」


 郭の声が低く震えた。


「ええ。母親を殺した香港の組織は、『次はこいつだぞ』とばかりに娘を"人質"にして私を縛ってきました。薬の流通、密輸の裏道……私が裏切れば、娘の命で帳尻を合わせる。奴らにとって、この娘は、組織に私を繋ぎ止めるための鎖だったのです。香港の組織に軟禁されていたところを、逃がしエージェントに大金を払って、九龍から船に乗せて、ここまで命懸けで連れてこさせました。表向きには娘は交通事故死したことになっていますが、組織はまだ、この娘の『死』を完全に信用しているかはわかりません」


 郭の瞳は潤んでいた。


「この貌のままでは、組織に必ず見つかる。私は、どうしてもこの娘を、守り通さねばならない」


 片山は長く煙を吐き、灰を指で弾いた。


「……なるほどな。薬の闇商人が命を賭ける理由、腑に落ちた」


 丈二は巨体を揺らし、ニヤリと笑った。


「親馬鹿なのね……でも嫌いじゃない。さァ、あたしたちに任せなさいな。貌を変える技術、ウチにはある」


 郭の顔に、初めて人間らしい安堵の色が浮かんだ。


「……どうか、この娘を、死神の目から隠してください……」


 その言葉は、金にも薬にも勝る、ひとりの父の懇願だった。



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