第101話 帝都暴走 21
夜の埠頭に、倉庫群の影にもう一つの軍列が並んでいた。
深夜の帷に紛れた別働隊――「スーパー・タイガー・モスキート駆除部隊」が静かに息を整えている。
隊員たちの装備は、放射線下化学戦にも対応する、医療のようだった。
背には酸素ボンベが二つ、銀色に眠っている。ベルトには細長いペン型の注射器がずらりと並ぶ。中身は薄緑の液体、抗ファルトキシン3血清──の分注である。
だれもそれが本当に効くか知らない。ただ、一度でも刺されれば命を奪う可能性のある相手に、何もしないで突っ込むわけにはいかない。
特殊繊維の戦闘服は、見る者に異様な安心を与えた。
表面は光を吸い、雨をはじき、微細な刺突を滑らせるように設計されている。
呼吸弁は小さな機械音を立て、顔を包むフェイスシールドは雲のように曇らない。誰もがその中で人間らしい顔を失い、機能だけの表情を得ている。
だが目だけは、やはり人のままだった。恐れと決意が混じった、光だった。
重装備の手には、噴霧器が握られていた。
タンクから伸びる太いホースは、殺虫薬剤を吐く口を震わせる。
だがその核は薬剤だけではない。
ドライアイスを詰めた小型発生器が並べられている。
ドライアイスが気化すれば、大量の二酸化炭素が発生する。
その白い霧が低く流れるとき、二酸化炭素の甘い香りに魅かれた蚊はその中に潜み、視界を失う。
視界を失わせ、群れを一箇所に閉じ込めるための戦術だ。
人間の理性が怪物に対して編み出した小さな暴力。
阿羅業は隊列の前に立ち、黙って隊員たちを見渡した。
手術室で見せるのと同じ目だ。冷徹だが、どこか優しい。
医師が心に刃を携えている。
「刺されたら、慌てるな。まず酸素を吸う。ベルトに挿した抗血清の注射を打ったら、次に俺を呼んでくれ」
阿羅業の声は低く、短かった。命令というより、祈りに近い。誰も笑わなかった。
隊員の一人が小さく息を吐いた。
ベルトの注射器を確かめる指先が震える。だがその指は、やがて確かに固く握り直された。
誰かの声が、古い軍歌のように小さく消え入る。
ヘリの灯りが水面を引き裂き、霧が下がる。
白い息が夜を滑り、鉄箱の間を這った。
夜の品川埠頭は、音をすり減らしていた。
波の拍動だけが岸壁にぶつかり、遠ざかる。
街灯の光は薄く、倉庫群の歯車のように並んだ扉をぼんやりと舐めているだけだった。
一台のハイエースが、影のようにゆっくり入ってきた。
エンジンの低い響きだけを残して、車は倉庫の前で止まる。
後部座席には、縛られた男が二人。眼の光は奪われ、手足には痕が残る。
「マルタ」──恵比寿舞龍権が仕立てた生け贄たちだ。
車内の空気は血と腐った薬品の匂いを帯びていた。
運転席の半グレはドアを開け、倉庫の鍵を弄る。
冷えた夜風が、彼の息を白くした。
だが、その時だった。
背後から静かに二人が近づき、運転手を取り押さえた。
黒い影、警視庁だ。低く絞った声で命令が飛ぶ。「動くな。後ろの奴らは何者だ?」
運転手は観念したように手を上げた。震える手から、リモコンキーが床に転がる。
指先が震えながらそれを差し出した。警官はキーを拾い、後部の縛られた男たちを覗き込む。
薄暗がりの中、男たちの顔に残る疲労と恐怖が見えた。だれも叫ばない。夜が、彼らの声を飲み込んでいた。
二人のマルタと運転手は、覆面パトカーに押し込まれる。
入れ替わりに、武装した機動隊員数名が荷台に押し込まれる。
無線が細く震え、装備の金属音が弾けた。
防弾ベスト、特殊繊維のスーツ、酸素ボンベ。
ベルトには小さなペン型の注射器がぶら下がっている。
死の匂いさえ、風に混じっているような気がした。
ハイエースは、倉庫前に再び静止する。
隊員の一人がリモコンを持ち、ボタンを押した。
シャッターが唸りを上げてゆっくりと上がる。
鉄扉の隙間から、冷たい空気と薬品の匂いが吐き出される。
隊員たちが息を凝らした。




