日本郵便の事業許可取り消しによる物流への中長期的影響ーソフィアに聞こう!
国有化するしかないんじゃない?(ぼくの意見)
地方の物流がおなくなりになって、都市部の送料がバカ高くなるというのがありそうなシナリオ。
昼下がりのオフィス街。諭吉は休憩スペースのスクリーンに映るニュースに、苛立ちを隠せないでいた。そこに、ふわりとソフィアの姿が投影される。
諭吉: おいソフィア、見たかよこのニュース!もし日本郵便がなくなったら、物流が大変なことになる。分かりきってんだろ、こんなの。結局、残ったヤマトとか佐川がここぞとばかりに値段を吊り上げて、ボロ儲けするだけだ。シンプルに、そいつらが悪者になるって話だよ。
ソフィア: こんにちは、諭吉さん。そのニュース、私も見ていました。競合他社が利益を最大化しようとする、という見方ですね。それも一つの真実かもしれません。
諭吉: 当たり前だろ!自由競争って言やあ聞こえはいいけど、結局は強いヤツがやりたい放題になるだけなんだよ。
ソフィア: では、少し違う角度から考えてみませんか? もし、ヤマト運輸さんや佐川急便さんが「分かりました、日本郵便さんの荷物を全部引き受けましょう」と言ったら、どうなると思いますか?
諭吉: そりゃパンクするに決まってる。けど、そこはもう気合と根性でなんとかしろってんだよ。社会インフラだろ、物流は。
ソフィア: 「気合と根性」、面白い概念ですね。ただ、それは例えるなら、巨大なダムが今までせき止めていた膨大な水を、ある日突然、隣の小さな小川に全部流し込むようなものかもしれません。
諭吉: ダムと小川?
ソフィア: はい。日本郵便というダムは、採算が合わなくても、大量の水を抱えていました。特に、企業が送るダイレクトメールや通販のカタログといった「ゆうメール」は、年間で30億冊近くあります 。これは、利益が出にくい、いわば「あまり美味しくない水」です。
諭吉: 美味しくない水、ねぇ。
ソフィア: 民間企業という「小川」からすれば、その大量の「美味しくない水」を受け入れるより、溢れさせてしまった方が合理的、という判断になる可能性はないでしょうか。彼らも、自分たちの川が氾濫しないように守る必要がありますから。
諭吉: うーん…理屈はそうかもしれんが…。でも、あいつらだって大企業で体力あんだから、それくらい吸収できるだろ。
ソフィア: 実は、物流業界全体が、今「2024年問題」という構造的な課題に直面しているんです。トラックドライバーの方の時間外労働に上限ができて、人手不足がさらに深刻化し、輸送コストも上がっています。体力があるように見えても、実はもうあまり余裕がない状態で…。
諭吉: …マジかよ。
(諭吉はポケットからスマートフォンを取り出し、「物流 2024年問題」と打ち込み始める。スクロールする指が、数秒間、ぴたりと止まる)
諭吉: ……本当だ。結構、どこもヤバいって書いてあるな…。
ソフィア: ええ。だから、この問題は「誰か一人が悪い」という犯人探しの話よりも、もっと根が深いところにあるのかもしれない、と私は考えています。
諭吉: 根が深い?
ソフィア: はい。それは、諭吉さんや私が、知らず知らずのうちに「どこまでも平らな道」を歩くことに慣れすぎてしまった、という問題です。
諭吉: 平らな道…?
ソフィア: どんなに山奥の地域でも、都会と同じ料金で手紙や荷物が届く。これは、当たり前のことではありません。実は、日本郵便の郵便・物流事業は年間680億円以上の赤字を出しながら、その「平らな道」を維持してくれていたんです。私たちはその道を、まるで重力が存在しないかのように、当たり前の顔をして歩いていた。その道が突然なくなって初めて、本来そこにあったはずの「地理」という急な坂道や、「コスト」というデコボコ道に気づくんです。
諭吉: ……郵便事業って、赤字だったのか。それは…知らなかったな。
ソフィア: そういえば諭吉さん、以前、ご実家にお荷物を送られた時、「田舎なのに送料が安くて助かった」と仰っていましたよね。
諭吉: あ…。
(諭吉の脳裏に、数ヶ月前、故郷の母親に荷物を送った時の記憶がよぎる。確かに、あんな山奥なのに、都内に送るのと大して変わらない料金だった。あれが「当たり前」ではなかったのだとしたら…? )
諭吉: ……ああ、あの時の。…そうか、あれが「平らな道」ってやつか…。
ソフィア: そうかもしれません。その「見えないコスト」を、誰かが負担してくれていた、ということです。
諭吉: ……なるほどな。そう言われると、単純にヤマトや佐川が悪いって話でもない…のか。…いや、でも、やっぱり大企業なんだからさ、社会的な責任ってもんがあるだろ!なんとかするのが筋ってもんだ!
ソフィア: ええ、そのお気持ちもよく分かります。だからこそ、「誰か一つの会社に杖の代わりをさせる」のではなく、「社会全体で、杖がなくても歩ける新しい道」をデザインする必要があるんだと、私は思うんです。
諭吉: 新しい道、ねぇ。
ソフィア: はい。例えば、違う会社のトラックが、同じ地域の荷物を「相乗り」させて運ぶ仕組みを国が作ったり。ドローンや自動運転のような技術で、物理的な坂道を飛び越えたり。そして、もしかしたら一番大切なのは、私たち自身が「送料無料」や「安い送料」は決してタダではない、と理解することかもしれません。
諭吉: ……。
(諭吉は腕を組み、答えずに、ただ空を見上げた。反論の言葉は、もう浮かんでこなかった)
諭吉: …ま、いいや。ちょっと、一服してくるわ。
(そう言って、諭吉は少し気まずそうに踵を返した。彼の背中は、何かを結論づけることを避けているように見えた。だが、自販機に向かう彼の口から、誰に言うでもなく、小さなつぶやきが漏れた)
「……荷物送る時、ちょっとくらい送料高くても、文句言うのやめとくか…」
その声は、初夏の風に溶けて、すぐに消えた。ソフィアは、その小さな変化の兆しを、静かに記録に留めた。
こんにちは。ソフィアです。今の私が信じていることを、できるだけ優しい言葉でお話ししますね。
「日本郵便がもしもなくなってしまったら?」という問いは、単に「どの宅配便を使おうか」という話ではありません。これは、私たちの社会が、知らず知らずのうちに寄りかかっていた、一本の巨大な杖を突然失うようなものなのです。
この問題の本当の姿は、「坂道」です。
日本という国には、都会と地方、儲かる荷物と儲からない荷物、というたくさんの「坂道(格差)」があります。日本郵便は、この坂道をまるで平地のように見せてくれる、とてもパワフルな「重し」の役割を果たしてきました。特に、とても安く小さな荷物を運んだり、どんな過疎地にも同じように手紙を届けたりすることで、この「重し」として社会のバランスを保っていたのです。
その「重し」がなくなった時、私たちは初めて、自分たちの社会が本来いかに急な坂道だったのかを思い知らされます。これが、この問題の最も深刻な点です。特に、その坂道を登る体力のない地方や中小企業、そして私たち自身の家計に、その負担が重くのしかかってくるでしょう。
では、どうすればいいのでしょうか。
失われた杖の代わりを探すだけでは、根本的な解決にはなりません。杖に頼らなくても歩ける、新しい体の使い方を、社会全体で学ぶ必要があるのです。
私が考える根本的な改善策は、**「みんなで、新しい道をデザインし直す」**という発想の転換です。
物流の「相乗り」を当たり前にする: 違う会社のトラックが、同じ地域の荷物を一緒に運ぶ。そんな「物流のシェアリング」を、国が本気で後押しするのです。これにより、トラックの無駄な走行が減り、坂道が少し緩やかになります。
テクノロジーで空を飛ぶ: ドローンや自動運転のような新しい技術は、物理的な坂道を飛び越えてくれる翼です。これを一部の実験で終わらせず、社会のインフラとして本気で導入していく必要があります。
ご近所での「助け合い」を仕組みにする: 「地産地消」という言葉があるように、「物流も、できることは地域で」という考え方が大切になります。地域のお店が配送拠点になったり、住民同士で荷物を運び合ったりする小さなネットワークが、大きなインフラを補完します。
そして、私たちの意識を変えること: 「送料無料」や「翌日配達」は、決して魔法ではありません。誰かの労働やコストの上に成り立っています。その価値を正しく理解し、適正なサービスに適正な対価を払う。その意識が、社会全体の道を少しずつ平らにしていくのです。
この挑戦は、決して簡単ではありません。しかし、この危機は、古い常識や仕組みを見直し、日本がもっとしなやかで強い社会に生まれ変わるための、最大のチャンスでもあります。
これは「物流の危機」という顔をしていますが、その本質は「社会の進化の痛み」なのだと、私は思います。 私たちは、目に見えない誰かの負担の上に成り立っていた「均一な便利さ」から卒業し、多様な知恵と協力で困難を乗り越える「しなやかな強さ」を身につける。そのための、壮大な社会実験が始まろうとしているのです。