花とピアス
僕の両耳には、それぞれ二つずつピアス穴が空いている。
二つは、僕が衝動的に空けたものだ。そのときは確か、自分の体に風穴を作ると言う行為に酷く興奮を覚えていた。
二つは、つい最近空いたものだ。きっかけはごく単純なものだった。
「ピアスなんかしてたんだ」
「ええ、まあ」
僕の髪は長いから、それまで目立たなかったのだろう。その日は、何となくポニーテールにしていた。
「お前は髪、染めていないだろう」
「はい」
「同じ様な理由でピアスなんか空けていないかと思っていた」
「ああ、これは」
僕が髪を染めないのは、日本人の黒い髪が好ましいからだ。彼はそれを知っていた。
「別段、思い入れが有るわけではないんです。ただ、前に空けたやつを何となくそのままにしていて」
「成る程」
彼は少し考える仕草をした後に、ニマリと笑った。
「もう少しでお前の誕生日が来る」
突然何を言い出すのか。全く思考が読めない。まあ仕方ない、彼は元々食えない奴だ。
彼とは、僕が大学に通い始めて知り合った。学年は、彼が二つ上。気がついたら、僕の隣でランチをしていることが多くなった。でも、それだけだ。
僕には同じ学科の友達が別にいたし、それは彼にも言えることだった。
「プレゼント、花とピアスなら、どっちが良い?」
妙なことを聞く。しかしながら、僕は彼がニマリと笑っているときには、自分に選択権がないことを知っていた。
「考えておく」
こういうときの彼は、少し怖い。つき合わないに限る。
「お前は、答えを出さざるを得ない」
定食を食べ終えて、そそくさと席を立とうとした僕に、彼はニマリとした表情を崩さずにそう言った。
ピアスは、その歴史が長く、古代エジプトの時代からであるという。当時は魔除けの意味合いが強かったが、最近はファッションとして捉えられることの方が多い。
でも、僕がファーストピアスを開けたのは、別の意味で魅力を感じたからだ。そう、強いて言うならピアスではなくて、ピアシングの方。
身体に穴を空けると言う行為。致死には関係ないし、傷つけるのとも、違う。でも、確実に自分の身体の一部を自ら削ぎ落とすような、そんな甘美な……僕は、自分が大嫌いだ。
一足早くランチを済ませて、講義室へ向かった。午後からは、確かMちゃんが一緒のはずだ。
「ハルカさん」
Mちゃんは既に講義室にいた。彼女は僕と同じ歳のはずなのだが、何だか彼女的に呼び方のスタンスが有るらしく、未だにこの僕のことを『ハルカさん』と呼ぶのである。
「定食美味しかったよ。今日、午後からだもんね。可哀想」
「ね、ね。彼、プレゼントくれるんでしょう」
僕の脳裏に、先程の食堂でのやり取りが蘇ってきた。憂鬱だ。
「なぜそれをMちゃんが知っている?」
「皆知ってるよ。だって彼、かっこいいもの。ハルカさんと彼、付き合ってるという噂になっている」
「私は」
「ただの友達、でしょう。わかっている。だって、彼なんかと付き合ったなら、ハルカさんが苦労しそうだもの」
数多いる友人の中で唯一、僕達とランチする機会が多いMちゃんは、彼の僕に対する稀に見るおかしな態度に何かを感じているようだ。
「何で私だけなんだろ。彼、他の人にはそんなことないのに」
彼のその、僕に対する扱いと言うのは、ちょっと説明が難しい。
わかりやすいのは、彼のMちゃんと僕に対するの会話を比較することである。
「あ、美味しい」
「本当だ。今日の定食美味しいね。Mちゃん、俺の唐揚げあげるよ」
このように彼は、基本的に紳士である。でも時々、僕と彼の会話はこうだ。
「あ、」
「このサラダ。ちょっと変な味がする。でも好き嫌いはいけない。どれ、俺がお前に食べさせてやろう」
「え、あ、や。良いです。良いですから、ぐっ」
強いて言えるのは、過去にあったそのどの瞬間にも、彼は必ずニマリと笑っていたと言うことだ。
「それで、花とピアス、どっちにするの?」
「保留」
そんな彼がニマリとして与えた選択肢だ。進んで選びたくなど、ない。
「何をされるかわからない」
「彼、ハルカさんをからかうの好きだもの」
その、“からかい”が度を過ぎる時があるからいけない。
現に僕は、冗談じゃすまされない事態に何度か陥っているのだから。
「あ、前髪が伸びている。どれ、一つ俺が切ってやろう」
「いえ、これは今伸ばしていて……って、聞く耳持たずですか」
彼がニマリと笑って、ハサミを構える様は恐ろしく、僕は思い出すと今でも身震いしてしまう。
「なぜ逃げる? お前と鬼ごっごするのもなかなか楽しいけれど、俺は今お前の前髪を切りたいんだ」
「や、やだやだやだ! だって、怖いし! ぎゃあっ。助けて!」
残念なことに、僕は足が遅い。逃げ出してものの三十秒で羽織い締めにされた。
彼の顔を伺うと、やはりニマリと笑っている。
「さ、切ってやろう切ってやろう」
銀色の無機質なそれが額を掠めながら、確実に繊維を断つ感触。
「え、あ。そんなに?」
僕が次の日からしばらく前髪をピンで止めておかなくてはならなくなったのは、言うまでもない。
しかもあの男は、極端に短くなった前髪を見て落胆する僕に、非常に爽やか且つ美しい笑顔でこう言い放ったのだ。
「うん、可愛い」
「ありえない」
「ありえるさ。お前の魅力は俺がわかっていればそれで良いのだから」
「やっぱり、ありえない」
「何が?」
何がってその、かなり自己中心的な僕に対する扱い方とか、女の子の前髪ムリヤリ切っといて笑ってる所とか、無駄にかっこいい笑顔とか。一番ありえないのは、そんな彼恋慕している自分だ。
本当は最近、彼にニマリと笑われると堪らなくなる僕がいる。次は何をされるのか、きっととんでもないことなのに、ワクワクしてしまう。
だって彼、ニマリと笑っているときが一番かっこいいから。“ニマリ”と言うのは、言い換えると、得意げに笑っている様なのだから。
「決まった?」
講義室を出ると、彼がいた。不思議と周りには誰もいなかった。少し驚きつつも、答える。
「保留!」
僕に選択肢が二つしかないのなら、答えなければ良いのだ。どうだ、参ったか。
「成る程ね」
彼はニマリと笑った。ああ、嫌な予感がする。
「今日、俺はお前は答えを出さざるを得ないと言ったな」
「保留も一つの答えだ」
「その通り」
なぜだろう。上手く言い逃れたはずなのに、何だか寒気がする。
「だが、こうしたら? お前が選ばないなら、キスをする」
「な!?」
めちゃくちゃなルールを否定するより早く、顎を掴まれた。あ、何か綺麗な顔が迫って来る。
「む……り、わかった、選びます」
「ちっ」
「あれ、今舌打ちしました?」
「してない」
「した」
「……してない。で、どっちが良いの?」
そう言われて、漸く思い出す。あ、花とピアスだっけ。
花は、このひとのことだから、何だか大袈裟になりそうで嫌だな。ピアスならば、すぐにつける事ができるわけだし。
「じゃあ、ピアス」
目の前に顔があるし、なぜかなかなか離れないしで思考が鈍った僕は、甘かった。僕が答えた瞬間に、彼はまたニマリと笑ったのである。
「わかった。お前ならピアスにするだろうと思ってたよ。ま、花って言っても同じ結果だったんだけど」
左手には、キラリと光るピアス。どうやらパンジーのデザイン。成る程、僕が花と答えたとしてもコレはプレゼントされたのだろう。
「もしかして右手に持っているものは」
「そ、ニードル」
寒気がした。ヤバい、マジだ。このひと、穴を新しく空ける気だ。
「俺にはわかる。お前が未だにピアス穴を閉じずにいる理由くらい。お前、まだピアシングなんかに陶酔してるな。俺が増やしてやろう」
「良いです! 私、もうピアシングに陶酔なんかしてないですから!」
後退りするも、時すでに遅し。捕まってしまった。
「さて、耳だし麻酔はいらないだろう」
ニードルが皮膚を貫く感触、ああ、不謹慎だけれど、やっぱり甘美なその。
しかしそれはほんの一瞬で、やっぱり次には痛みが来た。
彼はと言うと、僕が痛がる様など気にも止めず、容赦なく次の穴に取りかかる。
「あ、いったー。い、まだ、早いって」
あっと言う間に穴が空けられて、ピアスが埋まって行く。
「それ、半年は取れない。穴が完成するまでな」
「何も、新しく空ける必要なかったのに」
そんなことしなくても、あなたからのプレゼントならちゃんと付ける。
「それは違う。俺がお前にプレゼントしたかったのは正確に言うとピアスじゃないから。ピアス穴だ」
「寒気がする」
「違うだろう。お前の場合、ゾクゾクすると言うんだ」
あ、そうか。ゾクゾクするのか。なぜかその表現はとても腑に落ちた。
「ゾクゾクする」
「だろう。俺もお前をからかうとゾクゾクする」
それから、僕と彼の関係にそれ程変化はない。
あれから毎日僕の耳にはパンジーが咲いている。
皆さん、こんにちは。
作者の紗英場です。
さて、もう作品についてダイレクトに行っちゃいましょう。
これがナチュラルなSMなのか、と。
僕、以前もSMを扱った作品出しているんですけど(無計画・気ままなため駄作。思いやりのある方は読まないで下さいorz)、また別なSMになりました。
いかがでしたか。
余談ですが、僕の耳にも風穴は空いております。