土曜日のベランダ
冬の風を受けて、目を閉じる。
壁掛け時計の秒針の音がベランダまで聞こえた。
あの子の、足音も。
「町川さん」
下から柔らかい声で呼ばれる。
わざと目をゆっくりと開けると、彼女がじっとこちらを見ていた。
「町川さん、ベランダで寝ないで。怖い」
「寝てないよ、目、瞑ってただけ」
「危ないから、部屋に入って」
「じゃあ君がここにおいでよ」
「また、そうやって」
彼女が仕方なさそうに見上げる。
「絶対、行かない」
笑う。綺麗に、そして無邪気に。
背負ったギターケースのベルトを握って、彼女が視界から消える。また目を瞑って、秒針の音に耳を澄ませた。
土曜は夕方まで寝ていたいし、冬も好きじゃない。
それでも、午前十一時、冷たい柵にもたれ掛かる。彼女が帰ってくるのを待ち、彼女から声をかけられるのを待つ。
ダサい。
それでも、どうしても聞きたくなるのだ。
しばらくすると、隣人がベランダに出てきた。
冷たい風に「ふう」と息を吐き、ガコ、と足の長さが合っていない椅子に座る気配がする。
「町川さん」
隣から呼ばれて思わず笑えば「せめて上着くらい着てるよね?」と叱られた。
「うん、着てる。おかえり」
「嘘ついてるでしょ。ただいま」
薄っぺらい白い衝立のような壁を隔てて、彼女が笑う。
「……」
彼女が、小さく息を吸い込んだ。
一拍後、空気が震えるような音が隣からかすかに響く。
ギターの弦に、あの白い手が触れている。
木の内にこもるような、語りかけてくるような「ただ音を鳴らしている」だけの拙いそれが――夢中で指を動かして弦を弾いているだけのそれが、たまらなく心地よかった。
単調な練習曲を、つまづきながら弾く。
知っている。よく、知っている。
まだ満足に弾けないこの時が、一番ギターに没頭できるということを。
彼女はきっと椅子の上で足を組んで、安っぽいアコースティックギターをそれらしく抱えて、手元に視線を落としている。長い髪が顔に影を作って、それでも一生懸命、右手と左手をぎこちなく動かしている。
懐かしい。
「――町川さん。弾く気になった?」
返事をしないでいると、楽譜の一ページをようやく弾き終えた彼女が隔たりを撫でた気配がした。いつもなら「全く」と返すはずなのに、どうしてか違う言葉を口にする。
鼓膜をふるわせる弦の音。
毎日抱えた安っぽいギター。硬くなった指の皮。心臓の近くで振動する、あの懐かしい感覚。
「……君が一曲、覚えたら」
それはどうしてか、遠くない未来のように思えた。
読んてくださり、ありがとうございます。
なろラジ参加⑥です。