62話
トーマスは屋敷に戻ると、訝しげに首を傾げた。
「え? 何で誰もいないわけ?」
廊下を歩いていても、人の気配がしない。
窓から庭園の様子を窺ってみるが、庭師たちの姿も見当たらない。
眉を顰めつつ執務室に入ると、机の傍で執事が項垂れていた。
「やあ、おかえり。ちゃーんと、じゃじゃ馬たちの説得はしてくれたよね?」
「……トーマス様」
執事がゆっくりと顔を上げると、生気のない表情をしている。
きっと色よい返事をもらえなかったのだろう。トーマスはわざとらしく深い溜め息をついた。
「ソルベリア公爵家の未来がかかっているんだよ? もっと頑張ってもらわなくちゃ困るんだよねぇ!」
「誰のせいで、このようなことになったと思っているのですかっ!!」
執事の怒号が執務室に響き渡る。
「や、やだなぁ。僕は当たり前のことを言っただけで、君をバカにしたわけじゃ……」
「公爵様がお出しになった書状を私も拝見しましたが、あの内容は何ですか!? まさかとは思いますが、本日の議会で愛人を合法化する法案をお出しになったのですか!?」
「だ、出して何が悪いんだよ! 下位貴族は喜んでたし、他の国でも実施されてることだって言ってたぞ!」
「そのような国では下位貴族で、性病が蔓延していることをご存じですか?」
「性病……?」
トーマスはぽかんと口を開けた。
確か、年増の愛人が以前、こんなことを言っていた気がする。
「公爵様。お相手はちゃんと選ばないと、後で大変な思いをするわよ」と。
「安い娼館の女や街娼ばかりを捕まえていたのが原因です。それに他の国では、愛人が産んだ子供にまで相続権を認める法律を作ったせいで、正妻が家から追い出されるという問題が深刻化しております」
後半のくだりは、トーマスにとって耳の痛い話だった。
慌てて話題を逸らそうと、口を開く。
「まあ、色々あって結局その話は流れちゃったから、この件は水に流しちゃってよ。……ね?」
「流れるのは当然でしょうな。もうじきソルベリア公爵家は消えるのですから」
「どうしてそれを……!」
「本日の議会で、国王陛下がソルベリア公爵家に廃爵を言い渡す予定だと、書状を見せてくださったご令嬢からお聞きしました」
「あんなやり方卑怯すぎる! 僕を急に失うことになったら、領民だって黙っちゃいないさ!」
「その領民が、あなたの廃爵を望んでいるのです……!」
執事は絞り出すような声を上げると、書類が散乱する机へ視線を移した。
「これらに目を通しましたが、何故税を引き上げているのですか!? しかも、これでは高すぎます!」
「高くしないと、うちの蓄えが減る一方じゃないか!」
「それは、レベッカ様にドレスや装飾品を頻繁に買い与えていたせいでございます! しかも、医療費や学費などの控除も廃止。こんな大事なことを、領民たちに何の説明もせずに実施するとは……!」
「でも、ソルベリア領を治めているのは僕だ!」
首を横に振って嘆く執事に、トーマスは目を吊り上げて反論する。
しかし執事から返って来たのは、憐みの眼差しだった。
「上に立つ者を決めるのは民たちでございますよ。公爵様のやり方についていくことができず、陛下に嘆願書を出したそうです」
「う……だ、だけど、僕だけが悪いんじゃないよ。レベッカだってアクセサリー代のために、税の引き上げに賛成だったし……」
「そんな言い訳で、領民が納得するとお思いですか?」
「…………」
ついにトーマスは押し黙ってしまった。
民からの信頼を失い、貴族たちの顰蹙を買い、国王には「子供の頃に殺せばよかった」と言われた。そして使用人たちにも見放された。
(平民になるなんて絶対に嫌だ! 贅沢ができないし、モテなくなっちゃうじゃん!)




