22話
「い、いや~。僕も焦っていたから、うっかり奥さんの顔を見間違えちゃったよ」
「な、何を仰るのですか、公爵様。これは確かにライラで……」
「世界で一番ライラを愛している僕には分かるよ! 彼女は別人だってね!」
レオーヌ侯爵の言葉を掻き消すように、声を張り上げるトーマス。
だが目は完全に泳いでいて、彼が嘘をついていることは誰の目にも明らかだった。
「というわけで、僕は引き取らないよ! 彼女がライラだって言い張るんだったら、君たちがその女の面倒を見ればいいじゃないか!」
「そんな……!」
トーマスに見放されて、レオーヌ侯爵の顔に絶望の色が浮かぶ。
と、執事が若干荒い咳払いをしてから、彼に尋ねる。
「それでは……彼女はレオーヌ侯爵家で引き取るということでしょうか?」
「…………」
レオーヌ侯爵は即答せずに、顔を引き攣らせながらロザンナと目配せをした。
そして少し間を置いて、首を横に振った。
「いや……私たちもそのつもりはない。その少女は、どうやら私たちの娘ではないようなのでな」
「ええ。いつ起きるかも分からない赤の他人の世話をするなんて、ごめんだわ」
ロザンナもライラから顔を背けて、突き放すような口調で言う。
「娘に似ているところと言えば、人騒がせなところか。王太子にもご迷惑をおかけして……こんな娘、貧民街に放り出してしまえばいい。それなりに利用価値があるだろう」
「…………」
侯爵の冷淡な発言に、メルヴィンが眉間に皺を寄せながら口を開きかける。
だが、すんでのところで思い留まって、目を伏せた。
ここでようやく、母の狙いを察したからだ。
「……かしこまりました。ソルベリア公爵家もレオーヌ侯爵家も、こちらの少女がライラ様ではないという認識でよろしいですね?」
「当たり前だよ。僕の奥さんは、もっと可愛いんだからさ! じゃあ、僕たちはこれで失礼するよ」
「では、その旨を記した証明書に署名をいただきたく存じます」
「書類ぃ?」
部屋から立ち去ろうとするのを呼び止められて、トーマスは面倒そうに振り返った。
「はい。陛下のご指示で、少女は引き続き我々が保護いたします。ですが、『王宮がソルベリア公爵夫人を隠している』などと、醜聞を流される可能性もございますからね。そのような事態に備えておく必要があるのです」
「ふーん……まあ、いいよ。僕だって、妻を王族に押しつけた薄情な夫だなんて思われたくないしね」
「私たちもだ。よからぬ噂を流されてはたまらん」
肩を竦めながら、素直に応じるトーマスとレオーヌ侯爵。
そして別室に用意されていた書類に署名すると、三人は足早に離宮を去って行った。
「…………」
静寂を取り戻した室内で、メルヴィンはライラの寝顔を見つめていた。
トーマスは「気持ち悪い」と貶していたが、そんなことはない。初めて目にした時から、彼女の美しさは変わらない。
だが、あの菫色の瞳が再び開くところを、そして彼女の笑顔を見たいと思っている。
そんなささやかな願いが叶うかもしれない。彼女にとっては、残酷な形で。
「あの人たち、お帰りになったみたいね」
メルヴィンの隣には、先ほどまでリーネの私室に身を潜めていた王妃がいた。
その手には、例の書類が二枚。
「……まさか、ここまで上手くいくと思わなかったわ」
王妃は、呆れたように溜め息をついたのだった。




