10.【Side第二王子リック・デルクンド②】愚兄は皆の期待を全て裏切る
前回からの続きです。まだの方は前話からお読みください。
【Side第二王子リック・デルクンド②】
愚兄マークがミルキア子爵令嬢を伴い、エーメイリオス侯爵家へ来訪することは、当然王室としても把握していた。
これについては、既に廃嫡が水面下で決定していた愚兄に、これ以上ことを荒立てられては困るため、エーメイリオス侯爵家へ行くのを止めようという意見も当然あった。
だが、愚兄も人間だ。
事の道理を理解し、シャルニカ嬢へ謝罪をするつもりだろう。それによって廃嫡が覆ることはないが、ある程度温情のある処置へ変更することもやぶさかではなかった。どこか温暖で気候の良い土地を領地として与え、そこで人や自然の優しさに触れるなどして長い時間をかけて更生してもらう道だ。
王室の面々はそう期待し、その出発を是認したのである。
ただ、一方で悪い予感を父上は持っていらっしゃった。そこで、万が一があってはならないため、俺は国王から【第一王子廃嫡並びに第二王子の王太子への王位継承権の繰り上げ】という勅命の書面を携え、秘密裡に先行して、エーメイリオス侯爵家へ行くこととなったのである。
会談時には、いちおう守衛という形で扉の前で張り付き、経緯を見守るのが主要な仕事であった。廃嫡の勅命は王都に戻ってから国王陛下から下せば良い。あくまでこれは万が一のための保険として俺に託された書面であり、使うことはないと期待していた。俺ですら、マーク兄さんとシャルニカ嬢の会談が始まるまでは謝罪することを想定していたのだから。
しかし、そんな期待は早々に裏切られた。
まず、第一声から俺は信じられない言葉を愚兄より聞かされた。思わずこの俺が耳を疑い動揺を催したほどだ。
扉の隙間よりこっそりと中をうかがっていた俺は、愚兄がシャルニカ嬢のすすめたソファに、ドカリと横柄な態度で座るのを垣間見た。この時点で凄まじく嫌な予感がしていた。謝罪する態度には全く見えなかったからだ。
そして、案の定、愚兄の口から飛び出たのは謝罪ではなかった。いや、むしろそれ以上に悪い内容としか言いようがなかった。
『さて、僕がここに来たのはシャルニカ。君にもう一度チャンスを与えようと思ってだ』
『チャンス、ですか?』
『全く察しが悪い女だ。聞いたぞ、僕にフラれた腹いせにミルキアの生家であるアッパハト子爵家に途方もない賠償金を要求しているようじゃないか?』
『は、はぁ』
『そこでだ。お前をもう一度僕の正妃として迎えてやる。あの場では婚約破棄を宣言したが、撤回してやろうと言うんだ。だが、その代わり、ミルキアへの損害賠償については謝罪しろ。見ろ、お前のせいで彼女は随分傷ついてしまったんだぞ?』
『そうよ! あんたのせいで私はお父様やお母様からの信頼を失った! 損害賠償のお金を作るためにお気に入りのドレスや宝石、それによく分からないけど鉱山や河川の権利なんかも売らなくちゃならなくなったって! それも全部私のせいだって怒られたのよ!!』
『というわけだ。お前のせいで彼女は傷ついた。謝罪して、賠償金を撤回してくれ。その代わり、お前のような女だが仕方ない、俺の妃にしてやろう。だが、条件がある。メロイ侯爵令嬢やミルキア子爵令嬢は第一側妃、第二側妃とする。やれやれ、これで一件落着。貴様らエーメイリオス侯爵家としても王家とのつながりを持てる。悪くない取引だろう?』
シャルニカ嬢は首をひねり、そして生返事を返されていたが、俺は気が気ではなかった。シャルニカ嬢が優しい人だから許してくれているだけで、もはや王家としてエーメイリオス侯爵家に戦争でも仕掛けるつもりなのかというほどの挑発的な内容だったからだ。もはや愚兄を少しでも信じた己を張り倒したいと思うと共に、すぐに部屋に乱入して愚兄の余りに無礼な口を永久に閉ざしてやろうかと本気で考えた。
愚兄、そしてミルキア子爵令嬢の発言に謝罪は全く込められていなかった。
それどころか、上から目線で責任転嫁をシャルニカ嬢に対して行うという有様だった。自分が浮気をし、卒業式と言う数々の貴族の子弟子女のいる衆人環視の中で婚約破棄という最大級の恥辱を味わわせた女性を前に、奴は全く反省せず、あろうことか婚約者に戻ることをチャンスをやると上から目線で提案するとともに、その上、浮気相手たちを第一側妃、第二側妃にすること、損害賠償請求を撤回してミルキア子爵令嬢へ謝罪することを合わせて要求したのである。
ミルキア子爵令嬢もその尻馬に乗り、損害賠償請求のせいで子爵家の財政が破綻しそうなことをシャルニカ嬢の責任であると罵倒した。
責任転嫁もはなはだしい!
この最初の時点で、この会談の無意味さは露呈し、同時にマーク兄さんの人間性が王太子として相応しくないことが証明された。だから、俺はこの時部屋に入って会談の中止と、廃嫡の勅命を伝えようとしたのである。何より、こんな理不尽を王家の長兄がエーメイリオス侯爵家の大切な一人娘にしているなどとは、悪夢でしかなかった。
王家は今、シャルニカ・エーメイリオス侯爵令嬢が父君をなだめてくれるという奇跡のような温情によって救われているのだから。
だが。
俺はこの時もまだ、このシャルニカ嬢をただ心優しい女性だとしか見ていなかったのかもしれない。心根の美しさの裏に隠れた、その芯の強さ。すなわち未来の王妃としての器を垣間見ることになったのだ。
『えっと、まず殿下、色々申し上げたいことはありますが、最初にはっきりと訂正しておきたいことがございます。卒業式でも申し上げたのに、ご記憶でないようですので』
『私は殿下を全くお慕いしておりません。で、ですので、可能であれば殿下とは未来永劫、赤の他人同士としての関係を続けたいと思っております』
俺は驚くとともに、そのあまりにも痛快な返答に、間抜けな顔を晒す兄への笑いをかみ殺すのに苦労した。全く、俺が笑うなどいつぶりだろうか?
彼女の論理は全く一点のよどみもなかった。
愚兄マークは自分のことをまだシャルニカ嬢が愛しているのだから、婚約者として戻って来ても良いと提案し、そのための条件として今の浮気相手を側妃とすることや、損害賠償請求の撤回を条件として突き付けた。
ハッキリ言えば大馬鹿者だと思う。
公衆の面前、数々の貴族の子弟子女のいる晴れ舞台で、婚約破棄と浮気の正当化などという真似をしておいて、自分をまだ好きでいてくれているという勘違いぶりは、余りに噴飯ものだ。そして、シャルニカ嬢の愛情があることを前提に婚約破棄の撤回を要求した以上、そんな愛情がないともなれば、それだけで愚兄のお花畑のような論理は破綻し、計画は頓挫するのだ。
なんという交渉の下手さだろう。こんな男が外交や、百戦錬磨の貴族たちとやりあえるわけがなかった。王太子身分の剥奪が妥当であるという確信をますます深めざるを得なかった。
だが、勘違い男はどこまで行っても勘違い男だ。ますます醜態を晒していく。
『強がりはよせ。僕の甘いマスクに財力、そして将来の国王としての地位。そんな最高の僕のことを好きじゃない女がいるものか。お前だってそんな僕に惹かれて婚約者になったのだろう!』
『あの、私が婚約者になったのは王国と愛すべきエーメイリオス侯爵領の領民たちのためです。相手は誰であろうと構いませんでした』
『なあっ!?』
『その、殿下。私は、そんな上辺や肩書きよりも、日々努力をしている方や、この国を愛する方のことを好ましく思います。私のエーメイリオス侯爵領は海運の土地です。一方で農業には向かないやせた土地でした。なので、決して思い通りにならない海を相手に日々領民の方々が命がけで漁を行うしかありませんし、他国との貿易が生命線です。肌の焼けるような日照りの日も、真冬の鼻水が凍るような日も関係なくです。そうした血のにじむような領民の皆さんの努力の結果として、今のエーメイリオス侯爵領の発展はあります。そして、そんな私にとって、殿下のおっしゃったこと全ては何の魅力ももっていません。その、む、無価値なんです』
ダメだ。本気で笑ってしまいそうだ。まったく何て面白い女性なのだろう。
愚兄が替えの効く存在であるという至極当然のことを伝えるとともに、上っ面自体には興味がないと言い切った。彼女にとって大事なのは領民と国民の安寧であり、そのための努力こそが価値を持つということなのだ。なるほど、これは役者が違う。ただのチンピラと国母を並べているようなものだ。
実際、今のように事実を言われて、躍りかかろうとする愚兄に対して、
『か、顔色が優れないようですね。扉の外の兵士に薬でも持たせましょうか?』
と言って牽制されていた。やはりチンピラだな。
しかし、チンピラは話の揚げ足取りだけは得意のようで、旺盛にシャルニカ嬢へ喰ってかかって行った。勝ち目などないのだから、おとなしく帰れば良いものを。
『殿下のことを愛してないって言うんだったら、あなただって殿下のことを弄んだようなものじゃない! なら、私が横取りしたことにはならないわ! だから婚約破棄も無効よ! さあ、アッパハト子爵家への損害賠償を撤回なさい!!』
『わ、私と殿下の結婚は政略結婚です。貴族ならば当然のことですよね? そのおかげで食べ物や着るものに不自由のない暮らしをしているのですから。それが嫌なら爵位を捨てるべきです。しかし、そうでないなら貴族の責任を果たすべきです。貴族の責務に政略結婚は最重要事項として含まれています』
『それなら、僕との婚約を復活させることが、お前の義務だろうが! ははは! 墓穴を掘ったな、シャルニカ!!』
『そうよ! ほら、私の領地への損害賠償もこれで無効だわ!!』
『その、全然話の趣旨をご理解されていないようなので、僭越ながら申し上げますが、今の一連の話は、私が殿下のことをお慕いしているという誤解をされていたのと、なぜか殿下がそれを根拠に復縁を正当化されていたので、まずはその誤解を解かせていただいただけです』
その通りだ。愚兄の無茶苦茶な論理に、わざわざシャルニカ嬢がつきあってくれただけだ。そんなことすらも分からない愚兄はもう駄目だなと心底失望する。
『ですが、はい、おっしゃる通り我が領地にとって政略結婚による王家とのつながりが必要かどうか。この一点については重要な点だと思いますのでお伝えいたします』
『は、ははは。ほら、やっぱりな! 僕が必要なんだろう! だがな! まずは謝罪しろ! 今更、僕の妃になりたいと言っても無駄かもしれんぞう? 何せ、僕は今、完全に気分を害して……』
『け、結論としましては、我がエーメイリオス侯爵領は第一王子との婚約破棄の撤回に同意しません! これは現当主の意思も確認した上でのことです!』
『なにい!?』
『したがって、アッパハト子爵家への損害賠償請求も撤回しません。また、一方的かつ理不尽な形で婚約破棄をした第一王子マーク・デルクンド殿下は、以降、我がエーメイリオス侯爵領への立ち入りを禁止します!!』
『き、貴様ああああああああ!!』
『で、殿下!! この女を殺して下さい!! でないと子爵領が!!』
やれやれ、やっと出番のようだな。
俺は素早く扉を開けて、
『久しぶりだな、マーク兄さん』
そう言って、暴れ出そうとするチンピラを威圧したのだった。
『リック! どうしてお前がここにいるんだ!?』
俺はその質問に事実だけを告げた。残念ながら、この男の底は知れていて、これ以上会話を続ける意味は皆無だと判断していたからだ。
『俺の婚約者に会いに来ただけだ。兄さん。何もおかしくはないだろう?』
『……は? お前の婚約者? い、いやいやいや! おかしいだろう! そいつは僕の婚約者だ!』
『い、いえ、婚約破棄されましたが』
全くだ。こいつは自分のしたことすら記憶にない大馬鹿者なのか?
……まぁそうなのだろうな。
『エーメイリオス侯爵家ご当主オズワルド・エーメイリオス侯爵から正式に王家に打診を頂いた。第一王子マーク・デルクンドに代わり、この俺リック・デルクンドがシャルニカ侯爵令嬢の新しい婚約者になるように、と』
『そ、そんなことを父上が許すはずがっ……!』
『はぁ。何を言っているんだ』
『な、なんだその口のききかたは。弟の分際で!?』
チンピラにすごまれてもな。それに俺はそれなりに鍛えている。こんな素晴らしい婚約者を放ったらかして、浮気を繰り返すようなお前とは違う。
『俺の独断で婚約など出来るはずがないだろう? 俺とシャルニカ嬢との婚約は、当然、国王陛下も了解してのことだ』
『そ、そんな! そのようなこと僕は一言も聞いてないぞ!!』
『それはそうだろうな』
『は?』
『マーク・デルクンド第一王子。あなたを王位継承権第一から除外し王太子の身分を剥奪する。この俺、リック・デルクンド第二王子があなたの王位継承権一位、並びに王太子の身分を引き継ぐ。これは王からの勅命である』
俺はそう言って、玉璽の押された書面をはっきりと机の上に広げた。やれやれ、本当はこんなところで使いたくはなかったのだが。エーメイリオス侯爵家には今後頭が上がらんな。
『な、なんだとおおおおおおおおおお!? ぼ、僕が何をしたって言うんだ!? 廃太子だなんて、こんなのあんまりだ!? そ、そうかお前の陰謀だな!? シャルニカ!! お前が裏でコソコソと陰謀を操り、王家をのっとるつもりなんだ!! そうに違いない!! うおおおおおおおおおおおおおおお!!!』
『無礼者が!!』
『ぎ、ぎゃっ!!!』
俺は廃嫡されたマークの頬を殴り、唖然としたところを瞬時に押さえ込むと、手を後ろに回して拘束した。まったく、とんでもない弱さだな。どうしても軽蔑の気持ちが湧き出してしまう。
『俺の婚約者であり、かつ将来王妃となられる方に狼藉を働いた罪、国王に報告させてもらうぞ。兄さん、覚えておくべきだ。あなたはもう王家にとって不要な存在。廃嫡され、王位継承権からも漏れた以上、面倒で厄介な存在なんだ。おとなしく……そうだな。辺境の小さな領地を与えるから、そこで静かに余生を過ごしてくれないか?』
本当ならばもっと良い土地を与えるつもりだった。だが、今日の言動を見てそれではいけないという気持ちに変わった。こいつに必要なのは更生ではなく贖罪の機会だろう。厳しい土地で暮らし、その性根を叩きなおす必要がある。
『う、嘘だ! 僕は将来の王なのに! 王太子のはずだ! 冤罪だ! これは何かの陰謀だ!!』
はぁ、と俺はため息を吐く。未だ、事実すらも認められず、状況を全く理解しようとしない愚兄に呆れかえったのだ。これ以上、シャルニカ嬢にご迷惑をかけるべきではない。もう十分かけてしまったが、謝罪は後ほどしっかりと行おう。それより、今はまず早々にこの愚兄とミルキア子爵令嬢をこの場から引きずり出し、辺境に送る準備をしようと決意する。
だが。
『あ、あの。ご、ご説明しましょうか?』
シャルニカ嬢はどこまでいっても賢く優しい女性だった。道理をわきまえぬ浮気をした元婚約者にして元王太子へ、説明の機会を設けてくれるというのだから。
しかし。
『これはお前がたくらんだ陰謀ということか! シャルニカ・エーメイリオス侯爵令嬢! 貴様! 絶対に許さんぞ! 王都に帰ったら貴様のしでかした罪を暴き、この領土を没収し、一族郎党斬首してくれるわ!!』
『あ、あの。大丈夫ですか? 後半部分は王太子の婚約者への殺害予告でしたが……。もう王太子ではないのですから、ご発言には気を付けられた方がいいかと思いますが』
『なあっ!?』
愚兄は目を剥いて意外な反論をされたといった様子だったが、本当にそうである。もはや王太子でもなく、現時点、ただの辺境の領主に封ぜられる予定の愚兄は、ある意味アッパハト子爵家にも劣る領主に成り下がっている。その人間が将来の王妃に殺害予告めいた発言をしているのだ。そしてシャルニカ嬢は、そんな発言をしたら自分の首を絞めることになるので気を付けた方がいいですよ、とやんわりと間接的に愚兄を諫めてくれているのである。本当に優しい女性である。
だが、この愚兄に通じているかははなはだ疑問ではある。なので、俺が代わって謝罪と全責任をとることを伝える。
『シャルニカ嬢は気にすることはない。王家の恥部は王家で処理する。むしろ、王家のことを気にかけてもらい申し訳ない』
俺は心からお詫びする。これくらいで許してくれる訳がないと思いながら。
『あ、い、いえ。妃候補ですので当然のことです』
しかし、彼女は気分を悪くした様子もなく、あくまで穏便に済まそうとしてくれる。そして、それどころか、謝罪した俺に対して、なぜか目じりを下げて可愛らしく微笑んでくれる。
ドキリ、と俺の心臓がなぜか早鐘を打つ。
どうしたことだろう? 女性に対してこんな感情を持つことは初めてだ。だが、今は何とか冷静さを保ちながら口を開くよう努める。
『それより説明してやってくれ、この愚兄に』
意識する余り、少しつっけんどんに言い方になってしまった。嫌われてしまわないだろうか。そんな後悔が襲うが、彼女は全く気にもとめていないようだった。全く俺はどうしたというのだろうか?
(続きます)





