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4 休みの午後



 芸大近くの個人経営の洋食屋。そこで二人は注文した料理が来るのを待っていた。


「実咲は今まで観た中で一番好きな絵って何?」


「いや、実際そんな観てるわけじゃないよ? 多分行っても年に三回くらいだし」


「それでも十分行ってるよ」


「そう? まあほんと画家とか絵とか全然詳しくないから観たことあるのしか知らないけどさ――

 ただやっぱ、観た中ではミュシャは一番すごかったなあ」


「ミュシャ観たの!? スラヴ叙事詩!?」


「それ。あのめっちゃでかいやつ」


「私も行った行った! あれほんとすごいよねー!」


「ほんと。それも前情報全然なしで行ったからさ、まさかあんなデカいとは思わなくて。入った瞬間うわってなったよね」


「いいねー。それだと尚更だもんね。私もサイズ自体は数字で知ってたけどさ、でもやっぱりあんな大きい絵見ることほとんどないからね。本とかパソコンの画面の小さいサイズで見てたのがさ、実際観たらあれだもんね。ほんと壁一面で」


「な。あれ縦横10メートルは普通にあるでしょ?」


「だね。ビル三階分くらいは普通にあるからね」


「そうそう。だからあれでさ、初めて『美術館に行くってのは体験なんだなー』って思ったかな。あそこまでデカいとさ、もう見るじゃなくて体全体で感じるって感じじゃん」


「そうだねー。あれはもう、実際現場行って生身で感じないと絶対わからないもんね。それこそ美術館行く意味の真骨頂っていうかさ。どれだけ本で見ても絶対わからないし」


「ほんと。それで言うと真逆の体験はバベルの塔だったな」


「バベルも観たんだ! ブリューゲルの!?」


「いや、正直名前は覚えてないけどさ、でもなんかちょっと赤っぽくてめっちゃ細かいやつ」


「これこれ」


 と美樹はスマートフォンの画面を見せる。


「そうこれ。これさー、有名だし知ってたけど、というか知ってたからこそだけどまさかあんな小さいとは思わなかったね」


「あー。ほんとに緻密ですごい細かい描写って有名だからね。それ知ってるとなんとなく大きい絵ってイメージあるよね」


「そうそう。バベルの塔って題材もあれだしさ、勝手に結構デカイ絵想像してたのよ。これも前情報全然なしで行ったからね。そしたら急にぽつんと出てきて。今度はさっきと逆で『え、こんな小さいの?』ってびっくりだよね。けどだからこそさ、実際あのサイズで近くで見て、こんな小さい絵のこんな細かいとこまで描いてんのかよってびっくりしたなーあれは」


「ほんとに真逆の体験だね。大きいのと小さいの」


「ほんと。ああいうのは絶対生で観ないとわからないからさ、やっぱ来てよかったなーって思ったな。そういうのあるから美術館行ってみるかって思うんだよね」


「すごいいいじゃん。そのまま美術館に人呼ぶための体験談として使えるよ」


「はは。そういうこと書いて金もらえりゃいいんだけどね。あとはまあ、ちょっと違うけどクリムトとか近くで観た時は遠くからじゃわかんないけどこんな色色々使ってんだーって思ったかな。金色? っぽい中にもさ、確か青とか緑とか赤とか色んな線混じってて。でも遠くから見なおすとそういうのも全然わかんなくなってさ。やっぱそういう細かいとこもすごいわなーって思ったかな」


「そっかー……なんかこういうのすごい偉そうだけどさ、実咲はすごい絵観るの向いてると思うよ」


「そう?」


「うん。自分でさ、楽しみ方がわかってるっていうか、自分でその場で色々探してさ、その出会いを大切にしてて。そういうふうに絵を見てもらえたら画家はみんな嬉しいんじゃないかな。少なくとも私はすごく嬉しいと思うし」


「そういうもんか……ほんと全然知識ないで自分の感性っていうかただの好き嫌いみたいなので観てるだけだけどね」


「でも誰だってそうじゃん。そもそもそれがなかったら絵なんてないしさ。万人に好かれる絵なんかないし。夕日とかだって同じだよ。それを綺麗って思う人もいれば好きじゃないって人もいるだろうしさ。朝日だって、夜空だって、海とかだって全部さ」


「確かに自然にしたって好き嫌いはあるもんなあ……けどそれ言い出すとすごい絵描くの大変じゃね?」


「かもしれないけど、誰からも好かれようと思って描くわけじゃないしね。やっぱりさ、何よりもまず一番最初に自分が好きになれる絵を描かなきゃ描いてる意味なんてないだろうし」


 美樹はそう言って笑った。


「――そうだね。深いねー絵は」


「深いよーほんと。芸大なんて入っちゃうとますます深くなる一方だからね。そのくせ深くて浅いしさ」


「はは、なんだかもうわからんな。海じゃん」


「海よりわかんないよほんと」


 そう言い、二人は笑い合うのであった。



     *



 食後。人がほとんどおらず、音もなくどこかひんやりとした大学の校内を二人は歩いていた。


「人いないけどほんと大丈夫だったの?」


「いるとこにはいると思うよ。なにかやってると喋らないから音も少ないしね」


 と美樹は返す。大学の校内というのは、実咲にとっては実に7年ぶりの場所であった。卒業以降、大学と名のつく場所は校舎内どころか構内にすら足を踏み入れていない。もちろん芸大に入るのも初めてであった。その雰囲気や造りは、やはり自分が通っていた一般的な大学とは異なるが、共通している部分も多く感じる。ただ匂いだけは独特のものがあるような気がした。嗅ぎ慣れていないせいかもしれなかったが、おそらく様々な画材や材料の混じったものかもしれないと思う。小学生の頃の図工室の匂いを薄めた感じで、どこか懐かしさを感じた。


 美樹はそのうちの一室に入る。中には誰もおらず、棚にはいくつものキャンバスが収納されていた。美樹はその内から一枚のキャンバスを引き出す。


「これ。最近書いたやつ」


 それは、人のいない風景画だった。そしてその絵を見た瞬間、実咲は鈍器で頭をガンと殴りつけられたような気がした。


「――これは、すごいね……」


「そう? ひと目で見て思う?」


「……うん、まあね」


「そっか。さっきも話したけどさ、私は構図が好きで構図が一番って思ってるから、これも徹底的に構図こだわったんだ。構図ってさ、やっぱりひと目でわかるじゃん。最初見たときの気持ちよさっていうかかっこよさっていうか、こう、キマってる! みたいなのがさ。インパクトだよねやっぱり。絵なんてみんな描くんだからやっぱり最初のインパクトは大事だしさ、何より自分が今まで最高の構図見る度これこれっって気持ちよくなってきたから、やっぱり自分でもそれ追求したいよね」


「へえ……なんかさっき解説で言ってたラインとか?」


「そうそう。ちゃんと計算してさ。わかる?」


「さっき教わったからこう、それ考えてそこにこう、ラインがあるのかなーとかは思うけど」


「お、早速使ってくれてるんだ。教えたかいあったなー」


「はは、ほんと。こっちもこんな早く役立つなんてね……まあ、そういうのは教わったことっていうか、そういう見方だけどさ、ほんとなんだろう、こう……ちょっとすごいしか言えないんだよね」


「いいよ全然。それでもすごい嬉しいし」


「うん。いやでもほんと、もっとちゃんと色々言いたいんだけどさ、ただほんとこう……引き込まれるっていうか、打ちのめされるっていうのかな……ずっと見てられるし――


 いや、ほんとごめん。全然うまくいえないけど、ほんとすごいと思う」


「上手く言う必要なんてないと思うよ。そりゃ私たちみたいにやってる側はちゃんと言語化しなくちゃいけないけどさ、見てもらう人にはやっぱりこう、わかるとかそういうのじゃなくて、ただいいなーとか好きだなーって思ってもらえればいいっていうか、そういう方がいい絵だと思うしさ。結局言葉じゃなくて感情だもんね。じゃないと絵描いてる意味ないし」


「……ほんとにそう思う?」


「思うよー。だって自分だってそもそもはそうやって絵描いてたわけだし、見てたんだしさ。まあ今はそうじゃダメなんだけどね。授業なんかでもやっぱ言語化はすごい求められるよ。そうじゃないと教えるとか教わるってのもないんだろうけどさ。というよりそもそも言語化した上で作るっていうか、順序が逆なんだけどね。作ったものを説明するというよりは説明したものを作るって。だから前もって作りたいもの作ろうとしてるものを言語化するっていうかさ」


「へー……まあ素人だからだけど観てる方からすりゃわからないよな。作品もさ、なんかちょろっと解説くらいはあるけどほんと最小限の情報だけだし」


「そうだね。それはまた別だからなあ。現代と昔じゃ違うし。実咲は音声ガイドとか聴きながら見る?」


「いや、ああいうのは一回も借りたことないな。金かかるし」


「そっか。一回目は自分だけで見て二回目は音声ガイドありでっていうのもいいかもね。勉強になるだろうし、見方も変わるし理解も深まるだろうから。最初からありだと絵を見てるのか情報を見てるのかわかんなくなっちゃうしね」


「確かにね……他にも美樹が描いたのあるの?」


「今ここにはないはず。家には置いてあるけど。見に来る?」


「いいの?」


「いいよもちろん。是非見に来てよ」


「んじゃ行こっかな」


「うん。大学もさ、来たついでに色々見てく? 案内するけど」


「あー。たしかに興味あるけど、人いる時のほうが面白そうだからなあ。学祭とか普通にあんでしょ?」


「うん。9月」


「じゃあその時、って学祭ならそっちが忙しいか。まあ一人で回るけど」


「大丈夫だよー案内するし。今日はもっと色々見れるのあるしね。動物見よ動物! 実咲は動物園よく行く?」


「いや、なんだかんだ修学旅行以来行ってないと思う。動物園はさすがに一人じゃ入りづらいし」


「丁度いいじゃん。行こ行こ。私も最近行ってなかったからなー」


 美樹はそう言って笑い、キャンバスを元に戻すと部屋を出るのであった。



     *



 上野の動物園。実咲はにとって久しぶりの動物園は、犬猫と比べ物にならぬ巨大な動物たちに常に感じる独特の獣臭と、普段の生活からはかけ離れたまさに「体験」であった。そうして見て回る最中も、常に美樹は様々な角度から動物、建物、風景を写真におさめている。


「今日ずっと撮ってるけどやっぱ写真もやるの?」


 と美樹は尋ねる。


「というわけでもないけどさ。写真なんて構図の勉強そのものだからね」


「あー、そういうのもあるのか」


「うん。絵ってさ、フレームっていうかキャンバスの中に何をどう入れるか基本的に好きにできるじゃん。でも写真って動かせないし。風景とか建物とか、動物だって勝手に動くしね。そういう中でいい構図とか探して撮って参考にするんだ。色とかもそうだけど」


「へー。でも芸大なんていったらもっとちゃんとしたカメラ持ってそうなんだけど」


「一応あるよ。先輩からもらったお古のカメラ。でもフィルムだからさ、お金なくてそんな撮れないんだよね。それに今はスマホのカメラのほうが断然良かったりするし。持ち運びも楽だしいつでも撮れるのがいいよね」


「確かにね。今のスマホなんて半分高価なデジカメだしな。やっぱ芸大は金きつい?」


「きついよー。国立だから学費は他と比べ物にならないくらい安いけどさ、でも画材とか消耗品の出費すごいからねー。でもバイトばっかしてたら肝心の絵が描けないし」


「やっぱか。芸術って家が金持ちじゃないとそもそもスタートラインにすら建てないイメージあるわなあ」


「そうだねぇ。予備校とかにしてもさ、お金かかるしそもそも田舎にはないし。大変だったなーほんと。一浪で受かったのが奇跡だよ。私立は絶対無理だしさ。ラストチャンスだったしね」


「ほんとすごいな。それだけがんばったんだ」


「がんばったよー。受験はさ、やっぱり自分が描きたいもの好きに描いてればいいだけじゃないからね、大変だったな」


「そっか……やっぱさ、将来は画家で食ってくの?」


「できたらいいけどねー。でもほんと難しいから。絵を仕事にするにしても色々あるからね。デザインでもイラストレーターでも教える方でも、なんでもできるようにはしとかなきゃいけないんだよね。あとやっぱコネはすごい大事だし」


「大変だなほんと。相当狭い門超えて入ってもその後もまた狭き門か……私は絶対途中でギブアップするなあ。実際今のとこも就活ギブアップしてバイト先でそのまま正社員にしてもらえただけだし」


「それだってすごいよー。だってあっちから求められてないと正社員だってなれないわけじゃん? まだ大学生の私からすれば働いてるってだけで尊敬するけどなー」


「はは、あんたといるとポジティブなことしか言わないから助かるわ」


「ほんと? こんなんならいくらでも言ってあげるよー。いつも一緒にいてポジティブ浴びせてあげる」


「……こっちばっかもらってちゃ悪いよなぁ。そっちのほうが大変だろうしさ。こっちなんて新しいことなんかなんもないし、別になんか作ったりしてるわけでもないのに」


「関係ないよそんなの。それに絵の一つにしたってさ、それを展示したり広めてくれたりする人達がいるおかげで見てもらえるんだから。実咲の仕事だって同じじゃん? だってそれで展示会とか知って来てるんだし」


「――ま、一応経済回してる歯車の一人ですからね」


「さすがー。大人だね。でもさ、もし仕事ではたとえそうだとしてもそれ以外じゃ歯車なんかじゃないからね。私にとっては大切な人の一人だし」


 美樹はそう言って笑う。


「ねえ、実咲のことも撮っていい?」


「写真?」


「うん。自然にしてていいから。そこ私が盗撮するんで」


「……ま、そんなんでお役に立てるならね」


 実咲は笑って言い、次の檻へとなるべく自然に歩いていくのであった。



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