3 休日、上野
日曜日がやってきた。一日せいぜい一時間とはいえ、毎日会って話していれば自然と仲も深まっていた。裸の付き合いというのも大きいのかもしれない。実咲からしてみれば「もうそこまで見せちゃってるのだから」と今更何かを繕おうなどとは思わない。そしてそれはいい意味で開けっ広げな美樹の態度からもきていた。
同じ銭湯に通い、同じタバコを吸う。共通点などそれくらいしかない。かたやもうすぐ二十代最後の一年を迎える書店員で、かたや芸大で日本画を学んでいるらしいハタチの学生。出身地も見た目もまるで異なっている。とはいえ話していれば共通点もいくつかは見つかる。赤の他人だが、同時にそうでもない。他者とは、本来そういうものだろう。
何はともあれその日曜の午前、実咲はあまり着ない「休日用の私服」で駅にいた。髪型も仕事の時とは違っており、ピアスもバッチリつけている。タバコでも吸って待ってられればいいのだが、いかんせん小さめの駅で公共の喫煙所のような場所はなかった。
「おうい、実咲さーん」
と美樹が手を振ってやってくる。
「待った?」
「今来たばっか。ここで待ち合わせとか初めてだから喫煙所ないのほんと不便だな」
「だね。じゃー早速行きますかー」
と二人は並んで改札を抜け、電車に乗った。
*
二人は電車の座席に並んで座る。車窓の向こうにはよく晴れた初夏の街並みが広がっていた。
「けどほんと不思議だよな。不思議っていうか、銭湯で偶然会っただけだしそこでしか会わない人とさ、二人で休みに遊び行くって」
「でも友達だから普通じゃない? もう友達だよね」
「……まあそうだけど、私の方はそう言っちゃっていいのかねえ」
「なんで?」
「だってそっち8つも下じゃん」
「友達に年齢とか関係ある?」
「あるかは知らないけど、でも私もこんな離れてるのは知人すらいないからね。職場のバイトとかは別だし」
「学生のバイトの女の子とかは?」
「いるけど私早番だから被ることほとんどどないんだよね。そりゃある程度はあるけど、日曜も基本休みだから休日早番の学生バイトと一緒になることもほとんどなくてさ。あっちからするといつも早番でいなくなるおばさんの一人でどうやら社員らしいってくらいじゃない?」
「だとしてもおばさんはないでしょー」
「大学生からしたらアラサーなんてもうおばさんでしょ」
「そうかなー。別に思わないけど。そういうのって年齢じゃないしさ。見た目だってこう、実咲はちゃんと年齢通りでかっこいいよ?」
「はは、ならいいけど」
「うん。とにかくさ! 年齢と関係なく私もちゃんと実咲からも友達だって思われたいなー」
「……ま、毎日一緒に銭湯行くし上野にだって行く仲だってだけだって考えりゃいいか。だいぶ早いけど」
「毎日お風呂で会ってると距離すごく縮むよね」
と言って美樹は笑う。
「でも今日は上野で良かったの? 展示とか好きなのやってた?」
「別になんでも見られるものは見るしね。展示会目的で行くことはあんまりないから。行ったらその時そこでやってるの見るだけだし。逆に人気じゃないほうが人少なくていいしね」
「そうだね。たまの目当てってのは好きな画家とか?」
「てわけでもないけど。ほら、私雑誌担当じゃん。そうしてると美術系の雑誌も触るからさ。表紙とかで有名どこの展示は紹介してたりするからね。それ見てこれちょっと見てみたいなって調べて行くとかだよ」
「へー。そう考えると雑誌っていいね。仕事してるだけで色んな情報日々更新されるじゃん」
「それはいいけどマジで激務だからなあ」
「みたいだねー。私もバイトで書店とかは考えたんだけどさ、さすがに時給低すぎて諦めたなー」
「やんないほうがいいよ絶対。金考えたら尚更。小さい本屋なら楽だろうけどさ。でも逆に暇すぎて退屈かもしれないし、あとどの道書店の客はうざいな」
「相当だねー。でもそうやって雑誌で色々見てると行きたいとことか情報増えそうだよね」
「そうだね。休みも特別することないし、表紙とかでやたら気になった店とか食べ物行くときはあるね。仕事中は読めないから終わってから店名とかだけ確認して」
「聞いてるだけだとすごい楽しそうな休日じゃん。今度私も連れてってよ」
「いいよ。店によっては一人で入りづらいからねえ」
「そういうの気になるんだ」
「気になるというより人並んでるとこ女一人で席占領してるとちょっと申し訳ないっていうかさ。あと女子グループばっかだとソロはお呼びじゃない感するし」
「お、じゃあそういう時こそ気楽に呼んでよ! 基本フリーダム人間だからさ! バイトさえなければね」
「言ったからには来なよ。そっちもなんか見たい映画とかあったら誘ってよ。そういうのは芸大さんの方が情報入りそうじゃん」
「どうだろうね。美術展とかならいくらでも今何やってるかとか教えられるからさ、それ見て選んでよ」
「了解。なんか一気に休日の充実度が高くなってきそうだなあ」
そう言って笑う実咲は美樹と共に二人座席に並んで電車にゆられてゆくのであった。
*
上野。そこは駅からすぐ近くに大規模な公園や動物園、美術館博物館などが揃い駅近辺だけで一日過ごせるような場所であった。美樹が通う東京芸大もこの上野に立地している。
「考えてみたら毎日来てるようなもんだもんね。なんかごめんね」
「全然。来てもほとんど学校だけだからね」
「にしてもあまりにも見慣れた景色でしょ。せっかくの休みなのに」
「美術館の展示が違ければ別の景色だよ。それに上野は全然飽き来ないからね」
「大学の立地としちゃ最高だよな。若干都心から離れてるくらいで」
などと話しながら二人は国立西洋美術館に向かった。
「今更だけど実咲は普段どういう見方してる?」
「見方って?」
「展示の回り方」
「あー……まあ、邪道だけどさ、私は一回目はサーッと見るな。その中で初見でグッと来たのは近づいて時間かけてしっかり見るかな。一回出口まで言っちゃえばどれくらいの長さか、時間かかるかわかるじゃん。最初から全部じっくり見てると途中でかなり疲れるからさ。
で、戻りの二回目は邪魔にならないようにしつつ一周目で気に入ったのをじっくり見て、あと一周目の次点というか第二候補みたいなのをじっくり見る。最後の三周目は時間と体力と相談して特に気に入ったのをじっくりって感じだね」
「おー。すごい特殊な見方だね」
「結局疲れてちゃ意味ないからね。疲れると気に入ったのもちゃんと集中して見れなくてもったいないしさ。休み休み見てるし。ただめちゃくちゃ人多くて並んで見るような時は絶対無理だろうけど。そっちは?」
「私は近いけどちょっと違うかな。見る前から当たりつけてるからさ。展示調べて前もって見たいのキープしとく感じ。そこ集中で間は軽く見つつでね。やっぱり集中力も限りがあるからさ。そうである以上見たいものに全力集中したいし」
「美術館って結構疲れるもんね。私もいつも立ちっぱで仕事だけど集中して見るってのはまた違った疲れなんだなあって思うし」
「そうだね。目だけじゃなくて頭も使うからね。でもそういう見方してるんだから実咲はすごいよ」
「いやあ、ケチだし暇だからもったいないってやってるだけでしょ」
「そうだとしてももったいないってじっくり見てもらえたほうが絵も作者も嬉しいんじゃないかな。でもそうなると中では別々に自分のペースで見たほうがいいね。せっかく一緒に来たけど」
「あぁ……いや、今日はそっちのペースに合わせるよ。せっかく芸大生と来てるのに自分一人で見てちゃもったいないじゃん。芸大の解説聞かせてよ」
「解説かー。自信はないけどいいよ。せっかくだし一緒に見たいしね。まあ美術館だからそんな喋れないけど」
そう言い、二人は中へと入っていく。
*
展示を見終えた二人は外の喫煙所でタバコに火をつけていた。
「どうだった?」
と美樹が尋ねる。
「うん、やっぱいいよなーって思うわ。前情報なしで来てるからさ、基本何あるか知らないしどんなのかもわからないから。それで生で見るとやっぱこう、なんかうわーってしか言いようがないんだよね。言葉じゃなくて気分っていうかさ」
「絶景見るのと同じ感じだ」
「だね。知識ないから説明なんか出来ないのは当然だけどさ。ただいいなー好きだなーって、それしかないけど別に自分一人で楽しむ分にはそれでいいって思うしね。でも解説聞けてよかったよ。なんで自分がそれをいいと思うのかの理由も少しわかったから」
「そう? 大丈夫だったかな。人に説明する機会とかあんまりないから」
「すごいわかりやすかったよ。面白かったし。やっぱ普段からああいうふうに見てるわけだ」
「だいたいはね。私は絵は基本構図と色って人間だからさ。とにかく構図と色で九割決まるじゃんって思ってるし、だからそうやって見てるしそうやって描いてるからね」
「それもさ、構図とか一応知ってはいるけど教えてもらったようなことは全然だからね。そういう視点で見るとまた全然見え方違ってきて面白かったよ。今まで見たのももっかいそういう見方で見たら違うんだろうなって思ったし」
「そういうふうに思ってもらえたならすごく嬉しいかな。ちゃんと話せたって思うし。私はさ、やっぱりもう勉強視点っていうのがほとんどになっちゃってるけど、実咲はたまに美術館とかも来るって言ってたじゃん。なんでっていうか、どういう目的かとかってある?」
「んー……まあ正直他に行くようなとこもないし、暇だからなんとなくっていうのはあるけどさ。こういうとこなら一人でふらっと来ても全然問題ないし。
ただまあ、そうやって来てもやっぱり充実感っていうか、わからなくたってなんかいいもん観たなーって、すごかったなーって思うからね。最低限満足っていうか、少なくとも気分的にはなんらかの得しかないっていうのはあるかもね」
「なるほど、そういうのもあるのか。でもそういうのって大事だもんね。描いてる方は自分の何かがあるわけだけど、見てる方はたくさんの人がいてそれぞれ違って、だからまあ、なんだろう……あんまりこっちで決めつけすぎて描かないってのも大事なのかな」
「あー。そりゃ描く方にも繋がるよなあ。美樹が描くのは今日観たようなのとは全然違うの?」
「そういうものなんかわからなくなってくるんだよねー。どう観たって違うけど本当に違うのか? 実は根っこは同じなんじゃない? みたいにさ」
「ははは、なんかいかにも美大生の悩みっぽいな」
「かもね。よかったら見る?」
「え?」
「絵」
「え? ――ああ、絵ね。見るって美樹の絵を?」
「うん。学校すぐそこだし。今置いてあるから。完成してるやつ」
「あぁ……入っていいの?」
「いいよ全然。今日も普通に開いてるし」
「そっか。いや、でもさ、こんな完全な部外者連れってってほんとにいいわけ?」
「何も問題ないと思うけどなあ」
「そう……じゃあ、まあお言葉に甘えよっかな」
「よし! じゃあその前にまずはご飯だね! 私がよく行くとこ連れてってあげる。おいしいよー。日曜だからちょっと並んでるかもしれないけど」
「平気平気。時間あっからね」
二人はそう言い、タバコの火を消し立ち上がった。