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アンダルシアの木洩れ日  作者: 高橋龍(ロン)
1/3

日西少年少女初恋物語

— その 一 —


                 「瀧上嘉蔵」



 瀧上たきのうえ家では、男子が誕生すると、代々お爺さんが『海』を、ひと文字入

れた名を付けた。家系図には嘉蔵から四代目の男子に『海人』とある。以降、瀧上家の男

子は全員が『海』を有する。

 瀧上家の家系図は嘉蔵以前と以後に分かれている。嘉蔵が瀧上家を存続の危機に陥れた

からであった。それでもお家断絶を免れた。

 嘉蔵から数えて十六代目の海彦の父は海太郎。祖父は海之進。曾祖父は海翔。高祖父は

海市。言い伝えでは、嘉蔵の跡を継いだ蔵之介が、孫に『海人』と名づけてから、男子の

命名権はお爺さんに属した、と云う。

瀧上家の窮地とは嘉蔵がイスパニアから戻らなかったことに起因する。

 一六一三年一〇月二八日。伊達政宗の命を受けた支倉常長はイスパニアに向けて牡鹿半

島の付け根の西に位置する月の浦から船出した。政宗の命とは伊達藩とイスパニアの通商

の実現。家康もそれの後を押した。通商とは交易。交易とは主に貿易である。

 ここでは戦国武将である政宗の野心と家康の魂胆には触れない。

 嘉蔵の剣の凄味は藩内でも定着していた。それで藩の道場では師範を務め、四十四俵の

蔵米取りであった。これは知行地取りの五〇石に相当する。

 嘉蔵は剣に満足せず銃の改良に取り組んだ。単発でしか発射できなかった火縄銃の連発

に挑んだ。やがて銃身を二本備えた銃を製作。難点は銃身の重さ。それでも画期的な銃で

あった。これにより政宗から百石の知行地を与えられた。

 それから一〇年。支倉の打診を快諾した嘉蔵により瀧上家は百五〇石に。


 ここで当時の百五〇石の価値を述べてみたい。

 一石とは成人男子が一年間に消費する米の量を表わしている。明治に入ると一石は二.

五俵と定められた。一俵は六〇キロ。一石は一五〇キロ。一日当たり約四一〇グラムの米

を食べる勘定。一合は一五〇グラム。一日の米の消費量は二合半と少し。米は炊くと三倍

の量になる。茶碗で七杯余。昔も今も一日七杯余の御飯を食べる人は少ない。

 

                                      1

ここでの米は玄米を指す。江戸時代の人々の多くは年に数回の祝い事以外は玄米を炊い

て食べた。みんな玄米の栄養価を知っていた。

 当時の平均的家族構成は、爺・婆・家長・妻・家長の兄弟姉妹二名・子供四名(子供は

二人で一名と換算)の八名。八名の年間消費量は八石。家来が三名だと二四石。当主の家

を合わせると三十二石が年間の消費量となる。

 百五〇石の知行地取りは多くて四〇%。伊達藩では三五%が標準。五二.五石が瀧上家

の実高であった。家族の消費と家来分を差し引くと二〇.五石が食費を除いた可処分所得。

これを銭に変えて米以外を賄った。現在の生産者平均米価(六〇キロ単価一三〇〇〇円)                                                            

で換算すると六六六二五〇円。これが瀧上家の自由に使える金員であった。 

 発展途上と雖も、商品経済が未発達な、自給自足が色濃い江戸時代初期の仙台。米以外

の生活必需品の物価は現在の一〇分の一以下。瀧上家は農民町人から羨まれる、何ひとつ

不自由がない、恵まれた暮らしぶりであった。


 嘉蔵は連発式火縄銃に満足せず、火縄銃そのものの改良を追及した。火縄銃には様々な

弱点があった。それを克服するならば主君は天下を獲れると考えた。

 雨に打たれると使いモノにならない。一発撃つ度に銃身の先から調合した火薬を流し込

む。次に弾丸をこめる。それらを棒で固め定着する。弾ごめに熟練した者でも二〇秒余を

費やす。この作業も雨に極めて弱い。雨粒がひとつ入り込んでも不発に終わる。更に銃身

に施状溝が刻まれておらず弾道が安定しない。連射すると熱により弾道が伸びてしまった。

 嘉蔵は弱点の克服には、火縄による着火を捨てなければならぬ、と気づく。火縄を捨て、

新しい方式を造り出すのは簡単ではない。銃身を二本装着するのとは訳が違った。

 薬莢を造り、そこに火薬と弾丸を詰め、固定する。薬莢の底に打撃を加えて発火発射す

るを思いついた。その他にも銃身の内側に螺旋状の溝を彫り、弾丸の軌道を安定させる。

 連発を可能にする方法は円柱状の弾倉を作り、それを回転させる四連発を考案した。現

在のリボルバー銃である。リボルバー銃は発射すると自動的に弾倉が回転するが、嘉蔵は

一発撃つ度に撃鉄を上げ手で回した。手で回したとしても連発銃としては充分。

 嘉蔵は薬莢と弾丸の開発に取り掛かった。それまでの円球の弾ではライフリングを彫っ

ても回転が上手くかからない。彫り方の微妙な違いで銃に癖が現れた。野球の投手に例え

るなら、綺麗な回転の直球にならない。ある銃は右に曲がり、別の銃は左に反れた。それ

と完全なる円球を大量に作るのは無理。少しずつ円球に狂いが出た。弾丸によって軌道に


                       2

違いが出た。実験結果は弾丸の形状を変えろと諭していた。嘉蔵は試行錯誤を繰り返し、

円柱の胴の先をすぼめ、尖らした現在の弾丸の形状に辿り着いている。薬莢にこめる火薬

の調合はこれまでの経験値で問題がなかった。弾丸の固定は薬莢の内側に膠を用いた。暴

発の回避に必要な条件は熱を与えない。衝撃を加えない。弾丸の保管と移動には鉛を伸ば

したケースを作った。内側には和紙を。最後の難関は薬莢。撃鉄で薬莢の底を打っても発

火しないことが多かった。嘉蔵は撃鉄の打撃点に火打石を用いた。それでも上手くゆかな

い。不発弾が山と積まれた。まだまだ完成には遠い。遠くとも、此処までくると、あと一

歩。嘉蔵の試みはイノベーターではない。発明家であった。しかし嘉蔵はここで追及を止

めてしまった。瀧上家に残る『火縄捨去候也』には追及を止めた経緯は記されていない。

数多い図面と実験の結果。それと嘉蔵の感想が細かく書かれていた。           

 

 政宗の戦略は、戦わずして勝つ、であった。それで勝つ方に就いた。仙台は小田原にも

大阪にも遠い。政宗は情報網を張り巡らし戦さの趨勢を分析した。参戦の遅延を責められ

ると政宗は遠方を大いに活用した。

嘉蔵は足軽十五名を率いて、小田原に参戦しているが、彼の武功は聞こえて来ない。二

連発銃の威力効果も残されていない。小田原の秀吉の下に到着した時には北条が滅びる寸

前であった。北条氏政は政宗の加勢を唯一の拠り処として秀吉に屈しなかった。しかし政

宗は秀吉に就いた。氏政は降伏。切腹。北条は途絶えた。遅れに遅れた政宗の小田原への

参戦は政宗の政治判断。機を窺っていたのである。

 政宗は関ケ原には参戦していない。政宗は家康に命じられ、上杉景勝と戦い、上杉の関

ケ原への足を止めた。その時、嘉蔵は別動隊として相馬藩に侵攻した。ドサクサに紛れて

の領地拡張を企てた政宗の策謀。かつて相馬は政宗の領地であった。関ケ原を終えた家康

は政宗の動きを知る。二度の大阪でも政宗はまともに豊臣と戦っていない。それで伊達藩

の武功は無きに等しい。政宗の戦略は適中するも秀吉も家康も不信を強めた。

 家康の時代が始まると戦さが起こらなくなった。それで嘉蔵は四連発銃の開発を止めた。

その後の彼の活動を鑑みると、そう考えるのが穏当であろう。


 嘉蔵は家督を蔵之介に譲り隠居した。隠居してから広瀬川の治水に乗り出した。

 北上川の河川切り替え工事は既に始まっていた。石奉行が担った。工事の全容を知ると

嘉蔵は「これでは急流の北上川は再び氾濫する」と断じた。しかし「申すに及ばず」と胸


                                    3

中に留め置いた。計画変更を申し出るには遅かった。工事には政宗の是が下っていた。

 一方、広瀬川は手付かず。広瀬川は仙台平野をゆっくり流れる穏やかな川。このゆっく

りと穏やかが厄介であった。急流の洪水は被害甚大でも復旧への着手が早い。水の引きが

早いからである。広瀬川は氾濫すると一ケ月以上も水が引かなかった。

 政宗は嘉蔵の『広瀬川治水建白之儀』に是を申し渡した。

 嘉蔵は測量器を作った。地面の高低差を読み取れる単純な造りであったが、大いに役立

った。計測できない距離は縄と歩測で補った。

 嘉蔵は広瀬川流域の荒れ地に眼を付けていた。荒れ地とは低地の氾濫原。おまけに湿地。

此処に蓄えられた水を海に流すなら耕せる。嘉蔵は広瀬川の右岸に一本の水路を考えた。

左岸には溜池を五つ。湿地に暗渠を埋め込み水路と溜池に通した。堰には水門を設け、増

水時には水門を開き、盛り上がる水を海に流した。広瀬川は治まり、湿地は二年で乾いた。

 乾いた氾濫原の土壌は豊か。田圃に向いている。これは弥生時代からの知識であった。

三年目の秋には実りをもたらした。水路は運河としても活用できた。湊に陸揚げされた荷

を陸地の奥に運ぶのに大いに役立った。

 堰に備えた水門が嘉蔵の工夫だった。水門は大人一人の力で開閉できた。歯車の応用。

 測量器の使い方、それと治水土木工事の設計図も『広瀬川治水顛末記』に残っている。

そこには「黒鍬衆に任せておけない」との嘉蔵のいち文が添えられていた。

 伊達藩の石高は公表六十二万石。それを豊作時の実石高が百万石に達するまで増やした

のは嘉蔵抜きでは語れない。伊達藩は前田の百二十万石・島津の七十二万石・越前の六十                                      

七万石・尾張の六十三万石の石高に次いで五番目。実石高では島津・越前・尾張を凌駕し

ていた。それでも徳川の外様。外様とは幕府の使役が多い。政宗の戦略の帰結でもあった。


 嘉蔵は広瀬川を終えた時に足軽頭の支倉常長からイスパニア行きを打診された。ここで

の打診とは命令と同じ意味を持つ。イスパニアへの船出は地球を半周する行程。帰路を合

わせると一周分に相当する。何時、帰れるか分からない。生きて帰れないかも知れない。

 それまでに西ヨーロッパに渡った日本人は一五八二年の天正遣欧使節団だけであった。

九州のキリシタン三大名の名代として少年四名がバチカンを表敬訪問。一五九〇年に帰還                                     

している。四名が見知った西ヨーロッパは日本に広く伝えられていない。秀吉が情報を独

占してキリシタンとポルトガル・イスパニアの植民地政策の分析に充てた。

 嘉蔵には太平洋と大西洋を渡る船旅とイスパニアは未知であった。未知故に彼は死を覚


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悟した。そして支倉に快諾を告げた。家族にも死を覚悟と伝えた。自分は隠居の身。死ん

でも蔵之介が家を護る。嘉蔵は後ろ髪を引かれることなく、月の浦に停泊されているサン

・ファン・バティスタ号に家来の与助と乗り込み、遠ざかる仙台を見おさめた。


 一六二〇年(天和六年)九月五日。支倉常長は長崎に着いた。乗っていたのはサン・フ

ァン・バティスタ号にあらずマニラからの徳川幕府の御朱印船であった。サン・ファン・

バティスタ号はイスパニア兵をアカプルコからマニラに移送する役目を担っていた。当時

イスパニアとポルトガルはフイリッピン支配の覇権を巡り戦いが続いていた。それで大砲

十六門を備えられる五〇〇トンのガレリン船の供出を余儀なくされたと思われる。

 ガレリン船とは大航海時代に活躍した三本のマストを立てた西洋式帆船。

 支倉は幕府の取り調べによる長崎滞留の間に政宗に早飛脚を出している。八日で仙台に

届いた。文には、通商が叶わなかった謝罪と無念が連綿と綴られ、従者八名がイスパニア

から帰国しない旨を申し出た故に、それを認めたと添えられていた。

 戻らなかった者たちの名は記されていない。

 この文が政宗に届くと家老は「支倉常長一行が近々に帰ってくる」と布令を出した。

 城下の関心事はイスパニアとの交易が実現できなかった苦渋より、戻って来ない者の特

定と詮索であった。戻って来ない者は誰と誰なのか。その理由は何か。八名の未帰還者の

存在だけが事実。他には何ひとつ確証がない。憶測からの噂が彼方此方で囁かれ広がる。

憶測からの仮説。仮説が仮説を呼び、尤もらしい噂話しに熱中するのは今と変わらない。

 蔵之介は八名を不忠義者と断じた。

 九月二〇日。支倉常長が仙台に帰還。

 蔵之介は嘉蔵との七年ぶりの再会の悦びを胸に月の浦に向かった。

 江戸からの船に支倉常長一行が乗っていた。下船者に嘉蔵の姿は無かった。与助も見つ

けられない。無礼を顧みず蔵之介は支倉に嘉蔵の安否を尋ねた。

「生きておる。イスパニアのコリア・デル・リオに残った。与助も一緒だ」

 茫然自喪の蔵之介は支倉の側近から嘉蔵の文を渡された。

—我は故里吾出瑠里緒村に留まり候 与助も残ると申し候 詮索するに及ばす もとより

 死を覚悟しての船出 我は異国の地で死に申す 然して世間から色々と取だたされし候

 なれど 我は忠義を尽くし致し候 これだけは申し候。

「大海に もまれころがり 早五年 支倉の無念 如何ばかりか 而して我は 望郷を打


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ち振り払い 此処に残らん 我を求めし 故里吾出瑠里緒 これぞ誠の 男伊達」—


 蔵之介の受難はこの時から始まった。

「嘉蔵は忠義者と思っていたが間違いだった」

「残される家族よりもイスパニアが大事だったんだ。これまた不思議な話し」

「人は分からないもの」                                        

「大方、女でもこさえたんだろう。そうでもないと説明がつかない」

「俺なら女を捨てて帰ってくる」

「いやいや女次第じゃて」

「よほどの女なら俺はイスパニアに残る」

「女かも知れぬが帰りも一年二ケ月の船旅。無事には済まない。海に臆したのかも」

「偉そうにしていても嘉蔵は案外、臆病者だったのでは」

「臆したのならば敵前逃亡」

「嘉蔵は弱虫か」

「戻って来ない臆病者の禄が百五〇石とは間尺に合わない」

 人の口は止まらない。塞げない。こうしたヒソヒソ話しは嫌でも蔵之介の耳に入ってく

る。家族の者もすべからず知る。こたえたのは「臆病者」「敵前逃亡」だった。それでも

蔵之介を支えたのは嘉蔵の「忠義は尽くした」であった。尽くしていなければ支倉常長は

不帰還を認めない。繰り返し湧き上がるのが「親父殿に何があったのだろう」。

 人の噂も四五日と云うが、城下での陰口悪口は執拗だった。三ケ月経っても収まらない。

 家老は風紀の乱れを懸念した。放置すれば藩政に影を落とす。

 家老は蔵之介に蟄居謹慎を命じ、政宗には瀧上家の取り潰しを上申した。

「帰還せざる者、これ不忠義者なり」

 支倉は「拙者が認めた沙汰」と穏便を政宗に願い出た。

 お家の取り潰しは免れたものの見せしめ的な措置が下った。家老の狙いは城下に蔓延す

る悪しき風評の封印。封印しなければ遣欧使節団の失敗の責が自分にも及ぶやも知れぬ。 

 蔵之介は道場の師範を解任され四十四俵の蔵米取りに。そして無役になった。彼はそれ

らを受け入れ、耐える他なかった。陰口・悪口・噂・故なき風評が止むなら、それで良し。

 蟄居謹慎が解かれると往来での立ち話しは消えたが「無役のただ飯食らい」は続いた。

 無役になった蔵之介は二名の家来に暇を出した。家老に頼み込んで二名を抱えてもらっ


                                    6

た。与助の家族だけは守らなければならぬ。これが減俸禄時の蔵之介の決意だった。

 与助は親父殿に忠義を尽くして故里吾出瑠里緒に残ったのだ。


 蔵之介は長男与作に跡を継がせ扶持の二〇俵を維持した。 

蔵之介は不屈だった。無役を逆手に取り、大いに活動した。

 戦さが終わってから久しい。時代が落ち着くと人の往来が盛んになる。彼方此方で産業

が興る。物資の流れも益々増える。江戸の町は人が増える一方。必ず米が足りなくなる。

 蔵之介は仙台から江戸への回米を考えた。それまで仙台と江戸を繋いでいたのは不定期                                    

船だった。ここに着眼した。不定期便と定期便とでは商いの方法が違ってくる。定期船に

は人々の期待と要望が強まる。そうなれば船賃も高く取れる。                                                                              

 蔵之介は与作に江戸往復船に見習いとして乗り込ませた。与作も必死だった。

 蔵之介は「これからは海の時代。海を制した者が生き残る」と家老に江戸往復の定期船

開設を願い出た。嘉蔵不在の七年間の蓄財すべてを資金に充て千石船を購入した。不足分

は借金で補った。千石船とは北前船の船型と同じである。千石船とは米二五〇〇俵を積み

込める。それで千石船。しかしながら当時の船の多くは百石程度。百石を越える大型船を

千石船と呼んでいた。蔵之介が購入した船の積載量は千石の半分。五百石の米を積めた。

満載で千二百五十俵。蔵之介は船の安定化を考え千百俵を上限に据えた。積載量の余裕は

百五〇俵。重さにして九トン。その余裕分で人を運ぶ計画。定員は五〇名。

 家老に定期船開設を願い出た蔵之介の狙いは荷の保証だった。当時は荷への損害保険が

無かった。我国に損害保険が導入されたのは明治に入ってからである。時化などで荷に損

害が生じると、その保証は船主に帰した。万がいち船が沈んだ時には全額を船主が負担し

なければならぬ。蔵之介には不可能。不可能と分かれば信用されず、誰も荷を預けない。

 今で云う江戸への定期船開設上申書は政宗の眼に留まった。自らの責任能力を超えてい

ると悟った家老は政宗に上申した。政宗は即断。

「江戸への回米は藩においても必須。今は江戸の米商人に言い値で買い叩かれている。藩

自らが米を江戸に、それも定期的に運び、競りにかけたなら高く売れる。帰りには江戸に

集まる各地の物産を積む。これらは奥州諸藩に飛ぶように売れる。定期船とは実に秀でて

いる。米の保管や運搬の段取りも付け易い。荷の保証は是。これで人の行き来も増える」

 これが「江戸の米の三分の一は奥州米」の礎。

 蔵之介は船に海洋丸と名付けた。

 

                                     7

与作は働き者の他に優秀であった。三ケ月の見習い期間に江戸までの航路海図を作成し

操船技術を習得した。海図には陸の姿と黒潮の流れが描かれていた。

「沖に出過ぎると黒瀬川に呑まれ、それを恐れて陸地に近づき過ぎると岩礁に乗り上げる。

黒瀬川は海が黒い。注意を怠らなければ呑まれない。沖に出ると船足が早くなる。出来る

限り沖に出て黒瀬川を避けるならば江戸までは難しくない。早ければ三日。遅くとも四日

で着く。問題は八月下旬から十月下旬にかけての大嵐。この間は休みましょう。城内には

布令を出し早飛脚を江戸の商人に届けましょう。そうすれば信用は損なわれない」

 蔵之介は与作の進言を受け、片道四日、二週間一往復を決め、与作に船頭を命じ、自ら

は船主を名乗った。江戸での競りと買い付けの責任者の選任を与作に任せた。与作は一人

の若者を江戸から連れ帰った。伍平と名乗った。伍平の父も帰還しなかった八名の一人だ

った。伍平は江戸の米商人の処で手代まで務め上げていた。与作は伍平を引き抜いたので

ある。引き抜き料は一〇両。それを与作は借金して賄った。

 感激した蔵之介。                                    

 定期船は蔵之介の思惑通り仙台と江戸の人々に支持された。特に江戸の米商人には好評                                                                                                                  

だった。今までの値の三割増しで取引された。伍平は競りの仕切りが上手かった。持ち帰                                     

る江戸に集まった各地の物産の選定にも長けていた。選定を終えると与作は品々を書き写

し、伍平が定めた買い値と売り値を記して早飛脚を家老に走らせた。飛脚の袖に心付けを

忍ばせると三日で着いた。海洋丸が湊に着くと既に人が群がっていた。我先にと物産を手

に吟味する。この時も伍平の捌きは人眼を引いた。半日で売り切ってしまった。

 伍平は選定の他に客の望みを受け付けた。いわゆる予約である。予約された品々は売れ

残らない。瓦版・木綿の反物・江戸地図が町人に好まれ、伊達藩に限らず諸藩の御用人は

書籍・西陣織・江戸漆器・伊万里焼を求め、女たちは紅・簪・手鏡を所望した。                                          

 ヒトとモノの定期的な活発な動きはカネを生む。


 蔵之介は米の代金の九割と物産販売粗利の三割を藩に納めた。米代金の一割と物産販売

粗利七割が海洋丸の営業利益であった。旅客の運賃を不定期船より二割安くした。従来は

不定期船故に運賃を高めに設定せ去るを得なかった。それを見越しての割安料金。

 蔵之介は家老に旅客運賃の折半を申し出た。内密。家老は固辞しなかった。

蔵之介が認めた『嘉蔵始末記』によれば、ひと航海での海洋丸の純利益は莫大であった。

時には物産の粗利が米の一割を超えた。三往復で蔵之介の借金は消え、九往復で投資した


                         8

船の購入費用全額を回収できた。就航後五ケ月で蔵之介は元を取ったのである。

 政宗も家老も満悦至極。与作は苗字帯刀を許された。蔵之介は「瀧上を名乗ってはどう

か」と与作に言った。与作は感極まり号泣。家系図に血縁なき者が突如、蔵之介の横に並

ぶのは与作の号泣による。海に乗り出した蔵之介と与作の夢は同床であった。外洋に出て

何時か必ず故里吾出瑠里緒の地を踏み、嘉蔵と与助に本当の訳を尋ねる。しかし二人の夢

は一六三九年の鎖国令によって消えた。消えても嘉蔵と与助の不帰還の謎は残った。


滝上家では祖父から孫に文書の読み聞かせが代々続いていた。海彦は海之進から。海太

郎は海翔。海之進は海市から。海之進は文書から『嘉蔵始末記』を選び、海彦に一部始終

を読み聞かせた。それにより海彦は蔵之介の不屈を知った。同時に「嘉蔵は偉大であるが

尊敬できない」が海彦に根づいた。海之進は読み聞かせの度に「分からぬことを詮索する

のは無駄じゃ」と言った。それでも海彦には嘉蔵不帰還の謎は消えなかった。




                                      

    — その 二 —                


             「マリア・ロドリゲス・ハポン」



十一月上旬。海太郎は伊達慎一に呼び出された。二人は高校の同期だった。共に仙台の

『日西友好協会』に所属している。伊達は会長を務めていた。

「先月の終わり、協会にスペインから手紙が届いた。スペイン語で書かれていたので翻訳

を頼んだ。それで時間がかかったしまった。とにかく読んで欲しい」


—私はマリア・ロドリゲス・ハポンです。コリア・デル・リオに住んでいる十七歳。高校

に通っています。思い切って手紙を書きました。

 仙台に今も「たきのうえ」を名乗る方が住んでいるのでしょうか。私の先祖は「たきの

うえよしぞう」と昔から伝えられています。お墓もあります。もし私の先祖と繋がりがあ


                                      9

る方が住んでいるなら是非、一度お会いしたい。そう願いを込めています。突然の手紙で                                      

すが、宜しくお願いします—


読み終えた海太郎は伊達に言った。

「何時か、こう云う日が来るのではと想っていた。いや、来て欲しいと願っていた。この

願いとは祈りに近い」

「彼女への返信は任せて良いか」

「もちろんだ」

 海太郎は封筒を手に取り、差出人の住所を見つめた。そこには確かに『コリア・デル・

リオ市』と書かれていた。現在は村から市に変わっている。

「どうだろう。成り行き次第だが協会で彼女を招くと言うのは…。そのくらいの予算はあ

る。理事会で賛同してもらう手続きが必要だけれど反対する者はいないと思う」

「そうなると彼女はホームステイになるな。俺の処で良いのか」

「そう言ってくれると思っていた」

「分かった。これらを前提に返信を書く」

「お前が書くのか」

「いや。海彦に書かせる。同じ十七歳だし。俺が書くと何かと堅苦しくなる」

 その夜、瀧上家では家族会議が開かれた。海太郎以外の五名が一人ひとり、マリアから

の手紙を読んだ。皆が読み読み終えると海太郎は昼間、伊達に呼ばれた経緯を話した。そ

して「マリアが仙台に来た時には歓迎しようじゃないか。マリアも嘉蔵の子孫。俺たちも、

みんな、嘉蔵の子孫だ。海彦。返事を書いてくれ」。

 彩は自分が書くものと思っていた。父の海彦指名に唇を尖らせ、頬を膨らませた。

「海彦。大丈夫。手紙に何て書くつもり。日本語で書くんでしょう。スペイン語は無理だ

し英語も無理っぽい。日本語で書く他ないわよね。スペインは多民族多言語国家だからマ

リアは英語を話せると思う。英語で書いてみたら。私なら英語で書く」

 彩はまくし立てた。彩は地元の大学に進み英文科の三年生。

「ここは海彦に任せようじゃないか」と海之進が彩を遮った。静が「何時、来るんだろう。

楽しみだね」。志乃は「私たちと同じ先祖の方とお会いするとは夢のようね。どんな娘さ

んなんだろう。きっと美人で可愛いお嬢さんよ」。

「ホームステイとなると母さんが大変になる。みんなの協力が必要だから宜しく頼む。彩


                                     10

にも頑張ってもらいたい。マリアには幸せな時間を過ごして欲しい」と海太郎。

海太郎から名指しで「頑張ってもらいたい」と言われた彩は気分を取り直した。

「妹が一人できたみたい」

「みんなスペイン語ができない。マリアの為にもスペイン語を勉強しよう」

 海之進は自室に戻って一冊の本を持って来た。

『一週間で話せるスペイン語』。

「何時か役に立つと思って買ったんでしょう。しかし積読のまま。役に立つ時がやっと来

たのね」と静は、海之進と、眼を合わせ、微笑んだ。

 彩が「文法は英語と似ていると思う。でも会話は文法よりも単語。一〇〇も覚えたら何

とかなるわよ」と言うと、「そうだな。私も一〇〇を覚えるとするか」と海太郎。

 瀧上家の意気込みは不要だった。マリアは何時かの日本に向け日本語学校に通っていた。

今年で七年目。日常会話には困らない。今では英語よりも達者。

海彦は茫然としていた。彩の何時もながらの出しゃばりにウンザリ。彩を無視しつつも

海太郎の表情を窺った。

…なぜ親父は俺に書かせようとするのか…

 それが分からなかった。我家を代表してマリアに家族の熱い気持ちを伝えなければなら

ない。これだけが重く覆い被さってくる。何を書くのか。まったく浮かんで来なかった。

 今まで親父の代りなど務めたことなし。それに女のに手紙を書いたこともない。

 海彦は、スペイン語で書かれたマリアの手紙を見つめ、翻訳文を読み返した。

 自分の言いたいこと、読み手に伝えなければならないことが短い文で書かれている。き

っと頭の良い娘なんだ。俺はどうなんだろう。マリアに会ってみたいのか。どうでも良い

のか…。会ってみたい。俺の中で燻っている嘉蔵の謎を解き明かすチャンスが巡ってきた

のかも知れない。そうだ。余計なことを考えずに俺のこと、マリアに伝えたいことをスッ                                    

キリと書けばそれで良い。難しく考えては駄目だ。


—僕は瀧上たきのうえ海彦うみひこです。マリアと同じ十七歳(高校二年生)。

瀧上嘉蔵よしぞうの十六代目です。マリアからの手紙を家族みんなで読みました。何

時でも仙台に来て下さい。大歓迎。 

 僕には謎がひとつあります。この謎は瀧上家に脈々と受け継がれ、先祖の方々の誰も解

き明かしていません。


                                    11

…何故嘉蔵は帰還せずコリア・デル・リオに生き死んだのか…

 長い時の間に数々の説が語られ、そして消え、謎だけが命を繋いでいます。                                     

『大海に もまれころがり はや五年 支倉の無念 如何ばかりか 而して我は 望郷を 

打ち振り払い 此処に残らん 我を求めし 故里吾出瑠里緒 これぞ誠の 男伊達』

 これは嘉蔵が家族に届けた文に認められた和歌です。僕はマリアに嘉蔵が故里吾出瑠里

コリア・デル・リオに残った訳を尋ねたい—

 

「父さんの名代で書いた」

マリアの手紙を読んでから一時間ほどで示された返信に海太郎は驚きを隠せなかった。                                     

「もう書いたのか」

「時間が経てば経つほどにグチャグチャになってしまいそうだったから」

 海太郎は二度読んだ。

「私が海彦に書けと言ったのはこう云うことなんだ。お前なら、きっと、こう書いてくれ

る。家族の皆が胸の奥深くに仕舞い込んで忘れることのない謎を書いてくれる。ありがと

う。嘉蔵の惜別の詠を載せてくれて、ありがとう」。

 メモは海太郎から海之進に渡され、彩まで回され皆が読んだ。

 読み終えると、みんな、黙り込んでしまった。

 

 二週間後にマリアから長い手紙が海彦に届いた。

 海彦は封を開けると途方に暮れた。またもスペイン語で書かれている。英語なら何とか

なる。スペイン語になるとお手上げ。仙台でスペイン語に精通している人はそう居ない。

そう云えば学校の課外授業にフラメンコを教えに来ているスペイン人の先生が居る。

 海彦は学校の事務室に行って、訳を話し、頼み込んで、フラメンコの先生の連絡先を教

えてもらった。アポを取ると、先生は快諾してくれた。それからは全力で自転車を走らせ、

先生の住まいに向かった。先生は手紙を読み、口頭で日本語に翻訳してくれた。   

 海彦は聞き漏らすまいと集中。ボールペンを走らせた。


—またスペイン語でのお手紙になります。

 ゴメンナサイ。わたしは日本語を読めるようになりました。でもまだ上手く書けません。

漢字がとても難しい。平仮名と片仮名の使い分けも大変。仙台に行くまでには書けるよう


                            12

になりたい。頑張ります。仙台行きのスケジュールが決まりそうです。友好協会の伊達さ

んから手紙が昨日届きました。わたしを仙台に招いてくれるそうです。スケジュールは私

の都合で良いと書かれていました。

夢を見ているようです。

 今日は十一月二〇日。今からでも飛んで行きたい。けれど学校を長く休めません。クリ

スマスは家族と過ごさなければなりません。日本人がお正月には家族が集まって、美味し

いものを食べると、日本語学校の先生が話していました。日本人はクリスマスよりもお正

月が大切と知っています。スペイン人はお正月よりもクリスマスが重要なのです。それで

クリスマスが終わってから行こうと考えています。伊達さんにもそう書きます。

 学校は十二月二十三日から二週間お休み。スペインでも英語圏と同じように『Christm

as & New Year Holiday』と呼んでいます。

 海彦の手紙でひとつだけ分からない文字がありました。 

『男伊達』です。教えて下さい。セビリアの日本語の先生は若い女性の日本人ですが、聞

いてもハッキリしませんでした。彼女は「男の中の男」と。わたしは少し違うと思ってい

ます。彼女の言う通りなら嘉蔵の和歌の終わりは「これが本当の男の中の男」になります。

 日本語で『男伊達』とは「男の中の男」を意味するのでしょうか。 

『男伊達』と結んだ嘉蔵は「自分は伊達藩のサムライである」との矜りを詠んだのだと思

っています。嘉蔵の矜りである「伊達藩のサムライ」とは…。これがわたしの疑問です。

 海彦の謎は、海彦がコリア・デル・リオに来ないと分からないと思います。

 来たなら必ず解けるはずです—


 海彦はふ~っと息を吐いた。

『男伊達』を説明するのは難題。難題に向かう前にマリアが書いた文字の綺麗さに衝撃を

受けた。前回の手紙同様に、丁寧に、スペルが記されていた。よほどの気合を込めないと、

こうは綺麗に書けない。海彦は自分のスペルの汚さを恥じた。

 それにしてもマリアは賢い。

『男伊達』を見逃さなかった。

 仙台人でも『男伊達』を外国人に、ひと言で、分かってもらえる人は、数少ないはず。

俺も今のところは伝えられない。マリアに「そうなんだ」と、分かってもらえなければ、

嘉蔵の和歌を書いた意味が半減するし、嘉蔵に申し訳ない。

 

                  13

 海彦は『男伊達』が日本語に定着するまでの歴史を考え始めた。

 海彦は書き取った翻訳文をパソコンに打ち込み、プリントして、マリアの返信原文を添

えて海太郎に差し出した。

「まだ知らせていなかったけれど伊達から連絡があった。友好協会がマリアを招待すると

正式に決めたそうだ。いよいよだな。ところで『男伊達』をマリアにどう説明するんだ」

 読み終えた海太郎が言った。

「難しいけれど何とかするよ」

「そうか。頑張れよ。マリアは利発な娘だ。『男伊達』には伊達藩の歴史と我々のIde

ntityが詰め込まれてるからな」


—マリアの『男伊達』への疑問は正しい。「男の中の男」は間違ってはいない。けれど正

しくない。『男伊達』が日本語として定着するまでには古くて長い歴史がある。今はそれ

らを省略。マリアが仙台に来た時には『男伊達』を時間をかけて伝えます。

「嘉蔵は『自分は伊達藩のサムライである』と矜りを詠んだ」との理解はその通り。                               

 マリアが日本語の他に日本を一生懸命に勉強しているのが分かります。国語辞典には伊

達男の意味が三通り載っています。『人目につく洒落た身なりの男』『弱い者を助けよう

とする男。その気性を侠気きょうきと云う』『勇敢に戦う男』

 何れも伊達藩のサムライへの誉め言葉です。通例では『伊達男』と使われます。それな

のに男を頭に置いて『男伊達』と書いたのは嘉蔵の矜りの強さなのです。この使い方を倒

置法と云います。倒置法とは強意。嘉蔵の和歌は日本に残される家族と故郷への別れ。そ

して「自分は伊達藩のサムライらしく故里吾出瑠里緒で生き死ぬ」と高らかに宣言した。

その嘉蔵の想いのすべてが『男伊達』に込められています—


 海彦は返信を海太郎に見せなかった。

 マリアの日取りが決まった。十二月二十七日から一月五日まで。





             — その 三 —


                                     14            

             「うえるかむ まりあ」

  

 

 マリアが十四時三六分の『やまびこ』で着く。乗っているのは三両目。

 前夜、瀧上家は横断幕を作った。書の達人である静が、刷毛のような、床箒のような、

巨大な毛筆を用意。静は白の鉢巻き。着物には襷。もんぺで裾を纏め正座。

 海彦は静から発せられる波動から、並大抵の集中ではないと、感じた。それは見たこと

も、接したこともない気合いだった。

こんな婆ちゃんは初めてだ。

 サラシの反物を裁断して、志乃がミシンで縫い合わせ、横断幕の布地を作った。布地の

四方を海彦・彩・海太郎・海之進で押さえ固定した。静は白足袋。筆にたっぷり墨を付け

ると静は躊躇することなく一気に書き上げた。『うえるかむ まりあ』。

 こうして縦一M五〇。横三M五〇の横断幕が完成した。三人で持たないと撓んでしまう。

 海彦は紙と割りばしで小旗を二つ作った。日の丸とスペイン国旗。二つには『Umih

iko』とサインを入れた。それを見た彩が「海彦。そんな小さな旗を作ってどうする気。                                  

目立たないじゃないの。まったく何を考えているんだか」

「これでいいんだ。二つの旗の余白にはマリアにサインを書いてもらう。それでこの旗は

俺の宝物になる。日の丸はマリアへのお土産。スペインを俺の部屋に飾る」

 海彦はマリアから送られてきた家族の集合写真を胸に忍ばせてホームに立っていた。

 マリアの写真と実際を見比べようと思った。お爺さん・お婆さん・父さん・母さん・兄

と妹の中央にマリアが普段着姿でピースサインの笑顔で写っていた。

 この写真を見た時に海彦は愕然とした。

 どうしてマリアはこんなに美人なんだ。まるで妖精じゃないか。こんな美人は日本には

居ない。対面したらどきどき、どぎまぎ。紅くなって格好悪い。写真よりも綺麗だったど

うしよう。でも実物は写真より良くないはず…。

そう言い聞かせて海彦は平静を保っていた。

 ひと言で表わすならエキゾチック。彫りの深さと肌の白は日本人には居ない。眼がパッ

チリしていて睫毛も長い。先がツンと上を向いた高すぎない鼻。耳元から顎までの線がシ

ャ—プ。日本人の中高の面長とは違う。明らかに西洋人の造り。それでも瞳と髪に日本人

の面影を残していた。二重の黒い瞳と黒髪。トップテールが良く似合っていた。


                                     15

 横断幕を発見したマリア。右手でキャリーバッグを引き小走り。左手を大きく振って満

面の笑み。薄手の白のダウン。黒のウールのショートパンツ。グレーのタイツの足が長い。

コンバースのバッシュー。キャリーバッグは水色。スペインカラーのスカーフが首元に。

 海彦は近づいてくるマリアに二本の小旗を振った。気づいてくれたかは分からない。

 マリアは少し上気していた。ほんのりと眼元に紅が浮かんでいる。髪がショートに変わ

っていた。白い肌に紅が差すと初々しい。これはマジでヤバイ。写真よりも美人だ。

 海彦は狼狽。                                  

「初めまして。マリアです。これからお世話になります。迷惑をかけると思いますが、ど

うか、宜しくお願いします」

 マリアのお辞儀は両手を膝に置いた正しい礼だった。

「あれまぁ。上手な日本語だこと。いっぱい勉強したんだね」と静。

 褒められたマリアは腰を少し落として「ありがとうございます」。

 腰を落としても黒いリュックの背筋は伸びたまま。

海彦はマリアの仕草に見入っていた。

…何て可愛いんだ…

 刈り上げた襟足がスッキリしていてシャープ。

 ショートの方が良いかも…。

 美人はテレビでたくさん観てきた。綺麗な人だなぁと思う。テレビに出るくらいだから

当たり前かとその都度思った。テレビの美人が仙台の女の娘を造っている。女子高生も女

子大生もOLもテレビを真似て闊歩している。マリアはテレビには居ないタイプ。まった

く違う。テレビはマリアの足元に平伏すべきだ。テレビも大したことない。テレビと違っ

て、マリアは美人なのに、美人を意識していない。どう私は綺麗でしょうと主張していな

い。あどけなさも自然だ。表情に作りが無い。仙台に着いた喜びを全身で表している。白

と黒の地味な出で立ちでもマリアの処だけに照明が当たっている。コリア・デル・リオは

セビリアの南に位置する田舎。何処が田舎の娘なんだ。垢抜けしてるじゃないか。スペイ

ンの十七歳はみんなこんな女の娘なのか。だったら恐ろしい。仙台の女の娘が野暮ったく

見える。仙台の女の娘は少し可愛いと男の子からチヤホヤされる。それが当たり前と思っ

ている娘も多い。チヤホヤされたいと何時も男子の眼を意識している。

 海彦はそれが嫌だった。

 マリアは天然。ヤバイを通り越してしまった。これは大変なことになる。

 

                                     16

 海太郎が一人ひとりを紹介した。

 海彦は気絶する寸前。

 海太郎から紹介されてもマリアに会釈するのが精一杯。

 結局はひと言も喋れなかった。

 七名は二台のタクシーに分乗して家に戻った。                   

海彦はマリアの乗ったタクシーを避けた。

避けて気絶を免れた。

 

 家に戻ると海太郎と志乃が、マリアの部屋を何処にするか、思案した。準備不足が露呈。

「座敷は広過ぎるし寒い。仏間には先代の写真が何枚も額に入っていて、異教徒のマリア

にとって不気味だろう。それに辛気くさい。茶室は狭い」

 それを聞いていた彩が「私の部屋はダメ。私は最初からそのつもり」。

 マリアは海之進と庭で雀の餌やり。

「きのう作った」と彩が海太郎にスケジュールを差し示した。

 

  二七日 夜は友好協会のウェルカムパーティー

二八日 午前と午後は私と買い物。夜は我が家でのマリアの歓迎会  

二九日 午前は嘉蔵のお墓参り。午後は親戚の見送り。その後は皆でマリアのお土産

      の買い物と食事

  三〇日 大掃除。餅つき。おせちの買い出し。

  大晦日 爺ちゃんの蕎麦打ち。おせち作り。 

  元 旦 『豊栄』。初詣。爺ちゃんのお茶会        

  二 日 婆ちゃんの香の会。百人一首。初売り

  三 日 マリアの仙台巡り

四 日 母さんと私とマリアで買い物    

五 日 マリアの帰国 


「大体、こんなところだろうな。それにしても買い物が多いな。きっちりと予定を組まれ

るとマリアの息が詰まってしまう。マリアの希望も聞かなくては」と海太郎。

マリアの希望は五つだった。買い物は含まれていなかった。

 

                                     17


  ①嘉蔵のお墓参り

  ②大震災の追悼

  ③四百年前の仙台と今

  ④日本のお正月                           

  ⑤海彦の学校訪問


 海彦は海太郎に呼ばれマリアの希望を知らされた。

「学校は冬休みで無理。四日は軽音楽部の音出しだから部長に頼めば何とかなる。仙台案

内は急がないと二九日からは何処も閉館。博物館もサンファン館も三日までクローズ。震

災の追悼は難しい。父さんも考えて」

「俺も難しいと思っていた。色々と調べてくれないか。明日の夜はマリアの歓迎会。親戚                                   

が集まる。朝から海彦が仙台を案内して夕方までに戻ってくれ。頼むぞ」

「あれっ。私との買い物は無しなんだ」と彩は不服そう。

          

 友好協会のウェルカムパーティが始まった。

「わたしはマリア・ロドリゲス・ハポンです。来年の四月には十八歳になります。コリア

・デル・リオに住んでいます。一〇歳の時から日本に憧れました。嘉蔵は四百年前にどん

な処で暮らしていたのだろう。仙台はどんな街なんだろう。男伊達とはどんなサムライな

んだろう。想いは募るばかりでした。わたしは友好協会にお手紙を書きました。会長さん

の伊達さんから返信が届き、わたしを仙台に招いてくれると書かれていました。それから

は夢見心地の毎日。今、わたしが此処に立っているのは夢ではないかと、つい思ってしま

います。わたしの街で嘉蔵は尊敬されています。わたしはハポンに矜りを持っています。

それは嘉蔵への尊敬と繋がっています。コリア・デル・リオを通る用水路は『ヨシゾウホ

リ』と呼ばれています。『タンボ』『ナエドコ』『タウエ』『クサトリ』『イネカリ』『

ボウガケ』はスペイン語です。私はこれから一〇日の間、瀧上海太郎さんのお宅にホーム

ステイさせて頂きます。わたしの夢を叶えてくれた皆さんに感謝します」

 海太郎も海之進も志乃も静も出そうになる言葉を呑み込んだ。

 何と云う挨拶なんだ。これが十七歳の娘の挨拶なのか。

 マリアが瀧上家のテーブルに戻って来た。テーブルには御馳走が処狭しと並んでいる。


                 18

「マリア。立派な挨拶じゃった」と海之進が言った。

 同席している瀧上家を代弁している響きだった

「ありがとうございます。実は飛行機の中で考えて何度も書き直しました。わたしはコリ

ア・デル・リオのハポンの代表でもあるし嘉蔵の名前を汚してはいけないと」

 瀧上家の四人は『ヨシゾウホリ』を初めて知った。『タンボ』『ナエドコ』『タウエ』

『クサトリ』『イネカリ』『ボウガケ』がスペイン語に定着しているのも初耳だった。

 四人はマリアを囲んで、嘉蔵の遠い昔を、それぞれが想った。


 朝食を一緒に食べ、家族と焙じ茶を飲み、ワイドショーを観ているうちに海彦はマリア

に慣れた。美人で可愛らしくても慣れると、どぎまぎ、しなくなった。

 これは海彦にとっての大発見だった。普通にマリアと話せるようになった。なのにマリ

アは海彦と眼を合わさない。テレビを観ながら彩とばかり喋っている。

 海彦が話しかけてもそっけない返事。

「マリア。出発は八時四五分でどう…」

「…」

 マリアは海彦を見ずに無言。明らかに話しかけられるのを嫌がっている。海彦にはそう

思えた。時間が過ぎてもマリアは彩の部屋から出て来ない。

 彩の部屋に入る訳にはゆかない。海彦は靴を履いたまま玄関でじりじり。

 九時近くなってマリアが現れた。気を取り直して海彦はマリアと家を出た。

 青葉城跡地の伊達政宗の騎馬像に向かった。家から歩いて一〇分もかからない。並んで

歩いていてもマリアは海彦から遅れ離れてゆく。その度に海彦は振り返りマリアを待った。

 マリアは白のダウンのポケットに両手を入れて、下を向き、トボトボと歩いていた。

 海彦は女の娘の突然の不機嫌を彩で嫌と云うほど経験していた。その不機嫌が原因が分

からぬまま瞬時に治るのも知っていた。不機嫌が終日続くこともあった。こうなると家族

の誰もが彩に近づかない。志乃でさえも。

 しかしマリアは彩ではない。虚ろなままのマリアを放って置けない。

「どうしたんだ。マリア。体調が悪いのか…」

「別に」

 マリアは家に居た時からからこんな調子。

「政宗の次は支倉常長の処に行こうと思っている。その後は石巻のサンファン館。石巻は


                                     19

少し離れているから急ごう。一五時には戻らなければならないんだ。今夜はマリアの歓迎

会。遠くからも親戚が集まる。母さんと婆ちゃんの手伝いがあるんだ」

 マリアは「母さんと婆ちゃんの手伝い」に反応した。

「ちゃんと歩く」

 間もなく騎馬像に着いた。

「これが独眼竜と言われた政宗。ずいぶんと勇ましい。怖いくらい」

 仙台には支倉像が三体も在った。向かった先は青葉城二の丸跡の常長像。

「カルロス・デ・メサ公園の像と同じだね。支倉が右手に持っているのが政宗の書状」

 サンファン館は片道一時間半。晴天。風も穏やか。冬の仙台は晴れの日が多い。けれど

山から吹き下ろす風が強い。それが難点。今日は絶好の観光日和。

「わたし。いっぱい、たくさん、質問すると思う。うるさく思わないで」

「マリアの質問に上手く答えられるか、分からないけれど、頑張る」

「分からないことばかりなんだ」

「一日で仙台の昔と今を案内できないのでテーマを考えた。伊達男と男伊達の違い」

「凄く良い。海彦は倒置法を教えてくれた。意味が強まった男伊達は、伊達男と何が違う

のか確かめたかった。これが分かれば嘉蔵に近づける」

 海彦はようやく元に戻ったマリアに安堵した。そしてマリアの聡明に感心。                                

マリアはたくさん勉強して仙台に来ている。

 俺もぼんやりしていられない。

 俺の周囲に伊達男と男伊達の違いに関心を持つ女の娘は一人も居ない。

 みんな「キャーッ・うっそ~・マジ・やだ~・ヤバ~イ」と叫んで日々を過ごしている。

 マリアはJR石巻駅までの在来線の車中から流れてゆく景色を見つめていた。

「仙台は広い平野。家と家の間にも畑や田圃が造られている。畑や田圃は今はお休みなん

だね。コレア・デル・リオの田圃では今、小麦や大麦が育っている」

「これから冬。雪が降る。田畑は来年の春までお休み。仙台では二毛作は無理なんだ」

「そうか。寒いからだね。あの~。海彦の家は変わっている。仙台に着いてから海彦の家

のような家をまだ見ていない。壁が白くて屋根が瓦の長い塀に囲まれている。塀の土台は

石が組まれ頑丈な造り。家の正面には大きな門。勝手口とお婆さんが呼んでいた玄関は裏

側にも在る。玄関が二つもある。庭が広い。松が植えられ大きな石が置かれている。手入

れが行き届いていて時々コ~ンと音がする。二棟の家が建っている。お爺さんから普段は


                                     20

使っていない離れと教えてもらった。離れは納屋では無い。立派な建物。蔵もある。蔵は

塀の白と同じ。蔵の二階の小さな窓の下には『嘉』の文字とドラゴンのレリーフが描かれ

ている。それとトイレに入ると突然、蓋が開いた。これには思わずキャ~」

「武家屋敷の名残りなんだ。武家屋敷とは戦さを想定して造られている。塀は敵の侵入を

防ぐ備え。蔵には米を蓄えた。火を放たれても蔵は燃えない。離れは従者や応援に駆けつ

けてくれたサムライの居住地。嘉蔵が何時戻ってきても良いように出来る限り昔のままに

代々の家長が維持してきたんだ。龍は爺ちゃんの鏝絵」                            

「門と塀と蔵は嘉蔵の頃と同じなんだ」

「蔵は蔵之介が建てた。維持するには大変な苦労が伴う。残された者の決意と覚悟が門と

塀と蔵。それと離れ。俺は意地と思っている。それだけ嘉蔵が偉大だったんだ」

「嘉蔵は仙台でも偉大だったんだね」

「昨夜親父から聞いた。マリアが嘉蔵を尊敬しているひとつひとつを。それらがマリアの

矜りに繋がっていると。俺は嬉しかった。嘉蔵は何処に生きても皆の役に立つ仕事する。

やっぱ。偉大なんだと思った。でも俺は嘉蔵を尊敬できない」

「どうして。仙台に戻って来なかったから…」

「それが何時も心に引っ掛かってしまうんだ」

「嘉蔵がコリア・デル・リオに残らなかったら私は生を受けていない。此処に座って居な

い。こうして海彦とお話ししていない」

「その通りだけれど尊敬とは違う」

 この時マリアの表情が曇った。

家を出る前と出てからの虚ろな表情に戻っていた。

 海彦はマリアの変化に気づかなかった。


 月の浦のサンファン館の造りは見事。入り江からせり上がった海岸段丘に立つと係留さ                                     

れているサン・ファン・バティスタ号を一望できる。この入り江から出帆したのだとの確                                    

信の下に造られている。船は原寸大。今は船内の見学は禁止。代わりにミュージアムに船

内と乗組員の全貌が在った。四百年前のすべてが此処に在った。

 マリアは展示のひとつひとつに見入っている。展示と掲示されている記述のひとつも逃

すまいと。海彦はマリアから質問されるまで、話しかけたり、掲示への補足を止めた。集

中しているマリアの好きなようにが良と思った。マリアはガラスに額を接するようにして


                                     21

四百年前と嘉蔵を確かめているように思えた。

 一時間ほどでマリアは館内を進路指示に沿って廻り終えた。ボーッとしている。取り込

んだ様々な情報を整理できない時のボーッ。

「休憩しょう」

 海彦は二階の眺望が開けているラウンジにマリアを連れた。湾内には無数の牡蠣の養殖

筏が並び、対岸が明るく、くっきりと映る。夏の石巻湊の景色は何時も靄がかり。

 マリアはメロンソーダを頼んだ。海彦はいちごジュース。

「嘉蔵はこの船に乗って来たんだ。一年二ケ月をかけて。太平洋を渡ってからはチリの南

端を廻り込んで大西洋に出てからは北上。赤道を越えてスペインに着いたと思っていた。

違った。本当に命がけの航海。嵐の時は恐かったろうね。嵐に襲われない時は退屈だった

と思う。何をして退屈をまぎらわしていたんだろう」

「釣り。それと鍛錬。嘉蔵は藩の道場の師範だったから剣を磨いていたと思う。他には操

船技術の習得かな。これは推測だけど天体観察」

「嘉蔵は退屈していなかったんだ。どうしてチリの南端を廻らなかったんだろう…」

「嘉蔵は技術者で発明家でもあったから退屈しなかったと思う。まだパナマ運河は無かっ

た。チリの南端はホーン岬。南極からの季節風が吹きまくって帆船にとっては地獄岬だっ

た。海図も無い。今でも航海の難所。アカプルコからメキシコ湾まで山道の三〇〇キロを

歩いて別の船でスペインに向かうのが最も安全。カリブ海を抜けてメキシコ湾海流に乗る

とやがて大陸が見えてくる。距離も近い」

「海彦。見て。ソーダ水の中を白い船が通る」

「ほんとだ。貨物船ではないけれどフェリーが走っている」

ソーダ水に顔を近づけた海彦にマリアが呟いた。

「海彦。昨日駅から家に戻る時にわたしを避けたでしょう。わたしと眼を合わせずに逸ら

していた。わたしは海彦から手紙をもらった時から、海彦はどんな高校生なんだろう。ど

んな日本人なんだろう。どんな伊達男なんだろうと想いを巡らせていたんだ。わたしは海

彦に逢えるのをイチバン楽しみにしていたんだ。それなのに態度がよそよそしい」

 マリアはテーブルに頬杖ついて遠くのフェリーをぼんやりと見ている。

 眸から涙が零れ落ちていた。

「わたし。海彦とちゃんとお話しできるか不安だった。中学からカトリックの女子校。学

校に男性は神父さんだけ。日本語学校には同じ年頃の男の子が居るけれど話したことない。


                                     22

仙台駅に近づくにつれてわたしのドキドキは最高潮。ヨ~シと頬っぺたを叩いて気合を入

れた。そうしたら海彦はわたしを避けていた。わたしは嫌われている」

「俺。ドギマギしちゃって。顔が紅くなってしまった」

「わたし。男の子から手紙をもらったのは初めてなんだ。わたしは家族との写真を送った。

海彦からは写真が送られて来なかった。それからなんだ。わたしが行くのは迷惑なのかも

知れないと…。でも違う。手紙には大歓迎と書かれている。けれど本当かは分からない」

「俺も女の娘に手紙をかいたのは初めてさ。彩からマリアから写真が届いたのに家族写真

を送らなくていいのと言われていたんだ。だけど照れくさくて…」

「わたし。分からないから海彦を想い続けた。想っていれば何か分かるかも知れないから。

わたし。神さまにお願いしたんだ。優しくてシャイな海彦で在りますようにって。初対面

では海彦は優しそうに写った。願いはひとつ叶った。でも。わたし。海彦に嫌われちゃっ

た。神さまは頼りにならない」

「…」

「海彦は嘉蔵が戻らなかった訳を尋ねてきた。わたしはコリア・デル・リオに来ないと分

からないと返事を書いた。それは本当の処が分からなかったから。海彦が何時かコリア・

デル・リオに来た時までには分かるようにしておくとの意味だったの。上手く書けなかっ

た。生意気だったかも知れない。海彦に生意気だと思われてしまった。だから無視された。

嫌われてしまった。わたし。帰る」 

マリアが席を立った。階段を足早に降りた。 

たたみかけるマリアの涙声に、うろたえ、言葉を喪っていた海彦は、「帰る」で、我に

返った。会計を済ませ海彦は階段を駆け降りた。

…帰るって何処に帰るつもりなんだ。スペインに。まさか。マリアはスペインから俺を頼

って独りで来たんだ。なのに俺は馬鹿っぽい未熟をさらけ出してたんだ。間抜けだ… 

 外に出た。マリアが見当たらない。海彦はバス停まで走った。人通りは疎ら。マリアの

姿は何処にも無かった。客待ちのタクシーの運転手に尋ねると「外国人の娘さんはタクシ

ーに乗った。走って来て急いでいる様子だった。それに泣いているようだった。兄ちゃん。

喧嘩したのかい」。家に戻らなければスペインには帰れない。パスポートは肌身離さず持

っていたとしても荷物や航空券は家。それらを置いてマリアは帰れない。

 海彦は尋ねた運転手の車に乗り『JR石巻駅』を告げた。

 マリアを一人で家に帰してはいけないんだ。家族に異変を感じ取られてしまう。日本に


                                     23

居る間はマリアに幸せな時間を過ごしてもらわなければ仙台に来た意味がなくなる。俺が

台無しにする訳にはゆかない。それに俺の想いも伝えていない。

 JR石巻駅構内にもマリアの姿は無かった。

 仙台行きの電車までは四〇分。駅前には『docomo』が在った。

 あてもなく走り回っていてもマリアを見つけ出せない。マリアは仙台行きの電車に必ず

乗る。駅前からは仙台行きのバスも走っている。ターミナルから出発するバスの行き先は

数ケ所。初めての地で仙台行きのバス乗り場を直ぐに探し出すのは無理。

 海彦は『docomo』に入った。

 近づいてきた女の店員に「はぐれてしまった外国人をGPSで探して欲しい」と頼んだ。

「分かりました。その方の氏名と電話番号。貴方の氏名と電話番号を御記入願います」

 店員が業務用パソコンに向かい操作している。

 海彦はヤキモキしながらも祈っていた。

…見つけてくれ…

 間もなく店員はプリンターを動かした。

「見つかりました」

 店員はプリントされた用紙を海彦に差し出した。

「誤差は通常五〇メートル以内なのですが近くに居りますので誤差はほとんどありません。

お探しの方は此処です。『紅屋』と言うお土産屋さんですね」

 店員が指で示した処には赤丸が記されていた。店員が立ち上がり入口のドアの向こうを

指さした。『紅屋』は駅前の広場に隣接する商店の一角に建っていた。

 無料だった。海彦は店員に礼を言い『docomo』から出た、良かった。見つけられ

無かったなら為す術がない。途方に暮れる。良かったけれどどうしよう。『紅屋』に入っ

てマリアの肩を叩こうか。それとも駅で待とうか。激したマリアが落ち着くまでには時間

が必要だ。女の娘とは男とは別の生き者なんだ。彩を見ているとよ~く分かる。落ち着く

と何ごとも無かったように復活する。

 海彦は駅で待つと決めた。

 仙台行きの電車まで後一〇分。

 海彦は腕時計と駅の壁時計を見比べた。

 ふたつの時刻に違いは無かった。

 あと一〇分でマリアが現れなかったら…。


                                     24

 海彦はその時からの先を考え始めた。

 マリアが石巻で失踪するとは思えない。けれど見喪ったのは俺の責任だ。何としてでも

見つけ出し一緒に戻らなければならない。見つけ出さないと、マリアは田舎の港町に、独

り、残される。幾ら聡明で賢いマリアでも心細い想いの中に佇む。『紅屋』に向かうのが

正解だったのかも知れない。そうすればヤキモキしなくとも済んだ。

 海彦は駅の出入口に立っていた。

『紅屋』を凝視していた。

 マリアの姿は無い。

「海彦。待った…」

 振り向くとマリアが土産袋を下げて立っていた。

「良かった。仙台に戻ろう」

 マリアは頷いた。少しも悪びれていなかった。

 海彦はマリアから差し出された支倉焼を食べた。一緒にひとつずつ食べた。

「美味しいね。お土産屋さんに一〇ケ入りが売っていたんだ」

 海彦は「美味しい」と相槌。マリアは車中から復興を遂げた石巻の市街地を追っていた。

「帰る」と言ったマリアは「帰る」と言ったことを忘れているようだ。マリアは激したら

止まらなくなる。やはり日本人とは違う。日本人なら激したとしても感情を控え目に言い

表わす。「帰る」とは言わない。「帰る」と言ったとしても突然走り去らない。時々忘れ

てしまうけれどマリアはやはりスペイン人なのだ。

「わたし。海彦に叱られると思っていた。でも海彦は叱らない。どうして…」

「俺が悪いから」

「わたし。もう思い残すことはない。海彦と家族に会えた。友好協会の皆さんからもてな

しを受けた。政宗も見た。仙台の季節を感じた。街並みも眺められた。嘉蔵が乗った船と

四百年前をサンファン館で知った。だからもうイイと思った」

「マリア。もう帰ると言わないって約束してくれないか」

「約束できない」

「どうして」

「だって海彦次第だから」

「マリアを生意気だとも思っていない。マリアに慣れるまで時間がかかった。マリアは俺

の想像を超えてたんだ。生意気だと思って嫌っていたら一緒にサンファン館に来ない」


                                     25

「ほんと。わたし。海彦に嫌われていないの…」

 伏目の眸が開きマリアは海彦を見つめた。

「無視してゴメン」

 マリアの表情がようやく輝いた。

「わたし。神さまに謝らなくては。頼りにならないと言ってしまった。ゴメンナサイ。海

彦はシャイで優しい伊達男だった。日本とスペインの小旗も可愛かった。でも。わたし。

嘉蔵を尊敬できないと言い放つ海彦を好きになれない」

「…。マリア。仙台に戻ろう。伝えたいことが一杯あるんだ」

「うん。優しくしてくれてありがとう。海彦への質問がひとつあります」

「…」

「嘉蔵を偉大と思っている海彦は何故、尊敬できないのか。その理由を教えて欲しい」

「嘉蔵不帰還は謎のままだ。俺は謎を解き明かしたいと思っている。俺には戻らなかった

嘉蔵に人間的な欠陥が在ったのでは睨んでいる。俺は謎を解き明かしそれを証明しようと

考えている。幾ら隠居の身であったとしても、死を覚悟して旅立ったとしても、帰ろうと

すれば帰れた時に、家族を仙台に残して帰らなかった嘉蔵。これは異常だ」

「確かに普通ではないよね。普通ではない男伊達が八名も居た。海彦の仮説では、残った

嘉蔵以外の七名も、みんな、人間的な欠陥が在ったことになる」

「俺の言い方ではそうなってしまう。けれど人それぞれに異常な何かが在ったんだと思う。

俺は嘉蔵が戻って来なかった家族の想いや困難を知ってるから…」

「わたしも仙台に来てから嘉蔵不帰還の謎を考え始めた。わたしは爺ちゃんから、村の人

たちに…残って…と頼まれた。それで嘉蔵は帰らなかったと伝えられている。海彦は嘉蔵

の和歌を手紙に書いてくれた。爺ちゃんから語り聞かされた…残って…を思わせる内容だ

った。何処にも嘉蔵の人間性の欠陥を思わせる行は無い。わたしは嘉蔵に普通ではない重

要な何かが起こったと考えているんだ。八名にもそれぞれ普通ではない何かが…」

「普通ではない重要な何かかぁ…」


 マリアは仙台歴史博物館で支倉常長を描いた絵を観た。

アカプルコに着き、イスパニア総督に表敬訪問する際の煌びやかな衣装の油絵。

支倉は家来にも同様の衣装を着せ街中を闊歩した。白の絹地の着物と羽織袴。これだけ

でも派手。羽織の袖と裾には幅のある紅色が彩どられている。羽織の背中は濃紺。裾から


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背中には黄色のギザギザが伸びていた。新選組の羽織の背中のギザギザに似ている。逆だ。

常長の羽織のデザインを新選組が真似たのだ。紅色が太陽。濃紺は闇。ギザギザは闇に喰

い込む陽の光。着物には胸元から下に続く刺繍。竹の葉。鹿。猪。それらの色に合わせた

脇差が二本。丁髷と草履のサムライの衣装としては奇異ではあるが派手と云うより絢爛豪

華が妥当。何れにせよ伊達男の面目躍如。                                                  

「この絵が伊達男のルーツ。わたしには珍妙に見えるけれどスペイン人は随分と驚いたと

思う。スペインには絹が無かった。シルクロードで僅かに運ばれていた時代に色鮮やかな

絹の着物の立派な正装には仰天したと思う。この絵は伊達男の語源のひとつですか…」

「スペインでの衣装は語源ではないけれど伊達藩のサムライの行動様式のひとつ。それが

語源。スペインでも日本と同じ様に振る舞っていたのが伊達男たちの凄い処だ」

 マリアの質問が始まった。

「仙台で建造された船なのにスペイン語の名前が付けられている。どうしてなんだろう」

「俺も不思議なんだ。政宗号とか伊達丸が筋だ。当時の日本にはガレリン船の造船技術が

なかった。それにこれだけの船を四五日で完成させるのは無理。宣教師ソテロを始めとし

たスペイン人の力が必要だった。スペインまでの航海にもスペイン人の船乗りの助けが欠

かせなかった。日本人はスペインまでの海路が分からなかったんだ。それと通商を可能に

するにはフィリッペ三世からのお墨付きが要る。国王への敬意を船名で表したのでは…。

おそらくソテロからの進言を政宗は受け入れた」

「海彦。サン・ファン・バティスタは洗礼者の聖ヨハネなんだよ」

「えっ。知らなかった。これは自慢できる」

「政宗はどうしてスペインとの貿易の独占を望んだのだろう…」

「政宗は戦国の武将。強い者に付いても何時か支配の頂点に立つ野心があった」

「政宗は怖い」

「家康が戦国を終わらせた。これからは武力の時代ではない。富の力が世の中を席捲する

と政宗は考えた。富を生むのは米と銭。徳川を凌ぐ富を手に入れたら世の中が変わると」

「政宗の野心で嘉蔵はスペインに来たんだ」

「そうだよ」

「海彦は伊達男の意味を三つ教えてくれた。ひとつは勇敢に戦う伊達藩のサムライ。政宗

の像にそれが在った。支倉はひときわ目立つ衣装。これは洒落者。ふたつは分かった。侠

気とは弱い者を助ける。そうだよね」


                                     27

「うん」

「侠気には他に頼まれたら断らないと言う意味はないの」

「ある。あるよ」

「これで分かった。伊達男とは、支倉のように舞台衣装のような目立つ格好で現れ、周囲

を驚かせ、楽しませる。そして勇敢に戦う。嘉蔵は侠気の男伊達なんだ」

「マリア。よく辿り着いたね」

「海彦のオカゲ」

「政宗は奥州には我ありと全国に知らしめたんだ。天下統一に向けた野心が、そうさせた。

とにかくイヴェントやセレモニーで家来に派手な誰もまとったこのない豪華な衣装を着せ

た。自分もそうした。伊達藩のサムライは強いと思われていたから、それと重なって旗本

や江戸詰めのサムライ、町人にも、強くて格好良いのが、伊達男と呼ばれたんだ」

「それで伊達男が日本語として今に残ったんだ。日本語は難しい。言葉に歴史がある。ひ

とつの言葉に三つも意味がある。それに単語を置き換えると意味が変わる」

「言葉は慣れ。慣れながら疑問を解いてゆく。その繰り返しさ。俺はスペイン語をまった

く使えない。スペイン語を懸命に勉強してもマリアの日本語には遠く及ばない」


 海彦は急いで家に戻った。祝宴準備は大変。彩は志乃と静の料理を手伝っている。彩も

気合が入っていた。気合が入るとすべてを仕切ろうとする。それが海彦への命令になる。

「お膳と食器と座布団を蔵から出して。落として割らないように。それから寝具一式も。

寝具は仏間に置いて蒲団袋から出すのよ」

 海彦は…今日だけは…と言い聞かせて我慢した。

 盆・正月・法事には本家に人が集まる。その時の人数の多さと、志乃と静の奮闘ぶりは

何時ものこと。三の膳まで整えなければならない。食器も沢山。大皿から中皿、小皿。小

鉢や碗、刺身用の舟などなど。漆塗りの箸と根付を思わせる箸置きまで。

 ビール・日本酒・ジュース・茶・水は特大の保冷庫に必要分を入れて置く。

蔵から出した食器を丁寧に洗い、布巾を何枚も使って綺麗に拭く。これらが海彦の役目。

 もてなしの茶を入れ、盆で運ぶのは彩。茶器も蔵に在った。

 瀧上家では仕出しを頼まない。志乃と静が前日から腕によりをかける。普段は使わない

調理場と竈は離れにあった。茶碗蒸しひとつ取っても人数分よりも多く作り、不意の来客

に備える。今夜は赤飯だった。竈の巨釜に載せた蒸籠から湯気が昇っていた。煮炊きはプ


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ロパンガス。コンロが三つ。鍋も大きい。豚肉入りの芋煮。味つけは仙台味噌。焼き魚は

炭を熾してバーべキューコンロで外。

 今夜は鯛。三匹を魚屋が昼に届けてくれた。二匹が御頭付き舟盛りの刺身。舟も蔵に。

 刺身は静。鯛を三枚に下ろし、アラと皮付きの身を取り分け、鉄串に身を差し、持ち上

げ、皮に熱湯をかける。皮は縮む。柔らかくなる。同時に皮の臭みを消した。

「これが湯引き」と彩に要領を教えている。湯引きされた皮と身を丁寧に切り、舟に盛り

付けてゆく。ふたつの舟には大根の妻の上に大葉が敷かれていた。。

静はアラを捨てない。昨夜からの昆布の出し汁でお澄ましを作る。この三つ葉入りのお

澄ましは絶品だった。静の自慢料理のひとつ。残りの一匹は海之進が鉄串を差し込み焼く。

「盆と正月が一緒に来た」と静が言った。

 

 鯛三匹は海彦にとって初めてだった。本当に今日は我家にとって晴れの日なんだ。

 瀧上家の離れの風呂は大きい。大人二人が手足を伸ばして湯舟に浸かれる。竈も風呂も

薪。一昨日の午前中に海彦は、海之進と、これでもかと云う量の薪を割った。

 離れの風呂洗いと焚きは海彦の係り。彩は宴の給仕を受け持つ。瀧上家は人を頼まない。

 海彦は蔵出しの手伝いをマリアに頼んだ。マリアは蔵の中を珍しそうにキョロキョロ。

海彦にはその仕草が可笑しかった。最後の蔵出しを終えて扉を閉めようと戻って来るとマ

リアが棚に置かれた、麻の白紐で結ばれた、家紋入りの黒漆の長箱を、見つめていた。

 瀧上家の紋は円く描かれた仙台笹の中に一羽の隼。金箔の細工であった。

「これはナニ。とても大切な箱に見える」

「家系図が入っているんだ」

「家系図って先祖を辿っていけるんでしょう」

「そうだよ」

「わたしの家には無い」

 海彦は白紐を解き箱を開いた。箱の中には黒檀で造られた文鎮が納められていた。

「ちょっと待って。軍手を持ってくる」

 海彦は文鎮を家系図の始まりの右に置いた。

「ここが嘉蔵。代々、繋がっているのが分かるだろう」

「質問。どうして嘉蔵から始まっているの。それと海彦の名前が無いのはどうして」

「爺ちゃんも父さんも記されていないだろう」


                                  29

「そうだね」

「家系図には天命を遂げてから名前を書き入れるんだ。だからまだ名が無い。我家にはふ

たつの家系図がある。嘉蔵以前と以後。これは以後の方。以前のは探さなければならない。

嘉蔵が戻って来なかった哀しみと一族の苦難がふたつになった。哀しみと苦難はあったけ

れど、我家が今、在るのは嘉蔵からだと、みんな、想っているんだ。俺もそう」

「わたしのお父さんが日本に行って帰って来ない。連絡も取れない。そうなったら哀しい。

そして生きてゆくのが大変。嘉蔵が戻って来なかったから、一族は強く結びついて、力を

合わせ、未来を切り拓き、今が在る。間違っている…」

「間違っていない。俺は嘉蔵よりも蔵之介が偉いと思っている」

「嘉蔵は昔のわたしの村に実りをもたらした。そのお陰で、みんな、今も幸せに暮らして

いる。蔵之介の孫から『海』が付く名前が繋がっているのはどうして」

 マリアは家系図に記されている数々の『海』を指でなぞった。家系図に触れないように

ぞった。そして『海』を数えた。『海』は四七も在った。

「嘉蔵は海の向こうの遠い国で生きた。海を越えなければ嘉蔵の処には行けないから」

「海彦は今に生きていても四百年前の嘉蔵を想っている。私も嘉蔵を忘れなかったから伊

達さんに手紙を書いた。そして海彦から手紙が来た。伊達男を上手に説明してくれた。強

い矜りを表わす男伊達も教えてくれた。わたし。やっぱり普通ではない何かが嘉蔵を帰さ

なかったんだと思う」

「俺は残された蔵之介とそれからの代々を聞かされて育った。だから嘉蔵を偉大と思って

も何時しか尊敬できなくなった。マリアは違う。心の奥底から嘉蔵を尊敬している。俺に

違和感が在ったのは確か。蔵之介の不屈が無かったら今の俺も無い」

 マリアの顔が曇った。

「何度も嘉蔵を尊敬できないと言われると辛い。わたし。悲しい。帰りたくなる。海彦に

教えられるまで蔵之介を知らなかった。蔵之介の不屈を知りたい。滝上家のみんなは嘉蔵

の偉大と蔵之介の不屈を胸に刻んで生きてきたんだ。それが海彦の矜りなんだ」

「そうだと思う。嘉蔵不帰還の謎を解き明かしたいと思っているのは爺ちゃんも父さんも

同じだ。『これぞ誠の男伊達』と宣言した嘉蔵の胸の裡を俺は知りたい」

「嘉蔵を決定した普通ではない何かとは何だろうね」

マリアが言った「普通ではない何か」。

 海彦には今までこの着眼がなかった。


                                     30

「何が在ったのだろう…」

「海彦。やっぱり。スペインに来ないと駄目だね」

「そうかも知れない」

…そうだ。スペインに行こう…

 行ったなら閉塞している謎への手掛かりが掴めるかも。

 この時、海彦は、初めて、嘉蔵に、感謝した。

 マリアと出逢えたのは紛れもなく嘉蔵だった。

 スペインに行ったならマリアとまた逢える。


 酒田市からは海彦の叔父の海老蔵。北海道の伊達市は海之進の弟の海大。当別町は静の

弟。横浜からは志乃の兄。それと嫁いだ仙台の叔母の八重。近所からは町内会長。与一の

親族も東京からと仙台の二名が手土産を持って参じた。そして与一。

 本家の六人とマリアとで十七名が座敷に集まった。二〇畳の広さも少し狭く思えた。集

まった客人は口々に「嘉蔵の孫が帰って来た」と呟いた。全員が座敷に座った。

 海太郎が「マリア。皆さんへの挨拶をお願いしたい」。

「はい」。マリアは小さくも力強く応え、立ち上がった。

 上座の中央にマリア。向かって左に海太郎。右には海之進が紋付袴で座している。

「わたしはマリア・ロドリゲス・ハポンです。コリア・デル・リオに生まれ育ちました。

わたしは仙台に来るのが夢でした。夢が現実になって、嬉しくて、嬉しくて、大切なひと

つを忘れていました。嘉蔵は仙台に戻らなかった。戻らなかったから今の私が在ります。

残された家族は嘉蔵が戻らなかった後の毎日をどんな想いで過ごしていたのか…。わたし

は忘れてはいけない大切を忘れてしまっていました。仙台に招待されて、浮かれてしまい、

うっかりしていました。ごめんなさい。わたしも蔵之介の不屈を噛みしめ、嘉蔵不帰還の

謎を解き明かさないと、みんなと繋がれない。わたしはその大切を決して忘れることなく

四百年前の仙台と今を心に刻みたいと思います。今のわたしは喜びで張り裂けそうです。

こんなに沢山の嘉蔵の子孫であるハポンの方々に囲まれて幸せです」

 拍手は無かった。みんな下を向いている。万感の想いが涙となって滴り落ちていた。

 海太郎は、次に何かを言わなければ思いつつも、こみ上げていた。

「父さん。頼む」。海之進も同じだった。                                  

 海彦が末席で立ち上がった。


                                     31

「マリアも人が悪い。俺は十六代目としてこんな時には頑張らなければならない。久しぶ

りの叔父さんや叔母さん。与一さんたち。爺ちゃんも父さんも婆ちゃんも母さんもマリア

にやられてしまった。やられていないのは俺と彩だけだ。メソメソしても始まらない。早

く乾杯しないと婆ちゃんと母さんが昨日から心を込めて作った料理が冷めてしまう」

 ようやく一人、また一人と顔を上げた。眼が真っ赤。

「父さん。乾杯をお願いします」

「そうだな。今夜はお前がやれ」

 マリアは申し訳なさそうにモジモジ。海彦は膝元に置いた横断幕を取り出した。端を彩

に持たせ、もう片方を、自分で持ち、開いた。

「昨日はこれを持って迎えに行ったんだ。書いたのは婆ちゃん。俺が作ったのはこれ」

 海彦は、日の丸とスペイン国旗の小旗二本を掲げて、左右に振った。これで場が和んだ。

「マリア。これから宜しく。マリアと俺たちに乾杯」

『かんぱい』

 海太郎が「マリア。今の挨拶も飛行機の中で考えたのか」。「座ってから考えました」

とマリア。「今夜はマリアにやられて海彦に助けられた。お前たちの時代はもう直ぐそこ

だ。明日は嘉蔵の墓参りに行く」。

「はい」                                    


 嘉蔵の墓は本家の近くの寺に在った。

 嘉蔵と蔵之介に挟まれて与助と与作が眠る。瀧上与助と刻まれた墓は小ぶり。小ぶりと

云っても嘉蔵と蔵之介と比べてである。境内に建てられている他よりも遥かに立派で堂々

としていた。外柵が設けられ五輪塔も具えられていた。

 与一と親族は与助の墓の前に並んだ。

 蔵之介の隣にはひと際大きい大理石の墓標、『瀧上家代々之墓』が建つ。その裏側には

蔵之介長男の泰蔵からが刻まれていた。此処には本家を継いだ者しか入れない。

 海彦は水場を二往復して水桶を用意した。静と志乃が真新しい日本手拭を一本ずつ全員

に渡した。静がマリアに手渡す時に言った。

「日本では御先祖さまをこれで洗い清めるの」

 マリアは緊張している。静の動作をジーッと見つめている。それから静を真似た。

 清めが終わると志乃が花を添え、供え物を置いた。ローソクを立て、線香を焚いた。

 

                                   32

 海之進が読経を始めた。海太郎も続く。厳かな唱和が境内に響いた。

 マリアは皆に倣って合掌。

読経を終えた海太郎が嘉蔵の墓に一礼。袈裟を整え、振り返った。

「こんなに大勢が集まっての墓参りは初めてだ。墓参りに目出度いとは眠っている御先祖                                     

に申し訳ないが今日は許されると思う。私は『マリアが代わりに戻って来てくれた』と嘉

蔵に語りかけた。すると嘉蔵から『どうじゃ。よか娘子だろうて。これでワシも少しは安

心できる』と返ってきた。これで瀧上家は更に前を向いて進んでゆける。これが益々目出

度い。与一さんからもひと言お願いします」

 与一は与助の墓に深々と一礼。振り返って一礼。

「私の家は与助の代から本家と命運を共にしてきました。与助は嘉蔵と故里吾出瑠里緒に

残り散った。与作は蔵之介と船乗りになって励み財を成した。辛い時もあった。戊辰戦争

と太平洋戦争。このふたつの戦さに敗れ本家も分家も財のすべてを喪った。船が沈められ

残った船も取り上げられてしまった。それでも再起を遂げ今に至っている。瀧上一族の魂

は蔵之介から続く不屈。私はふっと想う。嘉蔵の孫が帰って来たと思うと同時にマリアは

与助の分身ではないかと。今日の墓参りは何時もと違った。隔絶された四百年が繋がった。

それが何よりも嬉しい。この気持ちは皆さんと同じと思う」   

 マリアが海太郎に「わたしもひと言喋って良いですか」と眼で訴えた。

「わたしは念願の嘉蔵のお墓参りを叶えました。わたしの裡でも四百年前と今がどんどん

縮まり繋がってゆきます。昨日海彦から嘉蔵と与助の家系図を見せてもらいました。わた

しの街のハポンの会に『私はヨスケの子孫』と言う方が居ります。わたしは帰ったら直ぐ

にその方に与助の墓参りと今の代は与一さんと伝えます」

 与一の眼が光った。驚きと喜びと涙が入り混じっていた。

 海彦は、興奮を抑えようにも抑えられず、抱き合っている与一の家の者たちを見つめた。

…与助もこれで浮かばれる。マリアは天使の使い人のようだ…

「私は故里吾出瑠里緒に行く。マリア。その時には宜しくお願いしたい」

 与一がマリアの両手を握りしめた。                                 

「ありがとう。来てくれて本当にありがとう」

 与一さんの家も与助不帰還の謎が今も続いている。俺は与助は嘉蔵に忠義を尽くして戻

らなかったとしか考えてこなかった。これで良いのだろうか。良いはずがない。与助は忠

義以外にも考えて決めたのに違いない。与助にも普通ではない何かが在ったのだ


                                     33

 瀧上家の大切な儀式が終わった。志乃が手際良く四つの墓の供え物を片付ける。   

 マリアは読経の間、海彦の傍から片時も離れなかった。戸惑いは明らか。帰りの道すが

ら「これが仏教のお墓参りなんだ」とマリア。

「キリスト教の墓参りはどんなの」

「こんな立派な墓石を建てない。どれも同じ大きさの十字架が墓標。神の前では平等だか

ら。亡くなった人はその下に眠る。昔は土葬。今は火葬してから大切に葬られる」

「日本でも昔は土葬。今は火葬。同じだ」

「お葬式の時には神父さんが来て、洗礼名を発声して、死者を追悼する。それから聖書の

一部を読み上げて、最後は安らかに眠るようにと祈りを込めてアーメン。胸のところで十

字を切る。それから参列者全員で讃美歌を唄う。墓参りには神父さんは来ない。お供え物

は置かない。線香は焚かない。みんなで合掌して讃美歌を唄う。墓標を洗い清めるのは日

本と同じ。お父さんとお爺さんのお経は讃美歌のようだった」

「父さんは爺ちゃんから経を習ったんだ」

「少しずつ違うけれど、亡くなった人を偲び、安らかには同じだね」

「同じだな」

「嘉蔵の墓には何が葬られているの…。わたしの処では土葬された嘉蔵が永遠の眠りに」

「マゲだと思う。ちょんまげのマゲ。サムライは戦さに出陣する時には家族にマゲを切っ

て残した。戦さで死ぬと亡骸は行方不明になる。それでマゲを切った」





— その 四 —


「追悼」                               



瀧上家の車庫には八人乗りのワゴンと軽が置かれている。家族全員で移動する時にはワ

ゴンが欠かせない。軽は彩が独占している。

 海太郎が運転して北海道の二人を仙台空港まで見送る。

 

                                     34

 海彦はマリアを誘った。マリアに見せたい景色が在った。

 仙台空港までは二〇キロ。仙台平野の一本道を西に走り、高台に出ると空港に着く。

 空港の傍に古い木造二階建ての民家がようやく建っていた。朽ち果てる寸前の佇まい。

一階の壁は喪失。窓が無い。柱だけが二階と屋根を支えていた。それも傾いている。建屋                                    

の横には小舟が一隻、置かれていた。意図して其処に置いたのではない。津波で海から流

され此処に辿り着いた小舟。仙台市も震災の遺物として撤去しない。


 高台の滑走路も津波を被った。空港までの道筋に在るコンビニの壁には津波に襲われた

時の水位を赤のテープで示していた。およそ二M。他の説明はない。マグニチュード九震

度七以上の揺れを体感し、それからの津波の恐怖を体験した者に説明は不要だった。一本

の赤のテープで充分だった。それで何もかもを追体験してしまう。

 この店の従業員と数名の客は屋根に上って一命を取り止めた。みんな梯子で上った。店

に梯子が在ったのは偶然。改装工事の長梯子を業者が置き忘れていた。もし梯子が無かっ

たらの想いが赤のテープに込められていた。

 マリアはいち早く赤のテープを発見。次に朽ちた家と小舟を凝視していた。

「津波は此処まで達したんだ。もの凄い」

「俺は、自然の猛威を、初めて体験した。恐ろしかった」

 

 海大が言った。

「マリア。昨夜は心を揺さぶられる挨拶だった。私も故里吾出瑠里緒に行きたくなった。

嘉蔵がどんな処で生きたのか。この眼に焼き付けたくなった。手紙を書くからね」

 静の弟も頷いた。

 三人は伊達市と当別町を見送った。 

 

 帰りの車中でマリアは想いに耽っていた。暫くしてから思い直したように言った。

「見送りは寂しい。わたしはすぐ涙が出てしまう」

 赤のテープのコンビニを過ぎるとマリアが「海彦の家は大丈夫だったの…」。

「被害を受けたけれど大本は無事だった。俺は十一歳で小五の時だった。もの凄い揺れだ

った。家中グチャグチャになったけれど誰も怪我しなかった。みんな無事だった」

「海彦。辛い思い出だと想う。でも様子を聞かせて下さい」


                                     35

「俺は学校に居た。六時間目の授業が終わろうとしていた。その時グラッときた。みんな

慌てて頭巾をかぶった。それから机の下に潜り込んだ。先生は教壇の下の隙間に隠れた。

頭巾は椅子の下と教壇の引き出しに常備されていたんだ。みんな避難訓練と同じ動作。本

震がきた。今までの揺れと違った。蛍光灯が落ちて割れた。窓ガラスも次々に割れて落ち                                 

て飛んだ。俺は震えて机の下にうずくまっていた。横揺れと縦揺れが交互に襲ってくる。

本震は一分間くらいだった。その一分が長かった。永遠に続くと思った。おっかなかった。

少しおさまっても余震が繰り返す。余震と言っても震度三とか四の揺れ。先生が『さっき

の大揺れが本震と思う。が、しかし稀に二波三波の後に本震がくることもある。もう少し

我慢しよう』と叫んだ。窓から吹き込んでくる風で寒かった。たくさんのカラスがギャア

ギャア啼いているのが不気味だった。ストーブは揺れで自動停止。一〇分ほどで先生が『

みんなケガはないか』。全員無傷。俺たちは避難訓練と先生の落ち着いた指示でパニック

にならなかった。『先生もこんな地震は初めてだ』と言いテレビをつけた。停電。避難所

に指定されている学校には自家発電装置が設けられている。間もなくテレビの画面が現れ

た。マグニチュード七.九。震度七。三陸沖が震源地。モニターには震源地が赤丸で示さ

れていた。テレビは『皆さん。落ち着いて行動して下さい』を連呼。『福島原発はすべて

緊急停止。異常はありません』。日本の地震研究も大したことはない。マグニチュードは

八.四に変更され、ズーッと後になってから九に訂正された。七.九と九とでは月とスッ

ポンほどの違いがある。九と始めから発表されていたら津波から逃げる人達の心構えが違

った。九は誰も聞いたことがない数値だった。七.九でもモノ凄い地震の規模。それでも

七は耳に馴染んでいた。九なら必死に逃げる。七.九ならヨッコイショと致し方なく避難

を始める。中には俺の処まで津波は来ないと勝手に思う人も出てくる。結果は逃げ遅れて

多くの人が亡くなった。九とは想定外の地震とみんな身構えたのに。テレビは嘘つきだ。

地震発生直後の原発の緊急停止の時には既に異常が発生していた。配管が破れたりケーブ

ルが切断されていた。それをテレビは伝えなかった。九の地震で何も異常が起こらないは

ずがない。常識で考えば分かる。九とは原発の耐震設計を超えている。それらをひた隠し

異常を伝え始めたのは津波で電気が止まり原子炉に注水できなくなってからだ。そして取

り返しのつかない爆発。一号機は津波から二十四時間後。三号機は一号機の二日後。二号

機も爆発。四号機も爆発したのに映像は非公開。四号機は定期点検で停まっていた。なの

に爆発した。東電は爆発してもメルトダウンの事実を隠していた。政府もテレビも同罪。

東電発表を鵜呑みにしての発表。みんな嘘つきだ」


                                     36  

 マリアは途中から眼を閉じて海彦を聴いていた。

 地震発生直後の様子を自分の中で再現しているようだった。。

「地震だけでも恐い。津波はもっと恐ろしい。海彦。無事で良かったね」

「家族の無事は良かった。でもそんなに喜べない。沢山の人が亡くなった」

「そうよね。スペインでは地震は滅多に起こらない。起こっても小さい。テレビの嘘はス

ペインでも時々あるんだ。それで社会問題になる」

「俺はテレビの嘘を許さない。テレビが大津波警報を報じた。先生が『震源地は陸から近

い。一〇〇キロくらいの沖だ。直ぐに津波がくる。大津波だ。何波にも分かれて来る。準

備しよう。外は寒いから着込めるだけ着ろ。先生は倉庫から全員分の毛布を持ってくる。

男子は手伝ってくれ。女子は此処で待機。直ぐに戻ってくるから心配しないように』。俺

たちは先生について走った。揺れで先生も俺たちも蛇行しながら走った。先生の判断は正

しかった。俺たちの教室は二階。毛布を全員に配り終え屋上に避難してから二〇分後に二

階は水没した。体育館に留まり屋上に上らなかった人達は、みんな、亡くなった」                                     


 中三の彩は自転車で学校からいち早く戻った。先生とクラスメイトの制止を振り切って

自転車を走らせた。中学から家まで三キロ。彩は俊足。足が強い。それが生きた。信号が

消えていた。車はクラクションを鳴らすも身動きできない。その間を彩は走り抜けた。余

震で自転車ごと上下左右に揺さぶられる。少し高台に建つ家が彩の救いだった。

 彩は母さん一人が心配だった。婆ちゃんを母さん一人で守り切れない。婆ちゃんは達者

で元気だけれどイザと云う時には動きが遅い。避難所の海彦の小学校まで間に合わない。

間に合わなければ津波に呑まれる。母さんだけでは二人は家に取り残される。

 家に着くと彩はシンバリ棒で門を固く閉じた。蔵を開けると梯子が外れていた。彩はそ

れを直した。ガラスが割れた蔵の窓からは走って来た道が水につかりヒタヒタと押し寄せ

ているのが見えた。家も蔵の中も大散乱。塀の瓦は全滅。蔵も屋根瓦の大半が落ちていた。

何時落ちてくるか分からない。それでも彩は静を背負って蔵に走り、静を二階へと上げた。

 彩は蔵の扉を閉めた。津波は塀が守ってくれる。塀が壊れても蔵は流されない。イザと

なれば蔵の屋根に上る。三人は祈るような気持ちで毛布を被り外を見続けていた。

 津波には音がある。ゴゴ~ゴ~と鳴り止まない。そして真っ黒。

 津波の音を、彩は蔵の二階で聞いていた。

 彩は「津波は何時か必ず引く」と繰り返した。

 

                                     37

 水が引き始めた。塀の半分ほどで引き始めた。三台の車が塀に乗り上げていた。逆さま

になった車もあった。津波は引きも早い。引くと塀には津波の痕跡が残った。

 塀は津波から母屋と蔵と離れを守った。津波は塀を壊し乗り越えなかった。けれど門の

下の隙間から水が入り込んで庭に流れ込んだ。津波の音と流れ込む水が恐かった彩。 


 それから瀧上家では五〇袋の土嚢を物置に備えた。


「俺は暗くなっても学校に居た。みんな帰ろうにも帰れない。婆ちゃんの安否が気に懸か

った。寒かった。お腹が空いてきた。水も飲んでいなかった。母さんが迎えに来た。『み

んな無事。海彦も無事で良かった』。母さんは俺を抱きしめてくれた。俺はただ泣きじゃ

くるだけ。あんなに安心したことはなかった。福島の人たちには追い打ちがあった。原発

の爆発による放射能汚染。今も戻れない人たちが大勢いる」

 海彦は自分が子供なのが口惜しかった。逃げるのが精一杯。怖くて屋上で怯えていた。

津波が校舎の二階を呑み込むのを、震えながら、茫然とただ観ているだけだった。

 彩は違った。即断の勇気があった。

 マリアは溢れる涙を拭おうとせずに海彦を見つめていた。

 仙台市の死亡者は九三二名。行方不明者が二七名。行方不明者とは死体が発見されなか

った者を云う。与一の処も無事だった。海彦と彩のクラスメイトの多くは幾人もの家族を

喪っていた。逃げ遅れと体育館で亡くなった人が多かった。


嘉蔵も蔵之介も地震と大津波を体験していた。その教訓が塀と門の強固な造りにも現れ

ている。蔵を建てた蔵之介は大津波の教訓を基に土台を深く掘った。大津波にも流されぬ

ように土台を通常の三倍の九尺まで掘り下げ五本の柱を埋め込んだ。

 流されるようでは蔵を建てた意味がない。

嘉蔵による『慶長大津波惨禍』には蔵の屋根裏から屋根に上る階段が設けられていた。

そして瓦屋根の中腹には五〇センチ四方の取り外しが在った。

 嘉蔵はこの設計図を蔵之介に託した。                                  

 慶長十六年一〇月二八日(一六一一年十二月二日)巳刻(一〇時から十一時)に地震発

生。仙台での地震規模は震度四から五。死者行方不明者が多発する規模ではないが、四度

大きく揺れたと書かれている。それから三時間。八つ刻に第一波の大津波が湊から押し寄


                                     38

せた。高さは二〇M以上。場所によっては二五Mを超えた。それが四波。大津波発生の直

前には沖で地鳴り。一〇分間隔で四回。その後、湊の海水は底が見えるほど引いた。

 後年の調査と研究によれば震源地は千島・カムチャッカ海溝。マグニチュード八.九。

三陸沖大地震と変わらない。仙台での死者は一七八三人。伊達藩領内では五千人を越えた。

 嘉蔵は津波の規模と広がりを調べ、仙台での死者行方不明者を記録した。

 すべてが逃げ遅れだった。

 瀧上家は塀も門も母屋も流された。離れも流された。流されても全員無事だった。地鳴

りを聞いた嘉蔵は蔵之介に青葉城に身体ひとつでの避難を命じた。それで全員助かった。

瀧上家一族の他、与助と家族も皆、無事だった。城に逃げ込んだ者たちは全員無傷。


 海彦は蔵の中で『慶長大津波惨禍』をマリアに読み聞かせた。

「海彦。嘉蔵の時代にも大地震と大津波に襲われたんだ。わたし。チリ沖地震の大津波は

知っていた。それ以前の震災は知らなかった。仙台は度々震災に見舞われたんだ。何時の

時も死者の数が膨大過ぎる。でも、瀧上家の人たちは、今も昔も、みんな、無事だった」

「嘉蔵は慶長大津波以前の大震災も知っていたんだ。例えば平安時代の貞観地震と大津波。

その教訓が活きた。嘉蔵は再度の大震災を語り継ごうと『慶長大津波惨禍』を残した」

「これだけでも尊敬に値するね」

「…」


一等海上保安正の海太郎は操舵室で津波と向き合っていた。

仙台湾沖南東十五キロ付近で海上保安庁巡視船『ゆうぎり』に地震発生の報が入った。

「震源地は牡鹿半島の東南東百三〇キロ。マグニチュード七.九。陸上震度七」

 大地震の揺れも船上ではさほど感知しない。何時も揺れているからである。それでも海

には異変が起こっていた。縦波と横波が不規則に交差していた。引き波も発生。処々が渦

を巻いている。海鳥が群れをなして陸に向かっていた。                                    

 海太郎は報が入る前に地震発生を目撃していた。これは規模が大きい。

 地震発生直後に飛び立ったヘリコプターから無線が入った。

「津波第一波を確認。牡鹿半島の東南東約六〇キロ。西に向かって一直線。デカイ。一〇

M以上はあります。推定速度一〇〇キロ。『ゆうぎり』までは五分。乗り切って下さい」

 船長が「取り舵一杯。進路は真東。全速前進用意」。

 

                                     39

海太郎は「了解」。船を九〇度回転させ二分で安定させた。

 安定すると機関長に全速の四〇ノットを指示。

 一〇Mの津波でも波に直角に突っ込むなら船は持ち堪える。いち時波に呑まれても全速

で進むなら浮き上がれる。少しでも直角がズレると危ない。バランスを喪う。

 海太郎には直角のまま津波に突撃できる自信があった。    

 一五から二〇秒の勝負だ。先ずは第一波。次もある。次の方が大きい。

 波の巨大な隆起が向かってきた。壁が押し寄せてきた。海太郎は船の向きを確かめた。

操舵輪を握る手に力が入った。何が起きても、何があっても、操舵輪は離さない。

 これが俺の任務だ。舵さえ遣られなければ船を守り切れる。

 船長が「来るぞ。全員安全を確保」。「お~。ヨッシャー」との声が船内に響く。

 盛り上がった波の先端が白くはじけている。

 海太郎は葛飾北斎の『神奈川沖浪裏』を見た。船首が持ち上がり海太郎は操舵室から空

を見仰げた。叩きつけられる。船は急降下。空転するスクリュー音を聞いた。空転したス

クリューが海に叩かれると損傷の恐れがある。大丈夫。大丈夫。この船は巡視船だ。スク

リューは大波を想定して造られている。『ゆうぎり』の船首は海中に引き込まれた。操舵

室は海中に沈んだ。そして浮かんだ。海太郎の予測の通り二〇秒で勝負がついた。

 ヘリコプターからの無線。 

「津波を三波まで確認。規模は順に大きくなっています。二波との衝突は一〇分。三波は

一五分。波速は一波と同じ」

「こちら『ゆうぎり』。本船から二波三波の視認不能。引き続き連絡を頼む」と船長。

「了解」

 無線の音声は全船に流している。

 海太郎は第一波の時と同じく第二波第三波と乗り切った。

 潜水艦が浮上する時は船首を海面に突き出す。そして船首の底を海面に叩きつける。

 三波目に引き込まれた後に、船首が持ち上がり、船底の叩きつける衝撃音を聞き、浮か

び上ると全船員から拍手が湧き起った。

 あの三波が三陸沿岸を襲う。仙台は平ら。特に名取川流域は海抜が低い。何処までも波

が上って来る。一〇キロでは収まらない。石巻から北はリアス式海岸が続いている。チリ

沖地震よりも今回の波は大きい。とにかく逃げろ。高台に逃げてくれ。

 海太郎は祈った。家族を想った。海之進は東京に出張中。心配はいらない。三人で力を


                                     40

合わせて凌ぎ、乗り切る。志乃も彩も頼りになる。彩にはバネがある。身体に力がある。

危機が迫ったとしても静を背負って蔵に走る。大丈夫だ。海彦は学校に居る。校舎は四階

建てだ。屋上に登ればやり過ごせる。必ず乗り切る。俺が乗り切ったように。

 海太郎は原発を考えた。

「船長。原発の防波堤は七Mか九M。何れにせよ役に立たない。あっさりと乗り越える。

そして原発の建屋にぶつかった時には押し上げれ、跳ね上がって二〇M以上になる。原発

はやられる。誰も二〇Mの波になるとは思っていない。いち大事だ」

「俺も原発を考えていたところだ。通信士。津波の福島原発到達は推定二〇Mと送信」

 海太郎は船長試験を受けなかった。受験資格は一等海上保安正。受験資格は満たしてい

た。上司からも部下からも受験を勧められた。特に部下からの信認が厚かった。

「瀧さんの船に乗りたい」との声に、海太郎は「最善を尽くして船が沈むなら俺は仲間と

逃げる。だから船長にはなれない」。

 船長は船と命運を共にする。

 これは船乗りのコモンセンス。

 海太郎は海翔から蔵之介の教えを座右の銘に据えていた。

『決して海で死ぬな。生き恥を晒して生きろ』


 家に戻ると海彦は部屋に急いだ。

「父さん。ちょっと待っていて。パソコンを持ってくる」

 海太郎が向かった最初は石巻港。

「石巻の死者と行方不明者が被災地の中で最も多い。併せて四千人弱」とマリアに。

「海彦。月の浦は石巻だよね。月の浦にも津波の痕が無かった」

「港は復旧したんだ。月の浦は石巻から少し離れた入り江の途中に在る。それで津波の直

撃を免れた。それでも海面が隆起して船を係留していたロープが何本も切れたり海に持っ

ていかれたりしてサンファン号は流される寸前だった」

 海太郎は港の岸壁に車を停めた。三人は車から降りた。沖を見た。

 海太郎が言った。「いま大地震が起きて沖に山津波が見えたら車を捨てて走る。走って

高台に逃げる。車はダメだ。逃げようとする車で身動きが取れなくなる。とにかく走る」。

 三人の視線の左には牡鹿半島が陽光に照らし出され輝いていた。

 静かな海と港。車を停めている岸壁は津波にさらわれ跡かたも無くなった。

 

                       41

 マリアは遠くの沖が山となって盛り上がり、その頂きには崩れた白波が立っている恐怖

の情景を想い描いた。山津波はテレビで知っていた。

「車で逃げて渋滞に巻き込まれた人。足の遅いお年寄りは津波に巻き込まれてしまう」

 三人は沖に向かって合掌。マリアは何時までも合わせた手を離さなかった。  

「父さん。大槌町まで行って。町に入ったら俺が道案内する」

海彦はパソコンを立ち上げた。  

「父さんから調べろと言われて調べた。ユーチューブに大槌町の高台公園に逃げた人が撮

った動画がアップされていた。その公園に行きたいんだ

「その動画は襲ってくる津波が生々しく映っている。観ても大丈夫か」

 海太郎が助手席のマリアに言った。

「大丈夫です。私。ここまで来て逃げたくない」

「そうか。大槌では町長も亡くなった。大地震の後の被害を確かめに庁舎から外に出た。

そこを津波に襲われた。庁舎に居てもやられたんだ。三階建ての庁舎が丸ごと津波に呑込

まれた。職員の三分の一が亡くなった。外で活動していて逃げた人が助かった」

 海彦が後部座席から身を乗り出して開いたパソコン画面をマリアに示した。

 画面には震災モニュメントとして現存している大槌町役場旧庁舎が映し出されていた。

「大槌町の被害は他よりも甚大だった。三〇〇〇戸の住宅が一瞬で壊滅」

 海彦は昨夜調べたデータのプリントをマリアと海太郎に渡した。


 ■全国の東日本大震災死亡者  一五八九四人…大多数が津波による死亡者 

■震災関連死との合算     一九四一八人…関連死とは主に行方不明者。死体が発

見されず生存を確認できない人が該当

 ■宮城県の死者(関連死を含む) 九五四一人…全体の約半分

■大槌町の死者行方不明者は一二七七人。二〇一〇年の人口は一五二七六人。人口千人

  に対する死亡者は八三人。これは全国で最も高い人口比割合                               

 

 海彦はグーグルマップをなぞり、景観と道路を確認して海太郎を高台公園に誘導した。

 車が停まった。三人は車から降りた。

「小さな街。平地には道路だけが繋がっている。これが津波の痕」

 港も復旧されていた。大型のクレーンが一本、空に突き出している。


                       42                                    

「港から左に延びている平地は扇状地。入り江の窪みが深い。この平らに家が建っていた

んだ。平らには津波が押し寄せ覆い尽くしたんだね。みんな死んじゃう」

 海太郎が「大槌町の地形はリアス式海岸の典型。良港なんだ。古くから漁業が盛んな町。

津波には弱い。大地震の度に立ち直れないほどの被害を受けている」。

 海彦はマリアの様子を窺いつつ海太郎の後に続けた。

「平地の奥は入り江の先端の半分の幅。入り江に高さ一〇Mの海水が押し寄せると奥では

高さが倍になる。盛り上がる津波は勢いも増す。崖に乗り上げた高さは三〇Mだった」 

「エネルギーが無くなるまで暴れる。津波の恐ろしさは言葉にできない」

「マリア。車の中で動画を観よう」                                                                   

海彦は大槌町の動画を映し出した。マリアと海太郎は三分の動画を見つめた。                                   

 マリアが車から降りた。

 動画の製作者は松の木立の下で撮っていた。マリアはその松に向かった。

 海太郎も海彦もマリアの後に続いた。

 マリアは沖の遠くを見つめ、眼線を港へ。それから跡形も無くなった市街地に移し、逃

げても逃げても追いかけて来る津波が流れた方向を見据えた。

「津波は山間が開けた扇状地の始まりまで押し寄せたと思う」

 マリアが合掌。海彦も海太郎も手を合わせた。

 春近しを思わせる暖かな陽光が三人を包んでいる。

 港の海が光に反射して輝いている。穏やかな港町だった。人の気配がなかった。

 海太郎が高速を走り浪江町に着いた。此処は福島県浜通り沿い。この隣町が双葉町。今

でも帰還困難地域。今では街の除染が終わっている。しかし野山の大半は手つかず。野山

の除染作業とは途方もない面積を強いる。完了するのは不可能に近い。

 人間は避難した。残された家畜は六年の間に野生化した。犬も猫も、豚も牛も。現在で

は猪が数を増やし人家をねぐらに活動している。対策が講じられ、一軒一軒をパイプと塀

で囲った。これは盗人からの防御でもあった。

 マリアは人家をパイプで囲み、人が出入りできない寂れた街並みを車中から見つめてい

た。信号機は点滅していない。商店はシャッターが下りている。街から電気が消えていた。

「ゴーストタウン。これが原発の末路なんだ」

「ここは放射能に酷く汚染されて数値もまだ高い。戻ろう」と海彦。

 海太郎は高速に引き返し車を北に走らせた。海彦は原発に襲いかかった津波が映る動画


                                     43

を開いた。原発建屋の上空まで立ち昇った波しぶきをマリアに見せた。                 

 一波だけではない。二波、三波と映っていた。

「この波で原発は電源を喪った。三つも動いていた発電所が電気を喪い冷却水を注入でき

なくなってメルトダウン。発電所なのに電気が無くなり爆発するなんて皮肉」

 マリアは車中から原発の方角を眺め呟いた。 


 この夜、瀧上家は秋保温泉に泊まった。        



             

 

            — その 五 —                 


               「瀧上家の正月」


 

 瀧上家の年末は正月に向けて忙しい。三〇日は大掃除の後に餅つき。志乃は前夜に二斗

の餅米を研ぎ、うるかしていた。毎年餅つきには与一の家の者も集まり一緒につく。今で

は離れの土間は餅つきの為に在った。

 海彦とマリアは離れの掃除。『ふぁふぁキャッチャー』で煤を払ってから掃除機。『ふ

ぁふぁ』はマリア。海彦が掃除機。使っていない部屋はさほど汚れていない。

 餅つきでは与一が大活躍。静と志乃が交代で合いの手。二斗の米をつくのは容易ではな

い。一〇臼以上つかなければならない。敗けじと海太郎も奮闘。その時は与一の妻が合い

の手を買って出た。海彦も海之進も汗だくで杵を打ちおろした。

 与一の三人の子供たちは走り回ってはつまみ食い。 

 マリアも餅をついた。ひと臼を懸命になってついた。汗を厭わないマリア。

 海彦も皆もマリアがピンク色に染まってゆく様に見入っていた。

 マリアは「よいしょ。よいしょ」と独りで掛け声。次第に周りも「よいしょ。よいしょ。

よいしょ」と声援。三人の子供たちは「マリア頑張れ」。合いの手の静が「あと五回」。

「あと三回」。「もう一回」。「もうひとつおまけ」。「はい。つきあがり」。

 

                                     44     

 海彦はタオルをマリアに差し出した。

「ひと臼つけるとは思わなかった。頑張ったね」

「少しきつかった。でも私は畑を手伝っているから力持ちなんだ」

 海之進が「マリアの力餅は旨いぞ」。

 子供たちがマリアの傍によって「力持ち。マリアは力餅」。

 それからマリアは、ついた餅を三方囲い板に置き、餅とり粉をまぶし、蕎麦打ちの麺棒

で伸ばす、のし餅作りの志乃を手伝い、静からはずんだ餅と鏡餅の作り方を教わった。

 マリアはつき上がった餅に小豆餡を詰めた大福を子供たちと頬張った。湯気が立ってい

るずんだ餅も子供たちと。子供たちはマリアから離れない。

「美味しい。嘉蔵はお餅を残さなかった。初めての食感」

 餅つきが終わり、後片付けを済ませると、静と志乃、彩はマリアを連れておせちの買い

出し。ショッピングモールではない。港近くの仙台朝市アメ横市場に行く。

海彦は四人の後についた。係りは運搬と家での収納。 彩はマリアにおせちを作るの習

わしを語っていた。買い出しを終えると女たち四人はショッピングモールに向かった。

 海彦と海太郎と海之進は留守番。四人はなかなか戻って来ない。三人は出前を頼んだ。          


 大晦日は海之進が蕎麦を打った。それをマリアが珍しそうに眺める。海之進が石臼曳き

のコツを何度も模範動作。瀧上家の伝統はツナギに自然薯を摺り下ろして加える。蕎麦粉

に対する水の割合は九対一。今日の海之進には気合いがあった。水加減もマリアに示した。

 打ち上げた蕎麦を大量の湯で茹で、水で〆る。それから笊に小分けして皆で試食。

 打ちたての蕎麦を茹でると香りが食欲をそそる。これは日本人ならでは。蕎麦を啜る前

に味が分かる。海彦が「旨い。爺ちゃんは何時も手際が良いなぁ」。

 マリアが「お蕎麦は嘉蔵が残してくれた。私の街にも昔からお蕎麦屋さんが在る。でも

ね。お蕎麦を自分の家で作るとは思わなかった。仙台に来てから何もかもが美味しい」。

「蕎麦打ちは爺ちゃんの得意技のひとつ。歳を重ねるほど美味しくなる。私は街の蕎麦屋

には入らない」と彩が言い、年越し蕎麦の由来をマリアに伝えている。

「毎年の大晦日は楽しみのひとつ。しかしながらマンネリでもあった。今年はマリアが来

てくれて力が入った。どうだ。旨いだろう」と海之進は満足気。

 蕎麦つゆは静の十八番おはこ。「醤油と味醂を合わせてつゆの土台を作る。一日寝

かせ、返して、もう一日寝かす」。ここがコツと静はマリアに言った。「寝かせると醤油


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の角が取れ味醂が馴染む。壺を変えるのが返し。醤油の風味とまろやかさが増す。鰹と鯖

節を大笊に山と削り、煮だして濾す。それで薄めてつゆが完成」。

 海之進と静が活気づくと瀧上家は盛り上がる。

            

 蕎麦の試食を終えると『豊栄』の稽古。瀧上家では、元旦の朝に、『豊栄』を奏で、彩

が舞う。今年はマリアと二人で舞う。

 彩は稽古で腰の構えの手本を示して教え込んだ。

「これさえ出来たら後は振りだけ。これが出来ないとすべてダメになるからね」

 海彦は篳篥と龍笛。笙は志乃。箏は静。海之進と海太郎は謡。海之進が杓子拍子。海太

郎が太鼓を受け持つ。先ずは音出し。そして音合わせ。調律は笙に合わせる

 マリアが反応した。今までにない反応だった。

「これが日本の古代の音なんだ。自然の音がする」

「和楽器は自然の音の再現を求めて作られている。少しずつ改良され平安の初めには今の

カタチになった」と静。静が瀧上合奏団のバンドマスターだった。

 バンマス曰く。

「笙は天を表わす。篳篥は人の声。龍笛は天と地の間を龍が飛び交う様。箏は人の心音。

太鼓は大地の音。杓子拍子は里のざわめき。巫女の舞を神さまに捧げるのが神楽」                                      

 マリアは瞑目して、それぞれの音出しと、合わせの音を、心に覚えさせている。

 彩が巫女姿で現れた。「マリアも着替えましょう。着替えないと稽古に気が入らない

から。腰が決まれば舞は難しくない。母さんが先生だよ」と座敷から連れ出した。

 

 除夜の鐘がなった。

 海彦は部屋に閉じ籠っていた。

 年内に曲を書き上げ、四日の軽音楽部の音出しに間に合わせたかった。

 詩は出来ていた。曲はもう少しのところまで来ていた。

 ギターを抱え、A♭から下げたり、上げたりして、サビを模索。なかなか決まらない。

 ドアにノック音。「海彦。入ってイイ」。マリアの声。

 マリアがドアを開いた。

「お邪魔します。あっ違った。おじゃま虫だった」

「マリア。おじゃま虫を何処で覚えたの。今は使われなくなった」


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「NHKの子供番組。BSで毎日放送している。そう。もう流行っていないんだ」

「海彦。どう似合う」

 マリアが、黒のコートの袖を握って、両腕を開き、クルッと回った。

膝上までの丈。ケープが大きくポンチョのよう。

「とても似合っている」

「コートはお婆さん。黒のハーフブーツはお母さん」と言い、指先を開き、手首を返した。

「このネールは彩からのプレゼント。右手は桜。左手はカーネーション」

「そうか。カーネーションはスペインのナショナルフラワーだ」

 マリアはコートを脱いだ。胸あてエプロン。白地にピンクのフリル。

「これはお母さんが作ってくれた。可愛いでしょう」

 エプロンの胸のポケットにはマリアの似顔絵が赤糸で縫い込まれ、お腹には志乃の似顔

絵が青糸で。裾の右には日の丸。左にスペイン国旗がミシンで描かれていた。

「母さんらしい手作り。とっても良い。マリアにぴったり。でも母さんはズルイ。こんな

に気持ちが込められたプレゼントは誰も贈れない」

 海彦はマリアへのプレゼントを考え始めた。

 マリアは部屋に置かれている楽器を指さして「触っても良いですか」。

「かまわないよ」

「ウッドベースを鳴らすのは初めて」と音を出した。

 海彦は口元をへの字に。首筋に力を入れ、首の両側に浮きでた筋を指で弾いた。

「ボッボボボボボボ~ン ボッボボボボボボボ~ン」

「おっかしい。それって『S0 WHAT』じゃない。海彦。上手」

 部屋にはアコーステックとエレキギター。エレクトリックピアノ。三角形のタンバリン

が置かれていた。それとハーモニカ。マリアはタンバリンを持って振り、最後にクルッと

回り、頭で「ジャ~ン」。それからハーモニカをブカブカと吹いた。

「B♭だね」

「マリアは楽器が好きなんだ」

「大好き。でも上手く弾けないんだ。楽器が得意な人がうらやましい。海彦の篳篥と龍笛

は素晴らしかった。わたし。和楽器が大好きになった」

「小っちゃい頃から婆ちゃんに習っていたんだ」

 マリアは海彦の机の上を覗いた。


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「ナニコレ。海彦が書いた曲なの」

 詩の初めには『Dm C B♭ Gm7』と記されていた。

「ダメ。ダメ。これはダメだって」

 海彦は両腕と胸で机の上を隠した。

「どうして」

「まだ出来ていないんだ。完成していないから恥ずかしいんだ」

「わたし。見ちゃった。『遠くへ連れてって』。見せてくれないと居間に戻ってみんなに

言う。『遠くへ連れてって』を知っている…?…と最初に彩に聞く」

「それは困る」

 海彦の曲を彩はさんざん貶した。彩にだけは見せまいと誓っていた。

 海彦は観念した。


…突然、ヘッドライトに照らされた君は 

 森の中で膝を抱えて 多分泣いていた

 遠くへ連れてって 

 ラジオから スローバラードが流れ 君は前を見つめていた

僕は話しかけたかったけれど 

 ポニーテールの白いリボンが 眩しくて 黙っていた

 君は自分が嫌いなんだろう 僕は汗をかいて 楽しく生きてる

 You will be so pretty

 You shall be sweet heart for me…


「良いじゃん。これが海彦のもの想いなんだね。とっても可愛い。『君は自分が嫌いなん

だろう』。ここが刺激的。海彦はコピーライトの才能があるね」

「でもこれでは多分『〇』をもらえないんだ」

 マリアはウッドベースの陰に隠れた。

「海彦。わたしを好きなんでしょう」  

「えっ。ナニ。それ。突然ナニ」

「仙台に来て今日で五日目。到着した日は無視されたけれどそれから海彦は優しかった。

わたしに良くしてくれた。それで分かったの。海彦はわたしを好きだって」


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「マリアが身近に居て、マリアと一緒に行動して、マリアと一杯お喋りして、好きになら

ない男子は居ない。でもマリアは時々俺を困らせる。『帰る』と言って姿を消したり、嘉

蔵を尊敬できない海彦はガッカリだと…」

「男の子もけっこう複雑なんだね。海彦はわたしが願いを込めて想っていた通り。嘉蔵と

云う壁が在っても、わたし、少しずつ好きになるかも知れない」

「えっ。ナニ。それ」

 マリアは下を向き、ウッドベースのネックに顔を隠して海彦の視線を避けていた。

「俺は間抜けなガキだ。マリアと釣り合いが取れない」                       

「釣り合いってナニ…」

「マリアに相応しくないってことさ」

「相応しいか、相応しくないかは誰が決めるの…。周囲の人…。それとも自分…」

「周囲であるような。自分でもあるよううな…」

 マリアは隠れていたウッドベースから姿を現わし海彦を見据えた。

「やっぱり海彦は変。それにハッキリしない。ハッキリしないのは嫌い」

 海彦はマリアの突然の告白にたじろいだ。

 自分でも何を言っているのか釈然としなかった。

 それもそのはず。

 心臓がバクバク鳴ってこめかみに響いていた。

「少しずつ好きになるかも知れない」

 これが海彦の脳髄を駈け回っていた。

 マリアが俺を好ましく想うとは青天の霹靂。

 間抜けで嘉蔵を尊敬していない俺の何処を好きなんだ。

…そうだ…

 これを聞かなければ俺はマリアの告白を受け止められない。

「俺はガキで間抜けで嘉蔵と対立している。こんな俺でもマリアを好きになれる。マリア

は俺の何処が気に入ったんだ。それが分かれば少しは自信が持てる」

「海彦。またおかしなことを言った。そんなこと女の娘に聞くなんて…。でも。わたし。

海彦が大切だから答えてあげる。それはね。ヒ…ミ…ツ」

 

 除夜の鐘が鳴り止んだ。


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