第8話 ~猫神神社と猫~
「わ、もう夕方じゃん。
ごめんヒカリ、ホント長い時間付き合わせちゃってたんだな」
「ん~ん、アキト君の方が全然マシ。
ニケさんに案内されてここに来た時の私は、選んだ頃にはもう夜になってた」
店から出たアキトとヒカリを迎える空は、すっかり赤らみ始めていた。
思った以上に時間をかけて装備品を選んでいたんだと、アキトもここで初めて知って驚いたものである。
謝るアキトだが、ヒカリは気にしていない笑顔で応じるまま、次の目的地へとアキトを案内していく。
今頃、ニケの居酒屋は開店して、接客の時間が始まっているのだろうか。
今日はもうニケさんの所には帰れないな、と思うと、アキトはちょっぴり寂しくなる。
「さっ、着いた着いた!
アキト君、ここが猫神神社だよ!」
やがて到着したの場所は、まさしく神社と呼ぶべき場所。
西洋風の街並みの中、境内の入り口に真っ赤な鳥居が鎮座する光景は、周囲から浮いた和風建築物として佇むニケの居酒屋に近いものがある。
鳥居をくぐって境内に至り、石灯籠を脇目に石畳を踏みしめて進めば、賽銭箱とがらんがらん鳴る鈴を構えた拝殿がすぐ見えた。
「神主さんは……あっ、いたいた」
探し物をするかのようにきょろきょろするヒカリだが、探し人はすぐに見つかったようだ。
ヒトではないのだが。境内の隅に、これまたブグネコに似たような風体の、灰色毛並みの二足歩行ネコがいる。
短足、短い腕、後ろ姿を見ただけで確信できる三頭身、ちんりくりん。
子供みたいな背丈で短い箒で境内を掃く、神主服を着た灰色ネコのぬいぐるみのような誰かさんは、ヒカリに気付くとこちらに向き直る。
「こんばんは、カンネコさん」
「はぁい、こんばんわぁ。
こんな時間にごきげんよう、ヒカリさん」
ヒカリが駆け寄って挨拶すると、二足歩行の灰色ネコぬいぐるみは、のんびりした口調と仕草で一礼した。
ぱっちりお目々で笑顔の明るいブグネコと違い、目尻が低くのほほんとした顔つきには、似たような風貌でも性格の違いが人相に出ていると感じられる。
「この世界に召喚されてきた人を連れてきましたよ。
さっそく、元の姿に戻してあげてくれませんか?」
「ふニャ?
そういう案内役はニケさんの仕事では……ま、いいですニャ。
ニケさんのことだし、きっと何らかの粋を計らったんでしょうニャ~」
魂状態のアキトを案内する役が、ニケじゃなくヒカリに代わっていることは、やはり通例とは違うことなのでここでも問われる。
こちらでは、あまり気にされないようだが。勝手に推察して納得してくれた。
「はじめましてですニャ~。
既にヒカリさんに名前を呼ばれておりますが、わたくし"カンネコ"と申しますニャ~。
ここ猫神神社の神主をやっとりますニャ~。今後ともよろしくですニャ~」
「あ、どうも、はじめまして。
日下明人って言います。姓が日下、名前が明人です」
「それでは、アキトさんと呼ばせて頂きますニャ~。
ご丁寧なご挨拶、恐れ入りますニャ~」
"神猫"と名乗ったちんちくりんのネコは、襟を整えて深々とお辞儀した。
アキトもなんとなく、魂の頭部分をぺこりと下げておく。
「ここに来られたということは、もうブグネコにお会いして、装備品をインデックスに登録して貰いましたニャ~?」
「はい」
「それでは、さっそくアキトさんの身体を、この世界に顕現させる儀式に移りたいと思いますニャ~。
ついてきて下さいニャ~」
てちてち歩くカンネコに、アキトとヒカリはついていく。
境内をゆったりとした足取りで進むカンネコさんは、二人をひときわ大きな建物の中に案内した。
ここが本殿ですニャ、というご案内を受け、ちょっとぞわぞわする不思議な感覚を覚えながら、アキトはヒカリと共に本殿の中へと入っていく。
「こちら猫神神社の祀る神にして、我ら"タマネコ族"の信奉する神、その名も"ライオス"様のご尊様ですニャ~。
ありがたや~、ありがたや~」
本堂には、大仏かと思うような大きな木像がずっしりと構えていた。
獅子の頭を持つ筋骨隆々の神様が、先端に鈴のついた錫杖を片手に地面へ突き刺して、鋭い眼差しで地平線の彼方を睨みつけるような姿を表した木像だ。
見上げるようなその巨大さもそうだが、威圧感のある表情と眼光は、ただの像とは思えない迫力を醸し出していて、アキトも呑まれそうな感覚を覚えている。
「ヒカリ、タマネコ族っていうのは?」
「この世界には、ブグネコさんやカンネコさんみたいな姿の人が結構いるよ。
その人達が"タマネコ族"で、みんな猫神ライオス様を信仰してるみたい」
「やっぱネコ族の人達が崇める神様っていうのは、猫科の王様ライオンって相場が決まってるのかな」
「う~ん、どうなんだろ。
でも、私も見ててなんか圧倒されちゃう迫力がある神様像だなって思うし、きっと凄い神様なんだよ」
ご本尊を前にしたカンネコが、まずはと肉球を擦り合わせ、跪いてお祈りする短時間がある。
アキトとヒカリはお祈りするカンネコを邪魔し過ぎないよう、ひそひそ会話で目の前の神像について語り合う。
猫神様の信者でも何でもない二人だが、それでもこの大きな大きなご本尊には、何らかの神秘性あるいは風格を感じずにはいられないようだ。
「猫神"ライオス"様は、イレットさんやニケさんと同じく、界の意志に仕える"エクリプスの使者"の一角に数えられる偉大な存在ですニャ~。
創造主エクリプスがこの世界を創るに際しても、大いなる助力をもたらしたと言われるお方ですニャ~。
今なお大いなる力で以って、この世界を支えられる猫神様と言い伝えられておりますニャ~」
「…………ん?
ちょっと待って下さい、猫神ライオス様って偉大な神様なんですよね?」
「勿論ですニャ~」
「その神様が、"エクリプスの使者"の一角?
ニケさんやイレットさんって、そんな神様と同列の存在なんですか?」
思わず気になって尋ねてみたアキトだが、聞いて初めて気付いたヒカリも、カンネコの返事に興味を抱く顔を見せる。
ヒカリも一週間前、カンネコから同じ説明を聞いたはずだが、彼女はそこまでは考え至らなかったようだ。
「ん~、私もそこまで考えたことはありませんでしたニャ~。
でも、この世界に召喚されてくる皆様を、いつも差し障ることなくご案内されてるお二人ですし、偉大なお方だとは私も思いますニャ~」
「もっと詳しく聞いてみたいですけど」
「私もあのお二人に関しては、存じ上げないことも多いですニャ~。
憶測でお話することも出来ますが、お二人の存じぬ場所での無責任な放言というのも、感心されることではないと思いますニャ~。
思い返せばミステリアスな一面もあるニケさんとイレットさんだとは私も感じますが、勝手な見解を私が述べるのはお控えさせて頂きたく存じますニャ~」
へらへらっとした口調と顔のカンネコだが、主張はしっかりしたものだ。
こう言われてしまうとアキトもそれ以上踏み込めず、好奇心を封じるしかない。
こんななりでも流石は神主、神職者である。
「まあまあ、さておきまして。
偉大なるライオス様のご神力をお借りして、これからアキトさんの魂をもとに、あなた本来の肉体を再現させて頂きますニャ~。
こちらに来て下さいニャ~」
話題が無くなれば本業だ。カンネコは、アキトをライオス本尊像の前へと手招きする。
圧倒感のある像の前にアキトが位置すれば、カンネコはアキトの浮遊地点周囲に、ぽいぽいっと光る石のようなものを五つばら撒く。
無作為に撒いているような仕草だが、それはアキトを囲うように、そしてそれらを線で結ぶと正五角形になる、均整の取れた位置取りに転がっている。
「アキトさん、そのまま動かないで下さいニャ~。
動くと失敗しちゃうかもしれませんニャ~」
「わ、わかりました」
懐から数珠を取り出したカンネコは、それを両手に挟んで、しゃりんしゃりん音を立てて擦り合わせる。
ただの数珠じゃなく、小さな鈴を繋げたような数珠だ。変わった音がする、そしてうるさい。
「我らが主神、ライオス大権現様~。
かの庭に招かれし客人様の、霊魂よりの顕現儀式ですニャ~。
何卒その力で以って、新たなる来訪者の姿をこの世界へと顕現させたまへ~」
厳かさに欠けるカンネコの祝詞といい、気の抜けるようなその語り口といい、儀式的な雰囲気にありがちな緊張感は薄い。
しかし、アキトの周りの床に正五角形に撒かれた石が光り始め、床の上で輝く線を結び、五芒星を床に描いた光景は、まさにこれから何かが起こることの示唆。
そうして描かれた魔法陣の中心で浮くアキトは、密かにぴくぴく震えている。
緊張するのだろう。こんな儀式の中心に立たせられる身というのも、初体験ならなかなか怖いものだ。
「いざ、顕現~!」
しゃんしゃり鈴を鳴らしながら祈祷していたカンネコが、その一言と共に鈴繋ぎの数珠を持つ両手を振り下ろした。
しゃらりん、と大きな音を立てた鈴に呼応するかのように、アキトの真下の魔法陣は急激に強い光を放つ。
五芒星の線が発する光は天井まで届く光の柱へと変わり、アキトの姿はその光の柱に包まれて、一度傍目のヒカリの目には見えなくなった。
やがて、消えていく光。
そこに魂状態だったアキトはいなくなり、代わってそこに現れたのが、彼本来の姿としてこの世界に顕現したアキトである。
さっき購入した装備品を身に纏い、地に足を着けて立つアキトは、自分の胸元と両手を見下ろし、こうなった自分を確かめるに至っている。
「すごいすごい!
似合ってるよ、アキト君!」
白銀の篭手を纏う両手、膝上までのズボンと腰の周りを守る蒼の草摺、鋼のブーツを履いた足。
袖のない黒いシャツで覆われた胸元やボディに防具は無いが、これは動きやすさを重視した軽装ゆえの結果。
腰元に下げたのは黒塗りの鞘からは、そこに収められた剣の真鍮色の柄が頭を出し、新品の剣らしく柄と鞘ともども輝かしい艶めきを放っている。
これが、アキトの選んだ武器と防具、その装備品の全容だ。
守備力に乏しそうな外見ながら、防具に邪魔されて動かしにくい箇所は無く、それだけ未装備と比べても動きやすさでそう変わるまい。
どうやら彼は、がちっと防具で身を固めるより、機動力のある装備品であることを重視したようだ。
「に、似合ってるのかな……?
なんかこう、いざ身に着けてみると、コスプレ感すごいんだけど……」
「あはは、そんなこと言ったら私だってそうじゃん。
若き剣士の冒険者って感じで、すっごくそれっぽいよ!」
「ふニャ~、なかなかヤングかつオリエンタルながら、ジャパニーズなお顔立ちと剥離されてない装備品ですニャ~。
最近の来訪者様方は、皆様いずれも秀逸なセンスで着飾られますニャ~」
「え、何ですか?
よくわかんないんですけど」
「要するに、とっても素敵でお似合いということですニャ~」
両手をわきわきしてみれば、篭手の関節部分が金属を擦り合わせる実感を手に感じ、足を上下させてみればブーツがかしゃかしゃと小気味よい音を立てる。
腰元の鞘に納められた剣の柄を、ぎゅっぎゅっと握ってみれば、いつでも武器を握って抜ける手応えもある。
本当に、創作物の主人公になれたような実感に、アキトは胸がわくわくするやら、そんな姿を見られて照れ臭いやら、複雑な表情で頬を緩ませている。
「この世界に顕現されたお身体と装備品、いかがですニャ?」
「な、なんか逆に違和感あるかも……異様なほど身に馴染みますもん。
金属ブーツも篭手もそうだけど、初めて身に付けるのに、こう……なんにも引っかからないですね」
篭手だの金属ブーツだの、生まれてこのかた一度も身に着けたことのないアキトのはず。
こんな重そうなブーツを履いて走れるだろうか? 走れる、と、アキトの中には得も言われぬ自信がある。
こんな関節部分がかしゃかしゃ言う篭手で、剣を握って振るえるだろうか? やれる、と、剣の柄を握ってみるアキトには妙な自信がある。
初めて装備するはずのこれらに、まるで長いこと使い慣れた靴と手袋みたいに、使い勝手がわかっている感覚が何故かあるのだ。
それは困る話ではないが、この装備品というものにいっそうの不思議さを感じざるを得ない。
「何よりですニャ~。
元々ご在住であった世界とは、きっと一風変わっているであろうこの世界、今後もご堪能下さいませニャ~」
初めて自分の足でこの世界に立つ感覚と、装備品がもたらす不思議な感覚に戸惑うアキトに、カンネコが示唆するのは怖がるべきことは無いということ。
ちっちゃな背丈でアキトを見上げ、肉球を擦り合わせて祈るような仕草をするカンネコは、口元に祝福と歓迎を表すかのような微笑みを孕んでいる。
ωの形の口なのに、笑顔の口元だとアキトに伝わるぐらいには、少ない顔のパーツながらカンネコの表情豊かなこと。
「へへ、はじめまして、かな? アキト君。
なんだか今度は、私が見上げる形になっちゃった」
「あはは……俺はそんなに大きい方じゃないんだけどな」
後ろで手を組み、少しだけ前かがみになって微笑みかけるヒカリと、アキトは初めて人の姿になってから向き合うことになった。
はじめまして、はある意味で確かだ。
ふよふよ漂う魂だけの姿だったアキトは、時によってヒカリを見上げたり、同じ目線の高さになったりで、ヒカリの人間像をちゃんと見ていなかったと言える。
前かがみをやめたヒカリと、真っ直ぐ立つ二人同士として向き合って、自分よりもちょっと背の低い、女の子にしては背の高い方のヒカリだと初めて知るのだ。
ちょっとだけ俯瞰的な目線でヒカリの顔を見る中、アキトの目は膨らみのある胸元も視界内に入れてしまう。
いま改めて、こんなに可愛い女の子と、近くて向き合っていることを再認識すると、なんだかアキトもまた緊張しそうになる。
無邪気に微笑むヒカリの表情はまぶしくて、見つめていると気恥ずかしいような気さえしたアキトは、ちょっと顔を赤くして目を逸らす。
「……これからも、よろしく。
せっかく、出会えたんだし」
「あははっ、うんうん、嬉しい!
よろしくね、アキト君!」
ガイド役をニケに託されたヒカリと、今回限りの付き合いになってしまうなんて嫌だと、アキトは思わずよろしくの言葉を急いでいた。
拒絶されたらもっと嫌な中で、勇気を出してみてそう言ったアキトにとって、ヒカリの返事は最も嬉しいものだった。
いっそう明るく、本当に嬉しそうに笑ってくれるヒカリの表情と声。
アキトは胸の奥から込み上げてくる温かさに、同じく嬉しい笑顔を浮かべてヒカリの方を向くのだった。
思い切って握手でも求めてみようかと、アキトの手が少し出そうになって、だけど勇気が出せずに引っ込んだのはここだけの話。
相手が魅力的に感じれば感じるほど、親しくなろうと踏み込むことには、いっそう度胸が必要になってくるのである。
きっと、いい出会い。そんな予感を二人とも感じているであろうだけに、尚更だ。