第5話 ~本棚とグリモワール~
「さーて、そろそろ目的地に着く頃合いなのじゃが……
お、着いた着いた」
道中、何度かのホムンクルスとの遭遇、交戦とも呼べぬ瞬殺を繰り返し、アキトを引き連れ石造りの迷宮を進んできたニケ。
最初に出会った分かれ道を左に曲がり、そんな先に辿り着いたのは、一本道の通路続きだった迷宮で、初めて踏み込む小さな小部屋めいた場所だ。
テニスコートの半分ぐらいの広さ、小さな四角いその部屋は、殺風景のここまでと同じく色気のない一室である。
「さあさあアキトどの、こっちへおいで。
良いものがあるぞ」
ニケが向かっていくのは部屋の隅。
そこには石造りの台があり、その上には木製の、小さな小さな本棚がある。
ライトノベルサイズの本を十冊収めるのが限界そうな、本棚と呼べるのかさえ微妙なものだが、そこに一冊の本がちょこんと立てかけてあった。
これも本棚にぴったりのライトノベルサイズ、アキトの世界の言葉で言うならB6サイズと呼ばれる大きさだ。
「エクリプスの迷宮には、所々にこんな風に"本棚"がある。
そこにはこのように、"グリモワール"と呼ばれる本が置かれておる。
この世界の多くの者が、略して"グリモア"と呼ぶものじゃ」
(グリモワールって、つまり、魔法書的な?)
「ご明察。
これを入手することで、冒険者達は魔法を習得したり、このグリモアを使い捨ての形で魔法を発動させたり出来る。まあ便利なものじゃ。
エクリプスの迷宮に挑み、探索・冒険する者は数多いが、その目的の一つにグリモアの収集を含めておる者も数多い」
(魔法の習得が出来るって、俺でもってことですよね?
俺の過ごしてきた世界じゃ、魔法なんて無かったし、魔力の使い方なんて俺全然わかんないですよ?)
「勿論じゃ。
今はそなたもそのような姿じゃが、身体を得てエクリプスの迷宮に挑む機会を得たならば、グリモアを集めて魔法を習得していくことが可能じゃぞ」
確認するように問うアキトだが、思念の声は良い返事を期待していたのがわかるほど、なんだか嬉しそうなものだった。
元の世界では魔法なんて存在しなかった、習得できなかった。
そんな人だからこそ、魔法を習得できるとされるグリモワールという存在には、胸を躍らせるほど魅力的に感じ得る。
「エクリプスの迷宮を"ダンジョン"と例えるなら、本棚が"宝箱"で、グリモアがその"宝箱の中身"じゃな。
遠慮せずに持ってい帰っていいものじゃぞ。
どうせ日付が変わってからまたここに来たら、新しいグリモアが置かれておるからのう」
(え、そうなんですか?)
「ふしぎ、ふしぎ。
とにかく、ある。
日付変更ごとに神様が置いてくれておるものとでも考えておけ。
宝箱の場所さえ覚えておけば、日付が変わるたび何度来てもグリモアが獲得できるぞ。
迷宮探索する側からすれば良いことじゃな」
(ログインボーナス感覚で、場所のわかってる本棚の所に毎日来ていい的な?)
「本棚周回にすっかり慣れとる冒険者も多いな」
(ソシャゲ単語が通じてる)
「そなたの世界のことは存分に予習済じゃ。
わしに知らんことなんかあんまり無いぞ。自信あるぞ」
遠慮なく本棚に置かれていたグリモアを手に取ったニケは、自分の世界特有の文化の言葉を使ってみるアキトに、きっちり理解った返事をする。
ただ肯定するだけじゃなく、そこから連想される単語を使うのは、今後もそういう言葉の使い方をしてくれてもいいというアピールだ。
伊達にあらゆる世界から召喚されてくる者達を迎え入れ、毎度きっちり案内役を務めてきていない。
「さて、もう少し進んでいこうか。
魔物とも言えるホムンクルスが出現すること。
本棚とグリモアの存在。
この二つを説明しただけで、概ね目的は果たしたんじゃがな。
せっかくここまで来たし、あと一つぐらいは良い眺めを見せてやるとしよう」
そう言ってニケは、また改めて迷宮を歩き始めた。
今もやや早足のニケに、ちゃんと横並びになって浮き進むアキトは、ちらちら自分がついて来ているか確かめるニケの手間を省かせている。
積極的にアキトがそうすることで、振り返らずに済むニケの足運びは鈍らない。
自分も早く次の景色が見たいという、そんなアキトの気持ちがちゃんと、目的に適した行動に表れているのである。
気のはやるようなアキトの行動は、表情の現れない姿にありながら、目や口ほどに彼の心模様を物語るものだ。
楽しそうな若者の姿を描く魂の様相に、ニケはそれを我が事のように喜ぶ母のような、そんな眼を浮かべずにはいられなかった。
心躍る若者の姿ほど、見ていて元気になれるものはそう多くないのだから。
この石造りの迷宮は、しばしば直角の曲がり道はあれど、概ねは一本道の構造だ。
進めば分かれ道もあるにはある。それでも、三又に分かれるような岐路は無く、あって二又の分かれ道しかない単純構造である。
分かれ道に直面しても、ニケは一秒も迷わずに片方の道を選んで進む。
その際、あっちに行けばまた本棚があるが、それは自分の足で来た時の楽しみにな、などといった言葉も残し、折々でアキトとの会話も繋ぐ。
地図が頭に入っているのだろうとは、アキトにだって想像がつく。
それをアキトが尋ねて確認、ニケが肯定、何度も来てれば勝手に頭に入るぞと雑談口調で会話を伸ばすニケ。
アキトも随分あっさりと、ニケに気兼ねなく自分から話しかけやすくなったものだ。ニケは少なくともアキトにとって、親しみやすい人柄なのだろう。
ホムンクルスとの遭遇もしばしばあったが、もはや特筆すべきことは無いぐらい。
敵発見、来た来た、カウンターの煙管でばしーん。撃滅完了。その繰り返し。
途中、まめスライムやもこもこネズミとは違う、灰色毛の狼のような姿のホムンクルス、"ウルフ"に遭遇した時はアキトも目を惹かれた。
他の二種より足が速く、ニケへの接近速度が明確に上だったこともあり、自分のことじゃないにせよ少しどきっとさせられたものだ。
もっとも、おっ、と感じたのは最初だけ。これもニケはあっさりと迎撃、瞬殺。
初見こそ新鮮な存在の登場にアキトも注目したが、それも間もなくニケの前では躓く石にすらならない、十把一絡げの仲間入りである。
ニケは前にホムンクルスの姿が見えても、足を止めるどころか減速すらしないので、現状ニケとホムンクルスとの戦闘など、発生してもただの消化作業である。
「よーし、着いたぞ。
ここがエクリプスの迷宮、"第2界層"のゴール地点と言える場所じゃ」
やがて二人が辿り着いたのは、しばらく続いていた迷宮の行き止まり。
帰り道だと言われていたものと同じ、ミミズ文字混じりの円の中に五芒星が描かれた、淡い光を放つ転送魔法陣がある。
この上に乗れば、また次の場所へと移動できるのだとは、アキトも既に想像がついている。
「とりあえず、次の界層の眺めだけ見て帰ることにしよう。
何事も、見て経験することが重要じゃ」
そう言ってニケは、その転送魔法陣の上に乗る。
アキトが寄り添うように、ともに魔法陣の上に位置する場所に来ているのを確かめながらだ。
二人が魔法陣の域の中に納まったその時、淡い光を放っていた魔法陣が、じわぁとその光を強めていって。
魔法陣の最外の円部分から、真上に光が立ち上がり、魔法陣は光の円柱に包まれた形となる。
それが僅か三秒の出来事で、ふうっと光が消え去っていったその末、魔法陣の上にいた二人の姿は消えている。
魔法陣を用いて、次の界層へ。
元の世界では経験し得なかったことを、一度でも多く経験していくことは、より早く慣れていくことに繋がるだろう。
ニケがやっているのはそういうことで、ありふれた、ものの教え方の一つである。
(あー、そっか。
そういうダンジョンなんだ)
「うむ。ここがエクリプスの迷宮、"第3界層"じゃ。
先の第2界層とは、世界観も環境も全く異なる」
転送された先でアキトは、がらりと変わり映えた風景を前にしていた。
青い空、白い雲、緑の草が生い茂る地面に、耳を撫ぜる爽やかな風の音。
切り立った、少し小高い丘の上にいるアキトは、延々と緑が続く遠景を、高い場所から見渡すことが出来るに場所にいる。
「一応きちんと説明しておこうか。
そなたなら、だいたい感覚で本質を掴んでおるかもしれんが」
(わ、それ何ですか? それも魔法?)
「魔法というか、これがわしの"インデックス"でな。
そなたが出せるインデックスと同じもので、形が違うだけじゃ。
とりあえずこっちおいで」
煙管を指に挟んだまま、ニケがぽふんと手元に巻物状のものを出現させた。
ニケがその両端を握る巻物は、黄色くぼんやり光るもので、うっすら半透明の不思議なもの。
右端を握っていた手をニケが離し、人差し指で巻物にちょちょいと何か書くような仕草を見せるが、巻物は地面に落ちたり崩れたりせず浮いている。
半透明のステータス画面めいたもの、インデックスを自分も出せた経験のあるアキトは、形は違うが同じものと言われて一応納得というところ。
「わしは第3"かいそう"と言っておるが、一般的に想像される単語は"階層"の方なんじゃないかな?
そうではなく、こっち、"界層"と書く方がよほど正しい」
(はいはいはい)
ニケは自分の横に来て、巻物を覗き込むアキトの目の前、無地の巻物に"階層"と"界層"の二語を書き並べる。アキトの世界の文字、漢字を使った二語だ。
ご丁寧に"階層"の二文字をバツで消し、これじゃないよ、という表明も含む。
「エクリプスの迷宮というものは、いくつもの世界を繋げる形で成り立っている。
わしとそなたが出会ったあの街"ヴィルソール"は、いわばこの世界における第1界層と数えるべきかな。
さっきの石造りのダンジョンは、第2界層。
風吹くフィールドめいたここは、第3界層、ということじゃ。
各界層の、頭としっぽに界層と界層を繋ぐ転送魔法陣があり、それで界層を渡り歩くことで、冒険者達はエクリプスの迷宮のより深くへと進むことが出来る」
(各界層にある転送魔法陣が、ダンジョンで言うところの各階層……えーと、各フロアを繋ぐ階段と同じ役割を果たすんですね?)
「うむ、ご明察。
そなたに対しては説明不要だったかもしれんのう」
(いや、そんな。
ちゃんと説明してくれたおかげでわかりましたから)
概ねアキトは元の世界で持っていた知識を頼りに、エクリプスの迷宮の構造に対し、正しい推察が立てられていただろう。
念のためにとニケが話したことは、アキトにとっては答え合わせみたいなもので、やっぱりなという程度の話でしかない。
「とまあ、エクリプスの迷宮の概要はこんなところじゃ。
エクリプスの迷宮とはこのように、幾多もの界を繋げた無限のダンジョン。
その道中には、魔物とも言い換えられるホムンクルスが自然発生し、冒険者たちによる迷宮攻略を阻む。
それらを退け、迷宮を探索していけば魔法書を入手することが出来、それによって魔法を習得することも出来る。
また、ホムンクルスを撃破することにより、お金を稼ぐことも出来るため、職を求める冒険者達にとっても利用価値のある場所ということじゃ」
(ほんとにRPGの世界みたいですね。
魔物が出てくる、倒せばお金が稼げる、本棚という宝箱があって、そこにはグリモアというトレジャーが入ってる、って。
しかもニケさんチラッと言ってましたけど、無限世界?)
「もしかすれば有限世界かもしれぬが、少なくとも最深界層に到達した者は、何千年以上という歴史の中で一人もおらぬとされておる。
実状、無限も同然じゃな。果てが定かでないからのう」
(あ~、好奇心や挑戦心で、どこまで行けるか挑むのも面白そうだな)
「そういった志で、収穫度外視で迷宮攻略に挑む、筋金入りの冒険者様も少なくはない。
どこの世界でも、やりこみ派というのはいるということじゃ」
(ちなみに判明してるだけで、第何界層まであるんですか?)
「くふふ、さぁな。
それは案内役が教えるべき要項に含まれておらぬでの」
(え~、いきなりそんないじわるします?)
「知りたいと思ったことは、自分で調べてみるのも大事なことじゃ」
仲良く話す二人だが、しばしばニケは年長者らしい発言も見せる。
人生経験豊富そうな彼女の言葉に、アキトも一応の納得を得てそれ以上問いを追いかけない。この辺り、物分かりの良い性分が表れている。
「よし、それでは街に帰ろうか。
ひとまずわしの店に帰って一休みしたら、今度は街の案内をしてやるぞ」
(わかりました)
伝えたいことはひとまず伝えたとし、ニケは帰り道へとアキトを導く。
魔法陣に乗って再び第2界層へ戻り、迷いようもない単純構造の石造りの迷宮を抜け、遭遇するホムンクルスはべしんべしんと掃除しながら進行。
やがて第2界層のスタート地点まで帰ったら、二人で転送魔法陣の上に乗り、ヴィルソールの街の中にあった五角形祭壇の上に帰還する。
あとは、ニケの居酒屋まで帰る足を向けるだけだ。
数分間の足運び、何かと他愛ない話を振って会話を繋いでくれるニケに、アキトも談笑混じりで応じて退屈しなかった。