第49話 ~バインダ解除~
第11界層に残存する風化した建物は、大別して、一階建ての四角い箱状のもの大多数と、二階建てであったと想像できるもの少数、この二種。
まずは後者、元は二階建てだったであろう石の廃屋。
これらはいずれも、残っている壁が高いところまで届いているから、元は二階建てだったんだろうなと思うものばかりである。
天井なんてとうの昔に風化して崩れ落ち、二階の床もその重みと歳月で壊れ、それに伴い二階部分の壁なんか大半が消失しているものが殆ど。
建物の中を覗こうと思ったら、離れた場所からでも中がよく見えるし、瓦礫が山積みで探索する価値など無いとすぐわかる。
エクリプスの迷宮内で冒険者が探すべき宝物は本棚しか無いので、壊れた壁で瓦礫を囲う石の廃屋など、沿道にそびえる樹木と変わらぬ背景の一部である。
前者の廃屋もまた、天井を失い壁の残骸のみとなったものが多く、これらは特に触れるべき価値のないものと言えよう。
ただ、しばしば天井まで含めて形を残しているものもあり、これらは中を覗いて探索してみる価値もある。
第11界層の本棚は野外に置かれたものもあるし、これらは視野を広げて歩いているだけで発見できる。
しかし、形を残した廃屋の中にも、本棚は存在し得る。
そういうこともあるかも、と、一応通り道に残存する廃屋を逐一覗いていくアキト達の行動は、探索する者の行動として正しい。面倒臭がらない方が良い。
「あったよあったよ本棚! 隠されてた!」
「よしよし、やっぱりな。
地図にマークしとこ」
道の縁側に自販機のように立っていた本棚は探さなくても見つけられるが、屋内の本棚は中に入ってみないと見つけられない。
隠されてた、と表現するヒカリの言い方ほど隠蔽されてはいないが、積極的に探索して見つけておきたいところである。
本棚の場所を押さえておけば、周回の時に活きてくる。本棚のある建物に入ることは当然、本棚が無いとわかっている建物も無視できる。
「……あれっ?
もしかして、これが"バインダ"かな」
「あらら、グリモア絶対渡さないマン」
「なんだそりゃ、どうやってはずすんだ?」
さて、本棚からグリモアを回収することにはもう慣れた二人だが、この界層以降は少し勝手が変わってくる。
本棚には虹色模様のグリモアが置いてあったのだが、これが皮ベルトのようなものでぎっちり縛られている。
しかもそれは本棚に鎖で繋がれ、持っていけないようになっているのだ。
試しに力ずくで引っ張ってみるが、案の定、面白いぐらい頑丈でどうにもなりそうにない。
鎖も細いが淡く光っているし、恐らく見た目以上に、魔法的に頑丈そう。
これが"バインダ"である。
第11界層以降は、必ずしもグリモアがこれに縛られているとは限らないが、これを解かない限りグリモアを本棚から持って帰れない。
「ダークグリモワールで解除できるんだっけ。
私がやってみていい?」
「いいけど、気を付けてな」
「うんうん、わかってるっ♪」
さて、バインダを解除するためには、ダークグリモワールを使う。
グリモアと同じサイズのダークグリモワールを、バインダに括られたグリモアに、ぺたんと着ければそれでバインダ解除作業に入る。
初めてのことなので、ぽふんとダークグリモワールを出したヒカリも、それをやるまで少し緊張気味で、深めの呼吸を一度挟む。
「よーし、いくぞっ」
自分に活を入れる形で元気よく口にしたヒカリが、そっとダークグリモワールをバインダに添えた。
次の瞬間、ダークグリモワールが力強く発行し、ヒカリの目の前を真っ白にさせた。
さあ、グリモア解除作業のスタートだ。すぐ終わる。
「わっ、何ここ!?」
『たおせっ!!』
まったく突然のこと。
目の前を真っ白にした光はすぐに消え、かと思えばヒカリは一人で草原のど真ん中に立っていた。
ほぼ同時、脳裏に響いた元気で高い声。どこかで聞いたことのあるようなバケバケ声だったが。
ヒカリの前方、10メートルぐらい離れた場所にはマンティスガールが立っており、早速それがヒカリに駆け迫ってくる。
そして前方上空には、大きな"10"という数字がでかでかと描かれており、一秒経つごとに数字は一つずつ減っていく。
察しのいいヒカリは、状況、聞こえた声、空に浮かぶ数字から、十秒以内にこのマンティスガールを倒せと命じられたのだと考えた。
時間制限つき? それならば。
「火球魔法っ!」
接近戦でも危なげなく勝てる相手だが、ヒカリは即時の判断で火球を生み出し、迫るマンティスガールの顔面に直撃させた。
あまり威力は抑えていない。一撃で倒せる威力を意図した。
爆撃を受けて後方に倒れたマンティスガールの姿に伴って、課題をクリアしたかのように空中の数字は、"6"で一度強く発光して止まった。
以上、ミッションクリア。
ヒカリが一人で立つ世界そのものが強い光を放ち、彼女の目の前を再び真っ白一色にした。
「お、バインダが」
「へ~、簡単じゃねえか。
ダークグリモワールを押し当てるだけで解けるんだな」
再びアキト達の前に戻って来たヒカリは、バインダそっちのけできょろきょろしていた。
彼女の目線はさておいて、手元のバインダが光の粒になって消えていく。
鎖と革ベルトから解放された、虹色模様のグリモアは、次第にそのグリモア本来の青色表紙へと変わっていく。
バインダに縛られたグリモアは虹色模様で迷彩されており、バインダを解かないと何のグリモアかすら判別できないのだ。バインダを解けば識別できる。
「……ヒカリ? どうした?」
「あ~、いや、ちょっと……
なんだろ? 今あったこと、とりあえず説明しておいた方がいいのかな?」
一瞬で別の場所に飛ばされて、ミッションクリアと同時にここに戻って来たヒカリが、戸惑い周りを見渡す仕草は真っ当である。
が、アキトもアーノもヒカリの挙動に、急にどうしたのという顔である。
認識のズレを感じたヒカリは、さっき自分に何が起こったのかを、つらつらっと説明してみた。
それに応じ、アキト達も、ダークグリモワールでバインダを解除しようとしたヒカリの挙動が、どのように見えていたかを話してみる。
ヒカリは数秒間、ここじゃない場所に飛ばされてミッションをクリアした。
アキトとアーノには、ヒカリがダークグリモワールをバインダに添えたら、すぐにバインダが光とともに消えていったと見えた。
アキトとアーノは、一秒たりとも目の前から、ヒカリを見失っていない。
これら双方の見たものを総合して、アキトとヒカリもバインダについての解釈を、いくつか言葉を交わしながら纏めていく。
「えーっとつまり、ダークグリモワールでバインダを解除しようとした人は、どこか別の所に飛ばされるんだな。
そんで、そこでミッションみたいなものを与えられる」
「クリアしてきたらバインダが解ける、みたいな感じなのかな?
でも、私は確かに何秒か向こう側にいたけど、アキト君達の前では一秒も経ってなかったんだよね」
「バインダ解除のためのミッションの時は、時間が止まってるとかそんな感じかな?」
「あるいは、時間の流れ方が違う、とか?」
バインダについては、第10界層の試練をクリアした際に、一応エアリーフが説明してくれている。
しかしエアリーフは、第11界層以降にはそういうものがあるとか、解除しないとグリモアを持って帰れないとか、最低限の説明しかしていない。
言葉で説明するよりも、現地でバインダ解除してみた方がわかると思いますよ、とやや投げっぱなしな説明で最後を括っていたのである。
確かに、バインダを解除する者と傍観者とで異なる感覚と光景は、確かに実際にバインダ解除をやってみないと理解しづらいことではある。
「次にバインダ見つけた時はアキト君がやってみてよ。
私も、見る側に回ってみる」
「ん、そうだな。そうしよう」
「俺はバインダの解除は出来ないのかね?」
「アーノは無理なんじゃないか?
ダークグリモワールは持ち主じゃないと使えないんだってさ」
「なんだ、そっか。
んじゃ、ダークグリモワール持ってない俺は見る側のみだな」
とりあえず、次のことだけ決めておいて、三人は再び第11界層を歩き始めた。
アキトもバインダ解除を経験すれば、ヒカリと似た経験をするはずだ。ヒカリも、バインド解除者を傍目から見る経験に回れる。
理解を共通認識するのはその時でよい。
第11界層以降は、HPがゼロになって防具が壊れても救出して貰えないため、挑戦するには最低限の戦闘能力というものが必須になってくる。
実は、第10界層の試練が必ず"強敵を打ち破る"というものであるのが肝で、第11界層に来られる冒険者には、既にそれなりの能力が備わっているのだ。
アキト達で言えば、この三人は本来第18界層に生息するような強いホムンクルス、ギガースを倒せる能力を示した上で、第11界層に至っている。
第10界層の試練をクリア出来るだけの力量があるなら、第11界層という環境はそこまで苛烈ではない。
エクリプスの迷宮は、深層に行けば行くほど出現するホムンクルスが強く、この第11界層も例外ではない。
例えば中学生ぐらいの背丈のコボルドでさえ、第9界層にいた大柄のオーカーにも力では負けず劣らずで、機敏さの面では勝っているぐらい。
第9界層をやや気楽に周回できるようになった今の三人でなかったら、一戦一戦がもっと苦しく感じるであろう世界である。
逆に言えば、第10界層をクリアしてきた時点でそれぐらいの能力は備わっているし、この界層を苦戦せず歩くだけの力はあるということだ。
「よしっ、"スライム"は倒した!
ヒカリ、そっちは?」
「大丈夫っ、"ジャッカル"倒したよ!
それよりアキト君、へび蛇ヘビっ!」
「任せろアキトっ、俺がちゃんと見てるよっ!」
黄緑色で、まめスライムよりもやや大きな"スライム"。
成体サイズの茶色体毛の狼、"ジャッカル"。
いずれも第2界層で見た弱い敵の上位種でしかないが、それでも第9界層以前のホムンクルスと比べれば厄介度で上を行く。
スライムは溶解液を飛ばす能力を得たし、ジャッカルの素早さと攻撃力はハンドマンのそれを上回っているのだから。
黒いまだら模様を持つ、お腹の膨れた蛇の"キングコブラ"は、小さい体で素早く地を這い、冒険者の背後に回り込んで奇襲することもある嫌な奴。
見た目に違わず毒持ちのそれが、アキトの斜め後ろから飛びかかろうとした時、アーノがそれを横殴りの体当たりで撃墜してくれる。
アキトも見えてはいたのだが、アーノのおかげで交戦自体が消え、リスクもゼロになったので、アキトも笑顔でうなずいて無言の感謝を告げる。
にひ、と笑うアーノだが、彼に手があれば親指でも立ててグーしているだろう。
「わっ、何だコイツ、タヌキに変わったぞ!?
しかもけっこう強ぇし!」
「加勢した方がいいか……!」
この界層で初めて見るタイプのホムンクルスにも個性的なものがいる。
野狐のような姿を持つ"コンキチ"は、離れた場所から狐火めいた火の玉を飛ばして攻撃してくる。
アーノが素早く接近すると、いつの間にか野狸の姿"ポンキチ"に変わり、アーノの力強い体当たりを真っ向から額で受け止める。
遠距離戦は魔法使いのコンキチ、接近戦では力強いポンキチの姿に変わって戦うそれは、アーノが思わずたじろいで下がれば自身も後退し、狐の姿になる。
再び狐火を放ってくるをアキトがかわし、急接近して斬りつけた瞬間には、その姿はタヌキに変わっていた。
しかし、アーノに受けたダメージに加えてアキトに斬り伏せられては限界だったようで、両断されたポンキチはその姿のまま消えていく。
「ファイア・ボール……!」
「エア・カッター……!」
「っく……!
囲まれてるんじゃないか……!?」
「くそー、コイツら待ち伏せしてやがったな!!」
赤いローブに身を包んだ、悪人面の魔法使いと見える姿のホムンクルス"メイジ"二体が、火球や風の刃を飛ばす魔法で遠距離攻撃してくる。
人型なので武器で攻撃するには躊躇しそうな風貌だが、顔がどこか絵的で生々しさに欠け、人間の冒険者が斬りかかる良心を和らげてくれるデザインなのだが。
とはいえ尖兵ジャッカル二匹に前衛を任せ、挟撃する形でアキト達を攻め立ててくるその立ち回りは、容赦していい相手じゃない嫌らしさがある。
「任せて、こういう時は私がっ……!
火球弾魔法!!」
敵の総数四体に合わせ、ヒカリが自分の前方に四つの火球を生じさせる。
ざっと敵の位置を見渡したヒカリが、広げた掌を振り抜けば、四つの火球はそれぞれの敵へと向かった。
アキトやアーノに襲いかかろうとしていたジャッカル二体それぞれにも、離れた場所のメイジ二体にもしっかりと着弾だ。
威力はヒカリの力を込めた火球魔法には劣るも、ジャッカル二匹を火に包んで悶えさせるには充分な威力。
一方で、守備力やタフネスのかなり低いメイジに対しては、直撃した際の爆裂のみで後方に倒してとどめを刺すには充分だったよう。
もがくジャッカル二匹を、アキトとアーノがそれぞれ倒して、もっと長引き得た戦いはすぐに終幕を迎えた。
「いいなぁお姉ちゃん!
いつの間にそんな魔法作ってやがったんだ!」
「へへ~、実はこっそりイメージだけは作ってたの。
第9界層で沢山の敵に来られたことも多かったし、それを第6界層みたいな広いところでもっと強いホムンクルスにやられたら困るな~、って思ってたから」
「ヒカリすっかり魔法使いが板についてきてない?
どんどん頼もしくなってくるんだけど」
「やめてやめて、今のだって使い慣れてないし、結構MP消費するから乱発できないよ。
あんまりアテにしないでね? 私の方が、二人のこと頼りにしてるんだから」
毎日一緒にいるようでも、一人の時間に色々考えているのは、アキトもヒカリもそうである。
アキトの知らないところでだって、ヒカリは自分を高めようとしているのだ。
よく親しんだパーティ内でも、お互いの伸びしろに驚かされるのは珍しい話ではない。
着実に三人は、時を重ねるにつれて成長しているのだ。
お調子に乗って深入りし過ぎるようなことさえなければ、第11界層は苦しくなるような環境ではない。
よく周りを見て、状況を正しく理解し、適切な判断とともに地力を発揮して戦う。
それが出来れば我が身を守り、危険と釘刺されたこの界層すら難なく進んでいける能力が、今のアキトとヒカリとアーノにはちゃんと備わっているのである。




