第4話 ~エクリプスの迷宮~
「さて、着いたぞ。
ここがエクリプスの迷宮、"第2界層"じゃ」
(ダンジョンだっ!)
「ダンジョンじゃっ」
アキトを従えたニケが立つのは、まさにアキトが想像していたものの典型例。
灰色の石造りの壁と天井、砂地の地面、道幅は広くてゆったり。
平たい壁と天井からは人造的な印象を受け、洞窟と呼ぶより石造迷宮と表現した方が適切だろう。
どっちであろうとアキトに言わせればダンジョンである。
(明るいんですね。光源とか見当たらないのに)
「うむ、そうじゃな。
ふしぎ、ふしぎ」
きょろきょろしながら見通しのいい眺めを見回すアキトに、ニケが返した言葉は曖昧である。
ニケも理屈はわかっていないのだろうか。世の中、解明されていない不思議なことというのは多々あるものだが。
「後ろにあるその魔法陣が、さっきの祭壇に帰るための転送魔法陣じゃ。
エクリプスの迷宮においては、物理的な階段によってではなく、そうした転送魔法陣を用いて"界層"を行き来する。
ちょいとそなたにとっては、身に慣れたものではないであろうファンタジックな移動方法じゃが、まあまあ慣れていって欲しい」
(大丈夫ですよ、創作物いっぱい読んできた現代っ子ですから。
むしろ二次元の向こう側だけのことを実体験できて楽しいですもん)
魔法陣の上に乗るだけで別の場所へと移動する。
この世界に召喚されてきた者達の中には、物理法則を無視したこの超常現象に、はじめ戸惑う者も少なくない。
その点においては、現実超えした夢のある物語に多く触れ、想像力の豊かなアキトいわくの現代っ子は、今を受け入れる適応力があって柔軟だ。
淡く光るミミズ文字混じりの円の中に五芒星が描かれた、帰り道用の転送魔法陣。
それを話題にしたニケとアキトの会話には、そう語られる俗説の所以が如実で表れている。
「総括は最後に纏めて話すから、とりあえずこのダンジョンを進んでみようか。
どんなものかをまず見てから説明した方が、話もわかりやすいじゃろうからな」
(わかりました)
思念で以って発せられる、アキトの声はやや明るい。
今まさに自分がダンジョンという場所にいて、ゲームの中にいるような感覚を体験している感覚が、彼をわくわくさせているのだろう。
歩き始めたニケについていくアキトは、前進速度があわやニケの前に出そうなほど気が乗っている。
先々の光景に胸を躍らせているのが、その行動にまで表れていた。
「おっ、さっそく出現」
(モンスターですか?)
「わしらの世界では、この迷宮内に出現するああした存在を、"ホムンクルス"と呼ぶ。
そなたの世界のゲームや創作物で、"魔物"だとか"モンスター"だとか呼ばれるものと同じ扱いかな。
迷宮内において出没し、冒険者の道を阻む邪魔者じゃ」
しばらく進んだところで、ニケの前方かなり離れた場所の地面で、小さな"ホムンクルス"が一匹蠢いていた。
水色で、バスケットボールサイズのスライムと形容するのが一番早い。
半透明でゲル状の、少し潰れた丸い形のそれは、ぷるぷる体を揺らしながら、ニケとアキトの方へとゆっくり近付いてくる。
「あれは"まめスライム"じゃな。
エクリプスの迷宮の中でも最弱の魔物じゃ。
対処はわしがするから、そなたは見ていてくれればよい」
怖がるような相手じゃないぞ、と言うような態度、軽い口調でアキトに話しかけながらニケはまめスライムの接近を待つ。
やがて、一定距離までニケまで近付いたまめスライムだが、そこで一度動きを止める。
力を溜めるように、ぐぐっと潰れた形になって震えると、ニケの顔元めがけて勢いよく跳んできた。
「ていっ」
たいして力の入っていない声で、ニケはその手に持っていた煙管を振り上げ、跳びかかってきたまめスライムを横殴りにした。
結構なスイングスピードだったのでアキトも驚いたが、煙管で殴られたまめスライムは壁まで飛ばされ、べちゃあと潰れて床までずり落ちる。
そのまましゅうしゅうと煙を発し、煙に紛れてその潰れた全容を消していく。
時間をかけず、煙を発して二秒余りで、まめスライムは姿を失っていた。
「撃破されたホムンクルスは、ああして消えていくようになっておる。
また、そなたは目で確認することが出来なかったであろうが、今の撃破によってわしの手元にはお金に相当するものが得られておる」
(そうなんですか?)
「そなたの世界にはRPGというものがあったじゃろう?
立ちはだかる魔物を倒すたび、何故だかお金が手に入る。
同じことが、エクリプスの迷宮では起こる」
(それじゃあここに来て魔物を狩ってるだけで、お金稼ぎは出来るってことですか?)
「うむ、理屈はさておいてな。ふしぎ、ふしぎ。
エクリプスの迷宮では、勝手にワラワラ沸いてきよるホムンクルスを狩っとるだけでも、お金稼ぎは出来るということじゃ。
これは一応の、この世界でどのようにして食い扶持を稼いでいけばいいのかという命題に対する、一つの解答にはなっておるじゃろう」
(へ~、ホントに俺の世界での、古いゲームの世界みたい)
冒険に出た主人公、立ちはだかる魔物達、それを倒すことでお金が手に入る、それで装備品やアイテムを買う。
アキトが触れてきたRPGゲームなどにおける、その不思議な不文律のイメージに、エクリプスの迷宮は非常にマッチする。
つまりこの世界で生活費を稼ぎたいと思ったら、とりあえずこのエクリプスの迷宮に来て、ホムンクルスを倒していれば叶うというわけだ。
さておき行こうか、と言って歩きだすニケに続き、アキトもナビゲートされる形でついて行く。
石造りの迷宮と見えるこの界層、しばし分かれ道は無い。
ときどき直角の曲がり道はあるが、基本的には一本道である。
「おっ?
アキトどの、すまんが位置交代」
ふと、ニケが足を止めて振り返った。
アキトも止まって、ニケの目線の先を追うように振り返る。
「んっ、あれっ?」
見ればその先には、新たなホムンクルスの姿がある。
ここまで一本道だった道のり、ホムンクルスの姿は無かったはず。
なのに後方にはホムンクルスの姿があり、ちょっと驚くアキトをよそに、ニケが何歩か踏み出してアキトを後ろに控えた位置取りに立つ。
「あれは"もこもこネズミ"じゃな。
まめスライムよりちょっと素早い程度の、たいしたことないホムンクルスじゃ」
(あれってどこから現れたんですか?
ここまでで見なかったですよね)
「ホムンクルスはわしらの見えん場所で、どこにでも自然発生する。
ああしていつの間にか後方に自然発生したホムンクルスに、後ろから狙われることもあるのじゃ。
一度通った道には何もいなかったから、と油断しておると、ふとした瞬間にバックアタックされることもあるぞ」
ホムンクルスは無限発生する。その場所は問われない。
一本道でも、通過してきた背後に油断していいわけではない、ということだ。
戒めれば気が抜けない環境、ポジティブに捉えるなら稼ぎ扶持が無限発生する、という話で、どう考えるかは人次第。
「ちょいと趣を変えてみようか。
わしの必殺技、キセルスラッシュを見せてやろう」
(技名に捻らないんですね)
「うるさいっ」
何の面白味もないニケの技名に、気安い突っ込みがアキトから入った。
早くもこうした掛け合いが出来る二人になっているのは、アキトの積極性によるものか、ニケの取っつきやすさによるものか。
機嫌よく笑うニケには、駆け寄ってくる白い体毛のホムンクルス――鼠としては掌に乗らない大型サイズである、もこもこネズミに対する緊張感が無い。
胸元めがけて跳びついてきたそれを、優雅にひょいっと振り上げた煙管が、切れ味鋭い刀のようにもこもこネズミの身体を通過する。
刃を持たぬ煙管の一閃が、もこもこネズミの身体を縦真っ二つにしてしまうのだから、技名はともかく必殺技らしくはある。
(すげぇ。
今のどうなってるんですか)
「なぁに、ちょっとした魔法の応用じゃ。
そんなことより、ほれ、今のやられたもこもこネズミに注目」
そう言われたものだから、アキトは敢えて目を切っていたものに、恐る恐るげに目を向けた。
普通、ああした生物が真っ二つになったとなれば、ちょっとグロいものを見せられそうなものだから、正直わざわざ見たくない。
しかし、アキトにとっては安心すべきことに、両断されたもこもこネズミの切断面は、バターの切り口のように平べったいものがあるだけ。
そんな二つ分けにされたホムンクルスは、絶命したことを今一度表すように、しゅうしゅう煙を発して消えていく。
さらにアキトは見逃さなかったが、消える直前のもこもこネズミの目は、絵に描いたような×になっていた。
「ファンシーでグロくない素敵設計、それがエクリプスの迷宮のホムンクルス」
(目に優しくて嬉しいような、設計者のゲーム脳がちらつくような)
「誰が創ったのかは未だ知れぬエクリプスの迷宮じゃが、やはりその創造者として有力視とされるのはエクリプスじゃな。
たまにわしも、エクリプスという神の実像を想像する時、そなたの世界のゲームクリエイター様が転生された存在だったりするのかな? とも」
(そんなベタな)
「くふふ、まさかな。
まあ、あくまで仮説の域を逸しない話じゃ」
この世界に招かれてくる者達が、血などを見慣れた者ばかりとは限らない。
主な金策手段の一つにエクリプスの迷宮が、ホムンクルス狩りが挙げられるこの世界、血生臭さを削ぎ落されたホムンクルスの死に際は、確かに一部に好評だ。
一部の客層に配慮したようなこの設計は、確かにニケの言うとおり、創造主の俗物めいた思考回路を匂われやすい。
「さあ、行くぞ行くぞ。
弱いホムンクルスしか出ん界層じゃ、バッサバッサ瞬殺しながらいこう」
歩き始めたニケについていくアキト。
草鞋履きの足をぺたぺた軽やかに進むニケは、同じ景色が続きがちなこの迷宮で、飽きられるより前に次の刺激をアキトの目に与えようとするもの。
やや早足になりつつも、ちらちらアキトがはぐれないよう斜め後ろの彼に気を遣いながら、ニケがアキトを先導する。
(ニケさん、さっきの必殺技って俺にも使えるようになるようなものですか?)
「ああ、そんなに難しいものではないしな。
鈍器で切り裂く、斬撃を飛ばす、樫の杖で岩をも貫く、などなど。
事実とミスマッチした"魔法"めいた技とて、習得するのは簡単じゃ。
そなたとて、ちょっと頑張れば出来るようになるぞ」
(ん~、ちょっとわくわくしてきた)
「そもそも生活費を稼ぐ有力手段に、ホムンクルス狩りによる金策というものが挙げられる世界じゃ。
召喚されてくる皆々様、誰もがはじめから戦う力を持つわけでなし。
そうした方々でも、技を、魔法を、武器を扱う能力の向上が、本来以上に果たされやすいのが特色の一つである、そんな世界と考えてくれてよいぞ。
例えばの話アキトどのは、元の世界で武器を手に取ったことはあるかのう?」
(無いですね。
もっと言えばスポーツすらそんな得意じゃなかったし)
「剣道経験者なら多少のバックボーンになるかもな、って程度じゃろ。
そなたの生まれた世界と国は、そういう時代にあったからのう」
(小っちゃい頃、スイミングスクールに通ってた程度。
何のバックボーンにもならないですねぇ)
「そうした方々がこの世界に招かれたとしても、ホムンクルスと戦うための力を得やすい、そういう環境がちゃんと整っておるということじゃ。
まあ、今にわかる。楽しみにしながらついて来るとよい」
しばらくはホムンクルスとの遭遇も無く、アキトの一言をきっかけに、二人の会話は静かながらも弾んでいた。
今は魂だけの姿のアキト、まさかずっとこのままではないだろうとは前向きに思えているのだが。
やはりこんな現状ではまだ、この世界を歩くようになった自分がどうなっていくか、想像しづらい実状にある。
そんなアキトに、技を使い、悠々とホムンクルスを撃退する姿を見せたニケは、アキトも必ずこうなっていけるというのを示唆していた。
付け加えられる、煙管で敵を切り裂くような魔法めいた業を、アキトだって習得できるよという言質こそ、それを強調するためのもの。
わくわくしてきた、と確かに発したアキトが語るとおり、少しずつだがアキトはこの世界に魅力を感じ始めていたようだった。