第3話 ~祭壇~
「まあまあ過ごしやすそうな世界に見えてはくれるんじゃないかな。
そなたの世界、生まれた時代にあったような、文明の利器と呼ばれるようなものは無いがのう」
(いや~、これはこれで。
すごく平和そうですしね)
晴天の空の下、今日も平穏な様相を映し出す街の眺めは、アキトにとっても好ましいものだったようだ。
商売人が往来し、鬼族とエルフが異種族同士で談笑し、野良猫に餌をあげる子供達の笑い声は可愛らしい。
アニメや漫画、小説の挿絵でしか見られなかった絵を、実像として目の前に見るアキトの高揚感は、思念の声色にも表れている。
「創世者エクリプスの加護のもと、戦争や侵略者への懸念なき平穏な世界じゃ。
そなたがドンパチミリタリーを極端に望むタチでもない限り、この雰囲気は望ましいのではないかな」
(そうですね、平和なのが一番ですよ。
魔王の支配に苦しむ世界とか、それを救うために戦う勇者のお話とか、やっぱ創作物の中だからこそ楽しめるんだと思いますし)
「くふふ、そなたは無自覚かもしれんがなかなか良いことを言っておるぞ。
平穏な世界に生まれながら、それに飽かずなお平和を肯定できるというのは、この上なく貴ばれるべきことじゃ。
そんな若者を育てた、そなたの生まれ育った国というのも、それだけ素晴らしい国であると言えるのであろうな」
(やっぱりニケさんもイレットさんと同じで、俺達の世界については予習済み?)
「うむ。やはりその方が、そなた達に伝わりやすい言葉を選べるでな。
そなたにとっては、今は令和。遡って、平成、昭和、大正、明治。
ニッケル黄銅貨の五百円玉が流通して長く、白銅貨の五百円玉を見る機会はもう少ない。
徳川幕府が執政を担ったのが江戸時代で、平城京が都であったのが奈良時代、じゃろ?」
(なんか下手すると、俺よりも俺のいた世界のことに詳しそう……)
「この程度は基礎知識じゃ。
招かれし方々と円滑なコミュニケーションを取ろうとするなら、無知では到底務まらん。
イレットだってあんないい加減そうなナリしとるが、これぐらいのことは当然頭に入れとるぞ」
明るく笑いながらアキトと話すニケは、滑舌よく、相手に聞き取りやすいよう早口にもならず、その上で饒舌だ。
とりわけ会話術に秀でたニケだ。こんなことは意識するまでもなくそうなる。
必ず一度で相手に伝わる言葉を、最善のテンポで繋げ続けるのが彼女の常。なかなか簡単なことではない。
「わしらの過ごすこの世界は、気に入って貰えそうかな?」
(いいなぁとは思えますよ。
やっぱりこの平和でファンタジーな空気、和みますもん。
ただ、どうやってこの世界で過ごしていいのかまでは、ちょっとまだわかんないですけど……)
「この世界に来られた時は皆々様、同じ事を仰るものじゃ。
とどのつまりは自分で食い扶持を稼げるようになれねば、生きていけぬのはどこの世界でも一緒じゃしな。
どうやってそこまで、というのが、概ねの方々が抱く不安の本質じゃと思う」
(食い扶持稼ぎってつまり、商売したり、アルバイトしたり?)
「そんなところじゃのう。
元の世界でそういう経験がある方々は、さっそくそうした道筋を探していかれるのじゃが――
見たところ、アキトどのは高校生かその辺りのお年頃と見える。
アルバイトの経験など、無いか短いかのどちらかではないかのう」
(そうです、けど、俺そう見えます?
今こんなですけど)
「魂を見れば、わしにはその者の本来の姿ぐらい見えるよ。
顔だけ見て、まあ後は当てずっぽうじゃな。15歳か、16歳ぐらいか?」
(あー、18歳です。
つい最近までは17歳でしたけど)
「ありゃ、惜しかったか」
(そう言えばイレットさんも、俺が童顔寄りなのわかってるっぽいこと言ってたような気がする。
この世界に来る前の俺の顔とか、ニケさんには見えてるんですか?)
「むしろ見えねばそなたが人の子であることもわからぬしな。
それが出来るよう、特別な修練もわしらは積んでおるのじゃ」
魂だけの姿になったアキトに顔は無いが、ニケはその者の魂を見れば、この世界に来る前の全容も捉えられる。
イレットもそう。背だって小さくはないでしょ、ともアキトに言っていた。
召喚されし者達の魂を見て、その本来の様相を見て捉える力は、ニケやイレットの立場にある者には欠かせぬものであると言えよう。
そもそもそれが出来ていなかったら、ニケとてアキトと会話するために選ぶ言葉に、人間社会の文化を表す言葉を使うことも出来まい。
ニケやイレットはアキトの魂を見て、彼が人間であることを確信しているから、対話する中でそれに適した言葉を選んでいるのである。
「お金を稼ぐために働き口を探すのは、特段難しい話でもないんじゃがのう。
例えば飲食店など、こちらの世界でもどこも人手不足のようじゃし」
(こちらの世界で"も"?)
「そなたの世界でも、飲食業界は大概どこも人手不足なのじゃ。
こっちの世界でもそうじゃし、職種さえ選ばなければ、アルバイト出来る場所ぐらいいくらでも見つかるよ、という話。
もっとも、ハナからそんなんじゃつまらぬ気もするが」
(つまらない、ですか?)
「せっかく異世界に来たというのに、まずはバイト探して生活基盤を固めて、なんて堅苦しいスタートと最初から決め打つのも、ちょっと興に欠かんかの?
そんなの、そなたのいた元の世界でも出来たことじゃろ」
(あ~、言われてみればそんな気もします)
「クエストを請け負って解決したり、魔物を狩って素材を集めて売ったり、そうやって稼ぐ方がロマン感じる響きじゃろ。
まずはどこかで雇ってもらって下働きから、というのも着実で良い生き方ではあるがのう。
やっぱり自営業の主として、自分の努力がそのまま自分の稼ぎに反映される、そういうとこを目指してみたくなるんじゃないかな」
(ん~、俺はお仕事とかしたことないから、いまいち違いやイメージを掴みにくいですけど……
でも、狩りしたもので稼ぐとか、そういうゲーム的な響きは面白そうかな~とも)
「これからわしは、そなたをその主戦場に案内する。
いわゆる、ダンジョンと言う場所じゃな」
(むっ、本格的な響き)
浮遊して進んでいたアキトの魂が、ぴたっと進むのをやめた。
ニケもすぐ気付き、一歩ぶんだけ前に出た場所で立ち止まる。
平和を貴べるアキトの価値観を知ったニケをして、ダンジョンという斬った張ったの世界観を匂わせる単語に、アキトが警戒するのは想定内。
「なぁに、今回は見学して貰うだけじゃ。
今の魂だけの姿のそなたは、ダンジョン内の魔物と呼べる者どもに襲われることもなければ、もちろん戦うこともない。
わしがきっちりリードしてみせるから、物見気分でついてきておくれ」
ニケはアキトに振り返り、この手を取ってついておいでとばかりに、手を差し出して微笑んだ。
今のアキトには、差し出されたニケの手を握る手が無い。
それでも人としての自分の姿を見て捉え、それに対するに同等の仕草で以って導かんとするニケの表情は、信憑性を思わせるほど自信に満ちている。
前に進むのを躊躇っていたアキトが、間もなくニケに寄り添うように前進した姿が、彼女の発する説得力にアキトが導かれた光景と言える。
「怖がることなど一つもないぞ。
さぁて、わしの甲斐性の見せどころじゃ。」
ゆっくりと歩きだすニケは、今もまたアキトが隣の位置まで来るのを遅い足取りで待ち、二人並んでから元の速さで歩きだす。
頼もしい言葉、冗談混じりの言葉、お調子含みの笑い声。
同じような言動をイレットがしたとして、大人びた風格を持つニケと同じ空気を醸し出すことは出来ないだろう。
アキトの緊張をほぐすニケの振る舞いは、彼女だけのものである。
間もなくして、周囲に建物が少なくなってくる光景が続き、街の一角を抜けた場所。
広い空き地に大きな祭壇を作ったような、そんな場所へとニケとアキトが辿り着く。
おいで、と優しい眼差しで目配せするニケと、それに導かれるアキトが、徹底して貫かれた横並びで祭壇へと進んでいく。
その石造りの祭壇は大きなもので、幅広の階段を経て祭壇上まで上り詰めれば、建物の三階相当の高さに達するほどだろうと見上げられる。
(でっかい祭壇ですね。
古風だし、遺跡みたい)
「実際、古くからある祭壇には違いないしな。
所々が欠けてこぼれたこの石造りも、なかなか歴史を感じられてよい」
祭壇上へと続く階段を踏みしめて進むニケの横、アキトも所感を述べている。
やがて二人して祭壇上に上がってみれば、広い五角形の祭壇上は見晴らしもいい。
この祭壇は、厳密な言葉では"正五角台塔"と表現するのが正しい形状だ。
祭壇上に昇る階段は、各方面から五つあり、ニケはその一つを上って今、アキトとともに祭壇上に到達したところだ。
(うわぁ、雰囲気出てる。
五色の炎って、何か意味合いがあるんですかね)
「う~む、わしもこの世界のことをすべて知っておるわけではないからなぁ。
これらの炎は、わしが生まれた頃からずっと灯り、一度たりとも消えたことがないとされておる。
何らかの意味はあるのであろうが、まあそれは未知の領域じゃな」
五角形の祭壇上、その五角部分には大きな燭台が据え置かれ、そこには聖火めいた大きな炎が燃えている。
それらの炎も、赤・水色・緑・黄色・茶色の五色という、何らかの意味をアキトに感じさせる配色だ。
正五角形の祭壇上に、五つの炎、異なる配色。それに何らかの意味があるのでは? と思えるなら、その人にはファンタジー脳の素養あり。アキトもその一人。
「ま、そんなことよりも。
アキトどのにはアレの方が気になるのではないかのう?」
(それはもう)
ニケの言うとおり、その祭壇上にはもっとアキトの目を惹くものがあった。
祭壇の真ん中に描かれた、人が十数人は余裕を持って乗れそうな、大きな大きな魔法陣。
祭壇五角に各頂点を向けた五芒星を中心に、解読不能な古代文字のようなものを周囲に描いたものだ。
その不規則めいた文字列にさえ、アキトが何らかの調和性を感じてしまう、大きな不思議な魔法陣である。
「何じゃと思う?」
(ん~……召喚術の魔法陣、とか?)
「それっぽいとこ突いてくるのう。
しかし不正解」
(じゃあ、転送魔法陣?)
「おぉ、正解。
やはり現代っ子じゃな。ようわかっとるわ」
ニケの楽しそうなこと。
別世界の境目を経ての出会いと、その上ながらも成り立つ不思議な反り合いを楽しんでいる。
「ここから、"エクリプスの迷宮"と呼ばれるダンジョンに行くことが出来る。
未だ誰一人として、その最深層へと到達したことは無いとされる、わしらの世界における名物ダンジョンじゃ。
ある者は食い扶持を稼ぐために、ある者は探求心の赴くまま、ある者は自身の能力の向上のため、日夜数多くの冒険者達が挑む。
そんな果て無き迷宮として名を馳せておる場所じゃ」
(果て無き迷宮、かぁ。
攻略していくのとか楽しそうだな)
「そう思えるなら、そなたも冒険者の素質満々じゃな。
それではさっそく、行ってみようか。
心配せずとも、わしがついておるからの」
ニケは体をアキトの方へと向き直り、後ろ歩きで魔法陣の真ん中へと向かっていく。
おっかなびっくりめいて、ゆっくりニケについていく、そんなアキトの動きを見て確かめながらだ。
やがて魔法陣の真ん中に立ったニケと、そばに身を浮かせるアキトという状況に至った時、ぼやぁとゆっくり魔法陣が光を放ち始める。
(わわ……)
「くふふ、非日常を楽しめ。
人生を幸せに過ごすための秘訣の一つじゃ」
戸惑うアキトの魂に、ニケは両手を左右から優しく添えた。
魔法陣の放つ光は強くなり、間もなく唐突に天まで届く一柱のような光を一瞬放ったかと思えば、魔法陣の上からニケとアキトの姿は消えている。
二人を"エクリプスの迷宮"へと転送する魔法陣のはたらきが、差し支えなく完遂された光景である。
異世界召喚、果て無きダンジョン。
この非日常を噛み締めるアキトは、ニケに与えられた一つの箴言を噛み締め、次は何が目の前に現れるだろうと少しずつ高揚感を得始めていた。
彼に触れるニケこそが誰より、魂の鼓動から肌で感じていたことだ。