第9話 ~宿と猫~
「だいぶ遅い時間になっちゃったね~。
もうニケさんのお店に戻らない方がいいよね」
「居酒屋、もう開店時間になってそうだもんな」
猫神神社を発ったアキトとヒカリは、すっかり西日も弱くなった夕暮れ時の街を歩いていた。
猫神神社で肉体を得たら、時間があればニケの所に戻るよう言われていたアキトだが、今日はもう時間切れというところ。
明日の朝でもいいと言われているので、それは明日にすればよい。
「どう? 装備品、歩きやすいでしょ」
「うん。重さも確かに感じるけど、歩きづらさとか不便さとか無いもん。
ヒカリもそのブーツ履いた時、初めてでもそんな感じだった?」
「そうだね。
こんな靴履いたこと、一度もなかったのにな。ふしぎ、ふしぎ」
「ふしぎ、ふしぎ、って流行ってんの?
ニケさんも何度か言ってたけど」
「不思議なことは全部それで片付けとけ、ってニケさん言ってたよ。
解明されてない不思議なことも、この世界にはいっぱいあるみたいだし」
知れた話も話題にしつつ、ヒカリとアキトはお喋りしながら歩いている。
異種族の方々とすれ違うことも多い異世界の街、誰かにぶつかったりするとどんなトラブルに発展するかわからないので、アキトはよく前を見て歩いている。
彼の読んできた異世界ファンタジーものは、酒場で絡まれるやら誰かに接触して絡まれるやら、序盤にそんな展開が多かったのかもしれない。
意識してか無意識か、お喋りしながらでもアキトはその辺りが慎重である。
「今日は宿屋とかで一晩過ごす感じ?
俺、お金持ってないけど大丈夫なのかな」
「大丈夫だよ、タダで泊まらせてくれる宿があるんだ。
召喚されてきたばかりの私達がお金持ってないのなんて当たり前だし、そういう人向けの宿もこの街にはちゃんとあるんだって」
「あ~、そうなんだ。
そういうとこ、この世界ってきっちりしてるんだな」
「今から行くのもその宿屋だよ。
アキト君、びっくりするかも? タダで泊まれる宿だなんて見えないもん」
今夜をどのように過ごすのか気になって尋ねてみたアキトだが、ヒカリが向かっている先という解答付きの返事を貰えた。
無料宿という響きは無一文のアキトにはありがたく、しかし一方でそうじゃなきゃ困るというのもアキトの本音。
宿代を稼ぐまでは野宿しなさい、なんていうこの世界なら、元の世界に帰りたくなる人が続出しそうな話だ。
少なくともヒカリのような女の子には、右も左もわからない異世界で野宿なんて、そうそう耐え難いのではないだろうか。
「着いたよ~」
「でっか」
さて、到着した宿屋だが、これまた先ほどの武具屋と同じく大きい。
あれをデパートのようだと言うなら、この宿はホテルのようだと言える。
"ライオスじるしの宿"と書かれた看板が掲げられた門をくぐれば、四角い巨大な石造りの本館は見上げるほど高い。
要するに、だいたいあの武具屋と外観は一緒である。
内装も凄い。
厚手の木のドアを開いて中に入ると、赤絨毯の敷き詰められたフロントホール。広い広い。
エクリプスの迷宮もそうだったが、光源がどこにあるのか不明な上で、非常に明るい。蛍光灯で照らされているのではと思うほど明るいのだ。
つるつるに磨き上げられた円柱といい、意匠の凝られた白い壁の彫り模様といい、材質的に原始的ですらあった外観と、内装は一線を画しすぎている。
「これ、俺達の世界に持ってきても高級ホテルで通じるような内装だよね」
「うん、これで無料宿っていうのが信じられない。
細かい話をしちゃうと、ずっとそうってわけじゃないみたいだけど」
修学旅行で泊まったホテルでもここまでじゃなかった、なんて思いながらホールを見渡すアキトだが、ヒカリが来て来てとばかりにフロントの方へ向かう。
そしてそのフロントにも、何度か見たような姿の店員さんの姿が。
「ニャニャ、おかえりなさいませニャ。
ヒカリ様と、えーとそちらの方は?」
「今日この世界に召喚されてきた新しい人です。
ニケさんの代わりに、私が案内することになりました」
「なるほど、概ねお察し致しましたニャ」
「タマネコ族さんですか?」
「そうですニャ。
しばしのお付き合いにはなると思いますので、何卒よろしくお願い申し上げますニャ」
カウンターの向こう側から、踏み台に乗ってやっとこちらに胸と顔を見せる、ちんちくりんの猫ぬいぐるみさん。
こちらは黄毛で、エプロンを身に付けている。ブグネコ、カンネコ、そしてこのネコさんと、みんな毛色とお飾りが違う。
「私、"ライオスじるしの宿屋"の支配人を務めさせて頂いております、"ヤドネコ"と申し上げますニャ。
しばしのお付き合いになると思いますので、お見知りおき頂ければ幸いですニャ」
「あ、どうも、はじめまして。
日下明人っていいます」
「クサカ様とお呼びしてもよろしいですニャ?
それとも、アキト様?」
「アキトでいいです」
「初めて当宿をご来訪されたお客様には、いくつか説明させて頂きたいことがございますニャ。
ほんの少々お時間を頂きますが、ご容赦頂けるよう願いますニャ」
「わかりました」
背丈も微妙に違うようで、宿猫は3.5頭身というところ。ブグネコより少し小さく、カンネコより少し大きい。
その二人と比較して、ヤドネコは語り口がおっとりしていて、物腰柔らかく声使いも丁寧だ。
毛色やお飾りだけでなく、やはり個々それぞれ性格や挙動にも個性がある。
「当宿は、この世界に召喚されてきた皆様に、三十日間だけ無料で宿を提供する施設ですニャ。
アキト様は、今日召喚されてこられたとお見受けしますニャ。
ですので今日を含めて三十日間、つまり二十九日後まで、何度この宿を利用して頂くことも出来ますニャ」
「あ、やっぱりずっとそうってわけじゃないんですね」
「ちなみにですが、それ以降もお望みであれば、当宿にお泊まり頂くことは可能ですニャ。
ですけど当宿、一般的な宿と比較して、かなりお高い値段でありますニャ。
高いお金を頂くぶん、手厚くお迎えさせて頂きはしますけど、正直こんな高級宿に泊まるよりは、他に宿をお探し頂いた方がお財布にも優しいはずですニャ。
三十日間の無料提供はさせて頂きますが、お客様の懐を慮るなら、それ以降は他の宿をお勧めするとお申し上げ致しますニャ」
「なんかニケさんからも同じこと聞いた気がします」
「召喚されてきた方々が、早々の野宿をしないように作られている宿という都合上、ここは絶対に潰れない宿ですニャ。
同業者の方々と価格で競うような真似はルール違反ですニャ。
懐かしくなったお客様が久しぶりに来て頂ければ私達も嬉しいですが、それをお客様に勧めることは出来ませんニャ」
要は三十日間、無料で宿泊可能であることに加え、その後はどうすればいいのか、一般的な道筋をヤドネコは説明しているのだ。
当宿の説明というよりも、召喚されてきた者達に、後々を含めたこの世界での過ごし方を教える、そんな役割をヤドネコは兼ね果たしている。
「ご理解頂けるでしょうかニャ?」
「大丈夫だと思います。
またわからないことがあったら聞きます」
「何よりですニャ。
それでは、お部屋の方をご案内致しますニャ。
アキト様は、ヒカリ様とおんなじ部屋をご所望ですかニャ?」
ぶは、とアキトが吹き出しそうになった。
非常に丁寧な、語尾以外すべて常識的な語り口調から、いきなりこんなあり得えないことを言われたら不意打ちだ。
どう受け取るかは種族にもよるが、少なくとも思春期真っ盛りの人間であるアキトとヒカリに、いいねそれと即答する貞操観念は無い。
「ど、同室はさすがにちょっと……」
「待ってヒカリ、俺の方見て引いた顔するのやめて。
そんなの俺もわかってるから」
「ありゃ、同郷のお二方だと思ったのですけどニャ。
ニケさんが案内役を任せるなんて、そういうことだと思いましたし」
「同郷ですけど、出会ったばかりの男女がいきなり同じ部屋で一夜なんて無いですから」
「そういうものですニャ?
同郷の方々が召喚されてきた場合、共通の話題で夜話に花が咲いたりすることも多いと聞くのですが……
まあ、お二方の風習がそうでしたら、別のお部屋とさせて頂きますニャ」
「ヤドネコさん、こんな天然な一面もあったんだ……」
年頃の、出会ったばかりの男と女が、早くも同じ部屋で一夜を過ごす。
一体それの何がマズいの、という種族は案外多いし、極論いきなり出会って初夜からおっ始める、お盛んな種族だって実在するのである。
むしろ生物が子孫を残すための本能的行為に、貞操観念というものを付随して考える人族の方が、決して多数派とは限らないのだ。
ヒカリはヤドネコを天然と評したが、多種多様な種族を接客してきたヤドネコからすれば、初見の客の貞操観念など読みようがないので天然ではない。
わかるでしょ、と思ってしまうのは人間だけということである。
「ヒカリ様の506号室のお隣、505号室が空いてますニャ。
アキト様をこちらのお部屋にご案内しようと思いますが、よろしいですニャ?」
「はい、それでいいです。
是非、是非そうして下さい」
「かしこまりましたニャ。
それでは、インデックスを出して貰えますかニャ?」
わかってるよヒカリ、俺も出会って初日の女の子と同室なんて節操無いこと考えてないよ、というアキトの熱烈なアピールであった。
是非、という言葉にそれが力強く推されているが、果たしてヒカリにそんな紳士の気遣いがどの程度届いていることやら。
ステータス画面相当のインデックスをアキトが表示させると、ヤドネコさんは短い手を伸ばし、肉球でぽんとそれに触れる。
「これでアキト様は、505号室の主に登録されましたニャ。
今日を含めて三十日間、そのお部屋には自由に出入り出来ますし、お部屋の扉はアキト様にしか開けませんニャ。
カギをかける必要もなく、ご安心頂けるプライベートルームとして保証しますので、ご自由にお使い下さいませニャ」
そう言われ、あとは細かい説明――各種サービスを受ける手段などを聞かされて、概ね宿の説明は終了だ。
良い夜をお過ごし下さいませニャ、と深々お辞儀したヤドネコに見送られ、アキトとヒカリは一緒に今夜の宿部屋へと向かっていく。
隣部屋の二人なので、行く方向は同じになってしまう。
さっきのやりとりで生じた変な空気を引きずる二人、なんだか気まずげ。
フロントホールの端には、魔法陣が描かれた場所があり、その魔法陣の上に乗って行きたい階を念じると、その階まで転送して貰える。
転送魔法陣を用いたエレベーターのようなものだ。
あとはその階で、各室への案内矢印に沿って歩くだけで、部屋には簡単に到着できる。
「それじゃアキト君、今日はおやすみ。
明日は朝からニケさんの所に行きたいから、あんまり寝坊し過ぎないようにね?」
「今から寝て寝坊なんてするかなぁ。
そんなに遅くないと思うけど」
「んふふ、そうかな?
寝心地よすぎて二度寝しないよう気を付けてね?」
アキトは505号室に、ヒカリは506号室へ、おやすみのご挨拶を交わして各部屋へと入っていく。
外もすっかり暗くなったし、少し早いが今日はもうこのまま就寝の流れである。
色んなことがあり過ぎた一日だったし、ゆっくり休んでちょうどいいぐらいだろう。
「ん~……これは凄いなぁ……」
もっとも、今夜に限って言えばまだまだ楽しめそうである。
与えられたこの一室、広いのなんの。
清潔感もあり、元の世界での高級ホテルの一室と比較しても遜色ないものだと、まず第一印象でアキトも感じたものだ。
お風呂も完備、それも浴槽だけじゃなくシャワーつき。お湯の温度はツマミ一つで自由自在、石鹸とシャンプーもちゃんとある。
ふかふかベッドは、座ってみただけで柔らかく、人をダメにする弾力だと一発でアキトにもわかる。
ベッドの枕元にはベルが置いてあって、これを鳴らせば従業員がすぐ飛んでくる。
ちょうどお腹が空いていたから、ベルを鳴らしてみたところ、鳴らして十秒で部屋をノックされた。早過ぎる。
ドアを開けてみたら、幼稚園児ぐらいの背丈の二足歩行、三毛猫模様のネコさんがいて。
これらは"バイトネコ"という名だそうで。武具屋にもわんさかいた、三毛猫模様の従業員さんと同じ種族と見える。
ライオスじるしのなんちゃら、という施設の従業員は、店主を除いてみんなバイトネコということである。
夕食を持ってきてもらえますか、とバイトネコに頼んだら、十分経たずにお料理を作って持ってきてくれた。
本日の献立はカルボナーラだった模様。たいへん美味しかった。
今限りとはいえ、無料宿とは信じられない。環境もサービスも最高級である。
無料期間が過ぎたら割高と言っていたが、これなら当たり前だとアキトには思わずにいられなかった。
元の世界でも相当なお金を払わない限り、ここまでの好環境でもてなしてはもらえないだろう。
今宵に限って言うならば、ただ泊まれるだけで刺激的ですらある、高校生上がりのアキトにとってはそんな高級宿であった。
「……なんか、濃密な一日だったなぁ」
お腹いっぱいになってから、窓から夜景を五階の高さから眺めて、あぁ本当に異世界に来たんだなぁという想いを馳せるアキト。
今でもちょっと、これって夢なんじゃないかなって思ってしまう。
しかし、夢だとしたらちょっと寂しいと思うぐらい、今日は楽しかったのも事実。
ほどよく疲れて眠気が来たが、もしも寝て起きたら元の世界だったら――そう考えると、寝るのもちょっと嫌になるのもアキトの本音である。
「えーっと、装備の解除は、カンネコさんの説明だと確か……」
猫神神社を出発する直前、カンネコが簡潔に教えてくれた、装備品の外し方をアキトは思い出す。
着たまま寝れそうな気もするぐらい、身に馴染んでいる装備品だが、流石に寝る時まで身に付けているようなものではないだろう。
アキトはインデックスを開き、宙に浮かぶステータス画面めいたそれを、すっすっと横にスライドする。
やがてページが"装備品"のページに移り、そこには今身に付けているものの名前が並んでいる。
一つは"アキトの剣"。
一つは"アキトの防具"。
一つは"アンダーウェア"。
それらの左にはチェックボックスがあり、そこにはへの字を逆さまにしたようなチェックマークがついている。
そのうちで、"アキトの剣"と"アキトの防具"の左にあるチェックボックスを、アキトは指先でタップする。
するとチェックマークが消え、それからインデックスを消すと、アキトの身に纏われていた武器と防具がしゅんと消え去った。
剣と草摺、篭手とブーツが消え、袖のない黒のシャツと膝上までの短めのズボンを残し、素手と裸足になった姿のアキトになる。
今アキトの身体に残っているのが、"アンダーウェア"と呼ばれるもの。
装備品の着脱は、こうしてインデックスの装備品ページへのアクセスで、いつでもどこでも簡易に行えるのだ。
もしも"アンダーウェア"のチェックまで消していたら、今着ているものも全部消えて、素っ裸だったというわけ。
アンダーウェアのチェックボックスは、長押ししないとチェックが消えない安全仕様だが、万が一でも正しくない場面で消さないよう注意は必要だ。
防具をはずして寝やすい格好になったアキトは、こてんとベッドに横たわった。
柔らかいベッドは掴めるほどふわふわ。雲の上にいるみたい。
寝転がっているだけでほわんと眠気に襲われるベッド上、アキトは睡魔に耐えて布団をかぶり、枕に頭を預ける。
そこから眠りについてしまうまで、殆ど時間はかからなかった。
なんだかんだで色々考え、歩き、魂のままだった時から蓄積していた疲労は確かだったのだ。それをこんな柔らかベッドに包まれたらひとたまりもない。
アキトが眠りに落ちると間もなく、部屋は自ずと消灯した。
こんな所まで全自動。本当に、贅沢な高級宿である。




