天球
時計塔の中はひんやりとした空気が漂っていた。
ダンジョンを改造した痕跡があちらこちらに散見するが、最上階の内装はもはや屋敷の中といった様子だ。
「ここでお待ちヲ」
上品な革で仕立てたソファに座らされて、別の部屋から緑色の機械人形、ジュピターが紅茶を運んでくる。
ティーカップを手渡されたのだが、それを置くテーブルも用意されていないのでそのまま持ったままになる。流れるような動作で紅茶を注がれてしまい、コナタは逃げ場を失ってしまった。
カツカツカツ。
底が硬い靴特有の足音が聞こえてくると、重々しく唯一閉まっていた扉が開け放たれる。
金色の巻き髪が特徴的な白黒ゴシックな少女は、後ろに更に三体の赤、黄、青色という色とりどりの機械人形を従えて歩いてくる。
一体ここにどれだけの機械人形を用意しているのだろうか。何の準備も無しに付いてきてしまった自身の愚かさに呆れた。
「紅茶はいかがかしら。ここの自慢の逸品なのですよ」
コナタは、まだ口につけていない紅茶が入ったカップを眺める。
ソファの後ろには紅茶を持ってきた機械人形が待機する為に移動した。
確実に警戒されている。
少しでも不審な動きを見せたら首を切断されそうな緊張感に紅茶を飲む気にはならなかった。
「話しがあると案内された。私を監視していたでしょ」
「いきなりですわね……まずは自己紹介を。私はクレアモル・バルバボッサ。名前が長いと感じましたら、クレアとでもお呼びくださいな」
「フッ、変な名前」
わざと挑発するようなことを口にしたのはコナタが苛立っているからだ。
明らかな敵意を剥き出しにしている紫の機械人形や、立場が上だと言わんとするクレアの態度。これらは確実にコナタヘ精神的ストレスを与えていた。
紫色の機械人形、サターンは我慢の限界とばかりに声を荒げる。
「貴様ァ!」
コナタが座るソファの背後から、激昂した勢いのままサターンは頭を潰そうと腕を変形させて振りかぶるが――
「やめなさい」
クレアが一喝すると、サターンは動きを完全に停止させた。
これで確信した。
ここにいるクレアモル・バルバボッサこそが機械人形達の主様とやらであり、彼女が使役しているのだと。
「この名前はですね、かの有名な赤髭王から戴いたんですの。確かに今思えば変な名前かもしれませんね」
挑発を華麗に受け流したクレアは優雅な微笑みを浮かべたまま手を二回叩くと、マーズが椅子を持ってくる。
クレアは女性らしさを全面に押し出すような座り方をしたので、それがコナタを更に苛立たせる。
「では、次はあなたが名乗る順番ですわ」
「……私はコナタ。それ以上でもそれ以外でもない」
「コナタ……、素敵な名前ですわね。話しが通じる方のようで取り敢えずは安心致しました」
クレアが手を一度叩く。すると、黄色の機械人形ヴィーナスがキビキビとした動きで机を持ってくるとジュピターが紅茶を注ぐ。
いちいち大げさに見せつけるような一連の動作を見ていると、こちらが恥ずかしくなってくる。
「さて、見たところ装備もしていらっしゃらない様子。どういうつもりなのかしら?」
質問が漠然としているため何を指しているのか定かではなかったが、機械人形を追いまわしたことについて言い訳を求めているだろうと解釈して答えることにする。
「この世界に来たばかりなので情報が欲しかった。私を監視しているそこの機械人形達が、このゲームの中に連れ込んだ連中の関係者だと思って追いかけた」
「んん、ちょっと待ちなさい。ゲームに連れ込んだ連中ってなんのことかしら??」
「こっちが聞きたい」
クレアが考え込んでいるようなのでそのまま続ける。
「箱庭の運営が、丸夫の研究所まで侵入してわざわざ私を攫おうとするとは思えないけど。でもこうして攫われているんだから何らかの企みはあるはず」
「んんんん、ちょっと何を言ってるの? 箱庭の運営? もっと詳しく教えなさい!」
「だから教えてほしいのはこっちの台詞! あなたもメールを貰ったでしょ? 箱庭の運営から」
「んんんんんん??? あなたが何を言ってるのかさっぱりだわ!!」
クレアは頭がパンクしそうだとばかりに椅子にもたれかかり、額に手を当てて天井を見上げる。
「えーい、今度は私から確認させなさい! あなたは何世代目の移住者ですの!? ……まさかプレイヤーじゃないでしょうね?」
「は……?」
移住者とは何だ。
それに自分のことをこれだけ話をしてもプレイヤーだと認識されていないのかと、コナタは疑問に思う。
「……質問の内容が理解できない」
「どうにも話が噛み合わないわね。ある程度の説明を受けてこの世界に通されたはずでしょ? さてはあなた、説明をちゃんと聞かなかったんですわね!」
「…………?」
クレアは大きなため息を長く吐いた。
ため息を吐きたいのはこっちも同じだ。
「埒があかないので私が順を追って説明しましょう。まず、この世界についてはどこまで知ってますこと?」
「箱庭の頃だったら、ある程度は知っている。でもその時とは大分変わってて、ゲームのシステムメニューも開けないからよくわからない」
コナタが知っているのは、ここがゲームとしての仮想世界だった頃のことだけだ。
「さっきからゲームゲームと言ってますけど、何の話をしてるんですの? ここは地球汚染によって追いやられた人類の新天地、地球の反転世界、天球ですわよ」
「天球……?」
「ええ、この世界に逃げ込む際にこのことも国から説明を受けているはずですわよ。とある天才によって発見された新技術により、仮想現実で地球を覆い被せることに成功。次元移動に間に合わなかった人々は多かったようですが、こうして私達はこの世界で新たな生活と文明を手に入れるに至ったのだと」
コナタは困惑し過ぎて、まるで頭痛がするかのような錯覚に陥る。
人造人間として生み出されてから、科学者の端くれである丸夫とそれなりの期間を共に生活をした。彼の研究について聞かされていたので、様々な実験結果や論文には詳しいつもりだった。
そんなコナタだが、地球の反転だの仮想現実を地球に覆い被せるだの、どうにも突飛な話が過ぎて理解に苦しむ。
「その顔振りからすると本当に何も知らないのですわね。呆れを通り越して哀れですわよ」
「……ふんっ、こっちこそ妄言の類と疑う」
「それはこっちの台詞ですの!」
クレアは椅子から身を乗り出してツッコミ漫才のように言い返してくる。
そんなクレアの反応を見て、コナタは小馬鹿にして少しだけ鼻を広げて見せてから目線を横に逸らした。
クレアの額に青筋が浮き上がったような気がする。
(だけど嘘を言っているようには見えない……)
しかしながら、この食い違いは非常に興味深い。
この食い違いはこの世界にコナタが閉じ込められていることと無関係には思えなかった。
「質問。さっきあなたは私を「プレイヤーなのか」と聞いたけど、それはどうして? ここがゲームの世界だからではないの?」
「だからゲームって……現実とゲームの区別もつかないんですの、あなたは?」
クレアもいい加減苛立ってきたらしい。口調が喧嘩腰になりつつある。
「さらに質問。ではプレイヤーとはどういう意味で使っている?」
「あー……そういうことですわね。プレイヤーと呼ばれる野蛮な連中がいましたのよ。彼らは国を乗っ取り、私達のような人類を蹂躙し、そして歴史を変えると息巻いて死んでいきました。その生き残りや子孫が今もプレイヤーと呼ばれているのですわ」
コナタは脳内を常人の何倍もの速さで回転させる。人造人間として生み出され、凄まじい身体能力の他に優れた演算能力も授けられているのだ。
(……プレイヤーがいました? なぜ過去形?)
コナタの『プレイヤー』という言葉の認識が、どうにもクレアの認識とズレているらしい。
コナタが知っているゲームの頃の『プレイヤー』はもういないのだろうか。いや、クレアの話だけでは判断できない。
(クレアは『プレイヤー』という言葉を『野蛮な輩』を呼称するただの名詞として捉えているようだけど。そういった使い方ならば、クレアは『プレイヤー』ではないということになる。じゃあ、クレアは何者なの?)
クレアをじっと見つめると、急に熱い視線で見つめられたことに動揺したのか目線をそらしてきた。
「最後の質問」
この答えによって、または彼女の受け取り方によっては戦闘になる可能性がある。
手に持ったままの紅茶はすっかり冷めてしまった。
「あなたはプレイヤーじゃないの?」
殺気が漏れる。
クレアからではない。背後のサターン、だけではなくクレアの後ろで控えているすべての機械人形から発せられている。
「ふふふ、私はプレイヤーではありませんわ。むしろ恨んでいる側ですもの」
コナタは目を瞑って深呼吸を一度した。
「ごめんなさい、失礼なことを聞いたみたいで」
「気にしなくていいですわ。そういうあなたはプレイヤーのようですわね」
「おそらく……だけど、あなたの言っているプレイヤーとは違うものかもしれない」
クレアは眉をピクリと動かした。
「ふぅ、紅茶を淹れ直しましょう。マーズ、お願いしてもいいかしら」
「なんなりとお申しつけ下サイ、クレア様」
マーズが、コナタのティーカップを受け取って一度部屋から出て行った。
クレアが大きく背中を伸ばすように腕を上げたことで、張り詰めていた空気が弛緩する。
「改めまして、私は錬金術師として時計塔に移り住んだクレアモル・バルバボッサですわ」
「錬金術師……? クレア、本当に地球から来たの?」
「もうどれほど前のことなのでしょうね。元々寿命が伸び続けていた人類でしたが、私はもはや不老不死の段階まできてしまいましたわ」
目を凝らしてよく見ると、クレアの肉体は人間の生身とは異なっていた。機械人形と同じく機械としての身体を持ちつつ外側を何かしらの技術で自然に見立てている。
精巧に出来ているので注意深く見たとしても気づけないほどの違和感がない。
「この世界には魔法があるでしょう? 地球を反転させた影響と国からは説明を受けましたが、それも長い年月が経つことで慣れましたわ。移り住んだ者達は、始めは協力し合って天球独自の文化文明を築き上げるまでに至りました。ですが、生活に楽が出来るようになると魔法を悪用する者が出てきました。プレイヤーはどうやったのか私達より先にこの世界へ来ていたようですが、私達と意見の食い違いがあって諍いが起こり、それはやがて戦争へと発展しましたの」
クレアの表情が悲しく、こちらも切なくなってくるような顔に変化していく。
「プレイヤー側に加担した人類と、私達とセレス教会の連合による第一次大戦とでも呼びましょうか。凄惨な争いは百年も続きました。多くの死者を出してプレイヤーの陣営は崩れ、生き残りは散り散りに逃げていったとされていますわ。その後、セレス教会が私達を裏切ったのです」
クレアは血が出るほどに唇を噛み締め、苦悶の表情を見せる。
「私達の生き残りもほとんどが天命を全うしたことでしょう。私はこうして仲間達を見送って生き延びてしまったという訳ですわね」
「なんというか、反応に困る」
「ごめんなさい。暗い話になってしまいましたわ。コナタでいいかしら? コナタは最近になってこちらに来たのでしょう?」
「つい数日前に。私が来た時とクレアが来た時とはだいぶ時差があるみたいだけれども、それはなぜ……?」
「ああ、それはこの世界に負担をかけないためですわ。なので天球に移住するのも二度に分けて行われました。でも最近になってある噂を聞くようになりましたの」
「噂……?」
「ええ、なんでも間に合わなかったとされていた第三回目の移住者達がこの世界に現れ始めたと。こうしてコナタが目の前にいる以上、もはや噂ではありませんけれども」
ゲームとしての世界である『新世界の箱庭』についてはこの際だから置いておく。
この世界に移住してきたのはクレアの話からすると何百年も前のことになる。そしてプレイヤー達はクレア達よりも先に天球で活動していたと言っていた。
確証はないが、コナタの持ちうる情報を整理すると天球と新世界の箱庭はイコールで結ぶことができる。しかし、プレイヤーがコナタの考えている新世界の箱庭におけるプレイヤーで無ければこの式は成り立たないことになる。
「まずはプレイヤーと会うしかないか……」
クレアと会って話をして、わからないことが更に増えたように感じていた。
ゴールまで遠ざかった気持ちを振り払うために、前向きに次にするべきことを考えた。その結論がつい口から溢れ出てしまっただけなのだが――
「何を言ってるんですの!? そんなことはさせませんわ!」
「えっ、なんで?」
クレアが激昂した。
「またプレイヤーが集まって戦争を起こされては堪ったものじゃありませんわ! それくらいでしたら、あなたをここで殺した方がマシですの!」
「待って、別に戦争をするためにプレイヤーと会うんじゃない。私は元の世界に帰る手段を探してるの」
「元の……世界に……?」
クレアは信じられないものを見る目でコナタを凝視する。
「私は丸夫と暮らしていれば幸せだった。だから元の世界に戻りたいの」
「それは無理ですわ」
「無理じゃない」
「出来る訳ないですわ!!」
理解できない。戻れないわけがない。
この世界に連れてきた存在とゲームシステムが使えない要因さえ解決すれば元の世界に帰れるはずだ。
「もう地球は滅んだんですの! 無理なんですの!!」
「無理じゃないっ!」
コナタは自身でも驚くほど声を荒らげていた。
今まででこんな感情が芽生えたことがなかったので困惑する。
でも、そんなことを言われて黙ってはいられなかったのだ。それが本当のことならば、丸夫はもう――――
「やはりあなたを野放しにしておくには危険過ぎますわ。悪いことは言いません、私に従うのであれば痛い思いはしないですみますわよ」
「ふん、甘く見ないでクレア」
「あなたを絶対にプレイヤーになんて会わさせやしませんわ!」
一触即発。
弛緩した雰囲気が一点、またこれ以上にないほど張り詰めた。
紅茶を淹れ直してきたマーズが気配を悟って戻ってきた。
(機械人形が視界に写っているだけで五体。六対一は分が悪いし、ここは引くしか――)
「死ッ!」
サターンが変形した腕をギロチンのように振り抜く。
コナタはソファを利用してサターンのギロチンをソファに食い込ませることに成功する。
「あっ、それ錬成のコストが高かったのにぃ!」
クレアの悲鳴が聞こえるが、コナタはこの好機を見逃さない。
「閃光」
目くらましの魔法を放ち、時計塔の出口を探す。
空を切る音。
「覚悟してくだサイ!!」
緑色の機械人形の腕が伸びてくる。
「くっ!?」
なんとか躱すが、閃光などものともせずに機械人形はコナタを追いかけてくる。
「仕方ない、雷撃!」
自身にもダメージが入るが、威力が高い爆発系の魔法を撃ち時計塔の壁をぶち抜いた。
黄色の機械人形が逃すまいと飛ばしてきた無数の刃物がコナタの頬を掠め、一本が肩に刺さる。
「うぐっ! 刺さった!」
空中で落ちながら刺さった刃物を抜くと遠くへ放り投げる。
なびく黒髪が鬱陶しいが、やはり追ってくる三体の機械人形に焦りを隠せない。
(……着地しないとっ)
しかしながら人間が生身で空を飛ぶ術は持ち合わせていない。
「硬化」
コナタの皮膚が石のように固くなっていく。
屋根に落下するとそのまま突き抜けて地面まで落ちる。幸いにも留守だったようでけが人はコナタ以外にいない。
近くの屋根に三つ落下する音が聞こえた。
「くっ、瞬足」
コナタは自身に強化魔法を更に上乗せし、駆け出した。
機械人形が人型を崩してまで尋常ではない速度でそれを追う。
「しまった」
街にはまだ人が溢れかえっている昼間だ。
血を流しているコナタを見て悲鳴をあげる女性や、追ってきた機械人形達に恐れ慄き腰を抜かす者が出始める。
「くっ、人混みが邪魔!」
人混みを避けようと屋根に跳び移ろうにも機械人形達がそれをさせない。
じわじわと追い詰められていく感覚にコナタは息が詰まりそうだった。
「雷銃!」
放った電撃が機械人形に当たるが大したダメージはない。
ここまでかとコナタが諦めかけたその時だった。
「死ネッ――――何ッ!?」
突き出された狂気の腕が剣によって弾かれた。
「やっぱりまた会ったね」
そこに立っていたのは赤い髪の少年、アカだった。
アカは、顔だけをこちらに向けると満面の笑みで無邪気に笑った。
「今度こそ君の名前を教えてもらうからね」