時計塔を這う邪竜
コナタは現在、冒険者組合のカウンターに突っ伏して暇を満喫している。
冒険者組合の受付嬢の仕事をさせられてから数日が経っていた。
朝起きてから夕方まで、休憩を挟みながらカウンターで客を待っていたり掃除をしていたりと比較的に簡単な仕事を任されている。
店長のバーソロミューはコナタのことを子供扱いしたがる傾向にあって、過保護なほどに世話を焼こうとしてくる。鬱陶しくも思っているが、誰も知り合いのいない世界に突然来てしまった身としては感謝を感じ始めてきていた。
冒険者組合で働くことになったのは強引な成り行きではあるが、そこまで悪いものではない。
客にプレイヤーがいないか、もしくはプレイヤーに関する情報がはいってこないかを待つことができる。朝昼晩三食宿付きという好条件で。
「はぁ、最近めっきり客がこないねぇ」
レオナはテーブルを拭きながら愚痴をこぼし始めた。
「前はそんなことなかったの?」
「ええ、客はそこそこ入ってたわよ。シエルボウスがよく狩れる地域だし、メディオクリスが人を襲うからね。冒険者への依頼は無くならないのよ。でも冒険者が来てくれないんじゃ、依頼だけが溜まってく一方ね」
鹿の肉に人型怪物の退治。やはり冒険者組合で受けられる仕事は初心者向けなのかとコナタは思う。
だが、これらの仕事を普通の農夫に頼むのは少々荷が重いというのは確かだ。
冒険者とは街から街へ旅する者や、危険な場所に自らの意志で訪れて新開拓地を探す者のことを指す。
世界各国を移り渡ることのついでとして、狩りやモンスターの討伐の依頼を受けて報酬を旅の養えとする。
そういった人間達故に一つの街に留まる冒険者は皆無であり、そういった者達を相手にする冒険者組合は不安定な職と言えるだろう。
「溜まってしまった依頼はどうするの。困っている人がいるんじゃないの?」
「簡単な採取系は暇そうな若者に、討伐系なら傭兵を雇うわ。仕事がない人は多いもの」
「ふーん」
依頼を片付けることが優先だとレオナは言う。
仕事が無いものに日銭を稼ぐ仕事を与える。そんな事もしているのかとコナタは感心してしまうが、それだったらもっと客が来てもおかしくないのではと首を傾げる。
「アンタも暇してるなら掃除でもしなさいよ。なんで店長はこんな小娘なんて雇ったのかしら……このままじゃ」
コナタはカウンターの埃を指でつまんで床に落とした。
冒険者組合の経営は火の車だというのは容易に想像できる。
数日間ではあるが感謝を感じ始めていたコナタは何とかできないものかと考えるようになっていた。
――パンッ
レオナが急に手を合わせてニヤリと笑った。
「そうだ、あんな良い装備持ってるならアンタが依頼をやってきなよ」
「……受付は?」
「そんなのあたしがやっとくっての。どうせ今日は来やしないわよ」
レオナは外に一度出て、客が来そうにもないことを確認する。
腰に手をあてながらこちらを見つめてくるレオナの圧を感じてコナタは突っ伏していた顔をあげる。
「わかった。私は何をすればいい?」
「老夫婦の蔵掃除、森付近の木の実採取。……このあたりね、アンタでも出来そうなやつは」
「討伐はしなくていいんだ」
「何言ってんの! 小鬼だって舐めてたら早死にするよ! さっさと着替えてきな」
最上級の装備を身につけて杖の先を触る。
この世界で戦闘はまだ試していない。この杖もただの削られてアクセサリーをつけた木の棒にしか見えない。
「ほら、あそこの依頼書を持って指定の場所に行くんだよ」
レオナに急かされて掲示板に貼り出された依頼一つを引き剥がして外に出た。
兎にも角にも良い機会だ。受付で油を売っていても元の世界に戻れるとは思えない。
コナタが手に持っている依頼書の内容は「森での薬草採取」だった。
「依頼書に書いてある……場所が……『ハートフォレスト』ってどこのこと?」
ゲーム時代の頃では聞いたことのない地名だった。
地名というのは盲点だった。ゲームでは有名な狩場の名前くらいしか覚えない。
そう考えると、まずは地図が必要なのかもしれない。
冒険者組合に地図はあるだろうか。出かけてからそれほど歩いていないので一度戻ろうかとも思ったが、レオナの性格から察するにそんなことも知らないのかと陰口を叩かれることは目に見えていた。
店で地図を購入するにしても、そんな金はない。それに、バーソロミューやレオナの話ではこの格好はあまりにも目立つらしいので店に立ち寄れば厄介事に巻き込まれる可能性があった。
(何か他に良い方法は……あっ、そうだ)
視線が高くなっていく。
この街で大きく聳え立つ時計塔。悪目立ちといえばこの時計塔もそうだ。
頬を爪でかくと、時計塔に向けて走り出した。頬をかくのはコナタが何かに気付いた時によくする癖だ。
時計塔の入口までたどり着くと、おそらくこの国の兵士と思わしき格好をした男達がダンジョンの入口を見張っていた。
(入れないようにしている、何故?)
気にはなるが今回はダンジョンを攻略するつもりはないので疑問は横に置いておく。
コナタは遠目から出っ張りが無いかを確認する。兵士に見つかると怪しまれるので家の陰からこっそりと。
登れる場所を探しているのだ。
「屋根の上を行った方が早いかな」
人造人間であるコナタの身体能力は非常に高く設計されている。その華奢な身体からは想像出来ないが、三メートル近くの高さを跳ぶ脚力と着地に耐えうる体幹を有している。
誰も見ていない裏路地へ移動すると軽々屋根に飛び移った。着地の衝撃で屋根を踏み抜きそうになり、体勢が崩れたがなんとか落下しなかった。変な汗が背中から噴き出す。
時計塔近くの屋根までこそこそと移動すると様子を伺う。
兵士の一人が眠そうな顔をしながら立っているので隙はあるのだが、時計塔に飛び移るコナタの姿を見られたりしたら確実に騒ぎになる。
「隠蔽」
気配を薄くする魔法を使用した。
(ちゃんと効いてるのかな? でも、隠蔽がかかる感触っていう不思議な感じが胸から広がっていく気がする)
跳躍。
煉瓦が弾け地面に落ちるまで誰も気がつかない。
時計塔までの距離をきっかり跳んで建物の凹凸に掴まる。
単純な握力だけで時計塔の壁を登っていく。
(こんなことなら飛行の魔法でも覚えておけばよかった……)
手が痛くなってきたが、時計塔の半分辺りに差し掛かれば周りを見渡すのに事足りた。
時計塔を中心に放射状に広がる街並みに、それを囲う煉瓦でできた壁。更に外側には蒼く広がり続けるインティウム平原。
「森は……あっちか」
南の方角に森が見えた。この世界でも太陽が東から昇るのであれば南であっているはずだ。
他にこの高さからは地平線まで森は見えないので、あれが『ハートフォレスト』なのだろう。
行き先がわかったので時計塔を降りようと、慎重に足先を一段下のでっぱりにかけようとしたところで風を切る音が聞こえてくる。
「うわっ!」
ズガンととてつもない衝撃と轟音が鳴り響く。視界すべてが覆いかぶさるように影に包まれて、コナタは一瞬宙に浮くが時計塔の出っ張りにしがみついて間一髪のところで落下を免れる。
コナタが掴んでいる出っ張りから少しずれた先には、巨大で黒い鉤爪が見える。
「ガアアアアアアア!!!」
咆哮を撒き散らしながら、邪竜は尻尾を時計塔に叩きつけた。
時計塔は大きく揺れるが崩壊することはない。鉤爪も壁に突き刺さることはなく無傷であった。
「これは、もしかして襲撃クエスト!?」
邪竜が不満そうに時計塔を螺旋を描くように登っていく。鉤爪が滑るようでガリガリと音を立てているが粘着質な腕のおかげで張り付きながらの動きは素早かった。
邪竜が移動したことで影が無くなり、急に眩しくなる。
コナタは痛む指に無理を言い聞かせて、塔の中腹辺りから横に伸びる渡り廊下の屋根まで登った。
一息吐く暇もなく見上げると、邪竜がのっぺりと平たい顔で舌を長く垂れさせている。
まるで街で蠢きあっている人間を見定めているようだった。どこから襲おうかと熟考しているかのようにも見える。
「ガアアアアアアアア!!」
邪竜は背中から生えた小さな翼をはためかせて時計塔から飛び降りようとしている。
目立つ行動は控えたかったが、「街を守るのはプレイヤーの義務だ」と言っていた金紅の仲間を思い出す。団長のアルカナもきっとそう言うことだろう。
「させない」
コナタは腰に挿していた杖を抜き取ると、杖の先を邪竜へ向けて魔法を放つ。
「――貫け、雷槍」
瞬きよりも速い迅雷の槍は邪竜を穿ち、突き抜けるように空へと消えていった。
雷の槍によって胸を焦がした邪竜は時計塔を鉤爪で引っかきながら持ち堪えると、こちらを睨みつけてきた。
「ガァアアアアアア!!!」
邪竜の咆哮が周囲に轟くが、眉一つ動かさずにコナタは再び雷槍を放つ。
しかし、それをヤモリのように華麗に避けた邪竜は一気に時計塔を駆け下りてきた。
「そう、こっちへ来て」
邪竜の凶悪な顎がコナタがいた場所を捉えるが、既に後ろへ飛び退きながら杖を構えていたコナタに当たることはなかった。
「雷散弾銃」
杖の先から飛び出した雷は散開し、邪竜の翼を焦がして貫く。
苦しそうな声をあげた邪竜を尻目に民家の屋根に着地したコナタだったが、今度は屋根が抜けてしまって室内へ落下してしまった。
「いたた」
尻もちをついたが、ダメージはほとんどない。
あの邪竜はおそらくイビルドレイク。そこまで強くはないが大きく成長する個体もあり強さもかなり散らばりがあるモンスターだ。
たまに特殊個体が襲撃クエストなどに出てくることがあるが、さして強くない部類とされている。
(……他のプレイヤーがいればもしかしたらイビルドレイクを討伐に現れるかもしれない。様子を見た方がよさそうかも)
コナタが立ち上がると、すぐ目の前がキッチンであった。
キッチンには口をパクパクさせながら固まっている女性がいた。おそらくこの家の奥さんだろう。目を丸くしている。
突如、少女が屋根を突き抜けて落ちてきたのだ。驚いてしまうのは無理もない。
「子供が落ちてきた……子供が落ちてきたぁ!」
これはまずい。
「…………隠蔽」
「わっ、消えた! あなた! あなたぁ! ちょっと来て!!」
大変取り乱しているところ申し訳ないのだが、コナタはそそくさとベランダから外へ飛び出す。
外へ出ると、邪竜が何かを探すように首を左右に動かしながら時計塔をよじ登っているところだった。
隠れてやり過ごそうと思ったがベランダから飛び出したところを見られてしまった。
刹那、イビルドレイクは恐ろしい速さで反射的に飛び込んできた。
路地が砕け散る。
その衝撃でコナタは突き飛ばされて道に転がり、あまりの衝撃に受け身が取れず傷だらけになった。
「っつ、頭が痛い」
片目の視界が赤く染まっていく。流血はゲームでは無い演出である。
そもそも痛みをゲーム内で感じることはなかったというのに、今は身体中がズキズキと脈打っているようだ。
先程の衝撃で杖がどこかへ飛んでいってしまった。
「これが……」
コナタは言葉を失った。
邪竜が先程よりも大きな存在に感じる。とても巨大で凶悪な存在に。
「ガアアアアアアア!!」
イビルドレイクが前脚を振り上げてそのまま叩き下ろす。
コナタは前転しながらイビルドレイクの懐に飛び込んで上手く回避するが、固い地面の上を転がるのはここまで痛いのかと驚愕する。
「ガアアア!」
後ろに下がったイビルドレイクは口に炎を溜めている。
痛みで動けないと言っている場合ではない。
「雷銃!」
人差し指からかろうじて放たれた下級魔法が偶然とイビルドレイクの眼に刺さった。
吐き出される前の炎が行き場を失い口の中で爆発する。口から煙を上げながらイビルドレイクは大きな音を立てて倒れた。
「はぁ、はぁ、様子を見るどころじゃ、なかった」
コナタもそのまま地面に仰向けに崩れる。空を見上げる形になったが曇天の景色が見えるだけだ。
「この装備がなかったら死んでた、かも」
装備に傷は一つもなく、このローブのおかげで擦り傷がこの程度で済んだのだと思った。
コナタが所有するローブは魔法への抵抗力が強く、物理防御力も多少はあるのだが真の能力は他にある。
コナタがこの装備を使用していた理由のほとんどが『半分の魔力で魔法を発動させることができる』というオンリーワンの能力故にだ。だが、さすがにファンタジーの最上級装備というだけあって耐久力は並の金属鎧よりあるのは確かだ。
一度大きく深呼吸をする。
今日まで生きるという実感が薄い人生を歩んできたコナタにとって、痛みや死を間近に感じることは恐怖を通り越して新鮮だった。
(あぁ、さすがにこれじゃあ依頼も出来ないよね……)
影がコナタが倒れている付近を覆っていく。
ふと、脳裏によぎったのは丸夫の顔だった。聞きたいことが山ほどあるのだ、早く元の世界に戻らないとならない。
死の危険を感じて改めて自分が為すべきことを再確認したコナタであったが、上空を飛んでいる邪竜の姿を瞳に映して息を止める。
「……嘘、でしょ?」
空から巨大なイビルドレイクがゆっくりと降りてきているところだった。
亡骸となったイビルドレイクの横に降り立つと、コナタを見て咆哮する。仲間の仇とでも言っているのだろうか。
「ぐ、うぅ」
満身創痍だろうがなんとかして立ち上がる。
逃げられるような余力はなかった。少しでも力を抜けば膝が折れてしまいそうだ。
(こんなところで……死ねない!)
ふらふらと揺れる指先を持ち上げてイビルドレイクに向ける。
一匹と一人が対峙し、やはり先に動いたのはイビルドレイクだった。
小さな翼をはためかせて身体が持ち上がると、そのまま距離を取るように飛び上がった。口には炎を溜めている。
「くっ!」
炎が吐き出されようとするその時だった。
――シュゥゥゥゥゥキィーン。
レーザーと呼ぶべきだろうか。光の柱が時計塔の秒針の根元あたりから伸びた。
光の柱がイビルドレイクを真っ二つに引き裂くとそのまま天へ昇っていく。
イビルドレイクが民家の屋根に落ちて真っ黒な体液を撒き散らしていた。
コナタは時計塔を見るが、人影がぼんやりとしか見えなかった。塔の時計部分にある足場に誰かが立っていたようだ。
しかし人影は時計塔の中へ姿を消すと、長針と短針が重なって鐘が鳴り始めた。
(……たす、かった)
コナタは疲労のあまり後ろ向きに倒れて気絶した。