再戦
黒き異形のモノはパキパキと首を鳴らすと、口らしき部位から体液を垂れ流す。
ノイズが入り混じったような発声のため、何を言っているかは理解出来ないが異形の生物に知性があるということだけは解ってしまう。
「亜粗墓?」
近づいてくる。コナタは反射的に後ろへ跳んで距離を空けるとモンスターはピタリと止まる。
「亜例? 亜、鬼拒吊子素流呑!」
モンスターは口をバックリと開くと、顔の半分まで裂けていく。
「何を……?」
静止から突如、モンスターは猛烈な速度で突進してきた。
「亜非非非火hいhいhいh」
ぐちゃぐちゃの右腕を振り下ろすと、地面がひび割れる。
間一髪で避けていたコナタだったがモンスターは追撃する。獰猛な左腕が振り払われ、コナタは突き飛ばされる。
「ぐっ!?」
咄嗟に両腕をクロスさせて受け身を取ったが、相当な腕力によって壁まで突き飛ばされて背中を打つ。
そしてコナタは大きく脈打つような激痛を味わう。
「うぐ、ああああああああああ」
先の戦いにて右腕を大きく損傷していたコナタは元々耐え難い痛みを抱えていたが、更に強い衝撃を受けることによって許容量を軽く凌駕した。
目眩がする。吐き気がする。意識が遠のく。
戦意など消えてなくなり、コナタは恐怖を感じる。
「急に割り込んで、一体何者ですの!」
クレアは黒き異形のモノに対してがなり立てると光線を放つ魔法を唱える。
「光熱線!」
モンスターは気味の悪い音を鳴らしながら羽根を生やすと身軽に飛び上がり光線を躱した。
驚愕するクレアに向かって滑空するとその豪腕を振り下ろす。
「クレア様、危ナイ!!」
マーズはクレアを庇って前に出るが、クレア諸共吹き飛ばされる。
「きゃあ!」
吹き飛ばされた弾みでクレアは機械人形の核を手放してしまうと部屋の床を転がっていってしまう。
マーズの損傷も大きく、右腕が関節辺りから失くなってしまっている。
「……クレア様、お逃げくだサイ」
「はぁ、はぁ、なにを言ってるんですの! もう少しでジュピターとサターンを取り返せるんですわよ! 諦めませんわ!」
クレアは冷静ではないように思える。消えかける意識をなんとか保ちながらコナタは立ち上がろうとするが膝が震えて力が入らないでいる。
ふと、何故こんなことをしているのだろうとコナタは考える。命を危険に晒しているのは何故なのかと誰かがコナタに問いかけているような感覚に陥る。
(私は……)
普通の人間ならばここで逃げてしまったのかもしれない。しかし、コナタは走馬灯のように過去を思い出していた。
(私は、またあの場所に戻りたい。また会いたいんだ)
脚の震えは止まっていた。これならば立てるとコナタは思い切り、力を込めて踏ん張った。
コナタの瞳が淡く光って、意識がハッキリと戻っていく。
「――邪魔を、しないで」
轟いた。
空間が痺れる。コナタの周囲で小さな火花が飛ぶ。
「複合魔法:雷血鬼」
まるで雷の衣を羽織った子鬼のような風貌へと変化したコナタは身体に駆け巡る激痛を耐えながら一歩踏み出す。
「かぁはぁ」
口から漏れるのは血が蒸発した紅い吐息。鼻からどろりとしたものが垂れ落ちる。
「があああああああああああああああああああああ!!!」
ただ、力の限り踏み抜いただけだったのだがまたも轟く。
黒き異形の生物が焼け焦げる。しかし絶命はしておらず反撃してくる。
「異駄亜亜亜異異異異異異異ィ!!!」
「誰だか知らないけど! これで終わらせるっ!!」
漆黒の狂碗が振り抜かれる。
「右手に全てを束ねて解き放つ、雷鎚!!」
右手による渾身の正拳突き。雷鳴が轟き、辺りが白く眩しい。
激しい閃光が瞬いた後、火花は波紋状に広がりそして消えていった。
「な、なにが……?」
クレアは目をこすりながらヨロヨロと立ち上がる。あまりの光景に、知らぬ間に腰が抜けて尻餅をついていたのだ。
黒い邪悪なモンスターの姿は跡形もなく、そこには焦げた地面と煙が立ち上っていた。
そして煙たい中で揺れる影が一つ。たった今、それは倒れた。
「コナタ!?」
クレアは転びそうになりながら駆け寄った。
「コナタっ、コナタっ! しっかりなさいっ!」
血まみれで横たわるコナタを抱き抱えて揺さぶるがまったく反応がない。
脈はあるので死んではいない。だが、一刻を争う事態であった。
回復を試みないとならないが、クレアは錬金術師でありそのような系統の魔法は習得していなかった。
「コナタ! どうしてそんなになるまで! あああぁ――」
クレアは気付いてしまう。
「腕が……」
コナタの右腕が消し炭となっていたのだ。肩から先が存在せず、そして横腹も抉れている。
(ダメよ! 諦めてはダメよクレア!)
クレアはそれでも蘇生をするためにコナタの服を脱がそうとする。
ズタズタに引き裂かれている身体に対して、傷一つも無いローブが気味悪かった。
「うっ!」
服を脱がすと少女の肢体がどこまでも残酷に崩れていた。
涙が溢れてくる。どうしてこんな少女が、このような酷い仕打ちを受けるのだろうか。
「コナタ、意識を保ちなさい! お願いだから死なないで!」
叫べど叫べどコナタの身体は冷たくなっていく。まるで壊れた人形のようだ。
「誰か、誰かこの子を助けて……」
クレアが祈ったその時、聖堂の大広間全体に月明かりが差した。天井は既に崩れ去って星が彼女達を見下ろす。
「伽伽伽伽伽伽!!!」
「亜迦迦迦迦迦迦迦迦!!!」
「骸骸骸骸骸!!」
三体の黒き悪魔は降り立った。
クレアの瞳が光を失いそうになる。
(どうして……こうも無力なの……)
落胆する、失望する、絶望する。
目の前にいるこの醜い生物は殺意を放ってこちらを見ている。
「でも、大人しく殺される気はありませんの。せっかくですので最後の憂さ晴らしに全力でこの魔法を放ちますわ」
クレアは殆どが絡繰となっている腕を構えて魔法を展開する。
(私の我が儘で生んでしまった我が子達……ごめんなさい)
この魔法を放てばクレアも魔力枯渇によって動けなくなる。覚悟はもう決めた。
「光熱線――」
シャラン。
「そこまでにしておきなさい、望まぬ者達」
シャランシャラン。
「救いをあげましょう」
シャン。
鈴の音を鳴らしながら何者かが宙に祈りを捧げた。聖堂の床に雑草が生い茂る。蔦が壁を這って登っていく。
「辛かったですね、もう眠ってもいいのですよ」
黒い悪魔達は無言で溶けていった。色とりどりの花が咲いた。
「もうなにがなんだか、ですわ……」
クレアはコナタの頭をさすった。焼け焦げた傷がみるみると修復されていく。
「さて、バルバボッサ様。そちらの御人を私の元に運んで頂けますか?」
透き通った声でそう言った女性は目を完全に覆っており、白い修道服を身にまとっている。
そして巨大だった。身長は三メートルはある巨躯で、その体格でも目立つほどの巨乳は同性でも息を飲むほどだ。
「何故、私の名前を……」
「それは今重要なことでしょうか? 人の命より優先すべきことは無いと私は思います」
クレアは自身を恥じて、急ぎコナタを彼女の元まで運んだ。
彼女の魔法なのだろうか。クレアの身体も人間の部分は治癒しているようだった。
「これはまた、可哀想に」
手をかざすだけでコナタの身体の焦げが消えていく。
「あなたは一体……?」
「私ですか? 私は人を助けることを信条とする一信徒に過ぎませんわ」
「一信徒がこれほどの治癒、だけではなくあの化物を一瞬にして倒してしまうなんて信じられるとでも思っていますの?」
「ふふ、元気が出てきたようで良かったですわ。バルバボッサ様もボロボロでしたので」
「感謝はしてるわ。でも、私は教会の連中に酷い仕打ちを受けてるんですの。そう易々と修道服を身にまとうあなたを信じることはできないんですの。もう一度聞きますわ、あなたは何者ですの?」
穏やかに微笑んでいるだけだった彼女の口元が少し崩れる。
「そうですね、この名乗り方はあまり好きではないのですが……」
彼女はスクリと立ち上がると、名乗るべき正体を惜しげもなく明かした。
「私は救済を司る善事派の教祖、名をパナケア」
月光が彼女を照らすスポットライトのように降り注ぐ。まるで彼女が世界の中心のようにも見えた。
非常に柔らかく微笑むとクレアの手を握ってくる。
「貴女が求め、救済がここに参りました」




