金紅
挑戦状。
そんな一方的な権利の主張は無様な形で終わりを迎えようとしていた。
鬱陶しい風が吹くと砂塵は無抵抗に宙を舞う。
円を描くようにポッカリと天井が刳り貫かれた闘技場。
幾人もの戦士が踏み抜かんと荒らした大地を、太陽光はこれでもかと照らし続けて蜃気楼が見えるほどである。そんな蜃気楼はまるで疲弊した戦士にのみ訪れる白い死神のローブの切れ端に見えてくる。
「 」
観客が靴を鳴らしながら声を張上げる。狂ったように煩く囃したてる。
観客たちの視線の先には、向かい合う両者による決闘が繰り広げられているのだ。
矢が大盾に弾かれ、折れた先端が後方へ飛んでいく。
「くそっ! くそっ! くそっ!」
まるで山のようではないかと挑戦者、ガイルは思った。
弓を構えた男はゴクリと大きく喉を鳴らす。対峙して佇むのは、身長より大きな盾を持つ一際小さな全身鎧である。
しかし、その小さな佇まいからは想像し難い圧力を浴びせてくる。その堂々たる見事な仁王立ちに観客が魅せつけられてしまうほどだ。
そして、彼女の背中には退屈そうな少女がいる。つまやかな杖の先端を弄りながら儚げな表情を見せている少女は、次に発動させるべき魔法を考えているのだろう。
「こんなはずじゃなかったのに! どんなチートだよ! 攻撃が効かないなんて、そんなのアリか!?」
「……はぁ、わかってない。攻撃が効かないんじゃない。効かないようにしているの」
ガイルは作戦は考えて勝負を挑んだのだ。無策にレジェンドプレイヤーへ挑戦状を送ったのではない。
その作戦とは、まず、タンクとして耐久性に優れている全身鎧の『ガーディアン』は放置する。そして脆く、攻撃魔法も少ない支援系魔法使いを集中的に狙う。ガイルはこの作戦に、勝利の確信を抱いていたのだ。
それなのに結果はひどいものだ。今宵の試合は『防戦一方』と表すのが一番しっくりくるだろう。
「ま~た弾かれてるじゃねぇか! 下手クソがぁ!」
必死に弓を射放ったとしてもその努力が報われることはなく、観客が野次を浴びせてくる。
ガーディアンの背後にメイジが隠れるようにしているため、メイジを狙っても攻撃がすべて大盾にはじかれてしまっているのだ。
これはタッグマッチである。
先程まではこちら側にも相棒がいて、分不相応は知っていながらも勝利を目指して闘っていた。
だが、残念なことに先に飛びかかった相棒は無残にも開始数分で戦闘不能という始末。
(作戦関係無く突っ込みやがってアイツ! 憧れの存在と闘えて嬉しいのは知ってるがな。興奮し過ぎなんだよ、バカヤロー!)
誤算だった事は、たったの一つだけだ。あまりにも硬すぎる。
ガイルは、弓を力強く引き絞ることで杖を弄る少女を狙う矢を回転しながら射出する。だが、盾を軽く動かしただけでガーディアンに防がれてしまう。
それだけではない。メイジ少女が唱える『バフ』の中でも最も防御力が上昇する魔法と回復魔法を重ねがけをされている。
レベルやステータスだけでは説明がつかない。圧倒的な役割分担と最善の立ち回りに、挑戦者は悔しくも舌を巻くばかりである。
ガイルはもう一度「何で攻撃が効かないんだ、無理ゲーだこんなの!」と、絶叫しながら弓を射る。
こんなものは、海に矢を射るようなものであって山をひっくり返そうとするようなものだ。闘技場でポイントを賭けて正々堂々闘っているとは、とてもじゃないが思いたくない。
だが、ガイル達のプレイスキルが下手ということでは決して無い。
この「くっそぉがぁー!」と、悔し紛れに激昂するガイルもこう見えて弓の名手として名を馳せた熟練のゲーマーである。
彼の身に付けてる装備は、初心者が喉から手が出る程欲しがるレア装備のみで揃えられていて、さらには弓に関しては大量の課金により手に入れた特別な弓である。
だが、そんなガラクタでは退屈そうな彼女達には物足りない。
「……無謀」
杖を弄ることに飽きた少女は、「……そろそろ時間、終わらせる」と静かに呟く。
全身鎧の表情は、兜の隙間からでは伺えないがそのまま無言で動き出す。メイジの少女は顔を上げて闘技場の真ん中で宙高く浮いている時計を確認すると、静かに敵を見据えて魔法を発動させる。
「一応、もう一度バフでもかける」
彼女の魔法を見た瞬間に察した。このままでは良いところも無しに終わってしまう。
(こうなったらやるしかないっ!)
玉砕覚悟の特攻を仕掛けたガイルだったが、ガーディアンはあっさりと巨大な盾で阻むと動きを封じてられてしまう。
しかしガイルは諦めていない。短剣を抜き放ち、盾に張り付く形で振り回すが一向にガーディアンは無傷である。ガイルは絶望するが、それでも健気に千切れんばかりに腕を振って喰らいつく。
斬る、防がれる、斬る、防がれる、斬る、防がれる、斬る、防がれ――。
盾の横からコンパクトな杖が突き出されて得体の知れない光を帯びる刹那、圧倒的な強さを前にガイルは心の中で「やっぱりカッコいいなぁ……!」と、そう思ってしまったのだった。
「雷撃」
少女は、何の躊躇もなく魔法を詠唱する。
可愛らしく杖を振ると白き稲妻は男の胸を通り過ぎてゆく。
HPがみるみると減ってゆき、ガイルの視界は暗くなっていく。
完敗だった。
せめて、この至高のプレイヤーの姿を目に焼き付けようとガイルは顔をあげた時だった。
ガーディアンの握る剣によってギロチンのようにとどめの一撃が振り下ろされた。
・・・・・
「いやー、今回は簡単過ぎたかにゃー?」
猫耳付き、尻尾付きというあざといメイド服を着た女性が闘技場の一件を思い出しながら口に出した。
語尾もあざといし、設定もあざとい。
あざとさの三重苦を体現した存在が、そこにいた。
自称永遠の女子高生は、ニッコリと八重歯を見せながら向かいの席で杖を弄っているコナタの隣に腰掛ける。
ゲーム名称「九尾のにゃんにゃん」は、現実では中小企業の受付嬢をやっていた女性だと聞いている。
夜中にやっていたキャバ嬢の仕事は最近になって辞めたとのこと。キャバ嬢を辞めた理由でもある薬指の指輪を飽きずに眺めている様子は、幸せ絶頂期の人妻そのものだった。
彼女のゲーム内職業は、「ビースト」という獣人族限定の特殊職業を選択している。
ここは酒場である。
ゲーム内のセーフポイントに用意されてる酒場は『本物の酒』を提供していない。仮想世界における見せかけの酒場なのである。
その店内に置かれている一際大きなテーブルは現在、〈金紅〉によって貸し切られていた。
金紅のメンバーである九尾のにゃんにゃんを含め、計八人のプレイヤーがテーブルを囲むように各々に座っている。
九尾のにゃんにゃんはしばらく返事が無いことに眼をパチクリさせていると、「んにゃ? 無視は辛いにゃー」と言いながら不満そうな声と上目遣いでコナタに顔を近づけてくる。
コナタは九尾のにゃんにゃんの顔を両手で押さえつけながら、隣で涼しそうにコーヒー牛乳をストローで吸っている、体操服姿のカナタを睨みつけた。
カナタはコナタと瓜二つの顔をしている。
傍から見たら、全く同じ人間が存在しているかのようだと思うに違いない。
「カナタ、他人事じゃない」
「ううん、コナタ。それは他人事」
冷たくあしらうカナタに、頬を膨らませながらコナタは九尾のにゃんにゃんを足蹴にする。
何度も頬ずりしようと近づけてくる鬱陶しい顔を足の裏で遠ざけるコナタだったが、その際漏らした九尾のにゃんにゃんの「コナタたんのソックスは唆られるものが……ごくにゃんこ」という言葉に、ゾッと冷や汗が噴き出る。
涎をこぼしながら少女に迫る変態が、女性アバターで中身も女性でなかったら大問題になっているところだ。
そんな地獄絵図を無視して、他メンバーは先ほどの試合について振り返っている。
「それにしても、あの戦法はいつ見ても地味だよね。耐久勝負を意図的にPVPで持ち込むトップランカーは、まさしく君らくらいだよ」
皮肉っぽく聞こえるように笑うエルフの青年。ゲーム名称「メーテル」は、金色の短髪で細く尖った耳にピアスをしている。
魔法職が一般的であるエルフという種族の彼は、例に漏れずエレメンタラーという魔法職業である。
しかしエレメンタラーは通称『精霊使い』と呼ばれるように、自身の魔力で魔法を生み出すのではなく魔力を精霊に差し出すことで精霊の力を一時的に借りるという変わった職業だ。
「ふっ、勝てばいいの。完璧に防いでこそ最強の証」
そして、呑気にコーヒー牛乳を飲んでいるカナタは『ガーディアン』という職業だ。
「最大の攻撃はガチムチ防御」などと自信満々に言い放つ彼女は、前衛職の中でも防御力がトップクラスである。
メーテルの嫌味にもドヤ顔で言い返すほどの防御力マニアなカナタは、双子の妹であるコナタに自分を支援させるため、半ば強制的に防御力を上げる強化魔法を全て習得させたくらいである。
ちなみに、コナタは支援系魔法職である『メイジ』だ。
主に支援系で味方を強化する魔法を覚えるメイジは、攻撃力防御力に関しては全職業の中でも下から数えた方が早いくらいに貧弱である。
しかしながら、コナタの強化魔法の有無によってパーティーメンバーが安定した勝利を得るかどうかと左右されるほど支援職は重要な役割である。
「でもさ、いくら防御力が高くてもやっぱり魔法による攻撃には耐えられないと思うよ?」
やぶから棒にもメーテルはそんなことを言い出した。
「む、そんなことは無い。現に、私が倒れたことはレベルが最高値に達してから一度として無い」
「そりゃ、本物の魔法を受けたことがないからだね。僕の魔法は火力がそこまで出ないから耐えられちゃうだろうけど、エギルパイセンの魔法なら難しいだろうね」
メーテルは生粋の魔法好きのため、嬉々として剣士系の職業を貶めようとしてくる。
常に口癖が、「魔法の方が強い。魔法は万能でカッコいいんだから鉄屑を振り回してる奴等なんかに負けるはずがない」というひどく考え方が偏ったものなのだ。
話に出てきたエギルパイセンというのは、ゲーム名称「エギル」というこの場に出席していないギルドメンバーのことだ。高火力魔法を使いこなす魔法職のため、メーテルが懐いている。
しかし奇怪なことに、魔法職なのだが体格はプロレスラーのような立派な容姿をしている男キャラである。見た目と職業をアンバランスにしている理由を訊ねた際には、単純にその方が面白いと言っていた。
「エギルは確かに強い。けど、私の方が個人でも順位は上。そうでなくても私の方が強い」
「それは魔法職は一騎打ちでの対人戦に向いてないからにゃー。シングルマッチランキング上位を取るのはいくらエギルちんでも難しいにゃー」
メーテルは思わぬ支援を受けて「九尾さんの言う通りだね、一騎打ちで魔法が当たればエギルパイセンにもワンチャン残ってるよ」と、早計なカナタを挑発しながらほくそ笑む。
「……メーテルが喧嘩売ってる。でも、私は安物に興味は無いから出直してきて」
「じゃあさ、僕がそれを買い直して無料で提供してあげようか? 物欲しそうな顔してるしさ!」
火花を散らしながら睨み合う二人に巨乳を上下に揺らしながら割って入った成人女性は、容赦なくげんこつを各一回ずつ与える。
「こらこら、あんまり喧嘩をするもんじゃないよ。ほんとにあんた達は仲が悪いねぇ」
そう言って二人を宥めながら酒を煽る成人女性は、片眉を下げながら内心で溜息を吐き出す。
彼女の種族は『ヒューマン』。金紅団長、名称「アルカナ」だ。
豊満なボディと堂々とした立ち振る舞いから「だってカナタが自分が一番強いなんて言うんですよ? ナルシストにも程がありますよ、ね? アルカ姐さん」と、このようにメンバーからはアルカ姐さんと呼ばれている。
「そんなことは言ってない。ただ、私はどんな攻撃でも必ず耐え抜ける自信があると言っている」
「そういう発言がナルシストぽいっていうんだよ!」
「こらっメーテル言い過ぎだよ。あんまり口が過ぎると、ペナルティ受けてもらうよ?」
メーテルは「ゲッ、すみませんでした!」と、口早に謝罪はするがアイツが悪いのにと思っていることが残念なことに顔に出てしまっている。
そんなメーテルを見て、カナタはアルカナに見えないように舌を出して挑発すると、アルカナのげんこつを頭に受けてしまった。ゲームなので痛覚は感じないが、反射的に殴られた箇所を彼方は口を尖らせながら摩っている。
「まったく、お前らはいつもいつもこうだね。あっちも大概だが、ほんとに賑やかだよウチは……」
アルカナは、コナタと九尾のにゃんにゃんの様子を横目で確認する。まだコナタの抵抗は続いていて、九尾のにゃんにゃんと居ちゃいちゃプロレスもどきをしている。
そして、アルカナは改めて席に座る7人の仲間達を見渡す。
彼方、此方、九尾のにゃんにゃん、メーテル、雷公青鬼、桜田麩三鷹、メルト・バジリーナ。
全員が掛け替えのない仲間であり、アルカナは家族だと思っている。
エギルのように今回の集まりに出席していないメンバーも何人かいるのだが、アルカナは満足そうにうなづいた後に偽物の酒をグイっと飲み干した。
「さぁて、次の目的地の話をそろそろしようか!」
・・・・・
此方は暗くされている部屋で目覚め、布団を剥いで冷えた身体を触る。いつもゲームをした後は身体が冷えてしまうのだが、此方がYシャツ一枚という危うい姿だという事が一番の原因であることは自明の理である。
ベッドから降りて、部屋を後にすると近代的な冷たさを感じるのっぺりとした金属の廊下を歩いていく。足の裏に感じる冷たさが不快に感じる。
「……最近は冷える」
何か違和感を感じた。
此方は気にせず温かいコーヒーかカップ麺でも作ってもらおうと考えると、丸夫の部屋に直行する。
部屋に入ると机に突っ伏している丸夫を見つける。彼の目の前にあるパソコンはスリープ状態になっているため画面は暗く消えていたが、書類が乱雑に置かれているところをみると先程まで仕事をしていたらしい。
違和感をまた感じた。
唸るように震えながら寝ている丸夫に、此方は呆れた表情で起こしにかかる。
「丸夫、ホットな飲み物を作って。もちろん今すぐに」
「ん、んぐぅ、寒いよ」
「さっき暖房をいれたからもうじき暖かくなる。でも暖かくなったら動きたくなくなるからその前に作って」
「ぐぅ……」
手強い丸夫に、此方はいつもどおり丸夫の首根っこを掴みあげた。
「ひゃっ冷たっ! ほぇ、って、今は何時?」
丸夫が寝起きのままドタバタと椅子に座りながら暴れる。此方は無情にも手を離し、丸夫は椅子から転げ落ちた。
(この光景どこかで見たような。こういうことをデジャブって言うんだっけ?)
脳内のマニピュレートは午前二時を示している。
「二十六時だけど問題ない」
「あれ、ゲームは終わったの? っていうか仕事はまだ終わってないんだった。寝落ちするとは疲れが溜まってるのね。トホホ……」
「『トホホ』とか今日日聞かない。いいからコーヒー作って」
「『今日日』もしばらく聞かないんだよなぁ。あーはいはい、つべこべ言わずに作りやすよぉ」
丸夫の表情は「だから此方さん睨まないでくれ」と、キッチンに移動してポッドの電源を入れる。
瞬間沸騰ポッドはその名の通り数秒間で中身の液体を沸騰させるので、常に電源を点けておく必要がないし電源を点けてから暫く待つ必要もない。
「んで、どうかな? ゲームは楽しめてるかい?」
「まぁ、それなりに」
「それはよかった」
お菓子を片手に適当に返事をする此方。
丸夫はコーヒーパックを棚から取り出しながら、此方の顔を確認する。
「身体に異常は無いかい?」
「うん」
「他のプレイヤーに勘付かれて無いかい?」
「うん」
「……無理は、していないかい?」
「大丈夫、丸夫のせいじゃないから」
真剣な話をした後の妙な沈黙が訪れる。
丸夫はこれ以上は聞くまいと、沸騰したお湯をインスタントコーヒーに注いでいく。
「……それで、意識を2つに分裂させるってどんな感じなんだい?」
「何とも言えない。けど、私じゃなければ耐えられない情報量なのは確か」
丸夫は瞳を輝かせながら笑った。
「でも、面白いよね。誰も想像なんて付かないだろうさ。『同じ人間が二つのキャラを操作してる』なんてね」
味気ないコーヒーをちょうど飲み干した此方は、繊細な模様柄のコーヒーカップを置いて、空いた両手でそれぞれ器用に二進法を指で表した。それも高速かつハッキリとした指の動きであり、此方の指先の器用さをアピールする動作であると丸夫は即座に理解する。
「普通のゲームなら可能。コントローラーを片手ずつで操作するだけ、簡単」
「こらこら、普通の人は片手でコントローラーを操作する器用さも制御する演算能力も持ってないの」
「ふーん」
此方は興味無さそうに相槌を打つ。
「でも、そうなると。アストラル体は分裂可能という事になり、魂と肉体は1:1であるという説は崩れ去る事になる。でもまぁ、そうは言っても謎だらけで、いまさら『エーテルがやはり必要でした!』なんて言われても困っちゃうんだよね」
まるで、数十年前の中学生の脳内妄想のようなことを独りでしゃべっている。
仕事病なのか小難しい事をついつい思い浮かべてしまうようだ。
「だけど、意識が二つあるということがどんな事であるかは気になるなぁ」
双子と偽ってまで周りにバレないようにしている此方は、何という皮肉なのだろうかと、とある写真盾に目線が無意識に移ってしまう。
写真盾に入った写真に写っているのは三人の人物だ。
現実世界で撮影した写真なのだが、その頃を思い出そうとすると胸が苦しくなる。
「…………」
写っているのは一人は丸夫で、もう一人は此方。そして、最後の一人も此方と同じ顔をした少女であった。