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ここにある彼方から  作者: 暁月暖書
新世界の箱庭
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プロローグ

――世界は終焉を迎えようとしている。

 画面の向こうで誰かが言い出した根拠のないうわさは、いつしか現実味を帯びて世界を包み込もうとしていた。


 西暦2075年。人類は窮地に立たされていた。

 急激な人口低下を引き起こしたモスキートウイルス、数十年と続いた世界大戦、反政府組織による大規模同時多発テロ。人類の生み出した科学物質という合理的な灰汁は、とうとう理性の器から零れ始め、惑星を凍結させた。

 人口は半分以下。否、ある意味では人間と呼べる生物はいなくなってしまったのかもしれない。

 この過酷な環境破壊に適応した生物は数少ないが、とても不幸なことに、そこには人間も含まれていた。


『このマニピュレートを脳内に格納することで、いつでもどこでも検索機能が使えます。それだけではなく、所在地を正確に突き止め、迷子になる心配もございません。また、完全認識システムによりアナタの情報は簡単に証明できます』


 人体の機械化が進んだことで義手義足は高機能となり、内臓の複製交換施設が設けられ、細胞が老化によって死滅してしまう生理現象を抑えるサプリメントが開発された。

 インチキ臭い自称専門家は、「今や人間は人のカタチを捨て去り、新たな生物として生まれ変わったのだ」という。


『マニピュレートはアナタの役に立ちます。すべては人工知能がサポートし、生活に苦は消え去ります。2083年には全国民に配布が完了致しますのでご協力をお願い致します』


 そして人類最期の発明は、人間という生物を絶滅させようとしていた。



・・・・・



 施設の外は豪雪だとマニピュレートのアナウンスが脳内に響く。壁に叩きつけられる降雪が、施設全体に振動を轟かせている。


 薄い毛布に身を包んで尚、肌寒さを感じながら此方(こなた)は目蓋を開けた。

 黒い髪はボサボサで腰辺りまで中途半端に伸びており、シーツの上で広がっている。目鼻立ちは整っているが、何の手入れもしていない顔は彼女のガサツさを表していた。


 室内の温度調節はフルオートになっているが、あまりの吹雪に暖房の処理が間に合っていないようだ。


「温かいコーヒーが……飲みたい」


 上半身を持ち上げて、簡素なベットから華奢な裸足を下ろすとひんやりとした床が足裏に張り付いた。

 ペタペタと歩きながら、はだけている白いネグリジェの向きを手で直す。


 此方が廊下に出ると、勝手に照明が点く。

 窓がないので外からの光は一切ないが、あったとしても外は惑星を覆うぶ厚い雲によって暗黒の世界が広がっているだけだろう。

 突き当たりには横開きの金属の扉があって、人が近づいてくるとセンサーが感知してプシュッと自動で開く。室温の違いにより、廊下にはぬるい風が漏れてきた。


「はぁ、この部屋が優先的にエネルギーを消費するから仕方ないけど……それにしても贅沢しすぎだと思う」


 目線の先には『脚があまりにも頑丈なので奇抜なデザインで作られたとしても問題がない』で代表されるヘンテコな作業デスクが写っている。そのデスクに突っ伏して寝ている茶髪頭まで近寄ると、此方は冷えた手で茶髪頭の首根っこに触れた。


「ひゃ、冷たっ!?」


 驚いたのか椅子から転げ落ちて目をチカチカさせている茶髪頭を一瞥すると、彼の座っていたが倒れてしまった椅子を戻してそこに座った。茶髪頭は腰をさすりながら立ち上がると、酷い仕打ちに対して抗議の眼で此方を睨みつけてくる。

 此方はそんな目線を無視して、身長が高い茶髪頭に対して上目遣いで口を開く。


「丸夫、コーヒーつくって」

「……おはよう此方くん。次はもう少し普通に起こしてくれないかな?」

「ムリ」


 即答だった。丸夫は此方の頭に手を置いて軽く撫でると、机でひしゃげている自分の眼鏡を手に取った。


「その眼鏡買い換えれば?」

「……いや、めんどくさくてね」


 眼鏡をかけると何かを思い出すような意味ありげな表情で数秒間固まると、背中を向けてキッチンへ移動する。


「ホットとアイス、どっちがいい?」


 彼は訊ねておきながらホットコーヒーと書かれた粉を出して瞬間沸騰ポットに水を入れ始めているところだった。


「もち、ホット。あとお菓子も食べたい」


 瞬間沸騰ポッドがチコチコと音を鳴らし始めた。カサカサと音をたてながらスナック菓子の袋を開けようとしている此方を見て、丸夫はため息を吐く。どうせ言うことを聞かないだろうからと諦めからくるため息だ。


「間食は身体に毒だよ」

「……丸夫だってさっきお菓子食べてたでしょ。丸夫ばっかりずるい」

「なんで食べたこと知って……やっぱり皆まで言わなくていいよ、もう指差してるし」


 此方の視線の先にはスナック菓子の袋が捨てられたゴミ箱が置いてあった。丸夫は額に手を当てて肩を落としている。

 チーン。

 音が鳴ると湯気を立ててコーヒーがカップに注がれた。


「さて、此方くん。どうかな、()()()()()の感想は?」


 ティーカップを手渡され、一口コーヒーを含むとどう答えるべきかと悩んだ。


「うん、まぁ悪くないと思う。一年間のテスト環境とはいえ、ゲームとして……移り住む世界としては妥当ではないかと思う」

「ふーん、君がそういう感想を言うとは意外だったなぁ。てっきり僕はボロボロに言われると身構えていたというのに……仮想の『箱庭』。この現代に残された数少ない娯楽(ゲーム)に、僕たち人類が移り住もうという大規模次元移住計画。夢物語という段階ではもはや無いわけだ」


 大規模次元移住計画。通称、『Dimension Replacement Plan』。DRPは人類の希望であり、この荒廃した惑星から解放される手段の一つとして研究されてきた。


「でも、DRPには三つの課題があったはず」


 エネルギー問題、管理者問題、法の問題の三つだ。

 仮想現実はこれまでの科学技術の結晶であり、人類最大の発明だとされている。仮想現実内ではありとあらゆるシュミレーションが為され、それは際限なく実行可能だ。故に、人類は空想の上で無敵となり得た。


 しかし、それはあくまでも仮想現実での話であり、それを動かすには決して故障しない機械と完璧なプログラムが必要であった。更には、仮想現実内ではエネルギーは不要であるが仮想現実を形成する為の機械へのエネルギーは膨大に必要であるということがわかっている。


「確かに、今や仮想現実はもう一つの母星とまで言われるほどの演算機能を持っている。そして物理現象でさえ一時的であれば歪めることが出来る科学の楽園だ。だけどそれを惑星規模、銀河規模で維持するには、それこそビッグバン級のエネルギーが無ければ百年も持たないというんだから途方もない話なんだよね」


 更に、残り二つの課題が控えているこの計画はまさしく夢物語であったのだが、ここ最近になってエネルギー問題を解決する糸口が発見されたのだ。


「でも此方くん。君には前にも伝えたとおり、人類が火星に移り住むことによって人類は宇宙を旅するようになった。そして宇宙の根源についての調査が加速し、ブラックホールや銀河系の仕組みについて多くのことが解明されてきた」


 丸夫の二度目の同じ話に、此方はつい口を挟んでしまう。


「知ってる。それが無限に近しいほどのエネルギーを生み出せる唯一のシステムであり、その研究こそが最後の鍵になっていること。そして見つかったのが――」

「その通り、僕たち人類は未限性物質(ダークマター)の採取に成功したんだ!」


 丸夫は両腕を高らかに挙げて誇るように踏ん反り返った。興奮すると出る、彼の悪い癖だ。


 未限性物質と呼ばれるそれは、謎である。採取には成功したが未だその性質において解明できないブラックホールの核とされる球体。生物の目には映らないそれは、特殊な波数の光を照射すると黒い渦を発生させて大きさが変わる。その際に生み出されるエネルギーは現代における総エネルギー千年分を補えるとされる。

 無限ではないが未知数の可能性を秘めている物質として未限性と新しく言葉が作られたほどだ。


「まだ研究段階だけど、これでエネルギー問題は解決されたに等しい。完璧なアナザーワールドたる箱庭はすでに完成している。これで人類は救われるんだ!」

「…………」


 再び彼は両腕を振り上げた。

 高らかに言い放った丸夫だったが、その後の沈黙に耐えられずにポツリと言葉を紡いだ。


「……わかってる。僕らしくないって言いたいんだろ? でも、喜ぶべきじゃないか。多くの人が生き残れるんだ」

「でも、それ以上の人を見捨てて助かる命でしょ」

「それでもっ!」


 丸夫は喉まで出かかった言葉を飲み込み口を噤んだ。この計画のリスクを真に理解している関係者は少ない。

 此方は理解しているからこそ、犠牲が伴うDRPを受け入れきることはできないでいた。


「わかっている。わかっているがどうしようもないじゃないか」


 丸夫は、此方の目を貫くほどの熱い視線で見つめる。


「だから君に、他でもない君に見定めてほしいんだ。地球最期の人間として」

「私は人間なんかじゃない。貴方たちに造られた人造人間」


 此方から冷たく言い放たれた言葉は、強い拒絶の感情が含んでいた。丸夫は目を伏せ、頭を下げた。

 人間はいつだってそうだった。こんな世紀末になるまで繰り返し続けてきた過ちを、また彼女にしようとしている。

 自我(エゴ)――学術名ホモサピエンスが今世にまで受け継いできたものを賭けた戦いを、彼女に託すのだ。


「でも、役目は果たすつもり。私が生み出された意味が、私の生きる意味となっている」


 その言葉に強い意志を丸夫は感じた。


「ああ、よろしくお願いします」


 丸夫は、下げた頭を、更に深く深く下げた。

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