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拉麺


 時間はあっという間に過ぎてしまった。お姉さんと手をつないでいたのは、ほんの数分だったかな。


「ここが私の行きつけよ」


 そう言うとお姉さんの手がするりと僕の手を離れた。お姉さんはビニルの垂れ幕をめくって店の奥へと入っていく。


「おっさん、邪魔するよー」


 お姉さんが野太い声を出すと、男の人の寝ぼけた声がした。人が来ないのをいいことに店を開けたまま眠っていたらしい。垂れ幕をくぐり、店の中に入る。床がべたべたとしていて、僕のおんぼろの靴は、底が外れそうになる。


「なんだそのガキは?」


 カウンターの向こう側でふんぞり返っているおじさんが、声を投げてきた。そしてボクと目が合うなり、苦笑いをして今度はお姉さんに向かって小馬鹿にするような視線を向ける。


「おいおいおい。いくら年下が好みとはいえ、そいつは感心しねえな」

「違うわ、おっさん!」


 お姉さんは、おじさんとかなり仲がいいみたいだった。


「おい、ガキ。火遊びはまだ早いぜ?」

「おっさん。いい加減なことを吹き込むな」


 火遊びがどういう意味かはよく分からなかったけれど、ボクはおじさんにそう言われて頬っぺたが燃えるようだった。

 きっと真っ赤になっているはずの顔をうつむけて、テーブルに着く。四角いテーブルの上には油の染みがついた小汚い紙があって、そこにはボクの読めない文字たちが並んでいる。


「文字は読めないだろ? そいつが、この店のお品書きだよ。気になるのを指さしてみな。説明してやるから」

「お姉さんは、文字が読めるの?」

「ああ、少しな。元締めにいいように使われるのが私は嫌だからね。そういう思想統制には乗せられないように知恵をつけているの」


 お姉さんは難しい言葉を言う。


「シソウトウセイ?」

「私たちが文字が読めないほうが、都合いいってことさ。君も、少しくらいは読めるようになったらいい。そしたらここで馬鹿の一つ覚えみたいにラーメンだけを食べたりしない」


 そう言ってニヤッと笑いながら煙草の箱を取り出す。一本取りだして、火を点け、ぷはぁっと煙を吐いた。その一つ一つの仕草に目が留まる。


「じゃあこれは?」


 僕はお品書きにある料理の名前を指差した。


麻婆豆腐(マーボーどうふ)か。辛いぞ?」


 他にもホイコーロー、ガンシャオシャーなどがあったが、どれもこれも辛いんだと言う。ボクの顔がむくれてきたのを見て、お姉さんはぷっと噴き出した。仕方がないなあなんて呟いて、店のおじさんを呼ぶ。


「おじさん。ラーメン二つで」

「お前はいっつもそれだな。馬鹿の一つ覚えみたいに」

「これが一番美味いんだよっ」


 まるでラーメン以外は大したことないなんていう言い方だけど、それでもおじさんは笑っていた。やっぱり二人は仲がいい。


「そうだ、君。まだ私の名前を教えてないよね」


 お姉さんは、紙を取り出して、それにさらさらと二つの文字を書いた。


伊李(イリ)


「それが私の名前。言ってごらん。イリ」

「い・り?」

「そうだ。今度は君の名前を教えてよ」


 自分の名前を誰かに教えるなんて初めての経験だ。リト。漢字でどう書くのかは分からない名前。


「リトなら、こうかな?」


李斗(リト)


 きっと、お父さんもお母さんも文字が読めないから、その漢字が合っているのかさえ分からない。けれど、お姉さんがそう言うなら、それがボクの名前だと思いたかった。

 その紙くるくると丸めて、懐から取り出した、さっきボクが拾った銃弾の一部と同じもの――薬莢と言っていたかな――の中に入れる。すると、丸まっていたのがほどけて、振っても紙が落っこちなくなった。今度は、慣れた手つきで薬莢に鎖を通す。


「ほら、こいつ。さっき君が拾ったやつと交換」

「え!? いいんですか?」

「いいんですかって、交換とはいえ君の持っているものを取っちゃうんだぞ」


 そう言われても、ボクには自分で拾ったものよりも、お姉さんがくれたものの方が価値があるように思えてしまった。

 その薬莢には、荒れ狂う炎を身にまとった龍が描かれていた。――見たことがない柄だ。思わず、店の中の照明を反射させてくるくると回転させてみる。自分がさっき渡したものよりも、ずっとずっと輝いて見えた。


「そんなに気に入ったか。よかったよかった。そいつはお前のおやじには内緒だからね。お姉さんとの約束っ」


 約束、そんな大切な言葉を上の空で聞いていたボクは、ラーメンを持って来たおじさんの声にびっくりして、肩を跳ね上がらせた。

 ことり、と置かれた二杯のラーメン。つゆが透き通ったきつね色で、黄金色の面が沈んでいる。ネギが雑に散らしてあって、それだけだ。家でも似たようなものは食べたことがある。そのときは、ネギもなかったような。


 「いただきます」と呟いて一口。甘辛く香ばしいつゆを吸った麺がつるんっと口の中に入った。家で食べたものとそうそう変わらないはずなのに、とてつもなく美味しいものに思えた。きっとお姉さんと一緒にいたからだと思う。

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