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〝約束〟に縛られて

むかしむかし、きつねが「きえんきえん」と鳴き、ふくろうが「のりつけほうほう」と鳴くような人里離れた山奥に、一軒の小屋があり、そこでおばあさんとふたりのまごがひっそりと暮らしていました。おばあさんとふたりのまごは一見するとふつうの人間と何ら変わりませんでしたが、かれらの家系は代々、一族すべての人間に受け継がれるという呪いに苦しんでいました。


呪いの苦しみから逃れるため、かしこいまごの兄のほうはある五つの約束事をつくって、おばあさんとちいさな妹にそれをきつく守らせました。


ひとつ、蝋燭のあかりを絶やしてはならない。

ふたつ、新鮮なものを口にしてはならない。

みっつ、み仏の力を宿したものに触れてはならない。

よっつ、接吻してはならない。

いつつ、生涯をこの山小屋で過ごし、村人との接触を避け、人目を忍んで生きていく。


かしこい兄は、この五つすべての約束事が破られたとき、呪いが発動し、あの忌まわしい呪われた生きものに自らの肉体を乗っ取られることを、分かっていたのです。


兄は妹に言いました。


いとしい、いとしい、ぼくの沙羅。沙羅はとても聞き分けのいい、ぼくの自慢の妹なのだから、お兄ちゃんとの約束をこれからも守ることができるね?


よしよし、元気ないいお返事だ。沙羅は物分かりのいい子だものね。――ぼくはそんな沙羅をとても愛しているということ、決して忘れないでくれ。


日が落ちる前に、部屋中の蝋燭の灯を灯すように。真っ暗な部屋にいたら、闇に体を食べられてしまう。それから、口に入れるものは充分日数をかけて腐らせなきゃいけないよ。そして、あのほこらには決して近付かないで。


さあ、いちばん大事な約束は何だったか、沙羅は言い当てることができるかい? ...........そう、きみはこの山小屋で一生を終えるんだ。あの生きものは人目に触れるにはあまりに、醜いから。


ああ、ぼくのかわいい沙羅、もう一度抱きしめさせてくれないか?




「お兄ちゃん、どこかへ行っちゃうの......?」




兄はしばらく黙りこんだあと、妹の問いかけには答えることなく言いました。




きっと、絶対に、ぼくとの約束を死ぬまで守り続けてくれ。さあ、この額へ誓いのくちづけを。




これが沙羅の、最初で最後のくちづけだ。











むかしむかし、だなんて、少々話を盛りすぎてしまいましたわ。


先ほどの昔話は、今から十年前のこと。あの会話を最後に、兄さまはあの山奥のボロ小屋から忽然と姿を消したんですの。


五つめの約束事のことがありましたから、わたくしは兄さまを探しに行くことはできず、婆さまと一緒に兄さまの帰りをひたすらに待ちました。


その間の十年間、わたくしはもちろん兄さまとの五つの約束を守り続けました。兄さまがいつの日かこのボロ小屋に戻って、またわたくしを抱きしめてくれると信じて。




「お嬢さん、切符を見せてくれるかな」


がたごとと揺れる列車の窓から、どこまでも続く田園風景を眺めて物思いにふけっていると、制服姿の白髪の初老男性からそう声をかけられました。


婆さまから詳しく教えてもらったばかりの、恐らくは〝車掌さん〟がわたくしのそばに立ってこちらを見ています。


ところで、わたくしはとても薄情なことに、大好きな婆さまをボロ小屋にひとり置いてきてしまいました。とても気がかりでしたが、婆さまは「沙羅の人生なんだから、沙羅の好きなようにしなさい。外の世界を見ずに死んだら損だよ。そんな勿体ないことしちゃ駄目」と言ってくれました。わたくしがとうとう山奥の小屋を出ようというとき、「あたしはこの小屋で一生を終えて、この小屋に骨を埋めることにするよ、あの子がそう言ったようにね」と言われて後ろ髪を引かれる思いになりましたが、わたくしは婆さまが見えなくなるまで手を振ってお別れをしてきました。


「はい。もちろん持っていますわ」


わたくしは笑顔でそう答え、大切に握りしめていた切符を車掌さんに見せました。車掌さんはそれを見て少し驚いた顔をしました。


「こんな田舎の村から、お嬢さん一人ではるばる東京へ出るのか。観光? それとも出稼ぎかな?」


車掌さんは〝こんな田舎の村〟と言いましたが、山小屋からこの村まで、夜明け前から約三時間かけておりてきたわたくしにとっては、〝駅〟もあり〝コンビニ〟もあるこの村はけっこう都会です。


わたくしは答えました。


「わたくしは、観光でも出稼ぎでもなく、自分の夢を追うために東京へ行きますの」

「ほう! 今どきの若いやつは自分の将来について考えてないやつが多いと思ってたが、大したもんだ。それでお嬢さんの夢ってのは、一体何だ?」

「わたくしの夢は..........、にっぽんいちのアイドルになることです!」




そう、わたくしは、日本一名の知れた国民的アイドルになるのです!


そうすればきっと、十年前から行方の知れない、探すにも手がかりが何もない、消息不明の兄さまも、この国のどこかで、いや外国にいたとしてもわたくしに気がついてくれて会いに来てくれることでしょう。


兄さまと再会したら、またあの小屋で死ぬまで仲睦まじく三人で暮らすのです。


ーー兄さまを見つけるためなら、わざわざアイドルじゃなくてもいいんじゃないかって?


わたくしは、ただ、人に愛されてみたいのです。生まれてからの15年間ひたすらに山籠り生活でしたので、自分でも引くほど人に飢えています。兄さまが出ていってからの十年間は、婆さまだけがわたくしの話を聞いてくれ、優しく頭を撫でてくれました。


それに、婆さまの昔話の中での話ですが、呪われたわが一族は絶世の美女、美男子しか生まれないのだそうです。わたくしが裏山へ山菜やきのこを採りに出かけたときに数回村人と出くわしてしまったことがあるのですが、その方たちもわたくしを見て「美人だね」「器量のいい子だね」と褒めてくださいましたから、わたくしはアイドルが向いているのに間違いありません。


「にっぽんいちのアイドルか! お嬢さん器量が良いから、きっとなれるよ」

「ありがとうございます!」









けれど、現実は車掌さんの言ってくれたように上手くは、いきませんでした。









日本の首都〝東京〟は、とてつもなくせわしないところです。まちは朝も夜も人でごったがえし、どことなく生ゴミのような臭いがし、鼻をかむと黒い物質が出てくるほど空気が汚れています。


でもそれも悪くはありません。たくさんの人間のパワーに溢れてガチャガチャしているところが、東京の良いところです。


わたくしは今、林立する高層ビルの森に埋もれ、人混みに紛れ、喧騒のなかで頭上の巨大ポスターを見上げています。雰囲気のあるかっこいい男性がミネラルウォーター片手に笑顔です。


わたしはその笑顔をにらみつけながら、乱れる心がからっぽになるよう願います。




ーー兄さまは、東京で、芸能人になっていました。しかも〝国民的俳優〟という名をほしいままにしています。主に映画やドラマで主演し、雑誌では特集記事が掲載され、ミネラルウォーターから生命保険まで数多くのCMに出演しているようです。


わたくしの知らぬ間に、兄さまは手の届かぬところへ飛んでいかれました。わたくしにあれほど人との関わりを禁じ、人目を忍んで薄暗いところで生きることを説きながら、自分は東京で二枚目俳優です!




兄さまの帰りをひたすらに待つわたくしたちのもとへ戻ってくる気は、兄さまには毛ほども無かったのです。




それにしても、わたくしと同じく汚ないドブの泥水しか飲めないくせによりによってミネラルウォーターだなんてーー。わたくしは兄さまをにらみつけるのをやめ、肩でひとつ深呼吸しました。


そして再び人波の流れに乗り、駅へと歩きはじめました。









わたくしは山手線に乗車し、新宿へと移動しました。新宿にあるとあるビルに入り、エレベーターを上がり、8階にある扉を開けるとーー、アゲアゲのパーリーミュージックが鼓膜を震わせます。


鏡張りの室内では女性がひとり踊っています。大きな身体全身と美しい顔の表情で魅せる、キレッキレの激しいダンスです。かのじょはこのダンススクールの講師で、プロのダンサーでもある、田端志保先生です。


アイドルになるためにはダンス技術が必要不可欠ですので、近頃このダンススクールに通いはじめたのです。


わたくしは音楽が鳴り止んでかのじょがキメポーズを決めると、拍手を送りました。


「あっ、やっほーお嬢!」

「志保先生、ご機嫌よう。とっても格好よかったですわ」

「ありがとね。それじゃあ今日もビシバシ!指導するから覚悟してね!」

「はい、頑張りますわ」

「..........あれ、何だか今日は、元気がないっぽい?」


先生は鋭いです。わたくしが言葉に出さずとも、察してしまいます。


わたくしは先生に悩みを打ち明けたくなりました。


「志保先生、わたくし先程まで、原宿の竹下通りなどを練り歩いていたのですが、今日も〝スカウト〟されませんでしたの。先日受けたオーディションも昨日、落選通知が.......。上京してもう二週間になりますのに、一体何故駄目なのか皆目見当がつきませんわ」


上京した初日から毎日欠かさず、スカウトマンの目の光るという東京の繁華街をぷらぷらしていますが、何故わたくしにお声がかからないのか、目に留まらないのか、それが不思議でたまりません。芸能事務所のオーディションも第一段階の書類審査で落とされてしまいます。


わたくしが首を傾げていると、先生は当たり前のことを言いました。


「そりゃあ、アイドルっていったら、顔がいちばん大事でしょ?」

「そりゃあそうでしょうとも」

「え? だから......」

「だから不思議なのですわ」


わたくしがそう言うと、先生は眉を下げて困ったような表情をしました。そしてまるで言葉を選んでいるかのように、「あー」とか「うーん」とか口をもごもごさせたあと、思いきったように言いました。


「だって、お嬢って〝美少女!〟って感じの顔じゃ、ないでしょ?」











ーーん?


「美少女!って感じの顔じゃ、ない」ーー?








「ッえェーーーーーーーーーーー!!」


わたくしが驚愕のあまり部屋に木霊するほど絶叫したのは、このときが生まれてはじめてでした。ボロ小屋に隔離されていた暮らしでは、毎日同じことのくりかえしでそれほど驚くことなどありませんでしたから。


でも毎夜寝る前にお婆さまがしてくれた昔話では、わが一族は美男美女しか生まれぬとーー。


当惑したわたくしはとりあえず、笑い飛ばしてみることにしました。


「ホホホッ、志保先生、そんな、ご冗談を......」

「冗談じゃないけどね」


先生は真顔でそう言い、わたくしの高笑いを吹き消しました。


「え、えっ..........? つまりわたくしは、その..........ものすごく低く見積もって言うと、どちらかに割り振らなければいけないとするなら、その....................ブス、だと..........?」

「や、やだブスなわけじゃないよ? ただ..........」

「ただ?」

「その、お嬢可愛いけど、今風の顔じゃないよね? ひと昔前に流行った顔って感じ?」

「ひと昔前..........?」


わたくしはその単語に突然ピンときました。


今までわたくしを「器量がいい」と言ってくださった方々は、みな高齢者だったということに、気がついたのです。


裏山で出くわした村人たちはみな腰の曲がった高齢者、アイドルの夢を語ったあの車掌さんも初老の高齢者、婆さまも勿論、高齢者ーー。


「お、お嬢、死んだ魚みたいな目してるよ? そんなにがっくり肩落とさないで..........ほら練習練習! ダンスは全部を忘れさせてくれるから!!」

「..........わたくし、これで決心がつきましたわ」


わたくしはボソッとそう呟きました。


「え、何の?」

「志保先生、貴女にお願いがあります。どうか、わたくしの作るアイドルグループに入ってくださいませ!!」

「..........え?」


わたくしは先生の両手を握り、しっかと目線を合わせて力説しました。


「現代の人々の美的感覚はよく分かりませんが、わたくしの感覚では、志保先生はものすごくかっこいいですし、顔もスタイルもすべて、美しいです! それにダンス技術は言うまでもなくピカイチです。わたくし、自分のこの顔では..........わたくし一人では、力不足だと分かりましたの。わたくしは、人々からの人気が欲しいのです!! 絶対にバカ売れして、国民的アイドルになるのです!! そうしないと、そうしないと..........兄さまに、近付けないのです..........」

「に、兄さま??」


先生は完璧に困惑しています。でも、でもーー。


「わたくしはどうしても、志保先生が、欲しい!! 何故なら貴女は美しいだけでなく..........東京でただ一人わたくしの悩みを聞いてくださる、とても優しい人だからです!」


わたくしは婆さまを残し、兄さまに捨てられて、ひとりでボロ小屋からこの見知らぬ土地、大都会東京へ出てきました。このダンススクールに初めて入ったときは緊張と不安しかありませんでしたが、志保先生はわたくしに元気でキュートな笑顔を向けて話しかけてくださいました。わたくしはそれだけのことが、とても嬉しかったのです。


「だから、わたくしは志保先生と一緒に、アイドルをやりたいのです!」


先生の目は、動揺で揺らいでいます。


「そう言ってもらえるのは嬉しいけどね..........あたし、もう若くないしさ。アラサーだよ、33だよ?」

「それが何か?」

「えっ..........。その返しは、予想しなかったなあ」


先生は「あははっ」とおかしそうに笑ったあと、言いました。


「だってアイドルだよ? 10代の子がなるやつでしょ」

「わたくしが思うに、アイドルに年齢など関係ありません。それに志保先生のダンスは、見ている人を感動させる力があります。志保先生のレベルたけえダンスをお見せすれば、みなひれ伏すでしょう」

「おおぅ........」


志保先生は、「あー」とか「う〜ん」をまた始めましたが、しばらくして最後に言いました。


「..........まっ、いいよ!」

「ほ、本当ですか!!」


やったー! 無理かと思いましたがあっさりお誘い成功しました!!


志保先生は持ち前の明るさで、あっけらかんとして言いました。


「レッスン無い日とか、ヒマだったんだよね。それに何かミソジ過ぎたら日常のなかの刺激がぐんと減っちゃった感じしてて。何しても昔ほどの情熱が持てないなあ、みたいな。..........だからまあ、33でアイドルやるのも、青春がもう一回来るって感じで、いいんじゃん?」

「志保先生..........」

「これからヨロシクね、お嬢!」


志保先生はニカッと笑って右手を差し出されました。


「こちらこそ、よろしくお願いいたしますわ!」


わたくしはその手を、両手でぎゅっと包みこみました。


ーー今っぽい顔立ちや、流行り廃りはあるようですが、わたくしは諦めたわけではありません。いずれ必ずや爆モテアイドルとなり、わたくしたちのグループが時代の顔となる未来を、築いてみせましょう。

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