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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

Misericorde

眠らない街

作者: 浦辺 京

 いつ来ても、この街は変わらない。

 せわしなく行きかう人々。天にそびえたつ摩天楼まてんろう。この街を行きかう人の顔ぶれも、このとんでもない高さのバベルの塔の持ち主も、時が経てば変わる。

 しかし、数十年先とこの街は眠らない街であり続けるだろう。

 そして、きっときらびやかに輝く無数の光もこの夜の闇に永遠に輝き続けているのだ。


 ティルア連邦共和国北東部に位置するティルア屈指の都市、シルアス。世界一の先進国と称されるこの国にふさわしい輝きが、この場所にある。

 

 まるで宝石箱を暗闇の中にひっくり返したかのようなそのきらめきは、NUXシステムの賜物たまものだ。

 NUXシステム。驚くべきエネルギー変換効率を誇るエネルギー結晶、COREコアを用いたエネルギー供給法だ。世界で初めてNUXを用いた照明の量産に成功したこの国では、眩いばかりの光が星々の代わりにまたたいている。

 これで人は夜の闇に怯える必要もなく、獣の恐怖に慄く必要もなく、寒さに震えることもなくなった。




 この国ではこの光が誇りであり、そして繁栄と富の象徴なのだ。


 しかしその光で星は輝きを失い、夜空の闇は濃くなった。

 それと同じように、この街に見せたくはない暗部がある。


 シルアス歓楽街の一角。あまり街灯の当たらない暗い夜道。そこを、一組の男女が歩いていた。

 一見するとカップルのようにさえ見えるその二人は、しかし異様な二人組でもあった。


 女の方は間違いなく文句なしの美人だった。

 170cmを超える長身に、すらりとした四肢。豊満なバストを湛え、凹凸のハッキリとしたプロポーションは否が応でも人の目を引く。露出の多い紅いドレスに身を包み、ピンヒールの靴を履いていても一切ふらつきもせず堂々たる身のこなしで歩く女。艶の美しい黒髪を揺らし、紅い瞳で周囲を見回す様はまるで黒猫が歩くようなしなやかさを持っていた。


 そしてその長身の女の隣に居たのは――これまた長身の男だった。

 女が10cmを超えるピンヒールを履いているにも関わらず、それを上回る程の背の高さだ。

 しかしその容姿はハッキリ言って、その女と共に歩くには相応しくなかった。

 無精髭。そしてぼうぼうに伸びた紫がかった黒髪。髪は辛うじて一つにまとめてはいるものの、あまり清潔感がある身だしなみとは言えない。おまけに全身黒ずくめ。黒のロングコートに黒いベスト、黒いスラックス。シャツは辛うじて灰色だし、ベストもストライプが入っているがどちらにせよ『黒ずくめ』である。

 しかしその金色の瞳は鋭く射貫くようなまなざしで、まるで何かを常に狙っている狩人のそれにも見えた。



 銀幕の中から出てきたかのような紅の美女と、そんな女に相応しくはない黒の男。彼等は暗いその道の中、何かを言い争っているようだった。


「……だからってそこまで言う必要ないんじゃない」

 女の方が口をとんがらせ、一言ポツリ。男はそれに不愉快そうに頭をガリガリと掻いて黙ったまま。更に男が歩を進めたのを見て、女は思わず声を荒らげた。

「ちょっと! 無視するの?」

 女に聞こえるように、男は苛立ちの舌打ち一つ。男はコートの裾を翻し、お返しと言わんばかりに声を荒らげて言い放った。

「別に俺はお前を無視するつもりはない!」

「じゃあ何でだんまり・・・・だったのよ」

「お前のその言い方が気に入らんのだ!」

 男――バルダーが遂に怒りをあらわにする。

 このバルダーが紅の女、スティレッタと口論になったきっかけは、十数分前の出来事にさかのぼる。



 バルダーが仕事でシルアスに来た帰り、ついてきたスティレッタとバーで一杯ひっかけたのだが。その時に事件は起きた。


 当然と言うか、何というか。スティレッタに付きまとう男が居たのだ。

 背の低い、どうも嫌な雰囲気の男だった。

 男は彼女の姿を見るなり近づいてきて一言。

「よう姉ちゃん、この後暇か?」

 そう聞いてきた。

 スティレッタは特にその言葉を気にしていなかった。

 自分がどう見られているかなんて彼女はよく知っている。下卑た男の視線など見慣れるほどにその身に受けてきたのだから。

 その後男は案の定スティレッタに付きまとうかのようにさんざ口説いてきた。しかしスティレッタもあしらいが上手いもんで、楽しむかのように微笑みを湛えたままかわしていたのだが。

 そんな空気を良しとしなかったのがこのバルダーである。

 断っておくが、バルダーはスティレッタの恋人ではない。だが彼はそれでも、スティレッタを口説く男の存在が気に食わなかった。

 嫉妬でも何でもなく、単に『目障りだ』という理由だったのだが。

「さっきからグダグダグダグダ俺の隣でうるさい。折角の酒が不味まずくなる」

 きっぱりと一言、バルダーはそう言い放ったのだ。

 当然その言葉を聞いた男は黙っていなかった。

 ただ、食ってかかってきた男を、バルダーはぎろりと一瞥しただけであって。

 まあそれで男は退散してしまったのである。

 別にあんまりにもしつこい男ならスティレッタも黙っていなかった。しかしそこまで酷いこともされていないのでまあ、店を出た後彼女はバルダーに対し「言い過ぎだ」と指摘したのだ。


 もっとも、バルダーはそんなスティレッタの言葉を不愉快に思ったから現在の口論に至る訳なのだが。

 スティレッタはバルダーの怒りに口をとんがらせ、黙るだけ。そんな彼女にバルダーはここぞとばかりに怒鳴り声を上げた。

「大体だな、お前と関わって以来俺がどれだけ苦労してると思ってるんだ!」

「…………」

「第一……」

 バルダーが過去あった出来事を列挙しようとした、その直後のこと。

「……っあーあ……」

 彼は言葉を止め、大きなため息を一つ吐いた。

 スティレッタも彼が何に気づいたのか理解したようで、肩を竦める。

「これも私のせいだって言うの?」

 彼等の視線の先には、複数の男達の姿が。面識のある人物ではない。しかし男達の姿を見て大体バルダーもスティレッタも察しがついたのだ。


 ああ、これは。さっきのバーでのもめ事に関わることだと。

 どうやら自分達はとんでもない相手に因縁を付けられてしまったらしい。

「……お前がついて来なきゃ俺はこんなことに巻き込まれやしなかった」

 恨み節一つ。スティレッタの手を掴んで男たちが来た方向とは逆方向へと駆け出すバルダー。

 しかし逃げて数秒もしないうちに、更に男たちが数名こちらにやってきた。


 再び舌打ち。前方も後方も完全に囲まれたらしい。

「姉ちゃん、さっきはどーも」

 こちらに来た男達のうち、見覚えのある男が一人声をあげる。先程バルダーが睨んだ、背の低い男だ。

「これから二人でお楽しみか?」

 先程と同様の下卑た笑み。バルダーは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。

「随分と丁寧なあいさつだな?」

「当たり前だろ?」

 精一杯の皮肉でバルダーも返すが、男は特に気にしていない。取り巻きの男達――自分より背の高い連中に囲まれて、得意げな様子だ。

「さっきのお礼・・だよ」

お礼・・、たぁな……」

 あんな言葉を言って男を追い払わなければ、こんな目に遭わなかったということか。いや、どちらにせよあの男はスティレッタにしつこく付きまとっていたし、何であれこれは回避できなかった気がする。

 バルダーはスティレッタを背に庇いつつ、男たちをぎろりと見据えた。

「あと俺達も折角だから楽しみたいじゃねぇか」

「……それが本当の目的だろ」

 バルダーの指摘にいやらしい笑い声が、暗い夜道に響く。


 生憎、周囲に人の気配は他にない。

 しかもこの連中、単なる暴漢という訳でもなさそうだ。

(全員ANSEAを持ってるなこいつら……)

 腕に着けた腕時計のようなその機器――ANSEAを見て、バルダーは眉根を寄せた。


 ANSEAとは、NUXシステムを応用した武器だ。正式名称は対人NUXシステム搭載武器。英語にするとAntipersonnel NUX System Equipped Arms だからANSEAアンシー

 NUXシステムは、COREのエネルギーを光や熱などの他のエネルギーに変換させることでCOREを利用している。

 ANSEAはこのNUXシステムの特徴を利用した武器なのだ。

 つまり単純な話、魔法使いよろしく火を放ったり、レーザー銃で攻撃したりと、従来の武器とは比べ物にならない殺傷力を誇る攻撃ができるのだ。

 残念ながら、このティルアではANSEAの携帯許可は下りやすい。もし仮に許可証を持っていなかったとしても、少額の罰金程度でそう大きなお咎めはない。

 従ってこういうアウトローの連中が持っている武器は銃かこのANSEAのどちらかなのだが。

 まあこんなところでこんなものを持っている連中が複数人いる時点で、状況は芳しくない訳で。

「……スティレッタ」

 バルダーは静かに一言、庇っている彼女に声を掛けた。

「逃げろ。被害を最小限にしたい」

 ここまで言えば彼女も何が言いたいか察するだろう。そう、彼は考えたのだが。


「なにそれ?」

 ……残念なことにスティレッタには伝わらなかった。

「察しろよそれぐらい!!」

 思わずバルダーは悲鳴に近い声をあげる。男たちは大笑いだ。

「だとよそこの兄ちゃん。そいつぁ俺達と楽しみたいらしい」

 何で俺の言いたいことが分からない。お前ぐらいの女ならそんなこと容易くわかるだろうに。

 内心そう叫びたかったが、それ以前に男達がじりじりとこちらにやってきたことにバルダーは注意を向けざるを得なかった。

 本日何度目か分からぬ舌打ち。

 敵はあの親玉を入れて9人。


「きゃっ!!」

 どうするべきかと思った直後、後方から聞こえた女の声にバルダーは血の気が引いた。

「スティレッタ!?」

 後ろを見れば、あろうことか男の一人がスティレッタの腕を掴んで拘束していた。

 彼女の細くて白い腕が、今にも折れそうな勢いで握りしめられている。


 ――ふざけるな。このままじゃ時間の問題・・・・・だ。

 バルダーはそう感じたが、しかしここで熱くなってはいけない。

 彼はポケットに手を突っ込み、そして周囲を再び見回した。


 小さく深呼吸。

「本当に、後悔したって知らんぞ……?」

 ぼそりと一言バルダーが呟いた。


 彼の言葉は小柄な男にも聞こえていたようだ。男は嘲笑を浮かべ、言い放つ。

「後悔するのはお前のほ……」


 しかし、その言葉はピーンという小さな金属音によって遮られた。

 直後、男の身体が容易く吹き飛んだのだ。

「!?」

 騒然とする周囲。

 どさりと音を立て、地面に叩きつけられる男の身体。眉間には赤い跡。完全に伸びているようで、ピクリともしない。


 一体何が。そんな空気が支配する中、地面に一枚のコインがコロコロと転がっていく音だけが響いた。



 バルダーは特に気にする様子もなく、手に持っていたコインを弾いた。

 ピーンと澄んだ金属音が静かな道路に再び響く。


 これは、つまり。

 たったコイン一つで男一人を昏倒させたということか。


 バルダーは宙を舞うコインを手で掴み、それをポケットにしまうと、射抜くような目つきで男達を睨んだ。


「……どうした? さっきの勢いは」


 ――俺を後悔させてくれるんじゃないのか?


 シニカルな笑みと共にそんな挑発までされては流石に彼等のプライドが傷ついたのか、一斉に男達がバルダーへと襲い掛かった。


 最初の1人目。バルダーの顔面を狙って飛んできた拳。ANSEAによって電撃をまとったそれを、バルダーはほとんど身体を動かさずひらりとかわし、その背に肘を叩き込む。

 勢いを付けて殴りかかったことが不幸だった。

「のわぁっ!?」

 路地に置いてあった金属のゴミ箱に身体ごと突っ込み、容易く吹っ飛んだ。


 ――あと、6人。


 2人目、ナイフを持った男。そして3人目、銃を携えた男。

 風を斬る音と共に繰り出された突きをバルダーは目で追いながらひらり、ひらりと回避して、数回目の斬り付けで繰り出された腕ごと掴む。

 そして肩が外れる勢いで腕を思いっきり捻りあげて、彼はその手からナイフを取り上げた。

 直後、バルダーは自分の方に向いた銃口に気づき、咄嗟に拘束した男の身体に身を隠す。

「ぐぁっ!!」

 バルダーを狙った筈の凶弾が、あろうことか仲間の肩に命中した。その事実に呆然とした男目掛け、バルダーはナイフを持っていた男を投げ飛ばす。

 哀れ。銃を持った男はナイフを持っていた男の下敷きとなった。

「くっそ!! おい! どけろ!!」

 この様子だと撃たれた男の下から抜け出すのは10分以上かかるだろう。


 ――あと、4人。


 そう判断した直後に彼の頭に振り下ろされたのは、光の刃。

 4人目。80cm程の刃渡りの光の剣を振り下ろす男がそこにいた。光学兵器である以上、先程奪ったナイフで受ける訳にもいかず、大きく回避して後ろに飛びのく。


 だが、その先にはもう一人。5人目。今度は背中目掛けて特殊警棒で殴り付けようとする男が。

 しかしバルダーはそれさえもをひらりと避けて、警棒を持った男の背後を取ると、手を思いっきり殴りつけた。

「がっ!」

 バルダーの叩き落としで容易く落ちる警棒。しかしバルダーはそれを気にすることもなく、更に首筋を殴る。

 ずん、と重い一撃は男を気絶させるには充分な一撃で。


 警棒を持っていた男が倒れたのを確認する暇もなく、今度は4人目の男へと向かう。

 あれは明らかにANSEAによるものだ。動力源は右腕の腕輪のようなデバイス。

 ――ならば。

 二度、三度と振り下ろされた剣を回避し、バルダーは狙いを見据え、距離を詰めていく。

「クソ! コイツ……!!」

 男が悪態を吐こうがバルダーは気にしない。逆手に持ったナイフを横に薙ぎ、狙ったのは男の手首。いや、厳密に言えば男のANSEAのデバイスだ。

 刃先が容易くデバイスを抉り、バキリ、と大きな音を立てて砕け散った。


 刃物で抉られたデバイスはじじじと不穏な音を立て、火花を散らしながら熱を持ち。

 次の瞬間、光の剣は形を揺るがせ、消滅。それと同時に男を襲ったのは。

「うぁ! あちぃ!! あちぃ!!」

 回路が破壊されたことで行き場を失ったCOREのエネルギーの暴走。それによる熱だった。

 暴れる男を傍目に、バルダーはナイフの柄を捻ってデバイスを完全に破壊。それと同時に男の腕からデバイスが外れる。

 皮膚が焼けただれてしまわぬようにという、バルダーのせめてもの慈悲だ。しかし4人目の男はバルダーの真意に気づく様子がない。


 恩を仇で返すかの如く男はまだ無事な腕で殴ろうとしたが、それより早くバルダーの右足が容赦なく脇腹を抉った。

 慈悲ある一撃の直後の無慈悲な一撃は、男を路地の壁へと叩きつけ、そして気絶させた。


 ――あと、2人。


「キ・サ・マ……!!」

 銃やANSEAを使うとかえって状況が不利になる。男達もその事実をようやく理解したのだろう。

 バルダーの背後を取ろうとした6人目の男が彼の身体を拘束しようと襲い掛かり、7人目の男が殴りかかろうとする。

 しかし彼は平然としゃがんで拘束と拳を避け、そのままの勢いで二人へと足払いを仕掛けた。

 ものの見事に二人の身体は円を描いて吹き飛んで、アスファルトの地面に叩きつけられる。

 そこにバルダーは持っていたナイフを投げつけ威嚇。もう一人には、バルダーはコートの下に隠し持っていた拳銃を突き付けた。

「……そこまでだ」

 一言とぼそり。

 あまりの無駄のない、そして鮮やかなまでの戦いに二人とも完全に戦意を喪失した様子だった。ぽかんとこちらを見て、両手をあげている。

 バルダーは無言のまま顎で彼等へ指図。

 消えろ、と。

 男達はもうこりごりといった感じで取るものもとりあえず、脱兎のごとく消え去った。



 ――これで、ほぼ終わり。

 周囲は凄惨な状況だった。9人いたうちの2人は逃走、残り6人は戦闘不能。そして最後の1人はスティレッタを取り押さえたまま。

 たった一人の男にここまで容易くやられたのだ。


 話にならん、と言わんばかりに大きなため息を吐くバルダー。

 最後の1人も銃を突き付ければスティレッタを解放するだろうか。彼がそう思ったその瞬間のこと。

「調子こいてるんじゃねぇぞ!!」

 野太い声が響く。何事かと思ってそちらを見てみれば、スティレッタを取り押さえていた男がいた。

「こっちは人質がいるんだ! これ以上好き勝手にさせてたまるか!!」

「…………」


 そのセリフを今更言うか?

 バルダーはそう言いたくなったがそのセリフだけは必死になって飲み込んだ。

 もしバルダーがまあ、仮にも男たちの立場だとしたらそのセリフは彼女を拘束した真っ先に言うだろう。そして人質を取られて動こうにも動けない輩を拘束して袋叩きにした方が効率的だ。


 もっともこの方法は彼等がバルダー達の実力をちゃんと把握していたら成り立つ話だ。そもそも彼等は自分たちの実力さえ見誤っていた。その時点でアウトだ。


「あー……」

 スティレッタを人質に取られているにも関わらず、バルダーは特に取り乱すこともなく。しかし別の理由で困惑を顔に表しながら息を吐いた。

 そして一言。


「……で?」

 本当に、心から疑問をぶつける勢いで言い放たれた言葉。スティレッタを拘束していた男もぽかんとしてこちらを見ていた。

「何がしたいんだ? お前。状況分かってるのか?」


 周りには倒れた仲間の姿。全てバルダーが倒したのだ。普通だったら諦めて逃げているのがオチで。

 何というか、この期に及んで彼女を拘束しているのは馬鹿でしかない。

 しかし男は諦める様子はなかった。

「状況を分かってないのはてめぇの方だろうが!! こっちには女がいるんだ!!」


 だから、それがどうした。彼がそう思った直後。

 男の大きな手がスティレッタの服を破こうとしたのを見て、バルダーは一瞬にして自分の身体から血が抜けていく感覚を覚えた。

「馬鹿っ!! それはやめ――」


 制止するのも遅く、男の手が服を破くより早く。





 男の巨体は宙を容易く舞った。






「あーーーーーーー……。だから言わんこっちゃない……」


 ずぅぅんと地響きのような音を立て、アスファルトに沈む男の巨体。舞い散る無数の砂埃。

 バルダーは思わず目を細め、そして頭を抱えた。


 この男は、一番怒らせてはいけない奴の怒りに触れたのだ。

 ……せっかく親切にも止めたというのに。

 何か、しかも気絶している男の身体がアスファルトに沈み込んでいるような気がするんだが。

 しかしこれはこの際気のせいということにしておこう。そうした方が精神衛生上非常に宜しい。



「……全く、お気に入りの服が砂埃まみれじゃない」

 その上しれっとした様子でそう言う女、スティレッタにバルダーはもう脱力する勢いだった。

「この期に及んで砂埃がどうこう言うか……?」

 今にも消え入りそうな声でそう呟くバルダーに、スティレッタはあら、と一言言って

「ああそうね。砂埃より破かれる方が嫌だったわ」

 さらにしれっと。

「………………」

 バルダーは遂に言葉を失った。




 何故先ほど男の身体が空中へと投げ出されて、しかもアスファルトにめり込ん――いやいや、叩きつけられたのかと言えばまあ、このスティレッタが服を破かれる前に投げ飛ばしたわけで。

 あの細い腕にどうやったらあんなとんでもない怪力が備わるのか、謎である。だがその事実は追求しない方がいいだろう。


 しっかしそれにしても、なんというか。

 ようやく周囲を見回して、先程男にぶつけたコインを拾い上げて、バルダーは本日何度目か分からぬため息を吐いた。

「ここの治安、本当に酷いな……」

 バルダーは以前にもこの街に滞在したことがあるが、ここまで酷い目に遭ったのは初めてだ。前回酷い目に遭わなかったのは単に危ない所に近づかなかったからかもしれないが、年々荒んでいるのだろうか?

 それとも……この女に関わっているせいなのだろうか。

「……とりあえずここを離れるか」

 呆れを口調に滲ませて、バルダーがそう提案した時のこと。


「て、めぇら……」

 背後から男の声が聞こえた。ごそり、と何かが動く音。

 嫌な予感がしてそちらを見てみれば、先程下敷きにした男がこちらに銃を向けていたのだ。

 どうやら完全に逆上しているらしく、この惨状が目に入っていない様子だ。

「チッ……!!」

 バルダーは舌打ちをして、コートの下に隠していた"それ"に手をかざす。

 それより早いか遅いか。

「ふっざけんじゃねぇぇぇぇぇ!!」

 怒号と共に、男の銃が火を噴いた。


 静寂に響き渡るいくつもの轟音。

 眩いばかりのマズルフラッシュが、暗いその空間を何度も明るくさせる。

 狙いはバルダーに向けられていた。

 どん、どんと耳をつんざく様な音さえもが凶器のように聞こえた。



 弾丸を使いつくしたのだろう。

 銃声がうゎんうゎんと独特の余韻を響かせ、ビルの間を音が歩いていく。

 暗闇の中に立ち上る白い硝煙も、音と共に立ち消えた。


「あ、れ……?」

 しかし、男は驚愕するしかなかった。

 あれだけ引き金を引いたにも関わらず、バルダーもスティレッタもその凶弾の餌食になっていないのだ。

 混乱で歪むその顔に、バルダーは無言で握りしめていた拳を開いた。


 高い金属音と共にアスファルトに落ちたのは、いくつもの弾丸。先程男が撃ったものだ。


 バルダーは、それを、素手で、掴んだのだ。


 人間業とは思えぬ光景。それに男は完全に凍り付いていた。


 しかしバルダーは特に驚きもせずに一言。 

「……ANSEAを持ってるのが自分達だけだと思っていたか?」


 そう、彼もANSEAを持っていたのだ。あまり人前で見せる物ではないと思っていたため、ベルトに着けてコートで隠していたのだが。

 物体に速度を与えるのも、物体から速度を奪うこともエネルギーがあればできる。

 先程彼がコイン一枚で男を昏倒させられたのも、コインに速度を与えたから。

 弾丸を素手で掴むことができたのも、弾丸の速度を落としたから。

 本来ANSEAとはこうやって利用するものだ。単に攻撃するだけでは能がない。


 こいつは少し脅した方がいいだろう。そう思って拳銃を構えようとして――




 バルダーは首を傾げた。

「あれ……?」


 持っていたはずの、拳銃がない。

 まさか落としたはずもない、ちゃんと持っていたのに。そう思っていた所に。

 スティレッタが前に出たのを見て、今度はバルダーが凍り付いた。

「ちょ、お前!!」

 あろうことか、彼女が自分の拳銃を携えていたのだ。

 全く気が付かなかった。いやそれどころじゃない。



 あいつに火器を持たせたら世界が破滅する……!!


 いや世界は破滅しないかもしれないが、バルダーの心境としては大体そんな感じだ。

 しかし彼女はバルダーの戦々恐々っぷりなど気にもせず(まあ気にしなくて当然と言えば当然だが)男に歩み寄って行って。




 あろうことか、その銃口を男の股間に向けた。




「ちょっ……!!」



 それはだけやめろーーーっ!!



 バルダーは悲痛にそう叫んだ気がしたが、それは心の中でだけの叫びだったかもしれない。

 とにかく叫んだか叫ばなかったかもわからないぐらい、困惑の中に叩き落されたのは事実で。



 だがそれでもスティレッタは気にしない。

 男も腰を抜かしたようで、これ以上動けないらしい。これには流石にバルダーも同情を禁じ得なかった。


 スティレッタの狙いはただ一つ。その真っ赤な唇を嬉しそうに笑みで歪ませて、





 どん、と。





 カンカンカン、と音を立て、薬莢が転がる。

 とんでもない箇所を狙って放たれた弾丸は、見事。





 ……その真下のアスファルトを抉っていた。



「あ、は、はぁ…………」


 危機を逃れたと分かったのか、それとも未だにとんでもない悪夢の中か。男は魂が抜けたかのような笑い声をあげて、そして気絶した。


 何という奴だ。いや分かっていたことだが何という奴だ。


 バルダーはそれを身に染みて感じていた。


 呆然とバルダーが見つめる先、スティレッタは平然として拳銃の安全装置を戻すと弾倉を取り出していた。そして中身を確認し、慣れた手つきで弾倉を銃の中に入れてからバルダーへと手渡す。

「安心しなさいよ。本体・・弾丸・・も無事だから」


「…………」

 この際『どっちの・・・・だ?』とバルダーは聞きたくもなったが、それは無粋というものだろう。

 言葉を完全に失ったまま、彼はスティレッタから拳銃を受け取って大きく息を吐く。


「やれやれ……」


 これだから、この女は。


 バルダーが先ほど囲まれた際に「逃げろ。被害を最小限にするためだ」とスティレッタに言ったのも、あくまで男達の・・・被害を減らすため。

 「後悔しても知らないぞ」と忠告したのも、この女に関わらせたくなかったため。


 この女を好きにしようなど、この惑星が逆回転しようともできるはずがない。バルダーはそれをよく知っている。

 そしてそんなことを企んだ連中が辿る末路は――バルダーの目の前に広がっている。

 アスファルトにめり――いや、突っ込んで――でもなくて……その、えっと。アスファルトに叩きつけられた男。

 スティレッタの発砲であわや命を失うより悲惨な目に遭ったかもしれない男。


 全く、無知とは恐ろしいものだ。


 この国では正当防衛が適用される範囲が極めて広い。最悪銃を持った相手だったら射殺しても正当防衛でお咎めを免れることもある。

 従って今回のケースも正当防衛あつかいで無罪放免なることは間違いなさそうだ。

 もっとも彼等から仕掛けた争いだし、こいつらが通報なり告訴なりするとは思えない。

 ……多分、この様子だと警察に捕まるようなことを他にしている気もするし。

 なのでとりあえず放っておくことにしよう。

 スティレッタの相手をするだけでも大変なのに、余計な苦労は増やしたくない。


 しかしスティレッタ本人はそんなバルダーの気苦労など、どこ吹く風。彼女は大きく伸びをして一言。

「あーあ。お腹すいちゃった」

「えっ」

 突如呟かれた彼女のその言葉に、バルダーはびくりと身体を震わせた。

「腹、減ったのか……?」

「ええ。軽く小腹が空いた程度だけど」


 小腹が空いた。それだけでもバルダーにとっては恐怖だった。


 ずい、とこっちに寄って来るスティレッタに、じりじりと距離を取るバルダー。

「いいでしょ? 夜食ぐらい」

「うぐ……」

 純粋な少女のような眼差しで、スティレッタはこちらを見て寄って来る。

 しかしこいつの目的が何か分かっているだけに、バルダーは気休めながらも距離を取ろうとしたのだ。


 しかし。

「がっ」

 不運にもすぐに建物の壁にぶつかった。


 柔らかく甘い笑みを赤い唇に浮かべて笑う顔。そんなスティレッタの顔が、こっちに近寄ってくる。

 スーパーモデル顔負けの美女。それが自分に寄って来るなど、男としてこれほど嬉しいこともそうない。だが彼女が寄って来る理由が理由なだけにバルダーは首を横に振った。


 だがそんな抵抗も虚しく、スティレッタはバルダーの首にその腕を回して抱き着いた。


 柔らかいものが胸にむにゅと押し付けられる感覚。ぽわぽわと温かい体温。

 そんな幸せな感覚よりも、バルダーの胸中は恐怖でいっぱいであった。


 次の瞬間、スティレッタは彼のシャツの襟を引く。それで露わになった首筋にキスを落とし、そして。

 その白い牙を剥き出し、思いっきり噛みついたのだ。


「ぐぁっ!!」

 肉を裂く音。それと共に熱い痛みがバルダーを襲う。今度は本当に身体から血の気が引いていく。当然だ。彼女に血を吸われているのだから。

 舌を噛まぬように、歯を思いっきり食いしばる。ぎり、と歯が壊れるぐらい噛みしめて、バルダーは痛みに耐えた。


 たった数秒間の食事・・。それを堪能したスティレッタは満足げに彼の首筋から口を放すと、傷口から垂れた血を舌で舐めとった。直後彼の傷口が塞がり、治癒していく。

「ご馳走さま」

 綺麗に消えた彼の傷口を見つめ、スティレッタは満足げに微笑んでそう呟いた。


 そう。スティレッタは吸血鬼なのだ。そしてバルダーはそんな彼女に血を与えている。

 彼等の関係は食料とそれを食べる者。それ以上の関係はない。

 ……バルダーもそれ以上など願い下げだ。いくら美人とはいえこいつは嫌だ。彼はそう常々思っている。


 ふらつく頭を押さえ、バルダーは再びため息を吐いた。

「……満足したか?」

 その問いに、スティレッタは。




 あろうことか、首を横に振った。

「もっと食べていいわね」

「……へ?」

 凍り付くバルダー。また血を吸われるのかと思ったら、気が遠くなる。

 そんな彼の表情を見ていたスティレッタが思わず吹き出した。

 遂にはくすくすと笑いだし、一通り笑うとニコニコとしたままバルダーに改めて抱き着いてきた。

「別に血じゃなくていいのよ。何か食べられるものがつまみたいだけ」

 更にすり寄ってきたがもうこれは気にしないことにして、バルダーは「むー」と唸った。

 いくら眠らない街とはいえ、普通の飲食店はほとんど閉まっているだろう。


 開いている所と言えばバーや飲み屋、それと……。

「……ドーナツ屋なら、開いているかもしれん」

 さっき通りかかった所にドーナツ屋を見かけた気がする。その言葉にスティレッタの顔がぱぁっと明るくなった。

「ドーナツ!! いいわね!!」

「あんな油と砂糖とでんぷんの化合物をこんな時間に食うのか……?」

 思いっきり眉間にシワを寄せた所、次の瞬間



 バルダーの。みぞおちに。肘が。きれいに。ずどんと。


「かはっ……!!」

 眉間どころか腹にまでシワが出来そうな勢いの一撃であった。

「美味しいものはいつ食べても美味しいからいいの。ケチ付けないでよ」


 先ほどとは別の理由でよろめくバルダーをよそに、スティレッタは来た道を戻ろうとした。

「ホラ、早く行きましょ。ドーナツは待ってくれないわよ!」

 もうすっかり彼女の気分はドーナツに支配されている。

「やれやれ……」

 腹部をさすり、バルダーも彼女の後をついて行く。

 もう先程のようなもめ事はないと思うが、やはり美人の彼女を独り歩かせるのは気が引けてならないのだ。



 眠らない街は、このままずっと朝まで輝き続ける。

 しかしこうやって、彼等の夜は更けていくのだ。

閲覧ありがとうございました。本作はこの「小説家になろう」で連載している「Misericorde」という小説の番外編になります。

この作品に興味を持たれましたら、Misericorde本編も閲覧していただけると嬉しいです。

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