プロローグ1
前書き
次回から一人称視点になります。
(このプロローグ1を読まなくても、物語の後半まで割と問題がなかったりします、多分)
「プヒープヒー」
男の名はシリウス・アークトゥルスと言った。
情けない豚のような声を口から出しているが、その声にふさわしい体系の持ち主で体重は120キロになる肥満体の男である。
脂ぎった顔に、見ているだけでむさ苦しさを感じる体つきをしている。
黒髪に黒目なので、まるで二本足で歩く"黒豚"だ。ただし黒豚でも、肉の味は絶対に美味しくないだろう。
こんななりである彼は、現在国の王宮に捕えられている状態にある。それも何か罪を犯して捕えられた罪人ではなく、国王が直々に命じて王宮の一角に軟禁するようにと指示した、特別な理由から捕まっているのだ。
彼が捕えられている室内はかなり広く、間違っても罪人用の檻でない。貴族用の監禁部屋……よりも、さらに待遇がいいかもしれない。
男の職業は薬師で、病人に対しての調剤でなく、昔から新薬の研究をメインに携わってきた。
部屋には彼が薬の研究をする上で必要となる薬剤や実験器具などが数限りなく用意されている。
その設備は民間の薬剤研究所の設備より遥かに金がかかっており、薬剤の研究者としては、ちょっと信じることが出来ないほど高価な設備となっている。
シリウスは、ここである薬を完成させることを国王から望まれていた。
あるいは彼の作る薬を、王以外のいかなるものにも与えることが出来ないようにするために、王宮に監禁している……とも言えたが。
見た目は優秀そうでなく、むさ苦しいだけのデブ男にしか見えない。
だが現在はこんななりでも、子供の頃は愛らしい容姿をした少年だった。地方の村に住んでいたが、その村に住んでいた近所のおばちゃんたちからは、こぞって「可愛い」、「綺麗な肌だね」、「女の子に生まれたら別嬪さんになれたのに残念だね」などと言われたほどだ。
ちょっとどころか、天地がひっくり返るほど、現在のシリウスと子供のころのシリウスの姿は違った。完全に異次元レベルの別人と言っていい姿である。
そんな彼の父は薬剤師であり、シリウスは父に倣って子供のころから薬に並々ならなぬ興味があった。
近くにある森に入り、そこにある薬剤に利用できる草花はもとより、様々な種類の雑草やキノコ、木の皮など、ありとあらゆるものを子供の頃から口に入れて、その味と効果を確かめていた。
中には痺れキノコや、笑いキノコ、さらには致死性のある植物の根まで口に入れたほど。
1日中笑いが止まらなくなってしまったのはまだ冗談で笑える話で、ひどい時には口から泡を吹いて、森の中で1週間行方知れずとなってしまった。あわや死にかけたところを、村に住んでいる猟師に助けられ、九死に一生の経験までしていた。
とにかく、森の中にある薬になりそうなものに興味が尽きなかったため、それら全部を自分の口に入れて確かめていった。
奇怪な行動をする少年であったが、そんな行動が実を結び、シリウスは子供の段階で父の薬師としての知識と技量を上回るほどとなった。その探究心は留まるところを知らず、ついには独自で薬の研究まで始めるという傑物ぶりだった。
とはいえその頃のシリウスは、まだ地方の村で薬に興味があるだけの変わった子供でしかなかった。
子供のころから森に入ってを繰り返していたシリウスだが、森には野生の動物と共に、この世界に存在している魔物と呼ばれる、人間にとって危険極まりない敵性存在もいた。
とはいえシリウスは、幼いころから薬の知識と共に、魔法の扱いにも長けていたため、多少の魔物程度は自力で撃退できるだけの魔法の使い手でもあった。
この世界で魔法使いは将来の出世が約束されている存在である。
父はそんなシリウスの能力をみて、子供の将来の為に薬師として自分の跡を継がせるより、魔法使いとして出世してくれるようにと望んだ。
そのためシリウスは10歳を過ぎると親元を離れ、王国の都にある魔法学園へと入学を果たすことになる。
もともと森の魔物相手に戦えるだけの魔法が使えたシリウスは、魔法学園内では同年代の子供たちと比べて高い実技能力を持っていた。
また、魔法学園には魔法使いが用いる薬剤に関する学科が存在しており、もともと薬剤に対して並々ならぬ興味があったシリウスは、自ら進んで魔法の薬剤を取り扱う"魔法薬学科"を専攻した。
シリウスは学園にいる間に、常に上位に位置する魔法の成績を誇ると共に、魔法薬学科内では開校以来の奇妙奇天烈な行動をする生徒だった。そして同時に、その奇行と同レベルの優れた能力を誇った。
在学中にシリウスはそれまでになかった新薬をいくつも開発しており、彼は薬学における天才児だった。
しかも彼、少年時代はおばちゃんたちから可愛いと呼ばれていた容姿の持ち主だったが、大人へと成長していくにしたがって、同世代の女性たちが目を離せない、かっこいい男へと変貌を遂げていく。
奇行癖があるものの、その見た目によって学園中の女生徒を虜にするという栄光まで手にしたのである。
その後、シリウスは学園を卒業すると共に、王国で最先端を行く薬剤の研究機関へと就職を果たすことになる。
学園時代に付き合った女生徒とは家庭を持つに至り、まさに人生バラ色のただ中だった。
もっとも栄枯盛衰。
リア充イケメン野郎だったシリウスだが、生来の性格が災いして、仕事にあまりにも深く没頭しすぎた。そのために彼は、家庭を全く顧みない人物だった。
優れた魔法使いであり、さらに天才的な薬剤師ときている。
だが家庭人としては甚だ失格で、仕事に没頭しすぎた結果妻に離縁状を叩きつけられることになる。
それも、"3回"も。
見た目がよかったものだから、妻と離婚しても再び新しい妻を得て再婚することが出来たのだ。
ただし、仕事中毒なのが祟って、再婚相手に再び離婚される始末。
おまけに少年期青年期に誇った美男ぶりは、年を取ると共に影を潜めていき、いつの間にか昔の容姿とは似ても似つかない姿へと変貌していく。40歳を超えると豚のように太ったデブ男と化してしまった。
こうなってしまっては、もはや嫁の貰い手などどこにもいない。
優れた魔法使いと天才的な薬剤師という肩書、ついでに優秀な能力に見合った資産も得ていたが、それでも彼と進んで結婚しようと思う女性は、世の中から完全にいなくなっていた。
一度だけ、デブになった後も近づいてきた女性がいた。が、残念なことにシリウスの財産目当てという、とんでもない悪女に危うく引っかかりかけた。幸い結婚にたどり着く前に相手の化けの皮が剥がれたおかげで、この時は事なきを得たが。
そんなことがあったものの、それでもシリウスと言う男が天才。あるいは、そのようなレベルで片づけていい人間でないことは確かだった。
彼は完成させたのである。
人類の誰もが一度は願うであろう"神秘の秘薬"。あるいは、決して手を出してはいけない、神の領域を犯す"禁断の薬"を。
「プヒッ。国王陛下におかれましては、私が完成させた薬の効果をぜひご確認いただきたいと思われます」
その薬を完成させたシリウスは、ある日国の国王の前にて、その薬の実演をすることとなった。
王宮の一角に、国王をはじめとして居並ぶ官僚たち。そして数々の兵士。
対して、王が鎮座する玉座の前にいるシリウスは、1人の奴隷を傍に従えていた。
「これが"不老不死の薬"です」
シリウスは、自らが開発した新薬の名を告げた。
「"不老不死の薬"とな。では、その薬を飲んだ者は死ぬことがなければ、老いることもないというのか?」
国王が問いかけてくる。
「左様です」
「だが、どうやってその効果を証明するのだ?」
「プフッ、このようにして」
国王の疑問を前に、シリウスは傍にいる奴隷に、"不老不死の薬"を飲ませた。
「では、ご覧ください」
そう言い、シリウスは奴隷の胸に剣を突き立てた。
剣で一突きされた奴隷は、胸から剣を生やしたまま地面へ倒れた。奴隷の胸から大量の血があふれ出し、それが周囲へ広がっていく。
その光景に、周囲にいる全ての人間がうめき声や悲鳴を上げる。
そして倒れた奴隷はピクリとも動かない。
どう見ても死んだ。奴隷はただの死体と化した。
鼓動も脈拍もないことは、この場にいる兵士の1人が手ずから確認することで確かめられた。
「死んでいるではないか!"不死"などとは、戯言を抜かす出ない!」
奴隷が死んだことが確認され、国王はシリウスの虚言に激怒した。
だが、国王の激怒を前に、シリウスは涼しい顔をしていた。
「プヒッ。今から、この男が"不死"になったことを証明してみせます」
シリウスは奴隷の胸を突き刺した剣を抜き取った。そして肉体の損傷を回復させる"回復魔法"を使う。
奴隷の胸にできた傷は、回復魔法の力によって徐々に塞がっていった。
やがて傷が塞がると同時に、奴隷が口から大量の血を拭きだした。
直後。
「がはっ、ごほっごほっ」
奴隷は口から血を吐き出し、むせかえりながらも生き返ったのである。
「な、なんと!」
確かに死んでいた奴隷が生き返ったことに、王を筆頭にその場にいた誰もが驚く。
「この薬を飲めは、例え肉体が死んだとしても、"回復魔法"をかければ蘇生することが可能になります。一応、回復魔法をかけずとも傷は塞がっていきますが、先ほどの傷だと、魔法や医療措置の一切を取らずに自然回復にだけ任せたとすると、早くても1カ月、長いと1年ぐらい蘇生に時間がかかってしまいます」
「つまり"不死"ではあるが、回復自体は瞬時に行われぬということか?」
「プヒッ。作用です。我々人間の傷口が自然に回復していく速度と大差ないでしょう。ですが、"不老不死の薬を飲めば、例え死に至る傷を負っても、死から蘇ることが出来るようになります」
シリウスは国王を前に堂々と言った。
「なお、"不老"に関してはすぐに証明しろと言われても、この奴隷が老いないのを確認できるまで時間がかかってしまうので、難しいのですが」
「よい。目の前で奴隷が死から蘇る姿を見たのだ。その薬が本物であることは間違いあるまい」
シリウスの作り出した"不老不死の薬"を、国王は完全に認めた。
「して、シリウスよ。そなたはその薬を作ることが出来るのだな?」
「はい……と言いたいところですが、残念ながらこの薬は3本しか作ることが出来ませんでした」
「3本だけ?それはなぜだ?」
「ブフッ。材料の問題でして……」
そこでシリウスは、この不老不死の薬を作り出すために必要になった材料の一部を国王に説明した。
それらの材料は例え国家であっても用意することが不可能と言っていい代物の数々であり、金や労力を用いればどうにかなるというものではとてもなかった。
1000年の時を超えて生き続ける"古代竜"。それよりさらに長久なる時を生き続ける"竜神の肝臓"。
死んでも再び灰の中より蘇る、"不死鳥の血"。
希少価値が高いどころか、完全に神話の領域に足を踏み入れた材料ばかりである。
「そなたは、一体どうやってそのような材料を手に入れたのだ……」
「プヒッ。今ではこんななりですが、フィールドワークは子供のころから大好きでしたので、自らの足で探し出しました」
体重120キロという、フィールドワークどころかおおよそ外に出ることさえ満足にできそうにない体型のシリウスが言う。
全く持って説得力のないシリウスの言葉だったが、国王はそれがシリウス流の冗談だろうと受け取って笑う。
実際のところ、"不老不死の薬"に必要な材料の数々は、シリウスが実地で動いて確保してきたものなのだが、信じてもらえなくても仕方がないとシリウス当人も思っている。
何しろ、昔と今の体ではあまりにも違いすぎるのだから。
なので国王が笑っても、わざわざそれを訂正する必要を覚えなかった。
「だが、シリウスよ。お主はその薬を3本しか作ることが"出来なかった"。……"過去形"で言ったな」
「はい。そのうちの1本は、たった今奴隷に与えました。そして私は、昔から自分の作った薬の効果は自分で確かめたいので、1本は私が飲みました」
「では、残った1本は……」
「国王陛下がお望みならば、献上いたします」
そう言い、シリウスは最後に残った"不老不死の薬"を国王へ差し出した。
「おおっ」
その薬を前にして、国王の目の色が変わった。
永遠に老いることがなく、死したとしてもその淵より蘇ることが可能となる、神の領域にある薬。それが今目の前にあるというのだ。
国王は1も2もなく、シリウスより"不老不死の薬"を受け取った。
王が口にするものであるからには、それには毒見が必要となる。
だが、
「この薬は全て国王陛下がお飲みください。小量でも足りなければ、"不老不死"の効果を得られない可能性があります」
そう言われた国王は、薬の毒見をさせることなく、自らの口へ薬を全て入れた。
こうしてこの国の王は、不老不死の存在へと変貌を遂げた。
シリウスには妙な野心などなかった。
なので国王の暗殺をもくろんで、渡した薬には実は毒を仕込んでいたとか、あるいは国王を自分の思いのままに操ることが出来るようになる薬……なんて効果はなかった。
彼は研究バカと言っていい人間だったので、そういう野心には乏しかったのだ。
それに薬の代価は取り立てて法外なものを要求していない。
単に自分の薬剤の研究環境をより良いものにしてくれと言う、全く持って研究バカな要求だけ。
だが不老不死となった国王は、薬を飲んだ時点でかなり高齢だった。
"不老不死の薬"の効果はいいのだが、この薬は年老いた老人の足腰を強固にする効果がなければ、若いころの精力絶倫な性欲が再び体に取り戻されるような効果も全くなかった。
つまり国王は"不老不死"になったのはいいが、次は若かりし頃の自分の肉体を取り戻したいと、"若返りの薬"を所望するようになったのだ。
人間の欲望と言うものは尽きない。一つ満たされれば、次のものが欲しくなってしまう。
国王もまた、ただの人間と言うわけだ。
一応、世の中で"若返りの薬"なる代物が新たに開発されたのだが、シリウスの作った"不老不死の薬"は肉体の老いを防止すると同時に、肉体が若返る効果まで阻害するという効果もあった。
そのせいで"若返りの薬"を飲んでも、国王の肉体が若返るようなことは決してなかった。
現在の肉体を変化させないという"不老不死の薬"の効果としては正しいのだが、それが予期せぬ形で国王の望みを遮ることになってしまったのだ。
その結果、国王はシリウスに"不老不死の薬"の効果を得たまま、"若返り薬"の効果まで及ぶようにしろと命令してきた。
そのせいでシリウスは"若返りの薬"の研究の為、王宮の一角に軟禁されてしまう羽目になった。
王宮内での薬剤の研究開発環境自体は非常に整っているのだが、それでも施設外へ出ることはできず、非常に不便な環境に置かれてしまった。
しかも国王は自分が不死の人間になった反動からか、自分以外の人間までが不死になることに、ひどく警戒するようにもなってしまった。
自分だけ、あるいは少数の者だけが独占しているものには、非常に高い価値がでてくる。そして、それを他者に分け与えることには我慢ならなくなるものだ。
秘密や特権と言うものは少数のものが独占しているからこそ旨みがあるのであって、それを全ての人間が得てしまえば、秘密は秘密でなくなるし、特別な地位も特別でなくなってしまう。
妙な猜疑心に国王が憑りつかれてしまったため、"不老不死の薬"の製造方法を知っているシリウスが、その知識を世間に広めることがないようにと、王宮に軟禁されてしまったのだ。
国王もシリウスも"不死"であるから、国王の軟禁命令は、彼ら2人が死にようがないため、未来永劫続くこととなってしまう。
自分で作り出した薬とはいえ、シリウスは自分がどうしようもない薬を作ってしまったものだと嘆息する羽目になってしまった。
「プヒー、誰だよあんな迷惑極まりない薬を作った奴は」
≪ご主人様、あなたですよ≫
そんな声が、シリウスの頭の中でした。
あまりにも長い軟禁生活だったもので、妄想の時間なんていくらでもあった。その結果、いつの間にか妄想の産物である妖精さんが、シリウスの頭の中に住み着いてしまった。