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魔王の守人  作者: 木賊苅
1部
7/33

3-2


 柳陰隼(りゅういんじゅん)は、私立飛鷹(ひよう)魔道学校から本年度、此処、私立桐ヶ谷魔道学園の高等部二年へと編入してきた男子学生だ。

 本日は桐ヶ谷魔道学園の三大イベントとして名高い、バトルトーナメントが開催される日である。日々腕を磨いてきた生徒たちが、その実力を披露する日だ。隼もその参加者の一人だった。

 隼の生家は、鐘架国でもそれなりに名の知れた“魔物狩り”の一族だ。曾祖父などは、王から直々に褒賞を承ったことがあるらしく、下級貴族の端くれでもある。一族のほとんどは魔物狩りだけでなく、研究者など、何かしら魔物に関係する職業についている。隼も国直属の討伐隊に所属している叔父のような立派な魔物狩りになるのだと、幼い頃から心に決めており、目標に向かって日々鍛錬を重ねていた。

 魔物狩りというのはその名の通り、魔物の討伐で日々を生きている者達の職業である。命の危険と常に隣り合わせなこの職業を生業にするには、相応な実力がなければならない。

 生まれつき魔力の保有量が少なかった隼は、がむしゃらに剣の腕を磨いてきた。魔術での攻撃が期待できないのなら、それをカバー出来るほどの技術が必要だと判断したがゆえのことだった。真面目な性格もあってか、飛鷹魔道学校ではトップクラスの実力者になるまで登りつめたのは昨年、高等部一年の時のこと。剣術においては、彼の右に出る者はいなかった。

 魔術など使わなくても、自分の剣は実力者たちにも通用する。

 己の腕に確固たる自信をつけた隼だったが、そんな自信を大きく揺るがす存在が現れた。



 彼より学年が一つ下である、柊煌。



 編入してきて出来た唯一の友人から、噂だけは聞いていた。授業にまともに出ず、女のくせに男の格好をして喧嘩に明け暮れる、理事長の養子だからという理由だけでこの学校に在籍出来ている問題児。そんな問題児が魔王と誓約を交わしたと、あの騒動があった日の朝に耳にした。

 図書室で友人の相手をしている時の彼女に、無駄な動きは一切なかった。頬の傷は、いざという時に正当防衛を主張するため、わざと受けたのだろう。

 何より、立っているだけで全身に感じられた気迫。向き合った瞬間、あの時、隼は戦わずして自身の敗北がわかってしまった。

 隼は彼女の正体を聞くと、慌てて図書室を飛び出して友人を彼の自室に放り込み、自室に戻った。そして困惑する誓人を適当にあしらい、ベッドの中で涙した。



 悔しかった―――立ち向かわずともわかってしまった実力差が。

 恥ずかしかった―――尻尾を巻いて逃げたことが。



 しかし同時に、疑問に思った。彼女が乱入してきたのは友人が無理矢理な感じで迫っていた女子生徒を庇うためで、友人から聞いていた噂から予想される人物像と何かが違う。

 次の日から、隼は柊煌についての噂を集めてみることにした。友人は気まずそうに目を逸らし避けてくるようになったが、仕方のないことだと割り切った。友人が大切だったのなら、暴走する前に止めるべきだったのだ。これで縁が切れるようならば、それまでの関係だったのだろう。

 不思議そうな顔をされたり何故か怯えられたりしながらも、何人かに聞き込みを行ったことで、いくつかわかったことがあった。



 あまり授業には参加しないが、実技試験についてはとても成績が良いこと。

 喧嘩の理由は、たいてい相手側が絡んでいくか、人助けであること。

 良くない噂の出処のほとんどは、喧嘩や実技試験など何かしらのことで彼女に負けた者達であること。



 つまり、問題児は問題児なのだが、聞かされていたほど悪人ではない。行動に起こせるぶん、むしろ正義感的なものも強いのではないだろうか。そう、隼は結論付けた。

 が、噂は所詮噂だ。機会があるならば、もう一度煌と、今度はきちんと言葉を交わしてみたい。

 隼がそう思ったのは、大会前日、つまり昨日のことで。

 大会参加者用の控え室。その隅に、柊煌はいた。女子生徒と赤と黒、二人の魔族に囲まれ、鼻唄を歌い出しそうなほど上機嫌で配布された模擬剣などの装備の手入れをしている。傍にいる女子生徒にも見覚えがあった。最近とんと音沙汰のない友人………いや、元友人が迫っていた、例の生徒だ。魔族は二人の誓人だろう。赤毛の方は見覚えがあるので、黒い男の方が煌の誓人か。つまり、魔王。

 魔王の放つ魔力に気圧されているのか、彼女たちの周りにはぽっかりと空間が出来ている。そんな中、四人は和やかに談笑していた。それに他の出場者は、じっと睨みつける者、興味深そうに観察している者、絶対視界に入れるものかと言わんばかりに目を逸らす者と、さまざまな反応をしている。中でも多いのは息をひそめて様子を窺う者だ。彼女は今まで負けなしだと聞いている。それが力を抑え込んでのものだったのなら、本来の彼女の実力はいかほどのものなのか。気にならない者はいない。

 一瞬蒼い目と視線が交わった気がして、四人をこっそりと眺めていた隼は、思わず顔ごと勢い良く逸らしてしまった。そして、自己嫌悪に陥る。話したいと思っていたくせに、いざとなったら避けるのか。

 いつもなら沈んでいる彼に檄を飛ばす誓人は、現在此処にはいない。用事があるとかで、数日前から実家に戻っているのだ。

 隼は頭を振り、意を決して顔を戻したが、煌はすでに傍らの女子生徒へと意識を向けていた。さすがに、あの中に突撃する勇気も厚顔さもない。

 深い溜息を吐いて項垂れた、その時。偶然、彼女たちが一度部屋を出るといった内容の会話が耳に入ってきた。けっして聞き耳を立てていたわけではない。



 四人が扉をくぐったのを確認した隼は、猛然と扉に向かっていった。何事かという不審げな視線を向けられるが、気にすることなく扉を開け放ち廊下へと出る。大会が始まってしまう前に、どうしても言っておきたいことがあった。

 左右に素早く目をはしらせると、左の廊下の角に消えていく黒い裾が目に入る。が、追いかけようと足を一歩踏み出した瞬間、鼻先を掠めた匂いに足を止めた。顔を顰めたくなるような、きつい薔薇の香り。

 ここ一週間ほど何故かそこかしこで嗅ぎ、いっそ慣れてきた匂いだ。しかし、教室や廊下ならまだ生徒の香水の匂いか何かだとわかるが、こんなほぼ男しか立ち入らないような場所で何故薔薇の匂いがするのだろう。

 浮かんだ疑問は、早く追いかけなければ見失うという焦燥に早々に掻き消され、隼は一度止めた歩みを再開した。足音と気配を可能な限り消し、足早に曲がり角に近付いてそっと向こう側の様子を窺う。

 手前に煌、奥に魔王の横顔が目に入った。光が射しこむ開け放たれた扉の向こうには、きっと女子生徒とその誓人がいるのだろう。会話しているのか、少し声が聞こえてくる。



「お前はオレの親か何かか…………わかったわかった」

「絶対だよ?破ったら泣くんだから!」

「はいはい。ほら、席なくなんぞ」



 そんな会話が聞こえたあと、小さな悲鳴と二つの足音が離れていく。そのまま隠れていると、煌がその斜め後ろに立つ魔王を見上げた。



「お前は一緒に行かないのか?」

「俺が客席にいると騒ぎになると思うが」



 魔王の言葉に、それもそうかと頷いている。

 客席には学園の生徒だけでなく近隣住民、つまり魔力のない一般人も数多くいる。魔力のない者は魔力を感じることはないが、魔道学校の生徒が怯えていれば何かわからなくとも恐怖をおぼえるだろう。得体の知れない恐怖ほど怖いものはない。それが会場全体に広まってしまえば、大会どころではなくなってしまう。



「見るのに適当な場所を探す。近くにいると手を出したくなる」

「ぜひともそうしてくれ」



 煌の頭をくしゃりと撫でた魔王はそのまま姿を消した。煌は不思議そうに自身の頭を触ったかと思うと、ふるふると首を振る。がしがしと後頭部を乱暴に掻き、控室へと戻る道、隼の隠れている方へと近付いてきた。

 隼は拳を握りしめ、一歩足を踏み出した。今を逃せば、彼女と二人きりで言葉を交わせる機会なんてきっと来ない。

 行く手を塞ぐ存在に気付いた煌は一瞬面倒臭そうな表情を浮かべたが、隼と目を合わせた瞬間、訝しげなものへと変える。



「柊………」

「どうも先輩、何かオレに用でも?」



 表情を変えない彼女に、徐々に隼の視線が下がっていく。蒼い目が何だか自分を責めている気がした。

 わかっている。彼女からすれば友人を止めなかった時点で共犯で、男として最低なことをしたのだということは。だから、自分が傷付くのはお門違いだ。嫌な思いを、怖い思いをしたのはあの女子生徒なのだから。

 ごく、とからからになった口の中を潤すために唾を飲み込む。



「謝罪、を…………」

「謝罪?」

「あ、ぁ。あの時のことを、もう一度、謝りたい、と……………」



 すまなかった、と窓のない薄暗い廊下で隼は深々と頭を下げた。年下の女の子に頭を下げるという行為に、理性で押し潰した矜持が疼く。それでも隼はすぐに上げることはしなかった。これは最低限のけじめなのだ。

 沈黙が、二人だけしかいない廊下を包み込んだ。



「………で?」



 それ、オレに言って意味あんの?


 ため息と共に吐き出された容赦のない言葉に、頭を下げたままの体勢でいた隼は思わず息を呑んだ。あの女子生徒に声をかけるのは気まずいが、とにかく謝って重い気分を払拭したいと思っていたことや、謝れば許してもらえるのではという微かな甘えを、彼女に見破られた気がした。

 頭を下げたまま唇を噛み締め、足の横に添えた拳を握りしめる。



「用事はそれだけか?」



 ならオレは戻るぞ。


 そう言い残した煌は未だ頭を下げた格好の隼の傍らを通り抜け、曲がり角の向こうへと消えていった。遠退いていく足音に、隼はふらりと壁際に歩み寄り、背中を壁へと押し付ける。そして、そのままずるずると床に座り込んだ。



「……………っ」



 膝に額を押し付け、ぐしゃりと両手で鳶色の髪を掻き乱す。溢れそうになった叫び声を、必死に喉の奥で押し殺した。

 わかっている、自分が悪い。謝罪なんて所詮自己満足で、本来謝る相手は彼女じゃない。怖がらせてしまった、あの女子生徒にこそ直接謝るべきだ。

 でも、なら、どうすればいいのだ。謝ろうとしてもどうせあの誓人が自分を彼女に近付かせない。何より怯えた目を向けられたらと思うと、頭の中を掻き毟りたくなる。

 わかっている、わかっている。自分が悪いことはわかっている。相手が嫌がっているのをわかっていながら止めなかったのは、あの時隣にいた自分の罪だ。


 でも、謝罪ぐらい受け入れてくれてもいいではないか。



「ち、がう………ッ」



 悪いのは自分なのだ。煌を責めるのは間違っている。

 そんなこと、わかっているのに。

 あの強さと気高さが羨ましくて、恨めしくて――――憧れる。



 どろりとした黒いものが、胸の奥に溜まっていく。


 噛みしめた唇から、赤い血が滲んだ、その時。むわり、と辺りが強烈な薔薇の匂いに包まれた。今までの鼻先を掠めるようなレベルではないそれに、隼は弾かれるようにして顔を上げる。だが目をはしらせるものの、自分以外の姿も気配も感じられない。



「なんだ…………?」



 全身を包み込んでくるような匂いに鼻を袖口で押さえ、警戒しながら立ち上がる。

 魔力の探知、という高度なことは、魔力保持量の少ない隼には出来ない。が、現状が異常であることはさすがに理解できる。



“勝ちたいか?”



 突然、頭の中に直接話しかけるようにして女の声が響き、隼は小さく息を呑んだ。



“あの娘に、勝ちたいか?”



 隼の動揺を気にすることなく、再び声が響く。

 ばくばくと五月蝿い動悸を数度呼吸して宥め、唾を呑みこむ。



「お前は、何だ?」



 小さく唸るように問う。腰に下げた剣に手を添えもう一度注意深く周囲を見るが、やはり女はいない。声だけを別の場所から送ってきているらしい。

 頭の中で警鐘が鳴り響く。嫌な汗が吹き出し、手が湿る。

 薔薇の香りが強くなった。



“娘に勝ちたいのじゃろう?応えよ…………妾が力を貸してやろう”



 どくん、と心臓が一つ、大きく跳ねた。



 勝つ。誰が、誰に――――自分が、煌に?



 じわり、毒が染み込んでいく。



 この声に答えれば、勝てるのか。あの、気高く眩しい彼女に。

 勝てれば、見てもらえるだろうか。謝る勇気が、持てるだろうか。

 彼女に、勝つことが出来れば…………………



 暗い闇が、彼の思考を侵食するように染めていく。



「勝ち、たい……………」



 他愛もない、という楽しげな声が聞こえた気がしたが、意識はそこでぱたりと途切れた。




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