秘密の逢瀬
かなり短いです。
「おや殿下、どうしました?」
魔界の王城の廊下を歩いていたアルスは、前方に自身が仕える主であるルシアの姿を見つけ、不思議そうに首を傾げた。普段滅多に自室から出てこない彼が、珍しいこともある。
一方、突然声を掛けられたルシアは、今まさに城を出ようとしていた足を止めた。
「……アルスか」
「はい」
振り返って不機嫌そうに名を呟く主に、アルスはにこりと笑う。彼の顔が不機嫌そうなのは、いつものことである。というか、これが普通、通常装備だ。
「一体何処へお出かけに?」
今日は確か、彼に下された任務はなかった筈である。任務がないのに、彼は一体何処へ行くというのか。
「……お前には関係ない」
「お供しますか?」
「いらない。来るな」
ぴしゃりと言い放たれた言葉に、アルスは「おや」と意外そうに目を瞠った。、
彼、ルシアに仕えて彼此三百年ほど。彼の強い意思らしきものが篭った声を、初めて聞いた気がする。
そんなことを思っているうちに、ルシアの姿が消える。
「おやおや。そんなに焦って何処へ行くのやら」
面白そうに、くすくすと笑うアルス。
これは、かなり気になる。
「来るなと言われても、行かない手はないですねぇ」
実は命じられた任務があったりするのだが、そんなものは後回しだ。今は、彼の行き先の方が気になる。
アルスは一歩王城の外へ足を踏み出すと、ルシアの“力"の軌跡を辿り飛んだ。
ルーシャスラの後を追い、アルスが辿り着いたのはなんと人間界。しかも、深い森の中だ。
何故、こんな場所に彼が来るのか。
そんなことを思いながら、アルスはルシアの姿を探して歩き始める。勿論、足音と気配を消して。
十分程して、やっと彼の姿を見つけたアルスは、木の影に身を潜め、こっそりと様子を窺う。
彼は何か、もしくは誰かを待っているのか、ある一点をじっと見つめている。
そして更に待つこと数分……
がさり、と背の低い木の枝が揺れた。そこからひょこり、と顔を覗かせたのは―――…
「ルーシャ!」
一人の少女が、嬉しそうに満面の笑顔でルシアに駆け寄る。年は五、六歳。背まで届く長い白銀の髪に、深海を思わせる蒼い瞳をしている。
少女はそのまま彼の足に飛びついた。その頭を、ルシアがくしゃりと撫でる。
「今まで何処に隠れていた煌」
「あのおっきいきのうえ!!でも、ルーシャずっとみてただろ」
ルシアがしゃがんで視線を合わせてやると、少女、煌はむぅとむくれる。折角隠れていたというのに、すぐに見つかったのが面白くないらしい。
成程。彼が城を抜け出したのは、この少女に会うためか。何ともおかしな図だ、とアルスが何故か感心していると、
「今日は何をする?」
ひょいと片腕で煌を抱き上げ、問い掛けるルシア。
「んと…あれがいい!ひがぼってでるやつ!」
「炎系の魔術か?」
「うん、それ!」
抱き上げられて、きゃあっと嬉しそうに声を上げる煌に、ルシアは笑う。
アルスは、それこそ驚きで言葉を失くした。自分以外なら、きっと気を失っていたに違いない、とまで思う。
普段戦闘時に見せる、見た者の背筋を凍らせる冷笑ではなく、穏やかに崩れた優しい笑顔。
それは、本当に小さな変化だけれど………
「やれやれ、いつもの警戒心は一体何処へやったのやら……」
目の前で木に背を預け、仲良くぐっすりと眠っている二人を見て、思わず苦笑する。小柄な煌はルシアの膝の上に座らされ、すっぽりと抱き込まれている。
いつもは決して解くことのない警戒。しかし今の彼は、無防備の一言に過ぎる。恐らく殺気の一つでも出せば飛び起きるのだろうが………
小さく息をついたアルスは、ふと彼にもたれ掛かり、擦り寄る様にして眠る煌を見る。
近付いてみてわかった。
彼女の中に、王妃が求める者がいる。
本来なら、すぐにでも戻って報告しなければならない事実。しかし……
目を閉じると、初めて見たルシアの笑顔が思い浮かぶ。
………黙っていよう。幸い、このことを知っているのは自分だけのようだから。
彼女ならきっと、凍った彼の心を溶かしてくれるだろう。
「……良い夢を、姫」
笑みを浮かべ一礼したアルセルークは、次の瞬間その場から姿を消した。
ローズクイーン襲撃の、半年前のことである。