愛の告白の日①
「レント・ヴィアーネの季節が来たよ、煌君!」
「……は?」
年が変わり、一年で一番寒い時期。一年を通して暖かい気温に保たれている温室で昼寝をしていた煌は、突然話しかけられて目を開けた瞬間、満面の笑みで告げられた言葉に、思わず顔をしかめた。
「まさかレント・ヴィアーネまで知らないとか言う?」
「いや、それは知ってるけど」
レント・ヴィアーネ。別名、愛の告白の日。始まりは、他大陸に伝わる伝承だという。
人間界を巻き込んだ、天界と魔界の大戦が終結して間もない頃、とあるカップルが誕生した。天族の男と、魔族の女のカップルだ。とても仲睦まじい二人だったが、二人の故郷はつい最近まで和解したとはいえ戦争をしていた間柄であり、互いのことをあまり快く思っていない。当然のように、二人は周囲によって引き離された。
しかし諦めきれなかった二人は、互いの故郷を抜け出し、人間界で再び会うことが出来た。再会した二人は、女は手作りの菓子を、男は花を相手に贈り、永遠の愛を誓ったという。それを見ていたとある村の村長は、種族は違えど愛し合う姿に感動し、二人を村に匿った。人間の村に迎えられ、婚姻を結ぶまでに至った二人は、生涯幸せに暮らしたという。
そんな伝承が伝わる村で、とある男が恋する女性に花を贈って告白した。女は持っていた手作りの菓子を差し出し、その告白を受け入れた。村人達に祝福された二人は、その後幸せに暮らしたようだ。
後にそのカップルの噂は村だけでなく各地に広がり、その日に女は手作りの菓子を、男は花を愛する相手に贈り告白すると、想いが届くと伝わった。更にのちのち誰かが伝承にある天族と魔族の名前から、レント・ヴィアーネという名がつけたという。
今では“手作り”の部分は消え去り、女子は菓子を、男子は花を、想う相手だけでなく、世話になった人などに贈るイベントとして知られている。菓子業界の陰謀ではないか、などと言われることもあるが、そんなことはイベント好きな若者達には関係ない。楽しんだ者が勝ちなのだ。
「で?そのレント・ヴィアーネがどうしたって?」
ふあぁ、と大きな欠伸を噛み殺しての煌からの問いに、莉央は目を輝かせた。煌が体を横にしていたベンチに腰を下ろし、ずいと身を乗り出す。
「この学校って、レント・ヴィアーネの為の特別授業があるってホント!?」
「あ?」
片眉を吊り上げ、煌は陽の差し込むガラスの天井を見上げる。特別授業、特別授業……
一つ思い付いたものがあり、あー、と声を漏らす。
「ある、けど………」
「どんなの!?」
食い気味に言葉を重ねてくる莉央に、煌はずりりと下がった。さすが、最近の若者の一人である。女子が大好きな恋愛関係のイベントだけあって、莉央の食いつきも半端じゃない。
「男子は花採ってくんだけど、女子は、あー……手作りの菓子作る…………?」
「何で疑問なの?」
「いや、何つーか………」
「こ~うくん?私、この特別授業は全員参加だって聞いたんだけどなぁ?」
笑顔の莉央が怖い。
きょときょとと目を泳がせ、ぽりぽりと顎を掻く。
「女子の方じゃなくて、男子の方で今まで参加してた、から?」
こてん、と首を傾げて見せると、莉央が崩れ落ちた。両手で顔を覆い、煌君あざとい……!と何やら呻いている。
煌は軽く舌を出して体勢を直した。この友人はどうもこういったわざとらしい行為が好きらしい。とりあえず鬼のような気迫が抜けたので良しとする。
「煌君、私の扱い上手になってきたよね………」
「カークにゃ負けるだろ」
「そりゃ、付き合いの長さが違うもん」
そりゃそうだ。三年以上と一年足らずの付き合いなのだから。
むすぅ、と唇を尖らせ頬を膨らませる莉央に苦笑を浮かべると、その頭を数度叩くように撫でる。
「……何で男の子の方に参加してたの?」
「男子は花録りにいくっつったろ?引率すんのが実戦実習の先公で、外に採りに行くんだよ。魔物が棲み着いてて一般人は立ち入り禁止になってる郊外の森に」
「煌君ホント戦うの好きだよね……」
「今更だな?」
まぁ、だから面倒臭ぇけど参加してたんだよ。花はユーファにやると喜んだし。
なるほど、と莉央が頷く。理事に対しては辛辣な物言いが多い煌だが、ユーファに対しては常に素直だ。頼まれると嫌な顔をしつつも従うし、気遣う様子も見せる。彼女いわく、小さい頃にかなり世話をかけたから頭が上がらない、との事らしい。
「今年は一緒に参加しようね!」
「えぇ……?」
「煌君、お菓子作るの苦手じゃないでしょ?一緒に作ろ?王様にもあげると、きっと喜ぶと思うの!」
その言葉に、煌は難しい顔をして黙り込んだ。
確かに、ルシアは甘いものが好きである。というか、完全に甘党だ。煌が作る非常食代わりのクッキーを、毎回彼は無言で催促してくる。作っている背後に無言で突っ立ってくるのは、なかなか威圧感があるのだが…………思えば、クッキー以外の物を渡した記憶がない。
もし、煌が授業で作ったものを渡したとして。彼は、一体どんな反応をするのだろうか。
「ね?」
………喜ぶ、だろう。余りを渡しただけでも、目を細めて頬を緩めるのだから。
そう思ったら、微笑む莉央に頷いていた。彼女の方こそ自分の扱いが上手くなっているな、と煌は口元に苦笑いを浮かべた。
「ルシア~気張っとるか?」
「出ていけ」
「そないつれへんこと言わんといてや」
これ出しに来たんやって、と扉の向こうから顔を覗かせたカークがヒラヒラと書類を泳がせているのを見て取り、ルシアは嫌そうに顔をしかめた。
此処は魔界の王城、その王の執務室。毎度のごとく仕事を溜め込んだルシアは、笑顔のアルスの監視付きで書類の山を崩している真っ最中である。
「おやカークさん、その書類の期限は三日前ではなかったですか?」
「堪忍堪忍、底の方に埋もれとってん」
にこり、と自身も机で仕事をしているアルスに微笑まれ、カークは頬を引き攣らせて笑いながら顔の横まで両手を上げた。文字を読むのも書くのも苦手な彼は、机仕事のスピードにおいてはルシアと似たり寄ったりである。
カークから書類を受け取ったアルスは、紙面に目を滑らせ一つ頷く。字が汚い、文章が支離滅裂、などと突っ返されることも多々あるのだが、今回は及第点のようだ。
「あぁそうそう。三日後に休み貰いたいんやけど」
「はぁ、今は比較的落ち着いてますから大丈夫だと思いますけど………何か用事でも?貴方の守人関連ですか?」
「さっすがアルス」
冴えとるわぁ、と指を鳴らして褒められるが、彼の私生活のほとんどは妹のように大切にしている守人を中心に回っている。想像するに容易い、というかむしろそれしか思い浮かばない。
「と言うてもまぁ、わいだけやのうてルシアにも関係あると思うんよ」
「………王に?」
訝しげに眉をひそめるアルスの声に、ルシアが顔を上げた。自分に関係がある、ということは、おそらく彼の守人である煌にも関係することだ。
アルスから自分を無言で見つめてくるルシアに顔を向けると、カークはへらりと笑った。
「レント・ヴィアーネ、て知っとる?」
「人名ですか?」
「あぁまぁ、確かに元は人名やけども」
当たらずとも遠からずだが、言いたいことはそうではないのである。
再び机上に視線を落とし、顔を上げずに対応しているアルスは、雑談もいいですけど手を動かさなければ終わりませんよ、とルシアに向けて釘を刺した。止まっていたルシアの手の動きが再開する。
思い切り片手間に相手されているカークだが、本人は気にした様子もなく言葉を続けた。普段からの彼の扱いが目に見えるようである。
「女は菓子を、男は花を、大事にしとる相手にプレゼントする日らしいで」
「あぁ……人間界のイベントですか」
「そや。ちなみに、好きな人に告白すると成功する確率が上がるイベントのトップらしいわ」
「何と言いますか………若者が好きそうなイベントですねぇ」
しみじみと呟くアルスは、見た目は青年だが、年齢でいえばそろそろ青年期が終わる頃合いだ。寿命にはまだ遠いが、もう若いとは言えない年である。
「それで、何故王にも関係があると?」
「莉央がなぁ、煌ちゃんを菓子作る授業に誘った~言うて喜んどった、て言えばわかるやろ?」
にやにやと笑いながら告げるカークに、なるほど、とアルスが一つ頷く。手を止め、にっこりと笑いながらルシアへと顔を向けた。
「よかったですねぇ、王」
「…………?」
笑みを向けてくるアルスに、ルシアは軽く首を傾げた。煌が菓子を作ることが、何故良かったことになるのだろう。
頭上に疑問符を浮かべるルシアにアルスは、相変わらず朴念人というか、鈍い人ですねぇ、とぼやき、人差し指を立てる。
「いいですか?先ほどのカークさんの説明から、大切な人に女性は菓子を渡すことがわかります。カークさんの守人は、その菓子を作る授業に誘ったと言ったのですよ」
つまり、と人差し指を引っ込めたアルスは机上の書類を纏め、トントンと端を机に当てて揃える。
「姫から菓子が貰えるかもしれませんね」
姫は親しくしている人が少ないですから、と続ける彼は基本一言多い。
ぴたり、と判を押すルシアの手が止まった。じっとアルスを睨むように見つめるが、彼はすでに作業を再開しており、こちらを見る様子は欠片もない。
もし、本当に煌が菓子をくれたとしたら。それは、自分が彼女にとって、大切だと思ってもらえていると自惚れてもいいのだろうか。
アルスを睨んだ(ように見つめた)まま動かないルシアに、せやから、とカークは思考をぶった切るように声を上げる。
「花、一緒に探しに行かへん?」
「花?」
「そう、花。男は花渡すて言うたやろ?菓子貰た貰わんかった関係なく、ルシア、煌ちゃん大事やろ?」
「当然だ」
自分の命より魔界より、何よりも大切な存在。
即答したルシアにうんうんと頷いたカークは言葉を続けた。
「やから花、煌ちゃんにあげへん?人間のイベントやからって、わいらが参加したらあかんってわけやないやろ?」
煌ちゃん、喜ぶ思うで?という言葉に、ルシアは無言で思考する。
煌が、喜ぶというのなら。何でもしてやりたいと思っている。
思っている、が…………
ルシアとカーク、二人の目が素知らぬ顔で仕事を続けるアルスへと向けられる。
「アルス?」
「何でしょう、カークさん?」
顔は上げないが、反応を返す声だけは穏やかだ。
「わいが休みの時、ルシアも休みにして欲しいんやけどな~?」
「えぇ、いいですよ?溜めに溜めたその書類の山を全て崩すことが出来たなら」
すっ、と顔を上げずに指差されたのは、ルシアの机に双塔を築いている、うず高く積み重ねられた書類の山だ。椅子に腰かけているルシアの頭と同じぐらいの高さである。
つまり、三日でこれを片付けろと。
文句を言おうにも、アルスの机にはその倍以上の山が築かれているわけで。
「………」
「………気張りや、ルシア」
無言で書類の処理を再開させたルシアに、カークは力なくエールを送った。手伝おうなどという言葉は口にしない。彼も書類仕事は大の苦手なので。