最終章
「……………どんな状況だよ、これ」
怒涛の終業式から一週間が過ぎた日の、桐ケ谷魔道学園の中庭。夏の長期休みに入り、いつもなら多くの生徒が行き交い騒がしい校内も、数多くの生徒が帰郷している為、今は閑散としている。
そんな静かな場所にあるベンチで、煌は剣呑に目を細めて呟いた。
「何ていうか…………うん、不思議な組み合わせだよ、ね?」
「せやなぁ」
その隣で居心地が悪そうに腰を下ろしている莉央が、傍らに立つカークと顔を見合わせて苦笑しながら言った。彼女は長期休みに入ったというのに実家へは帰らないらしい。本人曰く、父親と盛大な喧嘩中であるとのことだが、詳細は聞いていないのでわからない。
最近莉央とカークは普段からも共に行動することが多くなっているので、別におかしくはない。問題は……………
『煌、俺の体を足で蹴るな』
「うるせぇ雪華。何でお前が外にいんだよ。つかそのデカい図体でオレの足元に寝そべんな、邪魔だ」
足元で組んだ前足に顎を乗せ、目だけをこっちに向け抗議してくる真っ白い毛並の巨大な狼の腹を爪先で軽く蹴りながら、煌は彼を睨み付ける。
そんな彼女に狼、雪華はフンと鼻を鳴らして再び目を閉じた。
『お前が何度も死にかけるせいで封印が緩んだ。おかげで幸か不幸か、多少の魔力を消費すれば出られるようになった』
まぁ長時間は無理だがな、と大きな欠伸を一つ。その際大きな口にずらりと並んだ鋭い牙に莉央が体をびくつかせたのに気付いたが、それは全く気にしない。
煌はそれにため息を吐くと、がしがしと目の前の毛並を乱暴に撫でる。
「ならもういっそ、魔界に帰ればいいだろ。封印ならオレが解いてやるし。もうお前を狙う馬鹿もいねぇんだから」
オバサンは地下牢の中だしな、とぽつりと付け加える。彼女があれからどうなったのか、煌は知らない。興味もない。ルシアに任せたのだから、まぁ気楽には生きてないだろう。何より責任者があの底意地の悪そうなアルスだというのだから、気に掛けるまでもなく地獄を味わっているに違いない。
だからもう自分の中にいる必要はないだろう、という煌の言葉に、雪華は鼻を鳴らして拒否する。
『何処かの誰か一人に任せていたら、お前は早々に死んでしまいそうだからな』
こちらの方が都合がいい、俺ならお前の敵を一噛みで殺してやれる、とベンチに座る煌の後ろに控えるルシアをわざとらしく見遣りながらそう言った。
ルシアの眉がぴくりと動く。それに気付いた煌だが、何だか面白そうなのであえて放っておく。
「………………隠れるしか能のない犬風情に言われたくない」
ぼそりと言い返したルシアの言葉に、今度は雪華の耳が動いた。
あわあわと焦る莉央を、苦笑を浮かべるカークが宥める。一方、原因である煌はというと、既に口元を引き攣らせ、腹に手を当て小刻みに体を震わせていた。爆笑一歩手前、といったところか。
のそりと体を起こした雪華が金色の目を光らせてルシアを見つめる。
『役立たずの王に言われたくはないな』
「その言葉、そのまま返そう」
煌を間に挟み、彼女の頭上で睨みあう魔族と魔獣のトップ達。莉央とカークは背中に冷たい物が滑り落ちたような錯覚に陥った。
一触即発の空気を破ったのは、ぶはっ、という空気を噴きだす音。四対の目が音の発生源へと向けられる。
「っく、あははっ…………も、もう無理、だ………………!」
四つの目に見つめられながら、腹が捩れる………!と腹を抱え声を出して盛大に爆笑する煌。その目にはうっすらと涙まで浮かんでいる。
莉央は今にも浮かび上がりそうになった涙を必死に耐えた。出会ってからまだ半年も経ってない。でも、その期間の中で彼女が此処まで屈託なく笑っているのは初めて見た。
ひとしきり笑い転げ、ある程度落ち着いた煌は、それでもまだ時折引き攣ったような声を漏らしながら、あー笑った、と顔を上げた。
「お前ら、遊ぶなら裏山行けよ?結界張ってあっから。あと雪華は人型になれ、お前らが本気出すとオレの結界は十分ともたない」
浮かんだ涙を袖口で拭いながら指さすのは、此処からは見えないが学園の東部に位置する山々。そこは煌が修行と称して一人篭ったり、五将の誰かと手合せをしたりする為に彼女自ら施した結界が張られている。通常の物よりも格段に強固に出来ているそれは、どれだけ派手に術をぶっ放そうが周囲に騒音も振動も漏らさない優れものだが、さすがに魔界の二大トップに本気で暴れられれば一溜まりもないだろう。ルシアと契約してからもちょくちょく足を運んでいたので、場所はわかる筈。
煌を見ていたルシアと雪華が、一瞬視線を合わせる。
「わかった」
『承知した』
了承の意を彼女に伝えた直後、一人と一匹の姿が掻き消えた。封印元からあまり離れられない筈の雪華だ、人型になると同時に移動したのだろう。魔獣に転移の術は使えない。彼は普段煌の中にいるので、きっと自力で例の場所に辿り着く。
彼らの姿が消えて数秒後。あー、と楽しげな声が中庭に響いた。
「所々トラップ仕掛けてんの言うの忘れてた」
わざとらしく呟いて、まぁあいつらなら大丈夫だろ、とベンチに背を預ける。その口元は楽しげに歪んでおり、悪びれた様子は何処にもない。見るからに確信犯の顔だった。
ぺらりと膝の上の本のページを捲った煌に、莉央はおずおずと声をかける。きょとんとした顔で見返した彼女に、莉央は小さく笑った。問い掛けようとしている言葉の答えはもうわかっている。
「ねぇ煌君。煌君は、あの歌の主人公は自分だ、て言ってたでしょ?」
「歌?」
首を傾げる煌に、うん、と頷く。いまだによくわかっていない様子の彼女をきにすることなく、あのね、と言葉を続ける。
「歌の人と同じように、煌君は光の元に辿り着けた?」
怪訝そうに首を傾げていた煌だが、何の事だかわかったのか、顔を緩めて裏山のある方へと顔を向ける。
一人ぼっちだった男に、友達ができた歌。真っ暗な世界に、光が射した歌。
「あぁ………………光の中は、あったかいな」
―――――暗い雲の隙間から 一筋の光が舞い降りた
光は地面にぶつかり弾け 七色輝く虹となった
虹の向こうには誰がいる? 虹の向こうには何がある?
光と共に現れた君は 僕の手を引きこう言った
「生まれてきてくれてありがとう」 「手をとってくれてありがとう」
笑い方を知らない僕は 懸命に笑ってこう言った
「きてくれてありがとう」 「手を差し出してくれてありがとう」
虹の向こうには誰がいた? 虹の向こうには何がある?
笑顔で迎える友達がいた 優しく包む光があった―――――………