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魔王の守人  作者: 木賊苅
1部
2/33


 私立桐ケ谷(きりがや)魔道学園。初等部から高等部まである、此処、鐘架(しょうか)国でも有数な、伝統ある魔道学校の一つだ。魔道学校とはその名の如く、一般庶民が受ける授業内容に加えて、魔道の専門的な知識を教えている学校のことである。一定以上の魔力を持って生まれた子供は例外なく通うことになり、基本は初等部、中等部、高等部とそれぞれ三年ずつ、計九年の時をかけて力の制御を学ぶ。魔力の多い子供が制御の方法を知らず、暴走させて村一つ滅んだという事件が過去に起こり、以来この制度が出来上がった。

 そんな場所での、春も麗らかな日の昼下がり。



「はぁ~なぁ~せぇ~!誓人なんざいらねぇ――――!」



 男性教員二人に両脇から腕を捕えられ、引きずるように連行されていくのを、叫び暴れて抗議しているのは柊煌(ひいらぎこう)。桐ケ谷魔道学院高等部一年、十五歳。性別、女。この世界では珍しい――少なくとも彼女は同じ色彩を持つ人間に会ったことがない――肩程までの白銀の髪に、深海を思わせる蒼い瞳が目を惹いている。着ているのはこの学院の関係者であることを表す校章入りの漆黒のマントと、白と黒を基調としたデザインの男子用の制服(・・・・・・)。胸元には交差した二本の刀にそれぞれ銀と黒、二匹の龍が絡み合っているデザインの銀細工が、鎖の先にぶら下がり揺れている。マントには学年カラーである紺色を金糸で縁取ったラインが裾付近に一本、引かれていた。

 基本この学校は自由主義で、生徒の格好もマントと制服さえ着用していれば多少の改造も許される程に自由だ。しかし何故、女子である煌があえて男子用の制服を着ているのかというと、彼女曰く、「あんなひらひらしたモン着てまともに動けるか!」ということらしい。彼女にとって服を選ぶ基準は、動きやすいかどうかである。

 さて、では何故、彼女はこんなにも必死になって逃げだそうと暴れているのだろうか。



「オレはぜっっってェ誓約なんざしないからなぁ!」



 彼女の言う誓約とは、魔族や天族と交わす契約のことを指す。そして誓約を結んでいる人間のことを、《守人(もりびと)》と呼び、魔族や天族のことは《誓人(ちかいびと)》と呼ぶ。

 現在世界は三つあると言われている。煌が生活しているこの世界に生まれた者を《人間》、魔界で生まれた者を《魔族》、天界に生まれた者を《天族》と呼び、この三種族をまとめて《人》と称する。魔族は他種族よりも戦闘能力に長けていて浅黒い肌に赤色系の瞳、天族は他種族よりも治癒や防御系の魔道に優れていて緑系の瞳、といった各々が特徴的だ。一方人間はこれといって特出した能力はないがそれだけにバランスがとれており、他二つの種族よりも繁殖能力が高い。実際、魔族と天族を合わせた人口と同じか超える数の人が人間界には存在している。これは生き残る力が他種族よりも低い為だと言われているが、あながち間違えてはいないのだろう。


 誓約を交わした二人は、どちらかの命が尽きるまで互いに寄り添い助け合う。


 通常、魔道学校に通う学生は中等部の内に誓約の相手を見つける。その点、煌はこの春から高等部。もう誰かと誓約を交わしているのが当然だというのに、未だ彼女は一人。彼女自身が欲しがらない上、何故か誰も彼女に誓約を申し出ないのだ。誓約を結ぶ時期の早さや誓人の強さは、魔道学校の中では一種のステータスだ。おかげで彼女は落ちこぼれのレッテルを貼られている。

 めちゃくちゃに暴れ回る煌を、言葉の通り押さえ付けるように捕えながら、この学院の男性教員達は彼女を学院内のとある一室に引きずって行った。見覚えがあるどころではない扉に、煌の顔が忌々しそうに顰められる。



桐谷きりたに理事長、失礼致します」



 前方を歩いていた教員が、コンコンと軽く扉を叩く。どうぞ、と部屋の主に入室を促されると、性懲りもなく脱走を試みる煌を引きずり込むようにして室内へと足を踏み入れた。

 部屋の中央に置かれた大きな机の前に、三十代後半と思われるスーツ姿の男が一人立っていた。振り向いた彼は、がっちりと両腕を捕われてむくれている煌の姿を視界に捉え、苦笑する。自分が頼んだこととはいえ、強引過ぎただろうか。

 仕事を終えた三人の教員が部屋を出て行きやっとのことで解放された煌は、首や肩を回して不調はないかを確認すると、ぐるりと室内を見回し、つかつかとソファーへと近付いて行く。置かれていたクッションをむんずと掴み上げ、そして、



「こンの、クソ理事―――――ッ!」

「へぶっ!?」



 大きく振りかぶられ剛速球と化したクッションは、狙い違わず見事、男の顔面へとクリーンヒットした。突然の衝撃に避けることも出来なかった男、この学院の理事長は、何とも間抜けな呻き声を上げた。もっとも、一番手近にあった高そうな大きな壺を投げつけなかったのは、彼女なりのささやかな配慮である。さすがにこんな物が顔面に投げつけられたら死んでしまう。殺すつもりはない。



「ぁ、相変わらず容赦ないね…………?」



 理事は少し赤く腫れてしまった鼻を押さえ、目尻に涙を浮かべながら煌を見る。彼女の奇襲攻撃は、とりあえず効果があったらしい。

 一方の煌は未だ憮然とした表情で腕を組んでいる。理事の間抜けな姿に少し溜飲を下げたものの、完全に機嫌が直ったわけではないのだ。



「当然だ。オレは誓約なんざしないって、何度もなんっっっども言ってんだろうが!」



 なのに何だよこの強硬手段!

 こめかみを痙攣させ、殺気すら込めた声で吠える。

 頑として譲るつもりのない煌に対して、そんな彼女に睨まれている理事は思わず、深い溜息を吐いた。

 育て親である理事は、煌が何故誓約をしたがらないのかを知っている。親ばかと言うなら言うといい、身内は可愛い。だから今まで無理強いすることはなかったのだが、今回ばかりは事情が事情である。

 とうとう彼女と誓約を交わしたいという者が現れたのだ。何故本人に直接伝えないのか甚だ疑問ではあるのだが、それを聞く勇気が彼にはなかった。こんな者が何故煌に、というような存在である。



「言いたいこと聞きたいことは、彼に直接言ってくれ。というか僕には無理だったから、断るなら自分で説得して。とりあえず、彼は隣室にいるから………………………」

「おい人の話を…………………!」



 自身の抗議を無視して話を進めようとする理事に煌が言い返そうと口を開いた、その時。理事の背後に彼とほぼ同じ背丈の一人の女性が現れた。彼女は天界の住人。理事と誓約を交わしている誓人である。



「ユーファ………」

「申し訳ありません煌様。主様には荷が重かったようなのです」



 波打つ金髪を背中に流しているユーファは、天族特有のエメラルド色の瞳を伏せ、心底申し訳なさそうに頭を下げる。

 煌は理事を睨み付けた。幼い頃から世話になっているユーファに、彼女は頭が上がらない。それを知っていて、この理事は最終手段として彼女を出現させたのだ。

 何十匹も苦虫を噛み潰したように顔を顰めていた煌は、両手でぐしゃぐしゃと髪を掻き回した。



「あぁ~っ、くそ!わかったよ、行きゃいいんだろ、行きゃあ!会って即行断ってやる!」



 いつか見てろよこのクソ理事!

 自棄糞に叫ぶ。本当自分はユーファに弱すぎる、と実感しながら。



「よし、なら付いて来て」



 煌の返答に内心ほっと息を吐きながら、理事は理事長室に隣接したもう一つの部屋に足を向ける。付いて来てもらえなければ、本格的な捕獲作戦に出なければならない。そうなったらきっと彼女は一週間はこちらの存在がない物として振る舞うだろう。親馬鹿を自覚している理事にとってそれは地獄だ。当然無理強いなんてさせたくなかった…………いや、言い訳はよそう。どちらにせよ彼女が拗ねるのは目に見えているので、地獄行きの切符は既に手元にあるようなものだ。残念ながら彼女に無視されるのは避けられない未来のようである。だとすれば、出来るだけ労力はかからないに越したことはない。

 扉を開けて中に入る。その後ろにユーファ、煌の順で続いた。

 一見、中には誰もいなかった。ところどころ本が積み上がっていたり魔道具が転がっていたりと、室内は決して綺麗とは言えない様相だ。無理矢理空間が作られたのであろう中央の床には、覗いている一面に魔法陣が描かれている。

 そんな部屋の中央に、理事はユーファを従え進み出た。その二人の顔色があまり良くないように見えるのは、煌の気のせいだろうか。



「………煌ちゃんを連れて来たよ」



 三人以外に誰もいない筈の空間に向かって、理事は静かに語りかける。

 煌が訝しげに首を傾げた、その時。ゴゥッと凄まじい豪風が室内を荒れ狂った。



「ぅ…わ………っ」



 煌は両腕を顔の前に翳し、風から守る。この突然の豪風は、何だ。

 様子を窺う為、思わず閉じていた目をそっと開ける。しかし、あまりに強い風のせいでまともに開けていられない。

 と、降って湧いたかのように背後に何者かの気配が現れた。そこから室内に広がる、今まで感じたことがないほど大きく濃密な魔力の塊に、ぶわりと鳥肌が立つ。弾かれるようにして振り返り、反射的に相手に蹴りを繰り出した。が、いとも容易く受け止められてしまった。無意識に舌を打つ。

 この学院内で、実戦に関して彼女の右に出る者はいない。それは、専門的に教えている教師や此処にいる理事も含めてだ。そんな彼女の攻撃を、難なく受け止める相手。只者ではない。



「………随分な挨拶だな。少しは大人しくしたらどうだ?」

「だったらいきなり後ろに立つんじゃねェ!」



 咄嗟とはいえ攻撃を片腕で受け止められた煌は、目の前に立つ全身真っ黒な男を睨み付けながら、忌々しげに吐き捨てた。そして己より頭一つ分高い位置にある顔をじっと見つめる。

 短い黒髪の男は、浅黒い肌を黒い糸で細かい刺繍の施された黒地の衣装で包んでいる。しかし長めの前髪の向こうから覗くその瞳だけは血を固めたかのように紅く、全てが黒い中、そこだけが異様に目立っていた。

 煌は頭の隅で、その緋色を何処かで見たことがあるような気がした。先程は思わず反応してしまったその体から漏れ出る大きな魔力も、身に覚えがあるような感じがする。無言で頭を働かすが、残念ながら全く思い出せない。こんな色の瞳や巨大な魔力の持ち主に会ったなら、強く印象に残っていそうなものだが。

 部屋で荒れ狂っていた風は、いつの間にか止んでいた。



「もう少し静かに出て来てくれたら良かったのに…………いや何でもないよ、うん」



 おずおずといった様子でぼそりと愚痴った理事は、男に視線を向けられ引き攣った笑みを浮かべた。どうやら怯えているようだ。煌も視線を滑らせてみると、彼の背後に控えるユーファはもう完全にその背に体を縮めて隠れ、顔色を悪くしている。この巨大な魔力を前にして怯えたり警戒するのは、生き物としての本能だ。身を守るのには大切なことである。

 だが彼に敵意がないのは気配でわかった。彼なら一瞬でこの部屋を無に帰すことも出来るだろう。ならば必要以上に恐れることはない。それに、身じろぐ程体に絡みついてくる魔力は、煌を怯えさせることはなかった。どちらかというと安心するというか心地がよく、逆にそれが奥歯に何かが挟まっているかのようで気持ちが悪い。



「………で、あんたはいったい何者なんだ。見た目からして、魔族なんだよな?」



 片足を上げた状態から体勢を整え、しかし警戒を解くことなく煌は問い掛けた。

 途端、男の目が凍る。何かを言おうと口を開いて、結局何も言わずに引き結んだ。

 そんな彼を胡乱げに見つめる煌。

 微妙な空気が流れた。慌てて理事が口を挟む。



「煌ちゃん、彼は最近代替わりをした魔界の王だよ。名前は―――――……」

「ルシアだ」



 理事の言葉を遮るようにして男、ルシアが発言した。視線はまっすぐ煌へと向けられている。

 煌は思わず口をぽかんと開けて呆けた。

 今、現役魔王だとか言わなかったか。

 聞き間違えたのかとまじまじと顔を見返す。否定や訂正がされる様子はない。数秒間固まって、無理矢理納得する。確かに、王とかやっていそうな風貌ではある。ましてや魔界の王など、雰囲気もぴったりではないか。むしろぴったりすぎて怖いが…………………



「ふぅん…………じゃ、何で魔王のあんたがこんなところにいるんだ?」



 仕事しなくていいのかよ?と持ち前の図太さで立ち直った煌はすぐに気を取り直し、先程までとまったく態度を変えることなく質問を続ける。

 このあまりにも変わらない煌に、逆に理事とユーファが驚いたように目を見開いた。理事に至っては、未だ顔色は悪いながらもあんぐりと大口を開けている。



「ぇ、と………煌ちゃん?」

「ぁ?何だよ?」

「いやあの、それだけかい?彼に関する反応は」

「別に。そりゃ最初は驚いたけど。見た目魔王ぴったりだし、魔力半端ねぇし。でも、オレに魔王だの何だのは関係ねぇだろ?態度変えなかったことで怒るような性格にも見えねぇし」



 何か問題あるのか、と本気で不思議そうな顔で返され、理事は返す言葉に迷う。あえて考えないようにしているのか、それとも本気で気付いていないのか。しかし彼女は本来聡い。きっと無意識のうちに現実逃避をしているのだろう。同じ状況に陥ったら、自分も同じ反応をするに違いない。ただ、彼女のように堂々としてはいられないだろうが。

 ユーファと困った顔を見合わせている理事に深い溜息を吐くと、煌はがしがしと頭を掻いた。



「つーか、いい加減オレの質問にも答えろよ」



 次はコレ投げつけんぞ、と煌は床に散乱した色々な物の中から銀製の燭台を拾い上げる。それは蝋燭が備わっておらず、先が鋭く尖っていた。

 それに理事は慌てて煌に向き直り、青い顔を更に青くして宥めにかかる。彼女のことだ、やると言ったら本当にやりかねない。そしてそんな物を投げつけられれば、確実に、死ぬ。ぐっさり刺さって、死んでしまう。壺とは比べ物にならないダメージだ。

 と、その時。押し殺したような笑い声が部屋に響いた。

 三対の目がその声の主、ルシアに向けられる。三人の視線の先には、懸命に笑いを堪えて肩を震わせている姿が目に入った。



「あぁ……………変わっていないようで、何よりだ」



 口元に笑みを乗せ、心持ち目元を緩めたルシアは何処か柔らかい声でぽつりと呟く。

 その言葉に、煌は怪訝そうに眉を顰めた。“変わっていない”とは、どういう意味だろう。やはり彼と自分は、以前会ったことがあるのだろうか。

 困惑の表情を浮かべる煌をよそに、さっさと終わらせてしまいたい理事が話を進める。



「それじゃあ、儀式の準備をしちゃおうか」

「ってちょっと待て、儀式ってなん…………」



 そこまで言って煌は、ハッとしたように理事を見た。まさか、と何処か縋るような眼差しを送られた理事はサッと顔を逸らした。男の癖に情けない。



「煌様の誓約の相手はこちらのルシア様。他の方々からは【死神王】と呼ばれている方です」



 理事から何かしらの信号を受け取ったユーファは、未だ青白い顔のまま煌に深々と頭を下げた。心の底から申し訳ない、といった心情が目に見えてわかる表情だ。

 今度こそ、煌は頭がフリーズした。まるで金縛りにあったかのように瞬き一つしない。いや、したくても出来ない。


 ――――誰が、誰の、誓約相手だって?こいつが……………魔王が、オレの誓人!?


 頭の中で何とか情報を整理し、現状を理解した煌は次の瞬間、何の前動作もなく踵を返し入ってきた扉目がけて全力で床を蹴った。魔王が人間と、しかも自分と誓約を結ぶだなんて、笑えない。まるで“救世物語”みたいではないか。自分は王子でも王女でもないが、それこそ何の冗談だ。



「………何処に行く?」

「っぶ!」



 逃走を試みた煌だったが、扉に手が届く直前で、黒い何かに正面から突っ込みぶつかる。見える物全てが真っ黒だ。ひりひりと痛む鼻を押さえながら、煌は一歩下がって何にぶつかったのかと視線を上げた。

 予想通りと言うか何と言うか、無表情ながらに何処か機嫌の悪そうなルシアの顔があった。



「ぅげ………」



 煌はあからさまに顔を顰めた。目上の者にも一切の遠慮の欠片もないのは、彼女らしいと言えば彼女らしい。



「逃げても無駄だ。俺とお前は既に仮誓約を結んでいる」

「はぁ!?何だそれ、オレした覚えねェぞ!?」



 吠える煌。だって、している筈がないのだ。彼とは今日、初めて会った筈なのだから。

 煌が誓約を嫌がる理由の一つに、儀式において必要不可欠とされていることがある。それさえしてしまえば、他の手順を多少飛ばしてしまっても仮ではあるが誓約が出来てしまう。誓約を交わしたと言うならそれをしたということなのだが、彼女には心当たりがない。

 一体何なんだ、と煌は理事達を振り返る。彼らも初耳なのか、唖然とした表情で固まったまま。

 使えない奴。今にも気絶しそうな理事に思わず舌を打った。



「首の後ろに逆十字の痣があるだろう」



 どうしても信じようとしない煌に、ルシアはとんと自身の首の後ろを指で叩いて告げる。

 それに煌は驚いたように目を瞠った。次いで怪訝そうな顔をしながらもこくりと頷く。何故知っているのかと言いたげだ。



「確かにあるけど、何でお前が知っ「俺にもある。同じ場所に、同じ形の物が」



 口を開いた煌の言葉を遮るように告げ、ルシアは己の少し長めの黒い襟足を軽く持ち上げた。視線で促され、煌は渋々彼の後ろに回る。背伸びをして覗き込むと、確かに彼の首の後ろには逆十字形の痣があった。

 この、同じ場所に同じ形の痣がある、というのは単なる偶然ではない。誓約を交わした二人の間にのみ現れる、刻印のようなものだ。誓約が切れたその瞬間、痣も消えてしまう。

 誓約は、一度結んでしまうとどちらかの命が尽きるまで続く。そして一度誓約してしまえば、他の魔族や天族とは完全に切れてしまうまで次の誓約を交わすことは出来ない。だから守人も誓人も、己の一生を捧げる相手として、誓約は慎重になる。

 痣は誓約を交わした者にしか出ない。それがあるということ、それはつまり…………………



「ぅ、嘘だろ……………オレ、コイツとき、キスしたのかよ!?」



 煌は両手で頭を抱え、その場にずるずるとしゃがみ込んだ。

 キス、といっても何も唇同士を合わせるわけではない。互いの唇が相手の体の何処かに触れればいいのだ。つまり、頬でも額でも手の甲でもいい。

 その、筈なのだが、



「きちんと口にしたぞ」

「「ぅわぁああああぁああああぁぁぁぁああああああ!!!!!」」



 煌と理事、二人が揃って声を上げた。理事に至っては、先程までの怯えっぷりが嘘だったかのように「嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ既に煌ちゃんが男の毒牙にかかってるなんて僕は信じない!!!!」とユーファに泣きついている。とても、とても見苦しい。ユーファはおろおろとそんな彼を宥めていた。

 ほのかに口元に笑みを浮かべているルシアに気付くことなく、煌は顔を真っ赤にして耳を塞ぎ叫び続けている。完全にからかわれていた。

 そんな彼女を楽しげに見下ろしていたルシアだが、ふと思い出したように壁際の理事とユーファに目を向ける。その視線に気付いたユーファが顔色をなくし、慌てて理事を促して準備を再開させた。



「しかし道具がなかったせいで最後までしていない。仮のままだ」



 さっさと最後までするぞ、と言わんばかりのルシアは未だしゃがみ込んだままの煌の腕を掴み、力づくで無理矢理立たせる。

 呻いていた煌はそれに反応し、勢い良く腕を振り払った。



「勝手に決めてんじゃねェ!!」

「仮誓約まで済ませている以上、お前に拒否権はない」



 一瞬自身の手を見つめた後、踵を返したルシアの有無を言わさぬ冷たい声に、煌はぽかんと言葉を失くす。しかし、そのあまりに理不尽な内容に、すぐに怒りがふつふつと湧いてくるのを感じた。ぎりっという音が聞こえてきそうなほどの力で歯を噛み締める。

 確かに、仮とはいえ一度交わしてしまった誓約をなかったことにすることはできない。それは煌とて理解している。でも、だからといって、一生に関わる事柄をこちらの同意もなしに進めるというのはいかがなものか。



「ふっざけ…………っ!!」



 文句を言ってやろうと追い越し前に立ちはだかった煌だったが、顔を睨み上げたところでその言葉は途切れる。驚いたように目を瞠り、そのまま固まってしまった。瞬きすらしない蒼の瞳が映すのは、己を静かに見下ろしているルシアの相貌だ。思わず、息を呑んだ。

 何故だろう。彼の目が悲しそうに、寂しそうに見える。何かを言いたそうに、でも言えず飲み込んでいるように見える。そんな眼差しを向けられるのが悲しく、自分をまっすぐに見つめてくる燃えるような緋色の瞳が懐かしく思えるのは、何故?



「………………来い」



 何処か気まずそうにルシアから視線を逸らされ、煌はハッと我に返る。慌ててルシアに視線を戻すと、彼は既に大股で歩き始めていた。彼女が付いてこないということは欠片程も思っていないらしい。

 煌は少し逡巡した後、渋々といった様子でルシアに続く。この部屋から出る為の扉は、二、三歩踏み出せば難なく届く距離にある。きっと本気を出せば、逃げられなくはない。がむしゃらに、全力で拒絶すれば、彼は見逃してくれるような気がする――――感情全てを押し殺して。そう考えると、何故かそれ以上抵抗することが出来なかった。

 絆された?このごくごく短い時間で?自分はそんなお人よしな性格はしていなかった筈だ。しかし現に煌はもう、心の底から彼を拒絶することが出来なくなっている。受け入れた先に何が待っているか、わかっているのにだ。この心境の変化は自分でも全くわからないが、ただ、理屈も何もなく、彼のあんな寂しそうな瞳は二度と見たくないと思った。

 そこまで考えて、煌は勢い良く頭を振った。どうせこの部屋から逃げ出せてもすぐに見つかり捕まる。そんなの、時間と体力の無駄だ。だから仕方なく言う通りにしてやるのだ。そう、それ以外に理由なんてない、と己を納得させた。

 ルシアと煌は陣の外への音漏れを防ぐための術式も織り込まれている魔法陣の両端に向かい合って立つ。扉付近に移動した理事とユーファがいる。扉に背を向けて右手側に煌、左手側にルシアといった具合だ。



「これより誓約の儀式を始める。双方、前へ」



 いつになく真面目な理事の言葉に、煌とルシアは二歩ずつ前に踏み出す。元々そこまで大きく描かれた陣ではないので、互いがもう一歩ずつ進めばぶつかる程度の距離にまで接近する。互いの指を交差させるように手を組んだ。



「其は我が守人。我が真名、<ルーシャスラ=ノアル=クロスナイト>に懸け、其の敵を薙ぎ払う剣となり、其の身を護る盾となり、共に歩むことを誓う」



 ルシアが間違えないよう、慎重にゆっくりと紡いでいく。

 彼が詠うのは誓詞(ちかいことば)。誓約を結ぶ二人の、永遠を誓うための(うた)

 煌は最後の足掻きとばかりに、言葉通り目の前にいるルシアにのみ聞こえる声で話しかける。



「お前、魔王だろ?一介の学生であるオレなんかと誓約しちまっていいのかよ?」



 口を止めるわけにはいかないルシアはまっすぐ煌を見下ろし、目を細めた。ぎゅ、と組んだ手に力がこもる。それが、もはや逃がすつもりは更々ない、と告げているようで、煌は深々とため息を吐いた。相手は天下の魔王様だ、もうどんなに抵抗したところで無駄だろう。流されるような形だが、最終的に彼の手を取ると決めたのは自分だ。

 完全に、腹を決めた。人生、時に諦めることも必要だ。そしてそれが、きっと今なのだ。



「我が名は柊煌。汝と契約を望む者也。時は永遠。死するその時まで共にあらんことを誓う」




 ――――あ゛ぁ~、もうどうにでもなりやがれ!


 無表情に誓詞を唱えながら、煌は心の中で自棄糞に叫んだ。




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