5-1
時は流れ、あのバトルトーナメントから一週間後。煌は第四鍛錬場という武術を鍛錬する場所で、木刀を大きく振りかぶって勢い良く振り下ろすという作業を延々とやっていた。
そこに、
「煌君!!」
大きな声で名を呼ばれた煌は、素振りをしていた手を止めた。汗で額に張り付いた前髪を掻き上げると、声のした方角に顔を向ける。珍しく肩を怒らせ憤懣とした顔の莉央が此方に向かっているのが目に入った。
「どうした、莉央?」
「どうした、じゃないよもう!!」
目の前に来るなり怒鳴られ、困惑した表情を浮かべる煌。莉央に怒られるようなことをした覚えがないのだが。うん、してない…………筈。自信がない。
何故怒られているのか全くもってわからない、といった様子の煌に、莉央の怒りはますます大きくなる。
「まだ怪我して一週間しか経ってないんだよ!?運動なんかしちゃダメ!!」
煌の手から木刀を取り上げると、隠すように背中にやり、莉央は彼女を睨むように見上げる。
つまり彼女は、丸一日意識を失うほどの大怪我で重傷だった筈の煌が運動、しかも素振りという明らかに肩の傷に負担がかかりそうなことをしていることに怒っている、ということらしい。
木刀を取り上げられてむくれていた煌は、それを聞きため息を吐くと、何を思ったのか制服のボタンを開け始める。中に着ていたシャツと共に引き下ろして右肩を露出させた。
慌てて止めようと口を開いた莉央だが、目に入ったのは白い包帯で、思わずほっと息を吐く。いくら外見や中身が男っぽいと言っても、煌は正真正銘、生物学上女なのだ。ましてや此処は人の、しかも男子が多く出入りする鍛錬場。自分が男だったら目のやり場に困る…………いや今でも十分に困っているのだが。
莉央はあわあわと周囲を見回した。この場にいるほとんどが、興味深そうに彼女たちに注目している。まぁ怒鳴りながら入ってきて騒いでいるのだから、当然と言えば当然なのだろう。今更ながら恥ずかしくなり、顔が熱くなる。
しかし、煌が次に告げた言葉で一瞬で彼女に意識が戻った。
「包帯は校医総務長殿や理事が五月蝿いからまだ巻いてっけど、オレ的には治った。完全にな」
ぽん、と右肩を軽く叩きながら言う煌に視線を戻し、ぎゅっと眉間に皴を寄せる。そんな筈はない、肩を貫通するほどに刺し抜かれたのだ。一週間なんて期間で完治する程度の傷ではない筈。
「嘘」
「じゃ、ねーよ。信じねぇんなら見るか?」
絶対に信じない、という態度の莉央にそう言うと、煌は制服の内ポケットから掌に収まるサイズの小振りな折り畳みナイフを取り出した。一体何をするつもりか、と怪訝な表情を浮かべる莉央に見せつけるように、ナイフを包帯の下にくぐらせる。そして、手前から引くようにして押し上げた。当然包帯は音を立てて引き裂かれ、下の包帯が露わになる。
ナイフを包帯にくぐらせては引き裂く、といった一連の動作を繰り返す煌に、制止の言葉を上げ損ねた莉央は、最終的には露わになるだろう傷口を想像し、思わず顔を逸らし目を瞑った。
「莉央」
静かに名前を呼ばれ、恐る恐る向き直り瞼を上げていく。そして、入った光景に目を疑う。
………………………想像した、見るも無残な傷口は、存在しなかった。
「痕は残ったがまぁ、綺麗な方だろ」
右鎖骨の少し下辺りに、直径六センチほどの線のような傷跡。それ以外の何処にも、彼女が負傷したという証拠はない。
傷が完全に塞がっているということに唖然としていた莉央は、煌の言葉に引っ掛かりを覚え顔を顰める。
「綺麗な方って…………………」
まるで他にも大怪我の痕があるみたいだ、と呟く莉央に、煌は千切れて意味をなしていない包帯を回収し制服を着直しながら頷く。
「右腿に二つ、左に一つ、右脇腹と背中にも一つずつ。一番デカいのは背中か?」
左肩から右の腰の辺りに袈裟懸けに一直線だ、と制服の上から傷跡をなぞる。
「何で、そんなに傷…………………」
「右の腿と脇腹はサバイバル中。残りは知らねぇ」
ま、十年前のだろうとは思うけどな。
何処か自嘲するように小さく続けた煌に、莉央は弾かれるように顔を上げた。どう反応したらいいものか、と視線を泳がす彼女に煌は苦笑を浮かべる。
「理事に聞いたんだろ?話すだろうとは予想してたし、気にすんな」
変にお節介なんだよあいつ、何かずれてるっつーか。
莉央は複雑そうに顔を歪めながら、笑っている煌を見る。気にするなと言われても、きっと彼女は嫌な思いをしただろう。
妙に気まずい空気が二人の間に流れた、その時。
「おぉ~、おったおった!」
暗い空気を吹き飛ばすような暢気な声が、二人の耳に入る。揃って視線を向けると、
「カーク!」
「……………と、ルシア?」
カークとルシアの二人が並んで鍛錬場の入口に立っていた。カークに至っては満面の笑みで大きく手を振っている。彼ら二人が揃って現れるなど今までにないことで、二人が驚くのも当然だった。
「どうした?お前がカークといるなんて、珍しい」
いきなり嵐にでもなるんじゃないのか、と莉央と共に彼らの前に移動した煌は空を仰いだ。今のところ、雲一つない気持ちがいいぐらいの快晴である。
そんな彼女の対応に、カークがわざとらしく傷付いた顔をした。
「酷いわ煌ちゃん、まるでわいが嫌われとるみたいやんか」
「近いだろ。オレもお前苦手だ、理事の野郎と何処となく似てるし」
「本人の前での暴露はやめて!!」
怒るで、と腕を振り上げたカークだが、ルシアにぎろりと睨まれ、冗談やんか、と慌てて弁明を始める。
一連のやりとりを見ていた莉央は、病室での理事の様子を思い出し、頷いた。なるほど、言われてみれば確かに。オーバーリアクションなところとかは似ているかもしれない。
「で、オレらに何か用か?」
だから揃って探してたんだろ、とカークから視線を外しルシアに問う煌。すると、騒がしいのが通常装備なカークが途端に静かになり、珍しく険しい表情になる。ルシアの方は相も変わらず無表情のままだが。
思わず首を傾げた。
「例の対戦相手が意識を取り戻したらしい。どうする」
普段より幾分か低いルシアの言葉に、煌と莉央、二人の顔が一瞬強張る。
隼は試合後、体中の骨折と内臓の損傷、筋肉の断裂など、殺されかけた煌よりも重傷だったため緊急処置室に送られ眠っていた。薬師や、治癒師という医療魔術と専門としている者がつきっきりで治療に当たっていたが、容体は決して良いとは言えず、一週間経っても未だ目覚めずにいた。それが先程、意識を取り戻したという。
思わぬ情報に言葉を失くしていた煌だったが、ふ、と口元を緩める。
どうするか、など、聞かれるまでもなく初めから答えは決まっている。
「行くに決まってんだろ?………………借りはきっちりと返さねぇとなァ」
本人の意思ではなかったにしろ、何かしらの落とし前はつけてもらわなければこちらの気がすまない。
行くぞルシア、と獰猛な笑みを浮かべた煌はルシアに一言告げると、足早に鍛錬場を去り、隼がいるという病室へと足を進める。ルシアは何も言わず彼女に追従した。
「わいらはどないする?」
莉央を気遣わしげに見下ろし問い掛けるカーク。しかしその目は、自分は行きたいと訴えている。
莉央は少し俯いて考えた。実を言うと、あの図書館での事件以来、同年代の男子が少し怖い。特に隼は現場にいた男子だ。彼に抱く恐怖も拭いきれているわけではないが、今はそんなことよりも………………
顔を上げて通路の先を見据える。
「…………私たちも行こう、カーク」
何故煌の命を奪おうとしたのか、それが聞きたい。
一つ頷き、カークは先に走り始めた莉央の後を追った。