母さん家出する?
そんなある日母さんの堪忍袋の緒が切れた。
朝と言うよりも十時近くになって起きて来た俺は、テーブルの上にある紙をみて驚いた。
まだ眠っている父親と部屋でゲームをしている妹の麻美に見せるため、紙を勢い良く引っ張った。
ひっぱった拍子に紙の上に重しとして乗せられてた湯飲みが倒れ、少しだけ残ってたお茶が紙の上に溢れた。
急いで布巾でお茶を拭うと「父さん!麻美!!大変だ!!母さんが出て行った!!」そう告げた。
まだ二人は俺の言うことなんて信じられないとばかりに笑ってたが、俺が持ってた紙を見て顔色を青ざめさせた。
『実 家 に 帰 る 母 』
父さんに至っては顔面蒼白だ。
これって父さんが原因なんだろうな。
「父さん…もしかして何かやったの?」
「あ…一昨日も寝坊してその時も母さんから『離婚するから』って言われた。いや、いつものことだと思ったんだよ。だって母さんいつも俺をそうやって脅すから。それよりも勇と麻美だって母さんが家出する原因になってるんじゃないのか?心当たりがない何て言わせないぞ!」
いきなり父さんに指摘されて、昨日までのことを思い出した。
確かに昨日もその前もその一月前も一年前もずっと、朝は母さんに起こしてもらってた。有り難いとおもってるんだけど、朝からケリ入れられてエロ本丸められて頭叩かれたら感謝なんて出来ないだろ。それに朝ご飯は不味いし。そりゃあ、朝ご飯が毎朝焦げてるのは半分は俺のせいかもだけどさ。だいたいコンロの火をつけっぱなしにして起こしに来る母さんも悪いんだよ。
「やっぱりお母さんの家での原因はお父さんとお兄ちゃんだったのね。全く男ってダメよね」
俺が反省していると、チャシャ猫みたいににんまりとした笑いを浮かべた麻美が偉そうな事を言って来る。
「「はぁ?お前だって母さんの家での原因なんだぞ」」
「そんなはずないじゃない。だってあたしこんなに可愛いんだもん」
自分で可愛いって言うか普通。麻美は痛女になるぞ。
「麻美。お前のことで先生から呼び出しを受けたって母さんが言ってたぞ」
「え…?」
「忘れ物が酷すぎるって。幾ら成績が良くても宿題忘れて来る生徒に正しい評価は出来ないってな。母さんしきりに先生に謝ってたぞ」
「……私、悪くないもん。大体母さんが私の時間割あわせてくれないから悪いんでしょ!火曜日だってさ私が理科の教科書忘れてるって知ってたのに、教えてもくれなかったし。そんなの母さんが悪い!」
ここまでくれば母さんが俺達家族を捨てて家出するのは当たり前だなって漸くわかった。
「父さん。俺達言うことあるよな」
「な…何を言ってるんだ勇」
俺は母さんと同じ笑顔でゆっくりとした口調で父さんを諭す。父さんだって後ろめたいことの一つや二つあるはずだ。知らないなんて言わせないからな。
「俺見たんだよ。父さんが同じ会社の女子社員と二人でホテルに入って行くの。あれって沼田さんだよね?彼女って母さんの友達なんだろ?」
「ち違う!」
信じてくれと言い出す父さんに麻美は「最低」の一言を告げると距離を置いた。
「ホテルの前で抱き合ってたじゃんか。それにその日帰って来なかったよね。母さんは仕事だから仕方ないって言ってたけど。俺は信じない」
「それは誤解だ!」
「最低!キモイよ」
「じゃあ、この母さんの家出って父さんのことが一番濃いみたいだね」
「母さんと父さん離婚しちゃうの?」
なんでか麻美は極端から極端へと走る。
この日は食事をどうするかで揉めたが、母さんがいつでも帰って来れる様にと家中を掃除することになった。
父さんの不倫疑惑が晴れないままでの作業は家の中の空気が重苦しく感じた。
三時になっておやつだといつものように台所へ行けば、母さんの姿がない。
そうだった。母さんは家出したんだ。
「母さんに俺達は甘え過ぎてたんだな…」
ぽつりとそんなことを口にする父さんにも驚いたが、父さんの手の中にある小箱にも驚いた。
「これな…母さんにと思って買って来たんだ。ほら、父さんは宝石のことなんて天で当てにならないくらいわからないだろ?だから、母さんの友人の沼田さんに信用のある宝石商を紹介してもらったんだ。お前が見たのは彼女にそのお礼を兼ねてホテルのレストランにあるケーキバイキングに誘って、お酒の入ったケーキを食べ過ぎて具合が悪くなった彼女に吐かれた時のことだ」
父さんの不倫疑惑の真相を聞いて、浮気してなかったんだとホッとしたと同時に罪悪感が湧いて来た。
「ごめん…父さん。疑ったりしてごめん」
「いいよ。父さんもはっきりお前に言わなかったし。これをサプライズにして母さんを驚かせようとしてたからな」
「「なんで?」」
「今日は母さんと父さんの結婚記念日だからな」
「父さんって結構ロマンティックだったんだな」
「やるじゃん父さん。かっこいい〜イケメンじゃないけど」
さっきから麻美は煩い。こいつだって父さんにさっきまで最低だのキモイだの。離婚だのと言ってたくせに謝りもしない。そのくせ今は父さんを褒めて、それで全てオッケーにしてるところが気に食わない。
「おい。麻美。お前も父さんに謝れ」
「な、何でよ!お兄ちゃんが謝ったから良いじゃない」
「俺は、俺の過失を認めたんだ。お前は自分でやったことを言ったことの責任を持て。だから父さんに謝れ」
俺の言葉に渋々と麻美は父さんにごめんなさいをした。
その後すぐに父さんに小箱の中身を見たいから見せろとせがんでたが、すぐに麻美にそうやって話題をすり替えるなと注意した。
母さんはこんな凸凹な俺達を家族として一纏めに世話してくれたんだ。
今日はみんなで母さんの仕事を分担するか。
そんな空気を読んだのか麻美がそろっと居間を抜け出そうとした。
「麻美。お前は掃除担当。母さんからやり方をきっちり聞いているだろうからな。その成果を母さんに見せてやれ。出来るだろ?お前はやれば出来る子なんだから」
「え…う、うん!やるよ!」
俺にまさか褒められるとは思ってみなかったんだろう。嫌いな掃除を麻美が引き受けた時は驚いたけどな。
「俺は洗濯とアイロンがけ。父さんは買い出しと外観の掃除な」
「ねえ、お兄ちゃんだけ作業が少ないんだけど〜」
やっぱり麻美は麻美だった。
「そう言うなら、お前が変わっても良いんだぜ。俺の場合は風呂場と脱衣所にトイレ掃除も入ってるからな」
「い!いいです。遠慮します!」
父さんは薄笑いを浮かべてたが俺は本気だ。
早速みんなで作業に取りかかった。
母さんが一人で毎日こなしてた作業を俺達は三人でなんとかやり終えた。
「はぁ〜こんなに掃除するのが大変だったなんて知らなかった〜」
これは麻美。
「買い物だって大変だったよ。スーパーのタイムセールがこんなに修羅場だったとは知らなかった〜」
これは父さん。
「洗濯って結構奥が深いんだな。父さんのワイシャツもアイロンして置いたから」
「お、おうサンキューって、これ皺だらけじゃないか」
「アイロンがけも奥が深いんだな〜」
これは俺。
結局俺達はどれも満足に出来なかった。
食事は父さんが作ると言い出して、今夜は父さん特性の肉だけハンバーグ。ちょっと食ってみたが、肉臭くて食べられた物じゃない。
麻美なんて正直に父さんに言うもんだから、父さんはしょげてる。
仕方なく母さんが愛用してるレシピブックを取り出して開いてみた。
そこには母さんの文字で色々な感想が書き込まれている。
俺達が残した料理の評価や珍しくおかわりをした料理のことも全て。
お弁当によく入っていた料理もここから作られてたんだとその時になって初めて知った。
「俺達だけが母さんをちゃんと見てなかったんだな…母さんは俺達一人一人をちゃんと見てくれてたのに」
俺の言葉に父さんも麻美も項垂れてた。
俺達は母さんの変わらぬ大地のような無償の愛の上に胡座をかいてたんだ。
「父さん、母さんが書き込んでるけど、これって野菜スープに入れて食べると良いみたいだよ」
「お、そうか。ならやってみるか」
普段なら野菜食べたくないとだだをこねる麻美も今日だけは大人しくなってた。
俺達は父さんと三人の食卓を囲んだ。
「ん。美味しいな」
「美味しいよ。お兄ちゃん」
「ありがと。なあ、俺達いつも母さんにその言葉言ってたっけ?」
「「……」」
「だよな…。俺もだけど、みんなで母さんの作るご飯に美味しいって言ってみるのも良いんじゃないか?」
「そ、そうだね」
「うん」
まだ帰って来ない母さんに俺達は今度こそ、道を間違えない様にするぞと誓った。
母さん、早く帰って来て。