遺体の声
雅さんは、数学さんの遺体が見つかってすぐ、警察へ電話を入れに行ってくれていた。まあ。柱木さんの言うとおり、あまり直視したくなかったというのもあるかもしれない。とかく言う僕だって、初見では目を疑い、そして目を伏せた。
いくら一時間前まで仲良く接していた相手の肉体とはいえ。いや仲良く接していた相手だからこそ。その姿を受け止め切れず、目を伏せてしまった。
それでも視界には、現実を突きつける様に血溜まりが映り込んだ。身体を数カ所、刃物で刺されたらしい。
本当に。
俯いたくらいで現実から逃げられるなら、日本はお辞儀人間だらけになるかも知れない。
自嘲気味にそんなことを思った。
「数学さんはメッセージを残していた」
遺体を確認して再び大広間にて、柱木さんが取り仕切る。
「雅さんも、それはわかってもらえたよね」
しかし彼女は、何か考え事をしていて、声を掛けられたことに気が付いていないようだった。もしくは、知人の遺体を改めて見て、恐怖を覚えているようにも見える。
分道さんがすぐに「雅ちゃん」と肩を揺らして呼びかけてくれた。雅さんは、とぼけた声を上げて意識を自分の中からこの場に取り戻した。
「あ、はい。確かに、数学さんは右手に白い紐を握っていました」
口にして自分で確認するも、まだ状況に追いついていない様子である。
「でも、それがなんで糸束さんが犯人だ、なんて事になるんですか」
「少し違うな」
二野さんが口を挟む。
うれしそうな表情で雅さんの解釈の違いについて話し始めた。
「雅さん。あんたはあの状況を『白い紐を握っていた』と捉えた様だが、俺たちは別の解釈をしたんだ」
そう。その解釈こそが、僕を犯人へと仕立て上げてしまった。
「数学さんは『白い糸をつかんでいた』。と」
ダイイングメッセージが糸だけに、誰の意図かは分からないが、まんまと僕は犯人へと仕立て上げられてしまったわけだ。
全員が紐を握っていた、と解釈してくれていればこんな苦労も無かっただろうに。
「糸をつかんで」
復唱して。
「いと、つか」
気が付いた。
「糸束」
「そうだ。だから、犯人はそいつなんだよ」
二野さんが、自らの手で仕立て上げられた織物を眺めるように、笑みを湛えて僕に臨む。
くそ。これで最悪なことに、最後の敵を増やしてしまった。そう思った矢先。
「ちょっとまって。そんなの納得できないわ」
ジャージ少女は、僕を背に庇うように立ち、言い放った。
そういえば、今となっては間抜けなジャージ少女という印象の雅さんだが、始めに会ったときは露出の多いキャミソールに、膝の繊維がむき出しになったダメージジーンズを穿いていて、かなり派手で主張の強そうな印象を得た。今回は泊まりがけのイベントだし、事件が起こる前に部屋着に着替えたのだろう。
しかし、着替えたくらいで、そう簡単に強気な性格は変わらない。
「え」
と。
反論された二野さんより、僕の方が先に驚きの声を漏らしてしまった。
「どういう事だよ」
さっきまで気持ちよさそうに自分の推理を披露していた二野さんは、突然僕の方へと翻った雅さんを睨む。
「どうもこうもないわ。まさか皆、本当にそんな理由で糸束くんのことを疑っているの」
「雅さんの言うことも分かるよ。確かになんの確証もない。だけど、あまりにもできすぎていると思わないかい」
「うん。私も、同意見なんだけど」
年長の柱木さんと分道さんがそう言うも。
「冗談じゃないわ。できすぎているどころか、こんなんじゃあまりにも出来が悪い設問じゃない」
と、強く突っぱねる。
声を大にして主張する。
彼女は、僕を庇ってもなんの特にもならないはずなのに。
何も言えなかった。
「みんな忘れたんですか。それとも見縊っているんですか」
誰も、言葉がなかった。
「メッセージを残したのは、数学さんですよ」