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その6

 アザリアは朝から礼拝堂にこもって、妖獣の毛を使って術を施している。

 赤に縁取りが鮮やかな黒い正装に身を包み、霊力で満ちた漆黒の髪を後ろで束ねていた。先日気付いてしまったトレスへの想いはしばらく封印する。

 邪念が入れば、霊力が暴走して自身の命どころかこの城全体を危機に晒すからだ。だから、城から少し離れた礼拝堂はうってつけの場所といえる。

 アザリアは人差し指を小刀で切り、滴る血で魔法陣を描くとその中心に立った。唱えられた呪文に反応して、赤い光が形どった線をなぞり浮かび上がる。

 その道に通じていない彼が考えていた以上に大掛かりなものとなり、礼拝堂から漏れる眩しい光が不安を募らせた。

 人がいると集中できないと締め出されたトレスは、外でアザリアの身を案じるしかない。

 どのくらい経っただろうか。

 ようやく重厚な扉が開き、アザリアが姿を見せた。

 よほど、体力を消耗するのか顔は青ざめて足元はふらついていたので、駆け寄ったトレスが肩を貸す。

「大丈夫か?」

「妖気に手こずったけど上手くいったわ」

 ささやかな意思表示と、高い位置にある彼の肩に身を預けた。

 木陰に腰を下ろした二人は、アザリアの掌中にある小さな鏡に見入る。表面は、『時の泉』を彷彿させる定まらない光を放っていた。

「妖獣が現れたら反応するはずよ。まだ実践していないからその辺は大目に見て」

「ああ」

 アザリアには申し訳ないが、この鏡が役に立たずにすむ事を願っていた矢先だった。ほのかに光る鏡をアザリアが凝視する。

「現れたか!?」

「光が弱いわ。まだ遠いみたい」

「とにかく陛下に報告だ」

 二人は城内へ向かった。


 血相を変えて廊下を駆け抜けるトレスとアザリアに、すれ違う者達が驚いて道を開ける。

 やがて、数人の近衛隊と出会いその中にノーサもいた。

「そんなに慌ててどうした」

「陛下はいずこへ!?」

「私室へいらっしゃるはずだ」

 ノーサの言葉を最後まで聞かず二人は走り去ってしまう。ただごとではないとノーサも急いで後を追った。

 マリーナの部屋の前で息を整えてノックすると、中から澄んだ声が返ってくる。

「トレス、どうしたのですか」

 藍色の髪の剣士が視界に入ると、マリーナの瞳が輝いた。

「陛下、妖獣が現れました」

「妖獣ですって!?」

この語句にマリーナのたちまち顔が曇り、ノーサが神妙な面持ちでトレスを見やる。

「この城にはいません。でも、いることは確かです」

アザリアが言うと、マリーナはすぐにノーサを呼び寄せた。

「直ちに兵を率いて妖獣を仕留めなさい」

「御意」

一礼したノーサが純白のロングコートを翻して踵を返した。

 マリーナが今度はトレスに向き直る。

「実際に戦ったのはあなたとアザリアだけです。彼等に助言をお願いします」

「御意」

 アザリアを促して部屋を後にするトレスの後ろ姿を見送った。見慣れた広い背中は、逞しく頼れるものだ。

 だが、えも言われない不安がマリーナを襲い、トレスの無事を祈らずにいられなかった。



 出動していく剣士達の慌ただしさは城全体に広がり、やがて空の元へ聞こえてくる。

「やけに騒がしいね」

 厨房の責任者であるマーサが眉をひそめた。

「なんでも猛獣を狩りに行くそうですよ」

 早耳の見習いが得意気に説明し始めると、仕事そっちのけで皆集まってきた。勿論、空もこそっと聞き耳を立てる。

「猛獣を捕まえるくらいで、近衛隊も行くのか?」

「一体、どんな猛獣なんだよ」

 ざわつく厨房にマーサの怒号が響いた。

「おしゃべりはそこまでだよ!! 私達は美味しい料理を食べてもらうことだけを考えるんだ!!」

 渋々と持ち場に戻る者達の中に、空を見つけたマーサが肩をたたく。

「トレス坊ちゃんなら大丈夫さ。なんといっても、最高位の剣士だからね」

 二人の関係を知っているマーサが器用に片目を瞑ってみせた。

「そうですよね。トレスなら大丈夫ですよね」

 自分に言い聞かせるように彼女の言葉を復唱して、空も下ごしらえの続きをしたが実は心配はそれだけではない。

 

 -アザリアさんと一緒なのかな……。


 命懸けの任務に、不謹慎だがふと黒装束の女性が気になって仕方がなかった。

 アザリアとトレスは村からずっと行動を共にしているらしく、今ではトレスの隣には常にアザリアがいる。互いを想う気持ちはトレスと同じだと頭では分かっていても、空の心は落ち着かない。

 いわゆる『嫉妬』だ。

 任務に明け暮れる彼に逢えなくて、寂しかったが虚しくはなかった。今では妙に虚しさを感じる時もある。

 いつから、自分はこんなに嫌な子になってしまったのだろうか。アザリアに嫉妬して、トレスに必要以上に縋る感情を持て余す。

 そんな空の心の悲鳴が届いたのか、菜園で野菜を収穫しているとトレスがいた。

「こんな所で何しているの? 忙しいんでしょう?」

 つい棘のある言い方になっても、トレスは「ああ」と短く返事して動じない。激務の間を縫ってこうして逢いに来てくれているというのに、と空は自己嫌悪に陥った。

「行ってくるよ」

「行ってらっしゃい。気を付けてね」

 もっと気の利いた台詞が言えないのかと歯痒いが、今はこれが精一杯である。馬に跨ろうとする彼を呼び止めた。

「あの……」

 もう一頭の蹄の音に、空は言葉を喉に押し込める。

「トレス、出発よ」

 アザリアだった。出逢った頃のオレンジの髪ではなく、艶やかな黒髪を風に靡かせて馬上から空を一瞥した。

 気のせいか、前より視線が鋭い。出発前で気が張っているせいもあるだろうが、それだけではないと空の女の勘が告げている。


 -また、一緒なんだ……。


 -トレスったら、任務の前なのに空と逢うなんて。


 二人の妬みが絡み合う。

 馬を駆るトレスに、空が願いを込めて小さく手を振った。


 剣士を従えたトレス達は辺りを警戒しながら山奥へ踏み入れる。これから遭遇する未知の生物に皆表情が堅い。そんななか、気楽な者もいた。

「そんなに空が心配?」

 移動の際に並走してきたアザリアが口を尖らす。

「彼女には大変な目に遭わせてきたからな」

「異世界の子だから?」

 トレスが勢いよくアザリアに振り向いた。

「何故知っている!?」

「一人だけ氣が違うもの」

「誰にも言うな」

 空だけ特別扱いなのが気に入らない彼女が意地悪い笑みを浮かべる。

「どうしようかな」

 冗談のつもりだったが、トレスが鋭い視線を投げてきた。藍色の瞳は他言したら承知しないと語っている。

「分かったわよ。絶対に他言しない」

 肩をすくめるアザリア懐が突然光り出した。

「トレス!!」

「妖獣がいる!! 各自攻撃態勢を取れ!!」

 トレスの号令で、剣士達が一斉に剣を抜いて辺りを凝視する。アザリアも短剣を握り、目で周囲を窺った。

 恐ろしいほどの静寂に、突如木々を倒しながら近づく獣の足音が轟く。

 狼にも似た銀と漆黒の毛並みに赤く鋭い目がギラリと光っていた。

「あれが、妖獣……?」

 初めて目にする化け物に、剣士が息を飲んで立ち尽くす。

「くるぞ!!」

 高く跳躍してこちらを狙うその素早さに、ほとんどの者が追えない。妖獣が剣士の一人に襲い掛かる。

 甲高い金属音がした矢先に、トレスの剣が鋭い爪を受け流していた。

「止まるな!! やられるぞ!!」

 低く唸る妖獣の赤い眼と藍色の瞳が交錯する。

「こいつ、一匹だけかしら?」

 アザリアが短剣を逆手に構えた。

「そう思いたいな」

 一匹だけでも厄介なのに、ぞろぞろと現れてはそれこそ命がいくつあっても足りない。

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