その4
トレスが心に決めた女性。それが『ソラ』という名前の人物なのだろうか。
詳しく聞きたいところだが、あいにく女王への謁見の時間が迫っていた。
厚く大きな扉が開くと、トレスに連れられたアザリアが正面に鎮座する女王マリーナと対面する。
「女王陛下に拝謁致します」
跪くトレスに倣ってアザリアも慌てて従った。
「二人とも顔を上げなさい」
顔を上げたアザリアはその幼さと容貌に驚いて思わず声を上げそうになる。
透き通った水色の髪に陶器のような白い肌、金色に光る瞳。そして、華奢な身体を包む白いエンパイアラインドレスが儚さを醸し出していた。
「任務、ご苦労でした。無事でよかったです」
「有り難うございます」
口調は君主だが、彼を見つめる瞳は恋する乙女だとアザリアは直感した。
-女王様が『ソラ』? ううん、違うわね。
「そちらの者は?」
観察していたので挨拶が遅れてしまったアザリアがまた深々と頭を下げる。
「スカビオザ村のアザリアと申します、女王様」
「例の生物を目撃した村ですね。遭遇したと聞いていますが」
「はい。残念ながら、ここへ運ぶ途中に焼失致しました」
「もう一頭いたんです」
アザリアが口を挟むと、場が騒然とした。
「一頭ではなかったのですか!?」
これにはマリーナも驚く。
「二頭とも死ぬと同時に青い炎に包まれて消えてなくなりました」
どこまで事実を伝えていいのか迷ったが、トレスが止める気配もなかったのでアザリアは続けた。
「私の村では、あれを『妖獣』と呼んでいます」
近衛隊を始め、左右に並んでいる大臣達もにわかにどよめく。
「しかし、実物がないことには信じられんな」
大臣の一人が呟いたので、アザリアが睨んだ。
「だから、燃えたって言っているでしょう!!」
「おい、陛下の御前だぞ」
小声で注意するトレスの左腕を掴んだ彼女が袖を捲り上げる。
「証拠ならあるわ。妖獣にやられた傷よ」
二頭目の闘いで更に開いた傷口に、その大臣が顔を背けた。
「最高位の剣士に深手を負わせる化け物を野放しにしておく気!?」
-俺を出しにするとな。
アザリアの行動は計算なのか単なる無鉄砲なのか、こちらの心臓がもたない。
マリーナの哀しげな瞳にはっとしたトレスは、彼女の腕を振り解いて袖を元に戻した。
「今は彼女等の言葉を信じましょう。唯一闘った者達ですから」
女王の一存でその場を収めたのだった。
「世間知らずもいいところだ。陛下の前であんな態度を取るなんて言語道断だぞ」
廊下を歩いているトレスがアザリアに説教をしている。
「だって、あのおじさんときたら私達のことを信じないだもの」
「だからって、俺の傷まで晒しやがって」
謁見の間を後にする際、マリーナがわざわざ医官を呼んで治療させたのだった。
「……ごめんなさい」
急にしおらしくなった彼女にトレスが面喰う。
「まあ、お前なりに考えたんだろうが……」
言い終わらないうちにアザリアの表情が輝いた。
「ねえ、ご飯食べよう!!」
「人の話は最後まで聞け!!」
「ずっと走り通しだったのよ。おまけに妖獣と一戦交えたしお腹空いたわ」
確かに食事らしい食事は摂っていない。城へ着いて安心したのか急に空腹を覚えた。
仕方ないと食堂へ向かう途中に赤毛の女剣士と出会った。
「トレス、帰っていたのか!!」
嬉しそうに小走りでやってくる。
-あの人が『ソラ』? なんか違うわね。
「この娘は?」
「アザリアです。うちのトレスがお世話になっています」
フローラとトレスは固まった。そして、物凄い形相で睨むフローラにトレスが慄く。
「トレス、貴様!! あちこちで女を作るとは、剣士の風上にも置けないやつだ!!」
「ま、待て!! 誤解しているようだがら説明するとだな……」
「問答無用!! 剣を抜け!!」
既に剣を抜いて間合いを詰めるフローラを必死で宥めた。
「落ち着け!! おい、フローラに説明しろ!!」
-ふうん、フローラっていうんだ。ハズレだったみたい。
騒ぎの張本人は腕組みをしてこちらを傍観している。
「いいか。余計なことは言うな」
厨房へやってきたトレスがアザリアに釘を刺す。精悍な顔には幾つかの痣があるのは、フローラの制裁によってできたものだ。
近くにいた見習いに声を掛けてしばらく待っていると、体格のいい中年女性が現れた。
-えっ!! まさか、この人が『ソラ』!?
それにしても、女性の知り合いが多過ぎる。ここに来るまで何人紹介されたことか。
「トレス坊ちゃん、今、お帰りで?」
「急ですまないが食事を二人分作ってくれないか」
「お安いご用ですよ。もうすぐソラも戻ってくるので待っていて下さいな」
「頼む」
行くぞ、とアザリアに外へ出るよう促した。
厨房から少し離れたテラスにテーブルセットが置いてあった。厨房で働く者達の休憩所になっている。
二人が向かい合って座ると、少年がティーセットを持ってきた。
「ティエラ・トレス様ですよね?」
上気した頬で尋ねてくる。
「ああ」
「お会いできて光栄です」
今度は小声で話してきた。
「ぼくも剣士になりたかったんだけど、お父さんがここで働けって言うから」
「厨房も立派な仕事だ。迷わず頑張れ」
「はい!!」
憧れの剣士に後押しされて少年は喜々して持ち場へ戻っていった。その光景にアザリアの口角が上がる。
「なんだ」
「剣士様は優しいのね」
「俺の本音だ」
気のせいか、トレスは落ち着かない様子だ。
-ひょっとして『ソラ』が来るの!?
期待に胸が膨らむ。ついでに妄想も膨らんだ。
-あのトレスのお相手だからとんでもなく恐ろしい人とか。だから、人前では言えなくて……。
「お待たせしました」
我に戻ったアザリアが振り向くと、若い女性が食事の載ったトレイを胸に抱えて立っていた。
栗色の髪を後ろで束ねて、大きな瞳はトレスを真っ直ぐ見つめている。
「お帰り」
「ただ今」
短い挨拶にこめられた感情をアザリアが察知した。
-やっと見つけた!! この人が『ソラ』なのね!!
「そのあざ、どうしたの?」
トレスがアザリアを一瞥したので、わざと目を背ける。
「ちょっとな。元気にしていたか」
「うん。こちらの方は?」
自己紹介しようとする彼女に、トレスの鋭い視線が再び釘を差している。
「アザリアよ。よろしくね」
「空です。こちらこそ、よろしくお願いします」
にっこり笑う空は、同性としてもお世辞抜きに可愛かった。
「その衣装、素敵ですね」
「有り難う。私達の村の正装なの」
「そうなんですか。近くで見ても構いませんか?」
「いいわよ。なんなら触ってみる?」
「いいんですか!?」
誰とでも親しくなるのは空の特技である。アザリアともすぐ仲良くなり、女子だけで盛り上がった。
厨房から呼ばれて空が一礼して戻っていった。その際にトレスとアイコンタクトがあったのはアザリアは知らない。
「へえ。いい子じゃない?」
料理を一口食べて感嘆の声を上げる。
「美味しい!!」
「空の手料理だ」
「分かるの?」
ふっと藍色の瞳を細めて笑うトレスに、アザリアの心臓が飛び跳ねた。
-なんで、私までドキドキするのよ!? 料理が美味しいから? ソラに会えたから?
上目使いで窺うと、仏頂面がほのかに上気するトレスに胸が痛い。