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その18

 最悪の予感が現実となり、空は茫然と立ち尽くすしかなかった。

「……嘘だよね?」

 だが、トレスは切なく見つめるだけで何も答えない。

「空のためだ」

「私のため? なんでトレスが決めるのよ!! 私の気持ちはどうなるの!?」

 何もかもそうだった。

 一人で決めて一人で危ない目に遭って、心配するこちらの気持ちは考えない。否、考えるからこそ別れを選ぶトレスが歯がゆいのだ。

「勝手だよ!!」

 叫んだ空が彼の脇を走り去るが、その手は引き留めず堅く拳を握りしめたままである。

 

 -ごめんな、空……。


 -ずっと一緒って言ったじゃない!!


 二人の想いがすれ違い遠ざかっていく今、時間は巻き戻せないとトレスは唇を噛んだ。


 感情に任せて走ってはみたが、オバジーンの城はこんなにも広いのかと息を切らせた空が皮肉にも痛感する。

「はあ、はあ……」

 次第にペースダウンして歩いていると、目の前に差す影に顔を上げた。

「カノン……」

 真っ赤な瞳は穏やかだがどこか冷やかである。

「どうしたの? 彼氏とケンカ?」

「ごめん。今は一人にしてくれる?」 

 その場から逃げるようにまた駆け出そうとした空に、カノンが大声で叫んだ。

「空は僕が嫌いなの!?」

 思い掛けない台詞に空が足を止める。

「僕はこんなに空のこと好きなのに、空はあいつのことばかりだ!!」

「カノン?」

 大人しい少年の印象とは裏腹に、刺々しい口調で空を責めた。その豹変ぶりに返す言葉がなくただ見つめ合っている。

「あいつ、もうすぐ死ぬんだよ」

「なんで知ってるの!?」

 口の端を上げて愉快気に言うカノンを睨みつけたが、平然と受け止めていた。薄笑いを浮かべてこちらへゆっくりと近付いてきて、手を伸ばせば届く距離までやってくる。

「だって、僕の愛する人達を奪っていくから。家族、そして君も」

「あなたの家族をトレスが殺したというの?」

「そうさ。今もなお殺し続けているじゃないか!!」

 怒りに満ちた目を見開き、空の細い肩を力強く掴んだ。「痛い!!」と短い悲鳴ももはやカノンの耳に届いていない。

 鬼気迫る彼の表情が一瞬、トータム・メイルと重なり空の瞳に恐怖が蘇った。

「家族って、まさか妖獣!?」

「ああ、そうだよ。テェエラ・トレスが命がけで闘っている彼等さ!! 僕の家族を殺しているんだ。呪いを受けて当たり前だろ?」

 

 -違う!! トレスは命懸けでこの国を守っているのに!!


 臆したわけでもないのに、言葉が喉に張り付いて出てこないもどかしさが空を襲う。

「あんなやつ、死んじゃえばいいんだ!!」

「やめて!!」

 二人の声が重なり、頬を強張らせて互いの本心を探り合ったときだ。

「空!!」

 別れを告げたはずのトレスがこちらへ走ってくる。彼だけではない。アザリアやノーサも血相を変えてやってきたので、トレスの元へ駆け寄るのを躊躇した。

「そいつから離れろ!!」

 地面を蹴り跳躍したトレスが剣を抜いて、カノン目掛けて縦一文字に振り下ろす。彼の一撃をひらりと交わして空の背後に回ると首筋に腕を巻きつけた。

 空を盾にされて、トレスの攻撃が緩まる。


 ドクンッ!!


 襲い掛かる発作に膝をつく彼をカノンが嘲笑った。

「苦しいかい? そうだろうね、僕の家族も苦しかったと思うよ」

 カノンに反応したのか今までにない光が鏡からほとばしり、その凄まじさにたまらずアザリアが首から引き千切って叫ぶ。

「こいつ自身が妖獣よ!!」

 空は大きく見開いて後ろのカノンを窺い知ろうとしたが、首に巻きつけられた腕に遮られた。

「僕ならあいつを助けられるよ」

 耳元で囁く悪魔の声に空の体はぴくっと反応する。ごくりと唾を飲み、静かに問うた。

「どうすればいいの?」

「簡単なことさ。空が僕のものになればいい」

 簡単ではない。

 剣を杖にして激痛の波に必死で耐えているトレスと空の瞳が合った。恐らく、カノンとの会話を察知したのだろう。

 首を横に振って、今秘めている答えを否定していた。 


 -トレスが嫌いになっても、私はずっと好きだよ……。


 過去も未来も現在も、ずっと空を守り続けた藍色の髪の剣士に微笑む。

「本当にトレスを助けてくれる?」

「もちろん」

 聞かずとも答えを見透かした挑発的な笑みを今は信じるしかなかった。

「わかった。あなたと一緒に行く」

「よせ!!」

 トレスは叫んだ。声を発するのも喉から血を吐くほどの苦しみだが、空の覚悟を変えるのは彼しかいないのだ。

「ソラ!!」

 ノーサもいたたまれず名前を呼ぶと、彼女を知っている者達が次々と諭す。

「俺はどうなってもいい。だから、空行くな」

 強く握りしめた空の胸元にトレスははっとした。その場所は、二人が持っているペアリングのネックレスである。

「行こう、カノン」

 ようやく手に入れた空を満悦な表情で受け入れると、二人を取り囲むように風が舞った。風の層に阻まれてトレスと空の姿が次第に見えずらくなる。

「さよなら、トレス」

 空の周りを飛び散る小さな水玉が涙とわかったのは、竜巻が起こった時だった。

「空ー!!」

 駆け寄ろうとするトレスを満身の力でノーサが止める。何やら彼に向けて叫んだが砂塵と共に舞い上がる暴風でかき消された。

 徐々に静けさを取り戻していくなか、トレスはいつまでも空が消えていった方向を茫然と眺めている。

 身を切る思いで別れを告げたのに、彼女はまた自分のためにその身を投げ打った。


 -別れた意味がないじゃないか……。


 カノン達が去って胸の発作が治まると、立ち上がったトレスをノーサが支える。

 一瞬、覗いた友の顔にはっとした。頬は強張り、唇を噛みしめて苦悩に顔を歪ませるなど初めてみる表情だったからである。

「追い掛けないのか!?」

「空が選んだ答えだ。俺に追う資格はない」

「だが、お前のために……」

「どうでもいいだろう!!」

 たまらずトレスが声を荒げた。ノーサが心配してくれている気持ちは痛いほど分かるが、空はトレスよりカノンを選んだのだ。

「よくない!!」

 後ろから女の怒声がしたので、一斉にそちらへ注目すると赤毛の女剣士が立っている。物凄い形相で近づくその姿は鬼気迫るものがあり、一同は空気を飲まれた。


 パシッ!!


 フローラの平手がトレスの左頬を捉える。

「お前にとって空はその程度のものか!!」

「フローラ……」

 彼女の怒りは、ジンジンと痛み始める頬さえ忘れさせるほどのものだ。切れ長の瞳は吊り上がり、しかし涙は溢れ、全身を震わせてトレスを睨みつける。

「どんな想いで空がお前のそばにいたかわかるか!?」

 独り異世界へ飛び込んで、不安だらけの生活に耐えてきた空はいつも笑顔だった。空がいるだけで、周りが明るくなる。

 逢えない淋しさは自分だけといつの間にか錯覚していたトレスは心が痛い。

「どんな想いで私が身を引いたかわかるか?」

 頬を伝う涙は止まらず、幼馴染が抱いていた自分に対する想いを知って愕然とした。

「お前……」

「だから、ソラになにかあったら私はトレスを一生許さない!!」

「トレス、行こう!!」

 アザリアが叫んだ。

「カノンが妖獣なら、この鏡で追えるわ!!」 

 フローラの行動は、同じ者を愛したアザリアの心も貫いた。

「行こう、トレス」

 肩に置いた手の先には力強く頷くノーサがいる。呪いに蝕まれた体にはノーサの力が不可なのだ。

 再び、藍色の瞳に強い光が宿り、最高位の剣士ティエラ・トレスが今ここに蘇る。

 



 

 

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