その12
アザリアの考えが正しければ、トレスは呪縛されている。
-しかし、一体誰が……?
廊下の向こう側で名前を呼ばれて振り向くと、ノーサがこちらへ歩いてきた。
「トレスと一緒じゃなかったのか?」
「え? ああ、彼ならソラの所じゃないかしら。時間が空けば、会いにいっているから」
決して口外するなとトレスに釘を刺されているので、勘のいいノーサを騙すのは骨が折れる。
「やっと城へ戻れたと思ったら、妖獣狩りでまた忙しくなったからあいつも大変だよ」
「トレスって病気したことある?」
真剣な眼差しを向けてきたアザリアに、怪訝な顔で聞き返した。
「あいつは昔から頑丈だよ。何故そんなことを訊く」
「激務なのに元気だなって」
ノーサが笑っていたので、どうやら不審に思っていない様子にそっと安堵する。
「君の方こそ大丈夫か? トレスに付き合っていたら身が持たないぞ」
ありがとう、と小さく笑ってアザリアはノーサの元を離れた。
フローラが妖獣狩りに出動したと聞いたスレッダの不安は募る。
-噂によれば妖獣ってやつはかなりヤバいみたいだけど、怪我とかしていなければいいけど。
あのあと、闘った剣士達が食堂にやってきたが、一同の食は進まなかった。フローラも同様で、少しだけ食べて立ち上がってしまう。
そんな彼女のために、スレッダは野菜サラダをパンに挟むと包んで持って行った。
急いでフローラの後を追って辺りを見渡すと、中庭にある噴水の縁に腰掛けている。長い赤毛を風に揺らして、スレッダの気配に気付いて上げた顔は暗かった。
「この間の……」
「どうも。ちょっといいですか?」
頭をかきながら挨拶するとフローラは快く隣に座るよう促す。
「フローラ様は」
「フローラでいいよ。私に何か?」
スレッダがサンドウィッチの包みを手渡すと怪訝な顔で受け取った。
「これは?」
「あまり食欲がないみたいだったから」
包みを開けるとみずみずしい野菜が、心にすうっと風が吹く。
正直、妖獣との一戦はおぞましいものだった。フローラの実戦経験は乏しく、飛び散る血しぶきに背筋が凍る。ノーサやトレスが返り血で体を染めて闘う姿に震えが止まらなかった。
-私はなんて情けないんだ……。
いつも大口を叩いておきながら、肝心な時に怖気つく自分の弱さを痛感する。
「少しでも食べた方がいいよ」
スレッダに勧められるがままに一口含むと、酸味が利いたドレッシングが爽やかな味覚となる。目を見開いたフローラがまた一口食べて、スレッダも安堵した。
「闘った後にあの料理はキツいよね」
スタミナがつくようにと、肉料理がメインで食堂のテーブルに並んでいたのだ。獣の血で気分が悪くなった剣士達が箸を付けないのも無理はない。
「私のためにわざわざ作ってくれたのか?」
意外な表情のフローラにスレッダは照れた。
「みんなには内緒にしといてくれよ。バレたらうるさいから」
「ありがとう」
はにかんで食べる彼女は、剣士ではなく普通の女性だった。照れ臭くなって、そっぽを向いたスレッダが目の端で手を止めるフローラに気付く。
「無理に食べなくていいよ」
包んでいた紙を握り締めて小刻みに体が震えていた。やがて、手の甲に一粒の涙が落ちて、彼を慌てさせる。
「酸っぱかった? マスタードが効き過ぎたかな?」
「私は……、親切にされる資格はないのかも」
きつく目を瞑ったフローラは必死に涙を堪えたが、意に反して溢れて止まらない。隣でスレッダは黙って聞いていた。
「いつも口ばかりで、肝心な時に役に立たない」
「そうかな。女で上級剣士なんて凄いと思うよ」
「凄いだけじゃダメなんだ!!」
声を荒げたフローラに彼が驚いたので、目を背ける。
「実際に戦えなければ意味がない」
生きるためには苦悩もある。スレッダも悩み苦しんでここまできた。調理師と剣士とは悩みの度合いも違うので、落胆する彼女をどう励ましていいか分からない。
「じゃあ、剣士なんてやめればいいさ」
「え?」
「辞めちゃえよ。どうせ役に立たないんだろう?」
差し入れまでして親切にしてくれていたスレッダが、掌を返した態度にフローラは茫然としていた。
「こんな時期にか?」
「関係ないよ。迷っているやつがいても迷惑なだけさ」
次第にフローラの心に怒りの感情がふつふつとこみ上がってくる。
-なんで、会って間もない奴にここまで言われなければならないんだ!?
「剣士なんて幾らでもいるし、別に困りはしない」
「なんだと!! 妖獣狩りで人出がいるんだ!! そんな簡単に引き下がれるか!!」
切れ長の瞳が更に吊り上がり表情が険しくなった。
「トレス達も命懸けで戦っているのに、自分だけ安全な所に居るなんて出来るか!!」
「今度また襲ってきても戦えるのかい?」
「当り前だ!! 私は剣士だ!!」
言い終えた後にフローラははっとした。スレッダがしたり顔で笑っているので、その真意を悟った。
「……わざと怒らせるような真似を?」
「これって、マーサさんの受け売りなんだよね」
以前、スレッダも料理人として悩んだ時期があった。有名な料理人の一人息子として生まれてきたスレッダは、必然的に後を継ぐ道しか残されていなかった。
事実、彼もそのつもりでいたが世間はそう甘くはない。常に父親と比較されて、周りより秀でていてもそれが当然のように受け止められて評価が下されない毎日に嫌気が差した。
そんな時である。オバジーンで同盟国の主要人物を招いての晩餐会が行われるということで、厨房の食事の準備で追われていた。
どこか油断があったのだろう。鍋から煙が上がっているのをマーサが見つけてひどく叱責された。
「作る気がないなら辞めちまいな!!」
「そんなことはありません。俺だって一生懸命やっています」
頭ごなしに怒鳴られて、スレッダも高揚した。
「どうだが。お前の代わりなんていくらでもいるんだよ」
こうしている間にも、二人の横を忙しく働く者達を横目で見ながらスレッダは唇を噛む。
-俺だって一生懸命やっているんだ!! なんで分かってくれないんだ!!
料理を作るのは好きだ。一人でも美味しいと言って食べてくれる人がいるならそれでもいい。だが、厳しい現実に心が折れる。
「俺だって美味しい料理が作りたい!! でも、ダメなんだ!!」
「作ればいいじゃないか!!」
「皆が認めてくれないじゃないですか!!」
「言い訳さ」
あくまでもマーサは彼の言葉を受け付けない。
「結局、料理を作るのが嫌なんだよ」
「好きだ。いつか父さんを、みんなを見返してやりたい!!」
すると、険しかったマーサの表情が一瞬にして崩れてほくそ笑んだ。
「ちゃんと自分を持っているなら問題はないさ。その気持ちで頑張るんだよ」
急に優しくなった口調にスレッダは面喰う。
「あ、あの、マーサさん」
マーサは大きな体を揺らして厨房の中へと消えていくと、先輩の料理人がやってきた。
「マーサさんはああやって、お前の気持ちを確かめたんだよ」
「俺の?」
「あそこで嫌いと言っていれば、お前の人生も終わっていただろうな。まあ、荒治療にも程があるけど」
知らなかった。てっきり、自分は愛想を尽かされたと思い込んでいただけに拍子抜けしたのだった。
同じ手がフローラに通用するかは賭けだったが、当時の自分と重なり見知らぬふりは出来なかった。
「自分にできることを精一杯すればいいじゃないか。君は立派な剣士だ」
大粒の涙をこぼしたフローラが再びサンドウィッチにかぶりついた。




