最強な母(2)(オクトのママ視点)
風の神への面会はすぐに許可が下りた。今年はまだ正式に会っていなかったのが効をそうしたようで、誰かに不信がられることもなかった。もっとも神無とは非公式には何度か会っているので、あえてのこのタイミングの私の申し出を神無は不思議に思っているだろう。
「いつもなら、風神祭り後じゃなかったっけ? 何かあったのか?」
神無は予想通り、私の顔を見るなり早々に質問してきた。
「んー。ちょっと、精霊族の長に相談したい事があってね。ごめんね、だしに使って」
子供の事を言うかどうするか少し迷って、私は言うのを止めた。
言えば心配するだろうし、もしも産めなかったときは、神無もきっと悲しむと思ったからだ。今すぐ産むわけでもないのだから、精霊族の情報を集めてから伝えたって遅くはない。
「別にいいよ。会いたい時は俺が会いに行けばいいんだからさ。長とは、こういう場面でもなければ会う事もないだろうし。じゃあ、ちょっと声をかけるな」
「あっ。できれば、長と二人きりで話したいんだけど」
私の言葉に神無はキョトンとした顔をしたが、特に理由を聞くことなく了承した。
「じゃあ、後でな」
そう言って、神無は目の前から消える。ドアから出ればいいのに、あえて転移魔法を使うあたり、神様というのは、本当に魔法の申し子なんだなと思う。神無とは双子なはずだけれど、私は転移魔法を使う事ができない。
私にできる魔法といえば、せいぜい風を少し動かしたりするぐらいのものだ。それは私が魔法を学ぶ事が出来ない環境だったからというのもあるだろうけれど、才能の差は確実にあると思う。
そして私は魔法の才能が低かった為に、魔法を使えない獣人族側に引き取られたのではないだろうかと考えていた。精霊族は魔力の塊のような種族なので、魔法が使えないなんて事はあり得ない。
それもあって、私は精霊族と話す事に苦手意識を持っている。精霊族に引き取られなかった私は、彼らに認められていない気がしたからだ。もちろんこれは憶測で、精霊族に何か言われたことはないのだけれど。
「でも……話すしかないもの」
精霊族に関わるという事はコンプレックスを刺激する事とイコールであるが、逃げるわけにはいかない。時間は無限にあるわけではないのだ。
「久しぶりだね」
しばらくすると、目の前に黄色の髪をポニーテールに結んだ女性が現れた。私よりは年上に見えるけれど、精霊族の長である事を考えると驚くぐらい若く見える人だ。
でも精霊族は、見た目そのままに年齢というわけではないので、彼女は働き盛りの年齢ではなく、御隠居様的年齢なはずである。美魔女もびっくりな若作りだ。ただしその風貌は美魔女と言うより、ヤンキーの頭ですと言いたくなる雰囲気だったりするのだけど。
「……お久しぶりです。ママ」
そして見た目はヤンキー、頭脳というか中身はおばあちゃんなこの女性は、精霊族の長であり、私と神無の母親でもあった。彼女が母親であるという感覚はあまりないのだけれど、王族として話をしに来たのではなく、私個人の事で話に来たという意味を込めて、あえて『ママ』と呼んだ。
長は、私の呼びかけにつり目気味の琥珀色の瞳を大きく見開いたが、すぐに笑顔となった。
「少し痩せたように見えるけれど体調は大丈夫かい?」
彼女にとって私はいらない子供だったのではないかという思いがある為、苦手意識があるのだけど、彼女は普通に心配してくれる。
精霊族は嘘をつけない種族なので、彼女が心配してくれている気持ちは本当だと思う。ただ彼女は私が会いたいと言わなければ、決して私に会おうとはしない。
「……体は元気です」
当たり前の様に心配をする一方で、普段はまるで最初から私など産んでいなかったかのような行動をとる彼女とどう付き合えばいいのか。その疑問をたずねた瞬間、自分が傷つく答えが返って来るかもしれないという不安から、これまで私自身も距離を置いて接するようにしてきた。
でも今日は距離を取っている場合ではない。
「ただ、妊娠しました」
私の言葉に、ママは真顔となった。食い入るように私を見る。
「父親はハーフエルフで、子供は混ぜモノです」
「……おろしな」
彼女は怒っている様子はなかった。ただ静かに残酷なその一言を私に言う。
それは怒られるよりもよっぽど堪える言葉だ。胸のあたりが苦しくなる。でもすんなりとおめでとうなんて言ってもらえるはずがないと分かっていた。私を育ててくれた父親であっても同じ言葉言い、私を無理にでも従わせるだろう。下手をしたら、国の為に私ごと殺すという選択を取るかもしれない。
この国で混ぜモノであるという事は、殺すだけの理由になってしまう『罪』なのだ。そんな事は初めから分かっていた。だから傷つく事ではないと無理やり痛みを飲み込む。今の私にはそんな事ぐらいで悲しむひまなどないのだから。
「嫌です――絶対に嫌です。私はもう二度と子供を殺したくない」
目を閉じるとそこに浮かぶのは前世の記憶。
私が旅行へ連れていったばかりに、一緒に飛行機事故に巻き込まれた私の娘。もしもあの時、私が旅行に行かなければ、娘は事故に遭う事はなかった。
生まれ変わっても消える事のない後悔の記憶。どれだけあの子が大切だったのか、忘れる事などできない。
だからこそ、今度こそちゃんと育てたかった。自分の子供を殺すという選択肢は私の中にはない。
「だから、今日は殺さない為にここに来たんです。どうしたら、混ぜモノの子供を産む事ができますか?」
目を開き、強い意志を込めてママを見つめる。
「混ぜモノの顔には痣が必ずあると文献に載っていました。混ぜモノは多種の血が混じっているモノの総称であって、特定の種族をさす言葉じゃないですよね。だとしたら、混ぜモノの痣には、精霊族が関係しているんじゃないですか?」
ママの表情は変わらない。
彼女の気持ちを変えるにはどうしたらいいのか。取引をするにも、彼女を満足させられるだけの何かを私が持っている気がしない。
だとすれば――。
「ママも親なら分かるでしょ? 子供がどれだけ愛おしくて、大切か」
――情に訴えるしかない。
ただ、彼女にとって娘である私は『愛おしい』対象ではないだろうから、神無を思い浮かべてもらわなければ。さて、どうやって話を持って行こうかと考えたところで、ママは深くため息をついた。
そのため息は、まるで年齢そのままの、老婆の様に疲れきったもののように感じた。
「分かるさ」
続いたのは短いが、まぎれもない肯定の言葉だった。
「分かるから、聖夜には産まないで欲しいんだ」
「何で? 神無の迷惑になるから? それとも国の迷惑になるから?」
どんな理由でも、私を止められないと睨む。
「……混ぜモノの顔の痣は、精霊族が関係しているというのは正しいよ。混ぜモノは生まれつき自分で魔素を作る事が出来るが為に、そのバランスが取れないと魔素中毒で死んでしまうんだ。だから高位の精霊と契約して、多すぎる魔素を引き渡すことで調節する」
諦めた様に話してくれた内容は、私の予想に近いものだった。やっぱり、混ぜモノを無事に出産するには、精霊の力が必要という事で間違いないらしい。
「混ぜモノが契約で支払う対価は余剰分の魔素だから問題ない。でもね。精霊との契約は本来なら、命をすり減らしていくようなものなんだよ。そして、混ぜモノが生まれるまでは、その母親が代わりに契約をしなければいけない」
「つまり、私が精霊族と契約する必要があるんですね」
「ああ。私が聖夜と契約する事も可能だよ。でもね。聖夜の体は、獣人族よりも精霊族よりなんだ。精霊族との契約で自身の魔力を提供すれば、最悪体が消滅して何も残らない」
消滅?
いまいちピンとこないけれど、結局は死ぬという事だろう。
「私だって自分の子供を殺したくはないんだよ」
そう言った彼女の表情はとても辛そうだった。
それは私がお腹の子供の事を考える時の表情と同じで、私はまぎれもなく彼女の子供だと、認識されているのだと理解する。
「……それでも、産みたいの」
彼女が子供を殺したくないという気持ちは痛いぐらい分かる。でも、これだけはどうしても譲れない。かといって説得する言葉も持っていない私は、もう一度願いを口にした。
「契約相手が風の精霊族でなければ、少しはマシかもしれないね」
「えっ?」
「風の精霊族では近すぎるから余計に危険なんだよ。とはいえ、協力してくれる精霊は限られるからな。精霊族は基本混ぜモノが、自分のところの神になってくれるかもしれないという打算で契約をするし。父親はどの属性だったんだ?」
「たぶん水だけど……神って、どういうことですか?」
聞いた事はなかったけれど、鮮やかな青色の髪をしていたから、たぶん水の属性は持っていると思う。それはいいのだけれど、神とはどういうことなのか。
神無が神様を引き継いだことから、神というのは種族を表す言葉ではないという事は知っている。でも、それと混ぜモノが、繋がらない。
「混ぜモノは、神を引き継ぐのに最も適した存在だからね。精霊族は神に依存しているから、神が途切れないようにしたいんだよ。でも水の神は代替わりしたばかりだから、今は新しい神の事で精一杯だから駄目だな」
「混ぜモノが神を引き継ぐって……でも、神無は?」
混ぜモノが引き継ぐなら、何故私と同じハーフである神無が神になったのだろう。
「本当なら風の神も混ぜモノの青年が継ぐ予定だったさ。でも彼は政略に巻き込まれて暴走し、命を落としたんだよ。それでも風の神は代替わりを必要としていた。だから、一番引き継げる確率の高い私の子供が選ばれた。……いやな話だが、その青年が犠牲にならなければ、私はお前達を産んでやれなかった。だから世の中何が吉と出るか分からないな」
「産んでやれなかったって?」
「私は風の精霊族を統べるモノだからね。特別なモノを持つ事は、禁じられているんだ。でも状況が許してくれた。一人を神の後継者とする事で産むことを許されたんだ。ただ、聖夜をこの手で育てる事は許されなかった」
私は神無ほど魔力が強いわけではないから、捨てられたのだと思っていた。
でも彼女は、本来なら産むことさえできない立場だったのだ。
「もしも契約する相手が見つからなかったら、私が親として、責任を持って聖夜と契約するよ。だから、安心しな」
子どもを殺したくない。
そう言った彼女は、その口で私の最期を看取るから安心するように笑った。彼女にどんな理由があるにしろ、私が捨てられた立場である事は変わらない。でも強く愛されているのだと感じた。
「……ママ」
「とはいえ、それは最後の手段だからね。風の精霊族以外で聖夜と契約してくれる奴がいるのが一番だ。ただ自分と同じ属性を持っていない混ぜモノでもわざわざ自分達の神にしたいと思っている状況の精霊となると……。代替わりが近そうなのは、『地』か次点で『樹』だけど……あそこはなぁ――あっ」
思案顔をしてママは腕を組んでいたが、唐突に何かひらめいたらしくはっとした顔をした。
「そうだ。時の精霊族なら、神を求めているはずだ」
「時?」
ママの口からでてきたその属性は、私が全く聞いた事もないものだった。




