初めてな子爵邸(2)(主人公オクト視点)
子爵邸は、伯爵邸ほど大きな庭というものはなさそうだ。それでも周りの建物とは違いちゃんと中庭がある。
3階建ての屋敷は1人暮らしの家としては馬鹿馬鹿しいぐらい広そうなので、流石貴族という所だろう。しかし中に住んでいる人はとても少ないようだ。アスタが勝手に中に入って行ったので私もついていったが、使用人とすれ違わない。
勝手に入ってきてしまっていいものなのかとビクビクしてしまうが、アスタが主人なのだからとギリギリの所で逃げ出すのを我慢する。
「あ、居た。おーい、ロベルト!」
アスタは花壇で屈んでいる犬のような耳を生やした庭師の男を見つけ声をかけた。
ロベルトと呼ばれた男の方は最初こそ誰だと訝しげな顔をしたが、すぐにそれが自分の主であったと気が付き、慌てて立ち上がる。
「だだだだ、旦那様?! どうされなんです?! まさか、とうとう王子の首を絞めてしまって雲隠れに来たんですか? それとも、魔法の研究で王宮を火の海に変えて、逃げてきたんですか?!」
……確かにアスタはかなり長い事この屋敷を空けていたようだし驚くのは分かる。しかし、何だろう。ロベルトが予想する、ここへ帰ってきた理由が、どれもこれもトンデモないものばかりだ。冗談で言っているようにも見えないので、アスタの信頼のなさがうかがえる。
「そんなわけないだろう。……若干やってやりたいけど」
最後に付け加えた言葉をあえて私は聞かなかった事にした。やりたいのが、王子に対してか、それとも火の海か分からないが、どちらも犯罪だ。
「でしたら、どうされたんです?」
「実は1週間ほど仕事場に泊まらないといけなくなってな。それで、俺の娘を預かってもらおうと思って」
「娘?! えっ? 娘ができたんですか? 再婚はされてませんよね? まさか、隠し子?!」
……凄い勢いで誤解を作っていく人だなぁ。
「あの、先日養女として引き取られた、オクトと言います」
「旦那様が引きとった?!」
勝手に混ぜモノの私が隠し子と勘違いされたら、アスタが可哀想だと思い、私は自己紹介をした。
しかし、何故か混ぜモノである事ではなく、アスタが子供を引き取ったという事に驚いている。伯爵邸の執事さんはアスタを慈悲深いとかなんとかと崇拝していたが、子爵邸の方はまた違う評価のようだ。
……もしかしたら、幼いころは凄く素直で可愛い子供だったが、80年の年月が彼を歪ませて、超問題行動を起こす大人に進化させたため評価が分かれるのかもしれない。時の流れは残酷だ。
「俺が引き取ったら何か悪いのか?」
「いえいえ。めっそうもないです。ただ、旦那様に振り回されるなんて可哀想――じゃなくて、小さいうちからなかなかできない体験をされているなと」
本音がダダ漏れだなぁ。
どうにも迂闊っぽい人のようだ。とはいえ、アスタもそんなロベルトを使用人として採用しているのだから、別に気にはしていないのだろう。
「確か、最近小さいメイドが入っただろ? オクトの遊び相手にちょうどいいし、1週間面倒をみてくれ。くれぐれも、オクトに怪我などさせないように」
小さいメイド?
もしかしたら、若いメイドがこの屋敷には居るのかもしれない。
私の周りにいる子供は、カミュとライ、それに手紙のやり取りをしているエストだけで、女の子が居ない。町に出歩けば、基本的に遠巻きで見られるので仲良くなれそうもないし、貴族関係のお茶会は私の胃痛が酷くなりそうなので、すべてキャンセルしている。将来は貴族として生きる気はこれっぽちもないので、その辺りはいいのだけれど、同性が周りにいないというのは……色々問題がありそうだ。一応伯爵家へ行けばメイドさんがいるから、何かと相談には乗ってもらえそうではあるけれど、あれだけアスタが里帰りを嫌がっているとなると中々大変そうでもある。
「分かりました」
「じゃあ、オクト。少しでも時間ができれば様子を見に来るからな」
私の頭を撫ぜながら、アスタが言う。まるで本当の親みたいに心配性だなと思うが、アスタに引き取られてから既に2回も攫われているので、若干は仕方がないのかもしれない。
「うん。でも、無理しないで」
アスタが泊まらなければいけないというなら、そういう仕事なのだ。無理に空き時間を作るという事は、それだけ無理をするという事。
それにきっとアスタの周りの人にも迷惑をかけるという事だ。きっとアスタを拘束してしまっている私の事をいい風には思ってないだろうに、これ以上駄目娘と思われたくない。私が悪い評価を受ければ、それはそのままストレートに親であるアスタの評価に繋がるのだから。
「あああ。やっぱり、離れたくない」
ガシッと抱きしめられ、私はどうしたものかと困る。
「ほらほら、旦那様。そんな駄々をこねていても、仕事は終わりませんよ。早く行って下さい」
「お前は血も涙もないのか」
「旦那様の事を思って言ってるんですって。ほら、1週間と言われましたが、旦那様が本気を出せば5日程度で終わるんじゃないですか? ここで時間を浪費しても、会えなくなる時間が長引くだけですよ」
「……オクト、絶対に俺がいないところで危ない事はしたら駄目だぞ」
「うん。迷惑はかけない」
ロベルトの言葉で、アスタは仕事場に行く決心をしたようだ。アスタの動きを上手く誘導できるとは、ロベルトは意外に凄い人なのかもしれない。
「じゃあオクト、行ってくるな」
そう言ってアスタは一瞬で私の目の前から消えた。相変わらず鮮やかな転移魔法だ。
「えっと、オクトお嬢様でしたね。お荷物をお持ちしますよ」
「あ、うん。ありがとう」
私がお礼を言うとロベルトは目を丸くした。
しまった。そういえば、いちいち使用人にはお礼を言っては駄目なんだっけ。ある程度使用人を褒めるのはいいが、これは彼らの仕事だから礼を言うのはおかしいのだと、伯爵邸でアスタのお母さんに教えてもらった。
「お嬢は旦那様に引き取られる前はどちらに?」
「あ……えっと、旅芸人に身を寄せてました」
「そうでしたか。なら旦那様との生活は色々なれないものだったでしょう。あの人、そういう所疎いというか、傍若無人というか。まあ、悪い方ではないんですけどね。あ、俺の事は気さくにロベルトと呼んで下さい」
ロベルトは敬語ではあるが、どことなく気さくな雰囲気だ。伯爵邸の洗練された使用人たちともまた違う。私が敬語だった事にも特に眉をひそめる様子はない。
「ささ。行きますよ」
私の大きな鞄を持ち上げると、ロベルトは屋敷の入口へと向かった。
◇◆◇◆◇◆◇◆
「ペルーラ。こちらは、オクトお嬢様だ。旦那様の娘だから、粗相のないように仕えるんだぞ」
「はいっ!」
案内された先で会ったのは、ロベルトと同じ茶色の髪に同色の犬耳を生やした女の子だった。カミュ達より少し体格が大きいが、でも子供だ。ただし彼女は小さなメイド服を着ていて、ちゃんとメイドさんなんだなと思う。
「初めまして、オクトお嬢様。ペルーラと言います。えっと、誠心誠意頑張ります!」
「ペルーラは、この間メイドとして村からここに来たばかりでまだ慣れていませんので、もしかしたら粗相をしてしまうかもしれません。でもお嬢も大目に見てやって下さいね」
普通は、新人だから大目に見てやって下さいなんて言わないと思うが、それがロベルトの性格なのか、それとも子供で貴族事情に疎い私が相手だからか知らないが、頭を下げながら頼んできた。
別に私の一存でクビとかが決まるわけではないけれど、頷いた。そもそも、私の方こそ粗相をしてしまうのではないかと思っているぐらいだ。
「じゃあ、ペルーラ。今日から一週間、お前はお嬢付きのメイドとして頑張れよ」
「はい!」
素直でいい子だなぁ。
そんな感想を持ちながら、ペルーラを見る。緑色の瞳をしたペルーラは、少し色白な子だなと思う。
ロベルトが出ていって、ペルーラはこの屋敷の説明をしてくれた。
私が用意された部屋は2階に位置して、ペルーラは私の部屋の隣で今日から1週間寝泊まりしてくれるので、何かあったら呼べばいいそうだ。
私付きという意味が良く分かっていなかったが、つまりは私の身の回りの世話をしてくれるのがペルーラという事だろう。何ともお嬢様らしい待遇すぎて申し訳ない気持ちになる。
ただ実際に、現在の私の立ち位置はお嬢様なので、ペルーラ達を止めるわけにもいかない。もしもそれが嫌なら、それをしなくてもいいと言って、誰にも文句を言わせないだけの立場になるしかないのだ。
「オクトお嬢様、今日はどのような紅茶になさいますか?」
「えっと。じゃあ、ミルクティがいいから……それに合うもので」
この世界の茶葉の種類はまだあまり把握していないが、前世の記憶と同じで、ミルクティに合うものもあれば、ストレートティに合う茶葉というものが存在し、貴族の家ごとにオリジナルブレンドが存在する。
正直なところを言えば、そこまでお茶通でもないのでなんでもいいのだが、何か指示がないと用意もしにくいだろう。夕飯の献立を考えるのに苦労するのと同じだ。
「分かりました。ご用意します!」
ピンと耳を立ててペルーラが紅茶を準備しに部屋の外へ一度出ていった。
ペルーラは年齢から見て、ここで働くのが初めてぐらいではないだろうか。だとしたら、緊張もするだろう。顔色が少し悪く見えるのも、それが原因かもしれない。
用意された部屋をうろうろしたり、窓の外を覗いたりしていると、ドアがノックされた。
「はい」
「オクトお嬢様、お茶をお持ちしました」
「どうぞ」
ペルーラはカートのようなものにポットのお湯やコップ、更に茶菓子を載せて戻ってきた。至れりつくせり過ぎて、私はどうしていいものか分からず固まる。
「お嬢様こちらの席へどうぞ」
ペルーラは椅子を引いて、席まで進めてくれた。ヤバい。良い人すぎて、どうしていいのか分からない。
「えっと。……ありがとうございます」
やさしさに耐えきれずお礼を言うと、ぱぁぁぁぁっとペルーラが笑顔を見せた。パタパタパタと尻尾も揺れていて、正しく犬のような動きに可愛いなぁと思う。
「そんな、お礼を言われる事なんて。あ、お茶を入れますね!」
ああそうか。
私が新米お嬢様であると同様にペルーラも新米メイドなのだ。だから、私がお礼を言うのが変な事だという認識が薄い。
今後私以外の本物のお嬢様にペルーラが仕える事になる可能性は十分あるのだから、あまりお嬢様としておかしな行動をとってはいけないなと肝に銘じる。ここの経験がすべてではないと分かるとは思うが、ペルーラが常識知らずなメイドだと思われたら可哀想だ。私が早く貴族の常識に慣れる為に、あえてペルーラを私付きのメイドにしたのかもしれないと思うのは深読みをしすぎかもしれないが、それでも気が付けるいいきっかけにはなった。
無知であることは仕方がないけれど、無知のままでい続けるのは罪だ。周りに迷惑をかけたくないのならば、ちゃんと覚えていかなければいけない。
カシャーンッ!
考え事をしていると、目の前でティーカップが落ちて割れた。
さらにペルーラがうずくまっている。
「ペルーラ?! 大丈夫?」
「も、申し訳ございません、お嬢様」
ペルーラは顔面蒼白になりながら謝った。フルフルと震え、尻尾がシュンと垂れ下がっている。
「ペルーラは火傷していない?」
「はい。大丈夫です。本当に申し訳ありません!!」
「大丈夫だから、えっと、立ってもらっていい?」
椅子に座っている私の方が屈んでいるペルーラを見下ろすような格好になってしまい、どうしていいものかと悩む。
もしも私がペルーラの立場なら今の状況をどう思うかと考えて……職を失ったなと結論を出しそうな状況だと思う。いやいや、私はそんな冷酷無慈悲なお嬢様じゃないし、そもそもペルーラを雇っているのはアスタだ。
「すみません……オクトお嬢様」
「一度謝ったのだから、そんなに謝らなくていい」
立ち上がらずに、しゃがみこんだままのペルーラが再度謝って来た為、私は椅子から降りた。
「とにかく、立ち上がれる?」
私はペルーラに手を差し出した。私の力ではあまり支えにはならないだろうが、それでもここまですれば、きっと立ち上がってくれるだろう。
「すみません――」
「だから、そんなに謝る必要は……」
言いかけて、ふとペルーラの様子がおかしい事に気が付く。カップを落とした所為で顔面蒼白なのかと思ったが……違う。
「ペルーラ、大丈夫? どうしたの?」
「実は目が、回って……」
机の足を支えにしながら顔を上げたペルーラは今にも泣きそうな顔をしていた。




