おかしな賢者(主人公オクト視点)
本編終了後の、オクトの小話です。バレンタイン用となっております。
……あ、これ。
私は店先で珍しいものを見つけてじっとそれを眺めた。
「あら、賢者じゃない。久しぶりね。どうしたの?」
「いや、あの。賢者というのは……。まあ、いいです。この黒いのって――」
久しぶりに昔住んでいた城下町の店を歩いていた私は、店先で珍しい食材を見つけた。
「ああ。白の大地から流れてきた食材らしいんだけど、どうにも苦くてね。ああ、そうだ。薬師をやってるそうだし、これ薬の材料として使わないかい? 体にはいいそうだよ」
「少し味見できますか?」
「良いけど、本当に苦いよ」
おばさんは手のひらにその黒いものを置いてくれたので、匂いを嗅いでから口へ運ぶと……確かに苦い。
でもこれは、チョコレートだ。
「珍しいし、知り合いの商人だから買ってみたんだけどね。どうにも売れなくてねぇ」
売れないから勧めるんだろうけど、正直すぎる言葉に私は苦笑する。私は相当小さい時からこの辺りで買い物をしている顔馴染みではあるので、おばさんも正直に伝えても構わないと思っているのだろう。
「たぶん甘くすれば美味しくなると思う」
「甘く? 砂糖でもまぶすのかい?」
「いえ、湯煎して溶かして、牛乳を加えて、更に砂糖を加えたらいい」
「へぇー。なんだか想像つかないけどねぇ。でも、お菓子の賢者様の言う事だし、一度やってみようかしらね」
……お菓子の賢者?
おかしな賢者というか、ものぐさな賢者ではなく?
最初に賢者様と呼ばれた時、あの変な噂がここでも流れているのかと思ったのだけど、どうやらおばさんが言う賢者はまた違う意味のようだ。
「あの、お菓子の賢者って」
「お菓子の女神の方がもしかして良かったかい?」
「いえ、できたら、両方やめて欲しい」
自由の女神のような感じで言われているが、たぶんそんなにいいものじゃないと思う。
そもそもどうしてそんな変な二つ名が、この城下町で広がってしまっているのか。
海賊が売っているアイスクリームに関しては、私が作っているという事は公では内緒にしているはずだ。……してるんだよね?
販売はすべて任せてしまっているので、その辺り何とも言えない。
「私が言わなくても、皆言ってるさ。この辺りの菓子職人は、賢者様の絵に拝んでいるらしいよ」
「えっ」
何その新興宗教。
しばらく私がこの町から離れている間に、何があった。
「賢者様のお菓子さえあれば、この世は平和だって」
「お菓子では世界は救えないと思う……」
たぶんそれができるのは料理漫画の世界だけだ。きっと、口から光が出たり、食材が黄金で輝いていたり、食べた瞬間の感想が人外的だったりするような感じの。
「でも賢者様の菓子は、男の胃袋を掴むのに最適なんだろう? 近頃じゃ、女の子達も賢者のレシピを探して大変だよ。何でも賢者の菓子に恋をしてしまっているから付き合えませんと言った男がいたらしくてね」
「……誰それ」
駄目だ。ちょっと外に出てみようなんて思うんじゃなかった。引きこもっていればよかったと、聞きたくない情報に内心涙する。
「王子様のハートも一時的とはいえ、食べ物で掴んだんだろう?」
「それ、誤解です」
というか、嫌がらせタイプの誤報です。
「何?もしかして今も付き合ってるのかい?」
「そもそも付き合ってません」
第一王子が流した厄介な噂話は、変な方向へ進化しているようだ。普通に考えて、カミュと私が付き合うとか、絶対ないと思う。
ただ……そう言えばカミュのそれ系の噂って、第一王子が冗談交じりで流した、私の以外にない気も……。
「あら、そうかい。だとしたらあの王子、コレ系なのかね」
おばさんがそう言って耳たぶをなでる。そのポーズは、ゲイを表すもの……。いや、まさか。
確かにカミュはあまり近しい人物を作らないし、本当に仲がよさそうなのはライだけだけど。……ライもまた女っ気が薄いが、あっちはただのワーカーホリックでモテないだけだからたぶん違う。色町に行ったりもしているようだし、どこかに仕事をしていても『私と仕事どっちが好きなの?』や『王子と私どっちが好きなの?』と言ってこない女は居ないだろうかとこの間も嘆いていたし。
……違うよね?
「まあ、どっちでも構わないけどね。暇なら、折角だしここで、これを使って調理して売ってみないかい? 賢者お手製だと分かれば、たぶん一瞬で完売するだろうしね」
「えっ。混ぜモノだし、それはないかと」
「何言っているんだい。賢者の料理にかかれば、どんな男でも落とせるんだろう? 宮廷魔術師、王子、ツンデレ、後何って言ってたかねぇ」
「おばさん。ツンデレは役職名じゃないから」
私が学生時代に使った言葉が変な形で伝わっているらしい。
「あら、そうなのかい?」
そして私の知り合いで、それに当てはまる人物は、1人しかいなくて、聞いた瞬間怒り狂う様子しか思い浮かばない。そもそも、私に対してのデレが見当たらない。アイツのデレは、エストに一直線――おや?
いやいや、まさかまさか。
確かに、魔法学校は、男女比率がおかしく、男子ばかりが集まった場所でもある。でもだからといって、そっち系が増えるとは限らないし。
交友関係が狭かったため、確認した事はないけれど、微妙に怖くなってくる。えっ? 大丈夫だよね?
前世の残念知識がよみがえってきそうなネタに、私はとりあえず考えないという選択肢を選んだ。そうでないと、お菓子の賢者ではなく、おかしな賢者と、更に残念な2つ名が広まってしまいそうだ。すでに、ものぐさな賢者と呼ばれるだけで、かなり色物なので、これ以上は増やしたくない。
「私としては、賢者特製の伝説のケーキは私も食べてみたいところだね」
「そんなレシピは知らない」
どんな伝説を生んでしまったのだろう、そのケーキは。
「そうなのかい? それによって、世界は守られたとも聞いたよ」
「誰に?」
どんなケーキだ、それ。
伝説の剣の間違いではないだろうか。ケーキで守られる世界って、何だろう。でも剣はつくれないので、賢者違いの可能性もある。
「まあ、とにかく、この黒いの使っておくれよ。商人が昔馴染みで、要らないとどうしても言えなくてね。残っていても困るんだよ」
まあ、確かに久々に時間ができたからぶらついていたわけだし、ホットチョコレートを作るのは問題はない。
私がこくりと頷くと、おばさんは笑顔でお礼を言った。
「折角だし恋愛成就に効く賢者印のドリンクって感じで売ろうかね」
「いや、私は恋愛の神様ではないから」
神様に知り合いはいるけれど……ちっぱいを気にする神様はどちらかというと、恋愛を失敗させそうな神様だと思う。
「なら、胸が大きくなるドリンクにしておくかい?」
「えっ」
「何か、商人がそんな事言ってたんだよね」
チョコレートで胸って、大きくなるっけ?
分からないけれど、その言葉は、色々タブーが含まれている気がする。きっと某神様が、大人買いならぬ、神様買いをしてしまいそうだ。やめてあげて。食べ過ぎも毒だから。
「それも、やめて下さい」
「でも精力がつくはちょっと下品すぎるだろう?」
「普通に、体にいい、薬膳ドリンク辺りで」
「なんだか普通すぎないかい?」
おばさんは不満そうだが、色物すぎるよりはマシだと思う。
「普通が一番です」
私は心の底からの言葉をおばさんに伝え、ホットチョコレート作りに取り掛かった。
その後、ここで話した内容は尾びれや背びれ、さらに胸びれをはやして、ホットチョコレートを飲むと胸が大きくなり、更にそれをもって愛の告白をすると恋愛成就し、ゲイでも落とす事ができ、世界は平和になるというわけの分からないものになっていた。
更に第二王子がゲイであるという噂も広まり、色々関係者から怒られる事になるが、そんなトンデモ未来を私はまだ知らない。
一つ言えるのは、噂は信じてはいけないという事だけである。
(その後)
「オクトさん」
「いや、あの噂は。私の所為ではないというか……」
黒い笑顔を振りまくカミュは……正しく怒ているであろう。そうでなければ、あえてこちらに黒いと思われるような笑顔をふりまくとは思えない。
そもそも、カミュがゲイかもなんていう噂が産まれたのは私の所為ではないわけで。ただまあ、まったく関係がないとは言い切れないけれど。
「僕はまだ何も言っていないよ?」
口では何も言ってないけど、態度でもの申してるじゃないか。そう思うが、どうにもカミュに口で勝てる気がしない。
「せ、責任はないとは言わないけれど、カミュの態度も悪いんだと思う」
「へえぇぇぇ」
「……分かった。責任をとる」
私は座った目をしたカミュにそう提案した。元々、私が撒いた種だ。
しかし私がそう言うと、カミュは想像をしていない言葉だったらしく、ギョッとした顔をする。
「責任って、オクトさん? ごめん、冗談だよ」
「いい。カミュは、王子だから気を使て、あえて女の子を周りに寄せつけなかったって分かっているから」
王子であるカミュが恋愛をすると、昔カミュの婚約者だった少女の様に、周りに利用されてしまうだろう。だから、カミュはあえて、女性を近寄らせなかったのだ。
「ライに頼んでみる」
「……ん? ライ?」
「ライスという幻の少女を作り出して、カミュはゲイじゃないと新しい噂を作れるよう頑張る」
噂を消すのは、新しい噂だ。
私は友人の為にひと肌ぬごうと決意する。面倒だなんて言ってはいけない。
「ものぐさが張り切っても何もいい事はないって……結構的を得た言葉だよね。オクトさんは、何もしなくていいよ」
……どうして今その言葉がでるんだろう。
私は黒い笑みから、残念なものを見るような目になったカミュに釈然としない面持ちのまま首を傾げた。
以上、お菓子な賢者ならぬ、おかしな賢者でした。




