ナナシな少年(5)(エスト視点)
「うっう……」
「帰りてぇよ……死にたくねぇよ……」
うめき声やすすり泣きが聞こえる地獄の中で、ああ、これが戦争なのかとオレは思う。
負傷者が運ばれる救護スペースで、オレは半分無意味に近い手当てをしながら、自分の想像力の不足を恨めしく思う。
このベトゥッラ戦争は必要な戦争だ。
この戦争に勝たなければ、アールベロ国は真っ先にこの世界から名を無くすのは間違いない。アールベロ国の王であるラシエル王がこの戦いで勝利をおさめた事で、周りの国からの侵略は一時的に止まる。その間にラシエル王が更に国の強化にかかり、徐々に大国となっていくのだ。
ラシエルが港が欲しいと思うのと同様に、他の国は魔の森との接点を欲しがる。魔の森は誰も侵せない為、敵から身を守る上でも最適な立地であり、また寒い地域の中でも、まだアールベロ国は作物が育つ良い土を持った地域ある為だ。例えこの戦争を回避できたとしても、別の国が攻め込もうとするのは間違いない。
そう。歴史の中から見れば、間違いなくこの戦争は正義だ。この戦争がなければオレも生まれなかったかもしれない。それでも、戦争の真っ只中は地獄だ。前線の兵士は殺す殺されるを繰り返す。友達になった兵士も、翌日にはただの骸になっているのが当たり前な世界。
そこに正義なんて存在しない。ただ勝てば生き残れて、負ければ死骸となるだけ。
救護スペースだって、傷口をアルコールで消毒して、止血する。それぐらいしかできない。腐るようならもう諦めて切り落とす。それでも無理なら死ぬだけだ。
元々アールベロ国の医療は他の大地に比べると進んでいないと、医者の先生に聞いた事がある。でもこの時間の医療は更にそれよりも進んでいない。ここにオクトやコンユウがいれば、薬草の知識と魔術の知識で、もう少しまともな処置もほどこせたかもしれないけれど、オレは生憎とそこまでの知識がなかった。
なのでオレより多少知識があるヒトの隣で、腕を切り落とす時に患者を魔法を使って押さえつけたり、舌を噛み切ってしまわないように口に布を噛ませたりという程度の事だけだ。
後は【樹】の魔法を使って、必要な植物の種子を発芽させ成長を促進し、痛み止めの薬を作る為の薬草を増やすという作業を手伝っている。しかし、種子だって限りがある。今はまだいいが、いつか限界が来た時、痛み止めすら彼らに煎じる事ができなくなる。
「先生……俺ら、勝てるんだよな?」
オレの手を取って、負傷兵の1人がそう問いかけた。右目に包帯が巻かれており、目を負傷したのだろう。手足は問題なさそうなので、ある程度治ればまた地獄へ送り出さなければならない。例えその目がもう光を映す事がなくてもだ。
それぐらい、兵士は不足しており、戦えるならばすぐに戦地へ戻される。
「ああ。今回の戦いはラシエル王自ら指揮をとってみえるんだ。きっと神も味方してくれるさ」
何も言えないオレの代わりに、ここの戦医がそう答える。
そして、少しいいかとオレを連れてテントの外に出ると、オレの頭を殴った。普段なら戦医程度の拳ならよけられるのだけど、不意を突かれしっかりとその拳はオレの頭に命中する。
「いっ――」
「痛いだろ。俺の手も痛い。何をやらせるんだ、馬鹿野郎」
勝手に殴ってその文句はないだろと思ったが、戦医が何とも言えない表情をしていた為オレは黙った。
人の足を切り落とす時も、なんてことない表情をしているこの男が、怒りのような悲しみのような、何とも言えない表情をするなんて想像もできなかった為に。
「いいか。アイツは戻らなくちゃいけない。それ以外の道はないんだ。だったら、嘘でも戻りやすくしてやれ。逃げれば命は助かるかもしれんが、帰る場所はなくなるんだ。手足を切る時も、顔色をいちいち変えるな。辛いのは俺らじゃない。お前はそんな事はなんてことないという顔をしていろ。何もできないんだったら、せめて患者を不安がらせるな」
何も言えない。
確かにオレは彼らに何かをしてやれるわけではなくて、戦争から遠ざけてやる事もできなければ、失った手足を生やしてやれるわけでもない。
「その顔何とかしたら、もう一度中に入って手伝え。ヒトは何処も足りなくて、猫の手も借りたいぐらいなんだからな」
涙で歪んだ視界から、戦医が消える。
どうして……オレはここに居るんだろう。
何度目とも知れない言葉を心の中で呟く。これがオレに対する罰なのか。友人の苦しさに気づく事ができずに過ごしてしまったオレの罪。オレがオクトに好きだと言わなければ、オクトを好きになりかけていたコンユウがオクトに剣を向けることはなくて、オレはこの時間へ来る事もなかった。
この現実の何もかもが苦しくて、助けを求めたいけれど、混融湖の呪いがそれを阻み伝える事もできない。まるで神様から、永遠の孤独の中でその罪を償えと言われているかのようだ。
「帰りたい……」
ここは嫌だ。何も考えず、ラシエルの手伝いをする為にこの戦場へ来たけれど、もう少し考えればよかった。
あまりにも、今まで生きてきた場所と違いすぎる。
オレは蛆虫の湧いた足を洗った事なんてなかった。剣術の練習をした事はあったし、攻撃魔法だって知っている。でも実際に人を殺す為に使った事はなかった。それが日常な世界なんて知らない。
でも……どうやって帰ればいいのか分からない。
館長は、今もまだ現れない。死にゆく人がどんどん増え、その死体が病魔とならないようにする為に毎日燃やし、早く戦争の終結だけを望んでいるのに。
いつになったら現れるのか。それとも、この世界は過去の世界などではなく、実は似通っただけの、まったく別の世界だったりするのだろうか。
だとしたら、一体どうしたらいいのか。
情けない事に、いい案は浮かばず、涙しか出てこない。もしもここに居るのが、オレでなければ変わったかもしれないのに。
知略が得意なカミュエル先輩なら、戦争を終わらせる方法を考えるか館長を探す方法を考え付いただろう。ライさんならオレみたいに後衛におらず前線で大将の首をとったかもしれない。オクトやコンユウなら、負傷者の手当てをもっと上手に行っただろうし、オレよりもずっと頭が良いので、やはり何かいい方法を思い浮かべたかもしれない。
でもここに居るのは彼らではなくて、オレなのだ。
そして、もしもでも、彼らが代わりにこの地獄に居たらだなんて考え付いてしまう、自分の愚かさが余計に泣ける。最低だ。
「ナナシ……か?」
そんな自己嫌悪でぐるぐるしていると、聞き覚えのある声が聞こえた。振り向けば、担架に乗せられてやって来たクロノスがいて――、その傷の深さに固まる。
「クロノスさん?!」
「ちょっと……ヘマをやってしまってな」
ざっくりと、首の横辺りから胸にかけて血が噴き出ている。血がなくなればヒトは死ぬ。その蒼白な顔を見ると死の足音が間近まで近づいているのが分かった。
「なんとか、血は止まっているから、そんな顔するな」
怪我人に心配されてどうするんだ。
さっき、戦医に言われたばかりなのに、自分が情けなくて仕方がない。それでも、オレはこれ以上泣いているわけにはいかないとぐっと涙をこらえた。
「……戦場はどうですか? ラシエルは――」
「ラシエルは、今もひょうひょうとしているさ。微塵も不安はみせないし、勝利しか見ていない。でも……良くはないだろうな」
オレがザキエルの唯一の知り合いだからだろうか。クロノスは正直にオレへ戦場の状況を話してくれた。
そして、きっとクロノスは口にはしないが、このままでは負けると思っているのだろう。
……負けたら、どうなる?
ラシエル王は間違いなく処刑されるだろう。そしてアールベロ国はなくなるのだ。アールベロがなくなれば、きっと魔法学校は建たないし、魔法学校が建たなければオレはオクトやコンユウ達とは会う事がなくて――、あの時間にこの世界は繋がらなくなる。
駄目だろそんなの。
だって、ザキエルは何もかも捨てて、王様になったのだ。その先に、安定した国があると信じて。なのにこんなあっけない終わりなんてない。
それにこの世界がまったくあの時間に繋がらなくなったら、もう二度と帰れない気がする。ここが過去であるなら未来に繋がるけれど、過去ですらなくなったら、もう【エスト】が生きた時間は存在しないという事なのだ。
「大丈夫です。この戦争は、負けません」
オレはそう言って、クロノスに笑いかけた。
「ラシエル王が諦めていないのなら……まだ、勝算はあります」
この戦いは雨の日に、すべての流れが変わる。圧倒的に人の数が少なく不利な戦況だったアールベロ国だが、普通なら駆け降りてくることはないだろうと思われた山から、馬と共に現れ敵を驚かせる。
更に敵が川の方へ逃げるだろうという事を事前に読み、魔法でその場所を底なし沼へに変え、敵兵の戦意を削いでいくのだ。そして最終的に大将の首を、ラシエル王自ら狩る。
……オレはなんの取り柄もない、誰よりも平凡な男だけど、この戦いの行く末は知っている。そして、オレの言葉をきっとラシエルなら信じる。アイツはオレをこの戦いに望んだのだから。
「クロノスさん。少しだけ勇気を出す為に、名前の一部を下さい」
「あ、ああ。構わないが……」
この世界に館長はいない。
もしかしたら居るのかもしれないけれど、もう待つことはできない。雲は徐々に濃くなっているので、雨が降り出すのは、もうすぐなのだ。
ここに館長がいなくて、時が変わってしまうというなら、オレがその代りを務めるしかないだろう。オレだけが、この未来を知っているのだから。
もしかしたら、こんな方法は禁じ手で、オレ自身が呪われる事になるかもしれないけれど、オレは見ず知らずの誰かではなく、知っている大切なヒトや時間を守りたいのだ。
「今日からオレ……俺は、クロワと名乗ります。そして、必ずこの戦争を勝たせます」
この判断が吉と出るか凶と出るかは分からない。それでも、俺は【エスト】である事にしがみつくのを止め、この時間の【クロワ】になる覚悟を決めた。




