ナナシな少年(4)(エスト視点)
「では今年の納税を引き下げる代わり、国庫を開かなくても済むよう、現在ある食料で回すように。それとどれぐらいの備蓄が現在あるのか、明確な数字でだせ。これじゃあ、こちらも対策の立てようがない」
そう言って、ラシエルは書類を突き返す。
その書類を受け取った貴族と思われる人物は、頭を下げてから部屋の外へ出ていった。それが一応今日返事を待っていた貴族の最後だったようで、がらんとした執務室で、ラシエルは机の上に伏せった。
「では、ラシエル様、今度は魔術師試験についての案件なんですけど――」
「嫌だ。もう嫌だ。俺は休む。だから、ナナシが勝手に判断してくれ」
「馬鹿だろ。そんな事出来るわけないじゃないか。それから、オレだけだからって何適当になってるんだよ。税金でご飯を食べさせて貰っているなら、身を粉にして働きなよ。それしかできないんだから」
「ナナシの鬼ぃ」
そう言って、結局机から顔を上げない。まったく。
これで、名君と言われ始めているのだから、世の中の人は騙されているよなと思う。判断力はまああると思うけど、運で生きている部分も大きい。
「とりあず、魔法使いのレベルを底上げする為の、【魔術師】という資格名と試験の概案はつくっておいたよ。王宮で働く魔法使いは、魔術師試験を突破したものとするけど、唐突にそれをすると人手不足に陥るから、猶予期間も必要だと思う」
寝てても声は聞こえるので、とりあえず現在の状況を伝える。
俺はとりあえず【ナナシ】という名前のまま、王宮魔術師みたいなことをやっている。と言っても、この時代に魔術師という資格はないため、軍隊の一部の魔法使いとして雇われていた。魔法使いというのは、魔力で何かしら魔法が使えれば名乗れるものなので、能力はピンキリだ。
とりあえず、王宮で魔法使いとして雇われていれば、館長を見つけ出すことも容易かと思ったのだが、いまだに館長は見つからない。もしかしたら、魔法使いとして雇われているのではなく、魔力なしの軍人として在籍をしているのかもと思い、今はクロノスにも協力してもらっている。魔法使いであることは自己申告制なので、黙って軍人になる事は可能なのだ。ただ、それをする事に、どんなメリットがあるか分からないけれど。
「だから、ナナシのやりたいように、魔術師試験はやっていいって。俺は魔力があまり高くないから、あんまり魔法については勉強してないし―。だいたいナナシがこの国でたぶん一番魔法に詳しいんだからさー」
「オレが考えるのは構わないけど、責任者なんだから、ちゃんと概要は頭に入れておいてよ」
「ナナシって、やっぱり誰か師匠について、魔法とか学んだわけ?」
本当に、人の話を聞いてないな。
オレの話なんてどうでもいいだろうに。それよりさっさと仕事をして欲しい。
「魔法に関しては師匠と呼べる人はいないよ。武術は居たけど。魔法は学校で学んだだけ」
最近、話せる事と話せない事の差が分かってきた。
記憶に関係する事はタブーが多く、知識に関する事は案外すり抜けが可能みたいだ。具体的な話でなければ、学校で学んだなどの事柄も大丈夫らしい。
クロワという名前も、たぶん記憶ではなく、知識としてカウントされたのだろう。基本は【館長】と呼んでいたので。ちなみに【館長】という単語はタブーの方にカウントされるらしく、時間が止まる事が分かった。
「ふーん。学校ねぇ。魔力の強い奴を集めて集中的に学ばせれば、多くの優秀な魔法使いが作れそうだな。それに魔法を使う者同士で話しあえば、魔法もいまより格段にいいものができそうだな」
「オレは教師なんてごめんだから。やるならオレを巻き込まない場所でやってよ」
「ええっ。ナナシがやってくれないのかよ」
「オレは、早く帰りたいんだよ」
オレがいる場所はここではない。
でもただ帰るだけじゃ駄目だとも思う。あの時間に戻っても、既に取り返しのつかない状況になっているのだ。
かといってどうすればいいのかも、まだ良く分かっていない。
例えば、あの時間より少し前の時間に戻ったとしても、そこには【エスト】がいるのだ。同じ人物が同じ時間にいていいとは思えない。それに、もしもそれが可能だとしても、あの事件が起きなければ、結局はもう1人の【エスト】がそこにいる事になってしまうから、オレは……どうなるのだろう。
消えるのか、それとも【ナナシ】として生きていかなくてはいけなくなるのか。
正直、消えるのは怖い。
かといって、オレが誰なのかを誰も知らず、本当だったら一緒に笑いあえた仲間が、オレを他人として見るという状況も怖くてたまらなかった。
結局は過去はやり直しなんてきかないという事なのだろう。後悔はしている。でも自分が消えてまで、あの時間を守らなくてはならないのかと言われると、正直なところ答えが出せない。
ただそれでも、もう一度オクトやコンユウと話したい。だとしたら、あの時間は存在させて、オレは元の時間軸に戻り、コンユウも探すというのが一番だろうか?
でもそんな事できるのだろうか。
「そうだよな。早く記憶を取り戻して、【ナナシ】じゃなくて、お前の本当の名前を俺も教えて欲しいし」
「そうだね」
そんな日は来ない。たぶん、混融湖の呪いがあるかぎり、オレの名前をコイツに教える事は出来ないだろう。
「でも【ナナシ】が居なくなるのは嫌だな。前に住んでいた場所に戻ったとしても、ちょくちょく遊びに来いよ」
「王様相手に、遊びに来れるわけないだろ」
王様とかではなくて、帰ってしまったら、本当に会う事は出来ないと思う。生きている時間が違うのだから。
でもそれを語る事は出来ない。だから、そう言い訳をする。
「それにオレはお前のお母さんじゃないんだからな」
「そうそう。ナナシって、お母さんっぽいんだよな。なんだかんだ言って、ちゃんと面倒見てくれるし」
「面倒をみられている自覚があるなら、もう少ししっかりしろ。勝手に甘えるな」
これ以上、情が移るのは良くない。別れにくくなるからだ。
だからオレはできるだけラシエル王となったコイツに厳しく接するようにしている。……まあ、ラシエルの性格の所為で、中々難しくもあるのだけど。
「まあ、いいじゃん。いいじゃん。そうえば、今度ある戦争、俺が指揮する事になりそうなんだよな。どうも相手は、俺が影武者か何かじゃないかって思っているらしくてさ。一発俺が武勲を上げて、俺が影武者であろうとなかろうと、侮られないようにする必要があるんだよ」
「へぇ」
それがあの、ベトゥッラ戦争の裏事情か。
ラシエル王が【流血王】と呼ばれるほど戦争を繰り返す最初の戦い。まあ、名前は悪いがそれは決してラシエル王が一方的に悪いわけでもない。
アールベロ国は比較的寒い地域で、かなり厳しい冬を強いられる。でもその一方で、魔の森の影響なのか、土自体はそれほど悪くもなく、気候がおかしい時は除くが、それ以外ではしっかりと作物も育つ。この辺りの周辺地域は似たようなもので、春から秋にかけてどれだけ作物が収穫できたかで経済状況が変わる。
その為、作物が不出来の場合、他の国を襲撃をしたりする国が後を絶たない。また小国が密集している為、土地を広げ強国になろうと、やはり小競り合いが絶えなかった。さらに小国というのは、1種族だけが住んでいたりもする為、価値観の違い、種族の誇りなど国同士の争いの種は掃いて捨てるほどある。
オレが生まれた時代の、多種族国家であるアールベロ国になる前の状態なのだから、ある意味この状況は仕方がないかもしれない。アールベロは、この小さな国々をすべて飲み込んで、更にそれを安定させた国だ。そしてラシエル王が【流血王】と呼ばれるほどに戦わなければ、早々に別の国に飲み込まれていただろう。
「できたら、海がある場所が領地として欲しいな。そして、そこに新しい王都を立てて、貿易を活発化させるんだ。それと、この国が生き残るには、ナナシみたいな魔法使いの力が必要だと思う。翼族は、俺みたいな魔力があまりない奴と、ナナシみたいな魔力が大きい奴の差が大きいからな。それぞれに得意分野を磨くべきだと思うんだ」
「ちゃんと王様やれてるじゃん」
ザキエルが王となると聞いた時は若干不安でもあったが、一応国をどうしていきたいかなどの夢は持ち合わせる事ができたようだ。
「まあ。勝手に先にくたばって、俺に譲ったんだから、好きにやらせてもらっているさ。それにナナシと話していると、未来がみえる気がするんだよ」
ラシエルの言葉にドキリとする。
オレは何も【エスト】だったころの話はできていない。それでも、ラシエルはオレを通して未来を見ようとしている。
「国が安定すれば、人も穏やかになる。俺はさ、絶対貧富の差なんてなくならないと思う。みんな平等なんてあり得ないからな。でもさ、貧の部分の底上げはできるだろ? 魔法が発達すれば、新しい職業も増えるかもしれない。仕事が増えれば、浮浪者は居なくなって、犯罪率は減る。俺はもっと安定した国が欲しい」
ラシエルはどんどん王様らしくなっていく。
元々それはザキエルが持ち合わせていたものなのか、それともラシエル王になろうとして、変わってきたものなのか。
「今度の戦争は、ナナシも協力してくれ」
オレはちゃんと、【エスト】でいられるのだろうか。
帰らなくてはいけない。早く帰らないと、この時間の一部になってしまいそうで、時折怖くなる。ザキエルがラシエルとなったように、オレもまた、何かこの時代に役割を持たせられて、逃げられなくなりそうで。
目を閉じるようにゆっくりと瞬きをする。そして、自分自身に大丈夫と心の中で囁く。まだオレはオクトの顔もコンユウの顔もミウの顔も忘れていない。
名前を失ってしまったけれど、オレは確かに【エスト】なのだ。
「いいよ」
その戦いには、必ず館長が現れる。そうしたら、きっと元の時間に帰る方法の手がかりを掴めるはずだ。
だからラシエルに協力をしたくて承諾しているのではないと、心の中で言い訳をした。




