些細な仕返し2【ブログ転載】(カミュ視点)
「オクトさん。コンユウが戻ってきたよ」
棺の中で熟睡しているオクトさんに向かって、そっと声をかける。勿論、眠りについたばかりのオクトさんがそんな簡単に目を覚ますなんてことはあり得ない。
なのでこれはコンユウに見せつける為だけの、ただのポーズだ。棺の中で眠るオクトさん。その横に膝をつきそっと声をかける老人。さぞかし綺麗でかつ哀れな絵になるだろうなと頭の片隅で思う。
コンユウがその風景に飲まれて、ショックを受けるだろう事は見なくても分かった。
「残念な事に五体満足みたいだ」
「……いつからオクトはこんな風に眠ってるんですか?」
おっと、つい本音が。
しかしコンユウは僕の嫌味さえも今は気にならないようで、オクトさんの姿をその瞳いっぱいに映している。瞬きすら忘れてしまったような姿に、僕は苦笑した。この少年は、ある意味オクトさんとよく似ているのだろう。
「君が居なくなって……そうだね。10年もしない間に、オクトさんは神になる道を選んだかな。眠っていても体は緩やかに成長するようで、今は大分と大きくなったけれど、その頃はまだとても小さかったよ」
眠りについてしまったばかりのオクトさんは、今の姿よりもっと幼い姿をしていた。
静かに涙を流すアスタリスク魔術師に抱えられて戻ってきた姿は今でも思い出せるほど、衝撃的な光景だった。まるで死んでしまったような姿。でも確かにオクトさんは生きていて。
だからオクトさんが目を覚ますまで、僕はできる限りの事をしようと決意したのだ。……まさかある日突然、ウサギの人形の姿で話しかけてくるとは思ってもいなかったけれど。
「なんで……」
「この世界は、神様がいないと存在できないもろい世界らしいんだ。しかし元々いた12柱の神は6柱まで減り、これ以上減らせないぐらいぎりぎりだった。そこでオクトさんは、君やエストが混融湖に落ちるという事象を変える代わりに神になる契約を時の精霊としたんだ」
「えっ?」
アスタリスク魔術師からはそう聞かされた。
オクトさんはその事に対して口を開かないので、それが真実かどうかは分からない。でも彼らが理由の1つであった事は間違いないだろう。彼女はずっと、それこそ僕が嫉妬してしまいそうなぐらい、2人の事を気にかけていたから。
毎年混融湖に流す手紙。
それは懺悔しているようでもあり、まるで恋文を送るかのようでもあって、死んだヒトに勝つ事はできないという言葉をそのまま表したかのような光景だった。
「ただオクトさんが神になった時、ようやくその契約が生きるようで、今はまだ何も変わっていない。難しい話なんだけれど、きっとこの時間はたぶんオクトさんが目が覚めた時に消える時間なんだろうね。僕が考える限り、この世界はいくつもの【IF】の中の一つなのだと思う」
「消えるんですか?」
「体験したことはないし、たとえ体験していたとしても分からないんだろうけどね。過去が変わったら僕は消えるのかもしれないし、改変されて存続するのかもしれない。もっと時属性についての情報が残っていたら分かったのかもしれないけれど、この時間には残っていないから、なんとも言えないんだ」
時の変化については、時の属性を持っていない限り、その真実を知る事はできないだろう。また時の属性を持っていたオクトさんですらどこまで理解していたのかは分からないし、彼女自身神に近づいた今でも良く分からないと言っていた。
それでも、オクトさんが僕とは違うものを見て、感じているのだろうと思う時はあったけれど。
「コンユウ達が混融湖に落ちてからこの時間になるまでに、様々な事があったよ。それがすべてなくなるというのは複雑ではあるね。でもこれからオクトさんが向き合わなければならない長い時に比べれば、とても些細な事ではないかと思うんだ」
本当は些細な事なんて言えるような時間ではない。
僕にとってはとても長く様々な事があった時間だ。消えてもいい、変わってもいいなんて簡単に割り切れるようなものでもない。
それでもオクトさんがそれを望むなら。
彼女の痛みを取ってあげられない代わりに、僕は目を瞑る事にした。僕がオクトさんにしてあげられることなんて、とても些細な事しかないと、思い知らされたから。
「……神になると、どうなるんですか?」
「どうにもならないよ。ただ知り合いの誰もいない時の中で、オクトさんは永遠に近い時を生きるんだ。誰とも違う時間をね」
「誰とも違う?」
「元々混ぜモノであるオクトさんは成長度合いが僕らとは違ったけどね。でも神はもっと特殊で、老いる事がない。時の流れでは死ぬことのない神になった後は、ずっと新たに知り合った相手を見送っていく。優しい彼女には辛い宿命だろうね」
違う時間を生きるというのは想像するしかない。
僕に分かるのは、それはオクトさんが望んでいた事ではなく、じわりじわりと、彼女の中の何かを削っていくような事象である事だけだ。オクトさんは自分の好きな相手が離れていく事が苦手で、最初から傷つかない様、できるだけヒトと関わらないという選択をするタイプだった。
誰かが死にゆくたびに、オクトさんは何度も泣くだろう。慣れるなんて器用な事ができるとは思えない。
だから僕にできるのは、僕の子供や孫を残して、せめてオクトさんが寂しくない様にしてあげることだけだ。それは同じように何度も彼女に別れを迫るものでもあるけれど、永遠に独りぼっちにはしなくてすむ。
「ちょっと待って下さい。神が死なないなら、何で神は数を減らしているんですか?!」
「神だって死ぬよ。普通よりは丈夫だから多少の怪我では死なないけれど、首を落とされれば死ぬし、心臓をつぶされても死ぬ。でも神殺しなんて事は中々起こらないからね。大抵の神は精神的に疲弊しきって消滅するパターンだと聞いたよ」
樹の神は、様々な事を教えてくれた。
そして僕に何ができるかを考えさせてくれた。だから僕はその知恵を基に、神殺しが決して起こらないよう、彼女を特別なもの、神聖なものと人々に認識されるよう色々させてもらった。
王族は絶対神を殺さないようにする。それが自分たちヒトの存続にも繋がるから。
でもオクトさんには守ってくれる王族も、身の回りの世話をしてくれる精霊もほぼいないに等しい。だから僕は殺させない状況を作り出した。
「オクトさんはきっとギリギリまで頑張ってしまうだろうね。どれだけ辛くても、ヒトの為に。そして何もかも、心さえも壊れて失って、ようやく終われるんだ。目が覚めた後、オクトさんに死ぬ自由がないと思うと不憫でならないよ」
もしかしたら、神殺しが起こらない状況は、オクトさんへの苦痛を延ばす作業かもしれない。それでも、オクトさんが殺されるのを黙ってみている事もできないのだから仕方がない。
「もしも僕が一緒に居てあげられればその負担を少しは減らしてあげられる。だけど僕の寿命では、きっとオクトさんが再び目を開ける時までも一緒に居てあげられない」
「……何とかならないんですか?」
コンユウから聞き出したかった言葉を聞けた瞬間、僕は内心でにやりと笑った。
彼が罠にかかる音が聞こえた気がして。
「僕にはできなかった」
「あの――」
「でも……もしかしたら、時の精霊であり、オクトさんを神にしたトキワちゃんなら何か知っているかもしれない。まあ知っていても、教えないだろうけどね」
罠にかかった彼に、彼が飛びつくだろう単語を教えてあげる。
それが彼の運命を大きく捻じ曲げる行動だとしても。
「どこに行けば、時の精霊に会えますか?」
罠を仕掛けたのは僕。
でもその罠の中に飛び込むことを決めたのは彼でもあるのだから。
◇◆◇◆◇◆◇
「こやつか。コンユウという面倒な存在は」
呼び出したトキワちゃんは、いつもどおり空中に浮かび、コンユウを見下ろした。そして幼い顔を嫌そうに顰める。見た目が幼児のくせに眉間に皺を作る様子など、なんともちぐはぐな姿だ。
ある意味強烈な外見をしたトキワちゃんを見て、コンユウはどうしたものかと思いあぐねている様子だった。しかしそんな空気など、トキワちゃんが読むはずもなく、コンユウの前まで泳ぐように飛んでいくと、コンユウの眉間のしわをツンツンと突っつく。相変わらず、自由だ。
「全くのう。本来なら、わらわはこやつには会いたくないところなんじゃが……」
そう言って、ちらっとこちらを見るトキワちゃんに、僕はお好きなようにと肩をすくめた。もちろん僕としては、トキワちゃんにはコンユウに会って話をしてもらわなければ困る。しかしトキワちゃんは、多分僕が頼まなくてもコンユウに会うという選択しかしないと踏んでいた。
詳しく教えてもらった事はないけれど、どうやらコンユウは時の流れに深く関わっている人物の1人であるらしい。ただ混融湖に落ちただけで、深く関わったということにはならないだろうと考えると、たぶんこれから彼が起こす事が、深く関わってくるようだ。
「……まあ、そうも言ってられんしのう。確かにお前さんも、この世界の時を動かすための歯車の一つであるからのう」
「はあ?」
「厄介なことにお前さんの所為で時の流れはぐちゃぐちゃじゃ。しかしお前さんがぐちゃぐちゃにした時の中で、この世界は流れている」
「……さっぱり意味が分からないんだけど」
「何じゃ。お主、頭が弱い子なのか」
僕の望み通りトキワちゃんはコンユウに話し始めたが、色々会話が噛み合う様子を見せない。その為僕は適度に口を挟むことにした。本当は2人だけでうまく話が進めばいいのだが、この様子だとコンユウに伝わるのは、トキワちゃんが天然であることだけだろう。
「トキワちゃん。まずは自己紹介からした方がいいと思うよ。時の一部である君と、コンユウの知識は大きな隔たりがあるからね」
「ふむ。カミュと話すと何やら騙される気もするが、一理あるのう。わらわの名前は、トキワという。高位の時の精霊であり、最期の時を司りし神に仕え、新たに生まれようとする時の神が目覚めるまで守るモノじゃ」
せっかく間に入ったのに失礼な物言いだ。
まだトキワちゃんには何も仕掛けてないんだけどなぁと思うが、トキワちゃんが悪態をつくのはいつものことなので仕方がない。
「わらわは過去と今と未来が同居した存在。時が壊れることなく流れる為の手助けをするもの。ヒトはわらわを、合法ロリと呼ぶ」
そして悪態をついた口で、堂々と名乗ったトキワちゃんを、僕は生暖かい目で見つめた。
……うーん。そうきたか。
オクトさんから【合法ロリ】という言葉が、実は恥ずかしげもなく宣言するような言葉ではないと聞いている。本来の意味は、小さい子を性的な目で見ると違法だけど、見た目が子供でも成人年齢を満たしている為違法ではない。だから合法という意味だったはず。
トキワちゃんが合法ロリの括りに含まれるのは、間違いではなさそうだけど……それに対して威張るのは、斜め上をひた走っている。
「……合法ロリ?」
「そう。大人でもあり、子供でもある、過去と未来が混在した存在じゃ。既に滅んでしまった古代文明で使われておった単語なのじゃ」
「古代文明……」
トキワちゃんの説明のすべてが間違っているとは思わない。思わないが……たぶん本来の使用方法とは違うだろう。しかしそんなことを全く知らないコンユウはトキワちゃんの言葉をまるっと信じるしかない。しかも古代文明という言葉を真剣に繰り返している。
間違いを正す事は簡単ではあるけれど……。
ま、いいか。
とりあえず、その使用方法が変であるのを知っているのは、この世界ではオクトさんくらいだ。だとしたら間違って覚えたとしても不都合はない。もしも不都合があるとしたら、オクトさんの目の前でその言葉を使って、残念なヒト扱いをされるぐらいである。
うん。むしろ、残念なヒト扱いを永遠にされてしまえばいい。
色々コンユウやトキワちゃんには、思う所がある。なので僕がそこまで優しくしてあげる必要はないだろうと思い、こっそりと笑った。我ながら性格が悪いとは思うが、僕ができない事をこの2人はできるのだから、この程度は些細な嫌がらせだろう。
「とはいっても、わらわも教えてもらった側じゃがな。それで、お主はわらわに何の用じゃ。できれば聞きたくないから、何も語らず帰ってくれるのが一番なんじゃがのう」
「聞きたくないって……時の精霊だから、俺の未来も見えるのか?」
「未来ではなく、限りなく可能性が高い未来を予想できるだけじゃ。時は変動するもの。だからわらわ達は、時の流れが壊れてしまわぬように管理しておる。じゃから、お主が何を言おうとしているかを予測することはできるが、それが絶対とは言えないんじゃよ。時の神がいなくなってからは、時の流れはより不安定になっておるしのう」
僕がそんなことを考えている間も、2人は真面目ぶった話をしていた。
そしてトキワちゃんがいいきっかけの言葉を切り出してくれたのに気が付いた僕は、すかさずトキワちゃんにわざと質問をした。
「不安定ってどういう意味だい?オクトさんでは駄目だったという意味かい?」
僕の言葉にトキワちゃんはきっと、オクトさんがまだ神ではない事を話すに違いない。
「厳密にいえば、まだオクトは神ではないからのう」
そしてさらにそれは時の女神の力がまだオクトさんの中に移行しきらないからと伝えるはずだ。それと同時に混融湖がどういったものであるのかも。
「混融湖が消え、女神の力がオクトの中にすべて吸収されぬ限り、あの中の時は過去と現在と未来が融け混ざりあっているからのう」
「……どういう意味だ?」
「何を言っておるんじゃ。コンユウはすでに体験しておるじゃろうが」
「体験?」
「混融湖の中に時の秩序はなかったじゃろうが」
僕が言って欲しい言葉をすべて網羅し、さらにしっかりとその話に食いついたコンユウを見て、僕が望んだ未来が紡がれようとしているのを感じた。
後はきっと僕が傍観者となったとしても、話は僕があらかじめ決めた道を転がっていくだろう。
ゆっくりと瞬きをするように瞼を閉じ、僕はゆったりと彼らの会話に耳を傾けた。
「混融湖の中は未来につながっているからか?」
「いや。混融湖に融けているのは未来ではなく、あらゆる時間じゃ。じゃからたまにおかしなことになる。本来は繋がるはずのない違う時間のできごとが繋がってしまう事もあるのでのう。多少の変化はまだいいが、大きく時の流れが変われば調整するのが大変じゃ。本当に嫌になるのう」
トキワちゃんが言った言葉がどういう意味なのか。曲がりなりにも魔法学校に入学できるレベルの頭を持っているコンユウは、しっかりと理解するだろう。
そしてオクトさんの現状を見て、オクトさんにしてしまった事を後悔している彼は、こう言うに違いない。オクトさんが神になってしまった、この時間を変える為の言葉を。
「すみません。カミュエル先輩、オクトがこれまで何をしてきたか教えて下さい」
コンユウは魔族だ。
僕は今までに数名の魔族と知り合ってきたが、彼らに共通するのは【執着】。僕はそれを言葉だけではなく経験として知った。まるでその血に刻まれているかのように、魔族は誰か1人に執着をする。
その理由は様々だけれど、その執着はまるで呪われているかのように魔族の行動を制限した。それと同時に、半永久的にそのヒトを想って生きる事となり、その想いが薄れる事はまずない。
コンユウの中に【執着】の種は植えつけた。
オクトさんへの罪悪感、後悔などの思いは彼の中で育ち、きっとオクトさんの人生を変える為に、彼は死ぬまで混融湖を渡り歩くだろう。そしてどれだけ長い時間が経とうとも、彼の中の執着は薄れる事なく、むしろ長く思う事で恋い焦がれ、どんな手を使っても目的を達成するはずだ。それができなかった時は、コンユウの命が終わる時である。
残酷な事をしている自覚はあった。たぶん僕がこの道を示さなければ、彼がこの時間で新しい人生を歩んだ可能性もある。オクトさんや過去のことなど忘れ、新しく1から始める事もできたはずだ。
でもすでに残りの時間が限られてしまった僕では、たぶん思い通りに時の流れを変える事はできない。それに何よりも、知り合いの多くをなくしたこの世界のオクトさんを独り残す事は、僕にはできなかった。
もしかしたらこの時間は無くなってしまう時間かもしれない。それでも僕は、この時間のオクトさんに心穏やかな時間を長くあげたかった。その為には、僕はまだまだそばに居て、色んな布石を置く必要がある。
例え地獄に落ちようとも、【オクトさん】が幸せである為ならば、何を犠牲にしても構わないと決めたのだから、これは仕方のない事。
少しだけ苦い思いを飲み込んで、僕はゆっくりと目を開いた。
「いいよ。何を教えてほしいんだい?」
酷い事をすると同時に、八つ当たり気味に些細な嫌がらせまでしてしまった少年に対して、僕は謝る代わりに、できるだけ優しく声をかけた。
以上、意地っ張りな少年の懺悔の裏話でした。
ある意味、カミュの手のひらの上で、この世界は回っていたのかもしれないと思わなくもない話です。
【ものぐさな賢者】という言葉を広めたのもカミュですし、コンユウが時を渡り歩く切っ掛けをつくったのも彼なので(苦笑)黒いですね。
ではここまでありがとうございました。




