意地っ張りな少年の懺悔(5)(コンユウ視点)
「オクトさん。コンユウが戻ってきたよ」
棺の隣に膝をついたカミュエル先輩は、今までにないぐらい、とても優しげな声でその中で眠るモノへ声をかけた。
しかし、蜜色のまつ毛で縁取られた瞼が動くことはない。元々エルフ族の血が混じっているせいか、オクトの顔は人形のような作り物めいた綺麗さがあった。それもあって、まったく動かずに横たわる姿は、本当に人形のように見える。
ただ死んだわけではないとアピールするように、オクトは浅く、それでも確実に呼吸を繰り返しいた。また色白ではあるが、血色も悪くはない。
「残念な事に五体満足みたいだ」
残念ってなんだという話だが、今はカミュエル先輩の嫌味に反応する余裕もない。オクトから目が離せず、じっとその顔を見つめた。ふとした拍子に目が覚めてもおかしくないように見えたために。
「……いつからオクトはこんな風に眠ってるんですか?」
「君が居なくなって……そうだね。10年もしない間に、オクトさんは神になる道を選んだかな。眠っていても体は緩やかに成長するようで、今は大分と大きくなったけれど、その頃はまだとても小さかったよ」
確かにオクトは、俺の知っているオクトよりも大きかった。老人といってもいいカミュエル先輩ほどではないが、確かにオクトも成長をしている。
「なんで……」
でも成長しているのは体だけ。眠り続けているという事は、オクトの中の時間は、ずっと止まってしまっているという意味だ。オクトの成長が緩やかなので、さほど差がないようにも見えるが、その隣に居るカミュエル先輩の変化が時の長さを物語っている。
「この世界は、神様がいないと存在できないもろい世界らしいんだ。しかし元々いた12柱の神は6柱まで減り、これ以上減らせないぐらいぎりぎりだった。そこでオクトさんは、君やエストが混融湖に落ちるという事象を変える代わりに神になる契約を時の精霊としたんだ」
「えっ?」
俺とエストの為?
でも俺は今、混融湖に落ちたからここにいるわけで――。
「ただオクトさんが神になった時、ようやくその契約が生きるようで、今はまだ何も変わっていない。難しい話なんだけれど、きっとこの時間はたぶんオクトさんが目が覚めた時に消える時間なんだろうね。僕が考える限り、この世界はいくつもの【IF】の中の一つなのだと思う」
「消えるんですか?」
今、この話している時間が?
想像しずらい内容に眉間にしわを寄せる。
「体験したことはないし、たとえ体験していたとしても分からないんだろうけどね。過去が変わったら僕は消えるのかもしれないし、改変されて存続するのかもしれない。もっと時属性についての情報が残っていたら分かったかもしれないけれど、この時間には残っていないから、なんとも言えないんだ」
確かにカミュエル先輩のいう通りだ。過去が変われば今も変わる。でも過去が変わってしまったとしても、連続性のある今では変わったかどうかを知る事は出来ないだろう。
消えるかもしれない。そういったカミュエル先輩の声は落ち着いている。そしてい愛おしそうに、オクトの顔を眺めた。
「コンユウ達が混融湖に落ちてからこの時間になるまでに、様々な事があったよ。それがすべてなくなるというのは複雑ではあるね。でもこれからオクトさんが向き合わなければならない長い時に比べれば、とても些細な事ではないかと思うんだ」
「……神になると、どうなるんですか?」
眠り続けているという事がショックで、神になるという事がどういうことなのかまでは考えていなかった。
でも良く考えれば、眠っているのは神になる過程であって、オクトの人生はその後にも続くはずなのだ。まさかいくらなんでも、眠ったまま最期の時を迎えるという事はないだろう。
「どうにもならないよ。ただ知り合いの誰もいない時の中で、オクトさんは永遠に近い時を生きるんだ。誰とも違う時間をね」
「誰とも違う?」
「元々混ぜモノであるオクトさんは成長度合いが僕らとは違ったけどね。でも神はもっと特殊で、老いる事がない。時の流れでは死ぬことのない神になった後は、ずっと新たに知り合った相手を見送っていく。優しい彼女には辛い宿命だろうね」
「ちょっと待って下さい。神が死なないなら、何で神は数を減らしているんですか?!」
矛盾じゃないか。
もしも神様が死なないならば、例え6柱になったとしてもそれ以上減る事もない。だとしたらオクトが時の神になる必要もなかった。
「神だって死ぬよ。普通よりは丈夫だから多少の怪我では死なないけれど、首を落とされれば死ぬし、心臓をつぶされても死ぬ。でも神殺しなんて事は中々起こらないからね。大抵の神は精神的に疲弊しきって消滅するパターンだと聞いたよ」
聞いたって誰に?
でもそれが誰だろうとも、オクトの運命は変わらない。俺の所為で眠り続け、目が覚めたら今度は神としてヒトの為に生き続けるのだ。誰も知り合いがいない世界で、半永久的に。
「オクトさんはきっとギリギリまで頑張ってしまうだろうね。どれだけ辛くても、ヒトの為に。そして何もかも、心さえも壊れて失って、ようやく終われるんだ。目が覚めた後、オクトさんに自由はないと思うと不憫でならないよ」
カミュエル先輩はしわしわになった、骨と皮のような手でオクトの髪をすく。割れ物を触るように、とても優しく。
「もしも僕が一緒に居てあげられればその負担を少しは減してあげられる。だけど僕の寿命では、きっとオクトさんが再び目を開ける時までも一緒に居てあげられない」
そう言って、カミュエル先輩は深くため息をついた。その溜息はとても重く、まるで年の分だけ重みを増したかのようだ。
その姿は、俺の胸を締め付た。
罵ってくれた方がまだ楽だ。
お前の所為だと。何とかしろと。
でもカミュエル先輩はオクトについて話すだけで、オクトを心配するだけで、決して俺を責めない。それが余計に辛かった。たぶんそれもまた、オクトが望む形ではないと考えてだろう。
「……何とかならないんですか?」
オクトが神になる必要なんてなかった。俺が混融湖に落ちたのは俺の所為だし、エストならきっとオクトにそんな道を選んで欲しくなかったに違いない。
何でそんな面倒な、割に合わない道ばかり選ぶんだ。
「僕にはできなかった」
その通りだ。
何とかできたなら、カミュエル先輩は、こんな風にオクトの近くにいるだけの生活はしていなかっただろう。……俺は何を聞いていたんだ。
自分の馬鹿さ加減に、自分を殺したくなる。ぎりっと強く噛みすぎて、口の中に血の味が広がった。
「あの――」
「でも……もしかしたら、時の精霊であり、オクトさんを神にしたトキワちゃんなら何か知っているかもしれない。まあ知っていても、教えないだろうけどね」
時の精霊。
聞いた事のない単語。でもオクトを神にする為の取引をした存在。
普通に考えたら、オクトが神にならずに済む方法なんて教えてはくれないだろう。それでも――。
「どこに行けば、時の精霊に会えますか?」
俺は何も考えず、とっさにそう聞いていた。
◇◆◇◆◇◆◇
「こやつか。コンユウという面倒な存在は」
カミュエル先輩は俺を馬鹿にすることなく、トキワと呼ばれる時の精霊を呼んでくれた。どうやらトキワもこの宮殿に住んでいるらしい。まったくそんな気配は感じなかったところを見ると、やはりここは異様に大きいのだろう。もしかしたら空間がゆがめてあるのかもしれない。
そして少し待った後、突然現れた存在は、俺の想像を大きく超えていた。
オクトよりもすっとちんまりした体に、大きな帽子。見たことのない服をした子供は、ふよふよと空を飛びながら俺の目の前までやってきた。そして俺の眉間をツンツンと突っつく。……その行動の意味が分からないのは俺だけだろうか?
「全くのう。本来なら、わらわはこやつには会いたくないところなんじゃが……」
そう言って、トキワはカミュエル先輩をちらっと見た。
「……まあ、そうも言ってられんしのう。確かにお前さんも、この世界の時を動かすための歯車の一つであるからのう」
「はあ?」
オクトが昔、意味が分からない事を言ってくる存在を電波とかなんとか言っていたが、まさにそういう存在ではないだろうか。全然トキワの言っている意味が分からない。
「厄介なことにお前さんの所為で時の流れはぐちゃぐちゃじゃ。しかしお前さんがぐちゃぐちゃにした時の中で、この世界は流れている」
はぁと外見に似合わないため息をつかれたが、俺の方がため息をつきたい。
「……さっぱり意味が分からないんだけど」
「何じゃ。お主、頭が弱い子なのか」
いや、たぶん俺はそんなに頭が悪くはないと思う。どちらかというと、トキワの説明が悪すぎるのが原因だ。
しかしトキワの外見が明らかに幼い為、ここで怒るのも何か違う気がするし……。
「トキワちゃん。まずは自己紹介からした方がいいと思うよ。時の一部である君と、コンユウの知識は大きな隔たりがあるからね」
「ふむ。カミュと話すと何やら騙される気もするが、一理あるのう。わらわの名前は、常磐という。高位の時の精霊であり、最期の時を司りし神に仕え、新たに生まれようとする時の神が目覚めるまで守るモノじゃ」
「は?」
前神という事は、時の女神を指すのだろうか。
しかし時の女神なんてものは、すごく昔に居たとされる存在で、そんな存在に仕えてたヒトが、今もいるなんて、本来ありえない話。
しかし常磐が嘘をついているようにも見えない。
「わらわは過去と今と未来が同居した存在。時が壊れることなく流れる為の手助けをするもの。ヒトはわらわを、合法ロりと呼ぶ」
そう常磐は言い放つと、小さな体を踏ん反りがえるようにし、俺を見下ろした。




