エルフ的な料理教室(2) 【11/26】(エンド視点)
「えっと、お買い物ですか?」
「ああ」
オクトの言葉に私は頷いたが、心臓が今にも張り裂けそうで苦しい。もしかして、病気だろうか。
オクトは少し困ったような表情で周りを見渡すと、小さくため息をついた。何処か疲れたように見えるのは気のせいだろうか?
はっ?!もしかしたら、オクトは買い物で疲れたのかもしれない。華奢な両腕で、買い物袋と鞄を持っているのだ。さぞかし、大変だろう。
「荷物を貸したまえ」
「は?」
オクトが返事をする前に、私はさっと買い物袋と鞄を取り上げた。私にはさほど重くはないが、オクトの小さな手は赤くなっている。こんな小さな体で、大変だっただろう。
「次は何処へ?」
「い、いえ。大丈夫です。これぐらい、慣れていますから!」
遠慮深い子だ。
本当に、アスタが親とは思えない。もしやアスタが反面教師になったから、これほどしっかりした子に育ったのだろうか。子育てとは神秘だ。
私は荷物を掴もうとするオクトからさっと離れるように歩き始めた。
「ならば家まで送ろう」
「えっ、ちょっ。そんな、申し訳ないというか……。あの、実はまだ寄る店がありましてっ!」
叫ぶような声に、足を止め振り返ると、オクトは何処か諦めた表情で笑った。うんうん。子供は素直が一番だ。
「どこだ?」
「牛乳を売っている店で。……こっちです」
オクトが歩き始めたので、小さな足幅に合わせて私も歩く。
何度見ても、庇護欲を誘う小ささだ。この体で家事をするというのだから、凄いものである。
「まさか、牛乳を買って帰るのか?」
「いえ。牛乳は流石に重いですので。運んでもらいます」
やはり、そうか。普通、牛乳などの重く運びにくいものは、店屋に運んでもらう。なら、何故酪農家の所に行くのか。
「えっと、今日はチーズが買いたくて」
オクトは私の疑問を読みとったように言葉を続けた。
「一緒に持ってきて貰えばいいのではないか?」
「いえ。種類が多ので、実際に見て買おうと思いまして」
なるほど。チーズといえども、砂糖と同じで色々あるのだろう。ふむ。料理とは奥深いものだ。
「自分で選べるとは、流石だな」
「い、いえ。全然。そう言うわけではなくてっ!」
オクトは慌てた様子で首をぶんぶんと振った。そんな力いっぱい否定しなくてもいいだろうに。
「自分が使いたいチーズの名前が分からなくて……。あの、あんまり詳しくないから、逆に見て買いたいというか」
なるほど。それならば分かる。
私も先ほど店員に聞き砂糖を買った所だ。もしも注文して持ってきてもらおうと思っても、私自身が欲しい砂糖を上手く説明ができないので、結局は足を運ぶ事になっただろう。
しかし、それでも凄いのではないだろうか。オクトはまだ10歳。成長の早い獣人族や人族が、ようやく奉公に出始める年齢だ。エルフ族ならば、まだまだ親元から離れるなんて無理である。
どうにも、この子は自信というものが足りないのかもしれない。自分を過信し謙虚さを忘れるのは良くないが、価値が分かっていないというのも、時に危険も孕んでいる。
まあその辺り、あの魔族が何もしていないとも思えないので、オクト自身も自分を評価できない何か理由があるのだろう。だとしたら、まだそこまで親密ではない私が、分け入って聞くのも無粋だ。
「そうか。偉いな」
「えっ、あの。普通かと……」
それでも頑張っている子供を見ると褒めたくなるのは仕方がない。オクトはかなり困惑しているが、ここは諦めてもらおう。
私はオクトの頭を撫ぜる為手を伸ばした。
◆◇◆◇◆◇
「チーズは料理に使うのか?」
「料理というか、お菓子に使おうかと。実はこの間、アスタの同僚の方から手紙をいただきまして……。リストさんというんですが、知っていらっしゃいますか?」
酪農家の販売所へ向かう途中、ふと気になり聞いてみただけだが、オクトの口からはとんでもない言葉が飛び出してきた。
……手紙という言葉にドキリとしたが、私からの手紙というわけではないらしい。というか、リストはいつの間に手紙のだしたんだ?
「ああ、同じ部署のモノだが」
「えっと。この間渡したレアチーズケーキの作り方を、是非教えて欲しいと言われまして」
な、なんだと?!
なんて素早いんだ。確かにオクトの予定もあるので、事前に聞かねばならないとは思っていたが。流石女好き。仕事が早い。
「私のレベルでは恥ずかしいんですけど……」
「そんな事ないっ!」
私はついオクトの肩を捕まえて、否定してしまった。先ほどオクトが自分を正当に評価できないのは仕方がない事と思ったのだが、流石にあの幻のお菓子を否定されるのは困る。
もしもあれが美味しくないとすれば、私の料理はゴミ以下になってしまう。いやいや、あれだって食べられるのだからその評価はない。
「はあ……ありがとうございます。えっと、その。リストさんにも同じように否定されて、まあ、教える事になりました」
オクトの顔は困惑している。これはやはりあのお菓子の素晴らしさを分かっていないのだろう。たぶんリストがその様子をみたら、小一時間はお菓子の素晴らしさについて語り始めるに違いない。
「ただ、できれば、アスタには分からないようにと言われましたので、今度子爵邸にお呼びして教えようかと。そこで材料を用意しておかないとと思いまして」
なんと。その為の買い物だったのか。
「是非、私にその材料を買わせてくれないか?」
「はっ?」
「頼むっ!」
買うものが被ってはオクトも迷惑するだろう。
しかしプレゼントはリストが用意すると言うし……。このままでは、私の立つ瀬がない。
「……はぁ。いいんですか?」
「それから、この砂糖と、後で私の家に運ばれてくる小麦粉も使ってくれないか?」
オクトは大きな瞳をパチパチと瞬かせて差し出した砂糖を見た。そして数秒固まった後、突然ぶんぶんと首を横に振った。
「こ、こんなに貰えませんっ!それに、この砂糖、凄く高い物じゃないですかっ?!」
「幻のケーキを作る為なら、これぐらいのモノが必要だろう」
「はっ?幻っ?!えっと、私、いつも……その、徳用を使って……あー、その……うーん」
オクトは何故かしまったというような顔をすると、首を傾げて呻る。はて?徳用とは何だろう。
「えっと……小麦粉というのは……」
「王家御用達店で10kgばかり買ったのだが」
「へ?御用達店?というか、何その業務用レベルっ?!」
「業務用?とにかく、多ければ失敗しても何度でも使えるだろう?」
私も10kgぐらいはとうに使いきったはず。それでもできない幻のケーキが、1回で作れるとは思えない。料理には運も大切。もしも1回でできたとしたら、どれだけ幸運に恵まれているのだという話だ。
「どうしよう。お貴族様が分からない。……それともエルフは天然?」
オクトは頭を抱えた姿勢で、ぶつぶつと呟き始めた。貴族が分からないとは奇怪だ。アスタが貴族なので、オクトも貴族だ。それにエルフは天然とはどういう意味だろう。オクト自身、エルフ族の血が混じっているはずだが……オクトも天然というものなのだろうか?
「酪農家へは行かないのか?」
しばらくして私は声をかけた。
いつしか無言で考え始めてしまったオクトをじっと眺めていたが、いつまでもこのままというのは少し困る。私の声に反応して、オクトはハッとしたように顔を上げる。
「……い、いえ。行きます。あの、砂糖と、小麦粉に関しては、ちょっと返事を待っていただいてもいいですか?」
「ああ。別にかまわないが。ただ使ってもらえないと、ゴミになるから――」
「ご、ゴミっ?!高級食材が、ゴミっ?!」
オクトはぐわっと青い目を大きく見開いた。
そして砂糖と私の顔を交互に見比べる。
「捨てるなら、貰いますが……えっと。そういう事をしていると、もったいないお化けが出ますよ」
「モッタイナイ・オバケ?そいつらは何をするんだ?」
初めて聞く名前だ。
すると、オクトは困ったように首を傾げた。
「……えっと、夜な夜な、『もったいなーい』といって、枕元で騒ぐ……とか?」
「騒いでどうするんだ?」
「あー……騒ぐだけですが……。あっ、夜中に騒ぐので、不眠になるかもしれません」
「それは、確かに迷惑極まりないな」
オクトは、ぽんと手を叩いて、私に説明した。たぶん子供を脅かす為のおとぎ話の類だろうが、かなり地味な嫌がらせだ。本当に居たら困るだろうが、怖いかと言われると、いささか首を傾げたくなる。どこの地域の話なのだろう。
「と、とりあえず、チーズを買いに行きましょう」
それもそうだ。
オクトに言われ、喋っている途中で止まってしまった足を、私は再び動かし始めた。